親不知の高速道路は、海の上にあった。
また、黒部峡谷、北アルプスの山々、親不知、どれもフォッサマグナと関係していた。
姫川に沿っての道を、走った。 姫川~ひめかわ
※ 奴奈川姫(ぬなかわひめ)が登場する神話がある。
姫はこの地方で採れる「翡翠(ひすい)」を支配する神というか女王のような人。
この姫が、姫川の名前の由来。 この人を祀る神社が、何カ所かこの地方にある。
フォッサマグナパークがあった。 情報誌にもあり、寄ってみた。
ここから入って、5~6分歩く。 見える鉄道は大糸線。(当初、大町~糸魚川間だったので大糸線) 左方向が海に。
丸の中に、構造線というのが見えるらしい。
今の日本列島は、「くの字」の曲がっていて、大陸との間に日本海がある。
でも、昔はこうだったという。
はるか昔には、大陸にくっ付いており、曲がっていなく、真っ直ぐだった。
それが、大陸から離れだした。
※ どうして離れたかは分からないが、想像では、こうかなと思う。
太平洋プレートというのが、日本の右の方で、地球の内部に潜り込んでいる。
それに、引っ張られたのではと。 (今でも、引っ張られた方が、時々弾けて地震が起きる)
大陸から離れだした時に、「くの字」の曲がって、真ん中が割れた(離れた)。
離れた部分が、フォッサマグナ。
その部分は、新しい岩石などで出来ている。 つまり、新しい地層。
今いる所は、その西側の境界線。 糸魚川・静岡構造線と呼んでいる。
海側に向いて見ている。
右側は、フォッサマグナ。 左は、古い地層。
でも、このように白い線を引いて、ここですよと言われても、何も分からない。
左右の違いと、境目の様子を見せてくれないと。 全部隠している。
下の方に、工事をしてない部分があった。 余計なことをしていない、これがいい。
右は1600万年前の地層。 左は2億6000万年前。 大きな違い。
左右を分ける線が、糸魚川・静岡構造線。
立山連峰などの北アルプスは、この構造線の近くにある。
日本列島が移動するときの歪みによって、複雑な地形になった。
黒部ダムのある深い谷も生まれた。
ナウマンという人が、この地を通った時、風景を見て、構造線の存在に気付いたという。
※ ナウマン象のナウマンは、この人の名前。
こういうのを見るのは、太古のロマンに触れたというのか。
日本海に出た。 海は大荒れ。
糸魚川の少し北東に、能生(のう)という町がある。 ラーメンを食べに行った。
店の名前は、あさひ桜(ろう)。
小さな看板はあるが、暖簾はない。 普通の住宅。 ここです。
さすが新潟、という味だった。 とにかく、スープがよかった。
※ 問題は、麺が軟い(直ぐにのびた)
麺が多いため、麺を引っ張り出すのが大変。
ネギはのっていなく、薄く切ったタマネギがあった。
コショーは、最初からかかっている。
《感想》 これだけのスープが出来たのに、もったいないと思った。
スープだけが、飛びぬけていい。 そういうラーメン。
暖簾を出さない、ネギをのせない、など個性を出そうとしているが、それは我流。
ラーメンのプロの人のアドバイスを聞いたら、新潟県でも、日本でも、トップクラスのラーメンになる。
そう思った。
もう一度ここを通ったら、こんどは、
麺を固くして、麺の量を3分の2にして、チャーシュー麺でなく、普通のラーメンにする。
とりあえず、だいぶ良くなる。
戻って、ここは、親不知ピアパーク。
親不知の場所は点ではなく、線なので、ここも親不知。 ※ 親不知は、青海駅から市振駅の間。
高速道路は、海の上。 町並みから離れたら、トンネルに入る。
日本海の荒波が、逆巻きながら、高速道路に襲いかかる。 波の高さは、ビルの3階はある。
道の駅の建物。
亀の像があった。 どうしてあるかは分からない。
目に鳥がいた。
展望台に向かった。 このように、鉄道と道。
展望台(親不知記念広場)からの風景。 ここです。
ここからの風景が一番と言われている。 この崖なら道はつくれない。
昔から、道を作る時、海を離れて、山越えにつくればと思うけど、山が急だったのかな。
それでつくれなかった。
昔は、波の小さい時に、海岸を歩いたのかな。
母子像があった。 今の道は、ここから山にあがる。
歌碑があった。
こんな文も。
ここ親不知を通ると、旅の厳しさを感じるのか。
親不知の名前の由来はこう。
「断崖と波が険しいため、親は子を、子は親を省みることができない程に、険しい道であるから」
場所を変えて、別の展望台。
こんな所に、道をつくった。
親不知の名前の由来は、もう一つある。
壇ノ浦の戦い後、助命された平頼盛は、越後国蒲原郡五百刈村(現在の新潟県長岡市)で落人として暮らしていた。
このことを聞きつけた奥方は、京都から越後国を目指して、この難所に差し掛かった。
しかし、難所を越える際に、連れていた子供が波にさらわれてしまった。
その時、次の歌を詠んだ。
「親知らず、子はこの浦の波枕、越路の磯の泡と消え行く」
以後、その子供がさらわれた浦を「親不知」と呼ぶようになった。
展望台の場所は、ここ。
道は、このように。
冬は、毎日がこうなのか。
下は、ちゃんと見えない。
ウェストンの像があった。 ※ 上高地にもあったかな。
市振に来たが、松尾芭蕉はここで、一句つくっている。
一つ家に 遊女も寝たり 萩と月
親不知は、昔は北陸道最大の難所。
今は、海の幸豊かな観光地になっていた。
【道の駅】 越後市振の関
【明日の予定】 富山県に入るけど・・・
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また、黒部峡谷、北アルプスの山々、親不知、どれもフォッサマグナと関係していた。
姫川に沿っての道を、走った。 姫川~ひめかわ
※ 奴奈川姫(ぬなかわひめ)が登場する神話がある。
姫はこの地方で採れる「翡翠(ひすい)」を支配する神というか女王のような人。
この姫が、姫川の名前の由来。 この人を祀る神社が、何カ所かこの地方にある。
フォッサマグナパークがあった。 情報誌にもあり、寄ってみた。

