ピアソン記念館に行ったら、多くの人が絡(から)まってきた。
まず下の写真の紹介から。
六花亭(ろっかてい)の包装紙。 ※ お菓子の店で、本店は帯広。
描いたのは、坂本直行。 ※ ちょっこうと読んでもいい。
この人の祖父である坂本直寛は、坂本龍馬の姉の子。
※ 直寛は、北見の開拓の先人的な役割を果たす。
☆ ☆ ☆ ☆
ピアソン記念館は、真ん中より、少し左上に見える。
※ 印の所は、井上伝蔵が住んでいたところ。
(秩父事件の中心人物の一人。 死刑を宣告されたが、逃亡して、最期は北見に。 映画「草の乱」の主人公)
北見駅からも近く、小高い丘の上にあった。
北海道遺産になっている。
設計はヴォーリズと、平成7年に分かった。 建物の価値が、一気に高まった。
※ このことについては、後で。
※ 中に入ると、館長さんという感じの人が、詳しく説明してくれた。
たくさんの資料もいただいた。
キリスト教の伝道師だが、その土地土地で、町づくり・人づくりに大きくかかわる。
入館料は、無料。 ※ 市内のホテルなど、企業が支援している。
ピアソンは、大正3年に北見に来て、この建物を建てる。 アメリカに戻る、昭和3年まで住む。
北見に来る前は、旭川にいた。 (明治34年~)
足踏みオルガンは、やさしい音色だった。
※ アメリカ製の古いもの。 きよしこの夜を、少しだけ弾いて見た。
北見は昔、野付牛と言った。 ピアソンが来た頃の様子が分かる。 鉄道はまだ無い。
中央上の写真は、旭川で撮影したもの。 明治43年頃。
同じ写真を、旭川のアイヌ記念館で見た。 知里幸恵が左端にいる。
ピアソン。 素敵な響きの名前。
日本に来たのは、明治21年。
明治・大正と、40年間、日本の発展に尽くす。
2階の部屋。 突然、坂本龍馬。
北見を開拓したのは、北光社と屯田兵。
北光社は、高知県からの開拓移民団の名前。
代表は、坂本直寛(なおひろ)。
※ 龍馬の一番上の姉、千鶴の子。 龍馬の兄の養子になったため、苗字が坂本。
大きな夢を持って、北海道に来る。
生き方が、龍馬に似ている。
※ 上に書いた、坂本直行は画家。 直寛の孫。
帯広に近い中札内に、記念館がある。 昔行ったことがある。 自然の中にある美術館という感じ。
坂本直寛とピアソンは、北見の町をつくり上げていく。
開拓に入った人達。 右端に、ピアソン夫妻。
この部屋は、ヴォーリズの紹介。
ヴォーリズは、同社大、明治学院大の建物を設計している。
ヴォーリズについては、豊郷小学校のブログで、下のように書いた。
※ ブログ全体は、ここに。
数えきれないほどの西洋建築を。
井上伝蔵は、ピアソン記念館の下の方に住んでいた。
伝蔵の子どもが描いた、ピアソン記念館の絵。
映画「草の乱」の最後の場面。 ※ 後半は、ずっと音楽だけ。
これは、本物の写真。
※ 井上伝蔵については、下のブログで触れています。
井上伝蔵 ~秩父事件~ 吉田龍勢 他 (2009/10/21)
1時間程いて、次に向かった。
女満別の丘。 向こうに網走湖が見える。
道の駅、メルヘンの丘 めまんべつ。
※ ピアソン記念館が今に残るのは、私財を投じて保存に努めた人がいたから。
唐笠 学という人。
ピアソン記念館では、色んな人が登場して来た。 こういうのも、面白い。
【その他】 車の中は快適。
全てを洗濯して、なべやフライパンもピカピカ。
全部姉がやってくれた。
新しく空間が生まれたので、そこでラジオ体操をしている。
【道の駅】 メルヘンの丘 めまんべつ
【明日の予定】 博物館 網走監獄
脱走した人間がいた。 それを調べたい。
※ ここは雨の日でも行けるので、別の日かなとも。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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六花亭(ろっかてい)の包装紙。 ※ お菓子の店で、本店は帯広。
描いたのは、坂本直行。 ※ ちょっこうと読んでもいい。
この人の祖父である坂本直寛は、坂本龍馬の姉の子。
※ 直寛は、北見の開拓の先人的な役割を果たす。