ここから入って、5~6分歩く。 見える鉄道は大糸線。(当初、大町~糸魚川間だったので大糸線) 左方向が海に。

丸の中に、構造線というのが見えるらしい。

今の日本列島は、「くの字」の曲がっていて、大陸との間に日本海がある。
でも、昔はこうだったという。
はるか昔には、大陸にくっ付いており、曲がっていなく、真っ直ぐだった。
それが、大陸から離れだした。
※ どうして離れたかは分からないが、想像では、こうかなと思う。
太平洋プレートというのが、日本の右の方で、地球の内部に潜り込んでいる。
それに、引っ張られたのではと。 (今でも、引っ張られた方が、時々弾けて地震が起きる)
大陸から離れだした時に、「くの字」の曲がって、真ん中が割れた(離れた)。
離れた部分が、フォッサマグナ。
その部分は、新しい岩石などで出来ている。 つまり、新しい地層。
今いる所は、その西側の境界線。 糸魚川・静岡構造線と呼んでいる。

海側に向いて見ている。
右側は、フォッサマグナ。 左は、古い地層。
でも、このように白い線を引いて、ここですよと言われても、何も分からない。
左右の違いと、境目の様子を見せてくれないと。 全部隠している。

下の方に、工事をしてない部分があった。 余計なことをしていない、これがいい。
右は1600万年前の地層。 左は2億6000万年前。 大きな違い。
左右を分ける線が、糸魚川・静岡構造線。

立山連峰などの北アルプスは、この構造線の近くにある。
日本列島が移動するときの歪みによって、複雑な地形になった。
黒部ダムのある深い谷も生まれた。
ナウマンという人が、この地を通った時、風景を見て、構造線の存在に気付いたという。
※ ナウマン象のナウマンは、この人の名前。
こういうのを見るのは、太古のロマンに触れたというのか。
日本海に出た。 海は大荒れ。

糸魚川の少し北東に、能生(のう)という町がある。 ラーメンを食べに行った。
店の名前は、あさひ桜(ろう)。
小さな看板はあるが、暖簾はない。 普通の住宅。 ここです。


さすが新潟、という味だった。 とにかく、スープがよかった。

※ 問題は、麺が軟い(直ぐにのびた)
麺が多いため、麺を引っ張り出すのが大変。
ネギはのっていなく、薄く切ったタマネギがあった。
コショーは、最初からかかっている。
《感想》 これだけのスープが出来たのに、もったいないと思った。
スープだけが、飛びぬけていい。 そういうラーメン。
暖簾を出さない、ネギをのせない、など個性を出そうとしているが、それは我流。
ラーメンのプロの人のアドバイスを聞いたら、新潟県でも、日本でも、トップクラスのラーメンになる。
そう思った。
もう一度ここを通ったら、こんどは、
麺を固くして、麺の量を3分の2にして、チャーシュー麺でなく、普通のラーメンにする。
とりあえず、だいぶ良くなる。
戻って、ここは、親不知ピアパーク。
親不知の場所は点ではなく、線なので、ここも親不知。 ※ 親不知は、青海駅から市振駅の間。
高速道路は、海の上。 町並みから離れたら、トンネルに入る。
日本海の荒波が、逆巻きながら、高速道路に襲いかかる。 波の高さは、ビルの3階はある。

道の駅の建物。

亀の像があった。 どうしてあるかは分からない。

目に鳥がいた。

展望台に向かった。 このように、鉄道と道。

展望台(親不知記念広場)からの風景。 ここです。

ここからの風景が一番と言われている。 この崖なら道はつくれない。

昔から、道を作る時、海を離れて、山越えにつくればと思うけど、山が急だったのかな。
それでつくれなかった。
昔は、波の小さい時に、海岸を歩いたのかな。
母子像があった。 今の道は、ここから山にあがる。

歌碑があった。


こんな文も。

ここ親不知を通ると、旅の厳しさを感じるのか。
親不知の名前の由来はこう。
「断崖と波が険しいため、親は子を、子は親を省みることができない程に、険しい道であるから」
場所を変えて、別の展望台。

こんな所に、道をつくった。

親不知の名前の由来は、もう一つある。
壇ノ浦の戦い後、助命された平頼盛は、越後国蒲原郡五百刈村(現在の新潟県長岡市)で落人として暮らしていた。
このことを聞きつけた奥方は、京都から越後国を目指して、この難所に差し掛かった。
しかし、難所を越える際に、連れていた子供が波にさらわれてしまった。
その時、次の歌を詠んだ。
「親知らず、子はこの浦の波枕、越路の磯の泡と消え行く」
以後、その子供がさらわれた浦を「親不知」と呼ぶようになった。
展望台の場所は、ここ。

道は、このように。

冬は、毎日がこうなのか。

下は、ちゃんと見えない。

ウェストンの像があった。 ※ 上高地にもあったかな。

市振に来たが、松尾芭蕉はここで、一句つくっている。
一つ家に 遊女も寝たり 萩と月
親不知は、昔は北陸道最大の難所。
今は、海の幸豊かな観光地になっていた。
【道の駅】 越後市振の関
【明日の予定】 富山県に入るけど・・・
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
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