☆ ☆ ☆ ☆
ピアソン記念館は、真ん中より、少し左上に見える。
※ 印の所は、井上伝蔵が住んでいたところ。
(秩父事件の中心人物の一人。 死刑を宣告されたが、逃亡して、最期は北見に。 映画「草の乱」の主人公)
北見駅からも近く、小高い丘の上にあった。

北海道遺産になっている。

設計はヴォーリズと、平成7年に分かった。 建物の価値が、一気に高まった。
※ このことについては、後で。

※ 中に入ると、館長さんという感じの人が、詳しく説明してくれた。
たくさんの資料もいただいた。
キリスト教の伝道師だが、その土地土地で、町づくり・人づくりに大きくかかわる。

入館料は、無料。 ※ 市内のホテルなど、企業が支援している。
ピアソンは、大正3年に北見に来て、この建物を建てる。 アメリカに戻る、昭和3年まで住む。
北見に来る前は、旭川にいた。 (明治34年~)

足踏みオルガンは、やさしい音色だった。
※ アメリカ製の古いもの。 きよしこの夜を、少しだけ弾いて見た。

北見は昔、野付牛と言った。 ピアソンが来た頃の様子が分かる。 鉄道はまだ無い。

中央上の写真は、旭川で撮影したもの。 明治43年頃。
同じ写真を、旭川のアイヌ記念館で見た。 知里幸恵が左端にいる。

ピアソン。 素敵な響きの名前。
日本に来たのは、明治21年。
明治・大正と、40年間、日本の発展に尽くす。

2階の部屋。 突然、坂本龍馬。
北見を開拓したのは、北光社と屯田兵。
北光社は、高知県からの開拓移民団の名前。
代表は、坂本直寛(なおひろ)。
※ 龍馬の一番上の姉、千鶴の子。 龍馬の兄の養子になったため、苗字が坂本。
大きな夢を持って、北海道に来る。
生き方が、龍馬に似ている。
※ 上に書いた、坂本直行は画家。 直寛の孫。
帯広に近い中札内に、記念館がある。 昔行ったことがある。 自然の中にある美術館という感じ。

坂本直寛とピアソンは、北見の町をつくり上げていく。

開拓に入った人達。 右端に、ピアソン夫妻。

この部屋は、ヴォーリズの紹介。
ヴォーリズは、同社大、明治学院大の建物を設計している。

ヴォーリズについては、豊郷小学校のブログで、下のように書いた。

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井上伝蔵は、ピアソン記念館の下の方に住んでいた。
伝蔵の子どもが描いた、ピアソン記念館の絵。

映画「草の乱」の最後の場面。 ※ 後半は、ずっと音楽だけ。
これは、本物の写真。

※ 井上伝蔵については、下のブログで触れています。
井上伝蔵 ~秩父事件~ 吉田龍勢 他 (2009/10/21)
1時間程いて、次に向かった。
女満別の丘。 向こうに網走湖が見える。

道の駅、メルヘンの丘 めまんべつ。

※ ピアソン記念館が今に残るのは、私財を投じて保存に努めた人がいたから。
唐笠 学という人。
ピアソン記念館では、色んな人が登場して来た。 こういうのも、面白い。
【その他】 車の中は快適。
全てを洗濯して、なべやフライパンもピカピカ。
全部姉がやってくれた。
新しく空間が生まれたので、そこでラジオ体操をしている。
【道の駅】 メルヘンの丘 めまんべつ
【明日の予定】 博物館 網走監獄
脱走した人間がいた。 それを調べたい。
※ ここは雨の日でも行けるので、別の日かなとも。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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