囚人は、タダで働かせることができる。
それが理由で、網走という地に、監獄はできた。
囚人に何の仕事をさせたかったか。 それは、道路建設。
そう云うことだった。
脱獄王と云われた白鳥由栄は、自由が欲しくて脱獄したと思っていた。
違った。 そうではなかった。
スティーブ・マックイーンのパピヨンとは違った。
☆ ☆ ☆ ☆
場所は、網走湖の東岸。
少し上の、網走川とある辺りに、本物の刑務所がある。(120年前にスタート。 人口631名の時)
そこにあった物を、移築した。
鏡橋。 ※ 網走川に架かっている橋。
※ 本物の鏡橋。 (2008年11月19日撮影)
入り口の赤レンガ門の前に、脱獄王 五寸釘の寅吉の像があった。
網走監獄ではまじめだったので、こんな仕事もできた。
入り口の向こうに、庁舎。
※ 刑務所を管理するための事務を行う。 昭和62年まで使用した。 ここに移築。
今は、中でお土産とかを売っている。
順路とある方に行った。 敷地は広い。
休泊所。 刑務所の外にある宿泊所。 外での仕事が多いから、必要。
※ タコ部屋の原形だそう。
起こす時は、枕の木を棒でたたく。
裁判所。
無実でも有罪になった者が、たくさんいた。
※ こんな歴史があるため、死刑廃止の考えが生まれるよう。
どこの建物だったか忘れたが、現在はこんな独房。
広さは、私といっしょ。 食事は、私よりいい。
※ 敷地内には、こんな感じで建物がある。 時計回りで見ている。
ここからは、監獄歴史館の中。
7分程の映画。 受刑者が道を作ってる様子。
こんなのを足に付けられたのもいる。
何てことない。
道路を作るために、作業員が必要だったので、スタート地点の網走に刑務所を作った。
網走監獄の担当は、網走から北見峠までの、163㌔㍍。
監獄にいた受刑者の数は1200人。 道路建設に働いた人は、1115人。
死んだ人は、211人。 8ヶ月で、道は完成。
死んだ人は、そのへんに埋められた。 戦後、それを掘り起こして供養した。
歴史館の中は、このように広い。
刑務所を出る時の、受刑者の言葉。 3人分。
本物。
二見ヶ丘農場。 網走湖の西岸にある農場。 遠いから、刑務所も併設している。
明治29年の建物。
朝食の様子。 ご飯とみそ汁と漬物。
刑務所。
中心の建物。 五翼放射状平屋舎房。
真ん中に、見張りをするところがある。 舎房と言われる建物が、5つ放射状に出ている。
こう。
看守は刀も持っていた。
独居房。 規則違反したらここに。
まじめに座っているのは、看守の足音が聞こえてから。 看守が行ったら、ごろごろ。
(案内の人が、そう言った)
網走刑務所を脱獄した、白鳥由栄。 天井のガラスを破って逃げた。
白鳥由栄がいた部屋。 本物。 ドアの金具を外して、そこから出た。
狭いから、肩の骨を外して。
脱獄の様子は、下に。 ※ HP「オワリナキアクム」より。
白鳥由栄。
彼は、収監された刑務所に不満があった時だけ、脱獄を図った。
冬の暖房。 長い煙突。
ここは、別の建物で、浴場の中。
※ 明治時代は、6~9月は、月5回。 そのほかの月は、月1回。 時間は、15分。
独居房。 受刑者が最も恐れた。
食事も減らされた。
教かい道。 厚生への道を、さとし導く場とあった。
受刑者の作品。 下の中央の絵は、山本富士子か。
博物館 網走監獄の入館料は1050円。 少し高いけど、それに見合う内容だった。
道路建設で苦労し、また亡くなった人たちに対しての姿勢がいい。 そう思った。
知床峠に向かった。
原生花園駅。
知床連山。
斜里岳。
海別岳の麓から撮影。 ※ この場所は、ピアソン会館の方が教えてくれた。
まるで、空に続く道。
オシンコシンの滝の上に行ってみた。 旧道を通って。
下を、今の国道が通っている。
知床峠。 携帯が使えることは調べて行ったが、駐車場はダメだった。 少し離れたら使えたが。
ネットが使えないので、羅臼に下りることに。
※ 30年程前、友達とここに来たことがある。 知床五湖を見た後。
道はここまでしかなかった。 羅臼側は工事中。
暗かったので、羅臼の街の灯りが見えた。
国後(くなしり)島。 小さく、羅臼の市街が。
暗くなってから、熊の湯温泉に行った。
ここを下りて行く。
水を入れて温度を調節。 水を入れたけど、45度くらいあった。
写っているのは、地元の人。
場所はここ。
私は昔根室にいたので、知床と言えば、ウトロより羅臼になる。
羅臼は、ウトロより、半島の先まで道がある。
観光客は少ないが、知床っぽい感じがする。
【動画】
【道の駅】 知床・らうす
【明日の予定】 羅臼の町を歩く しばらく羅臼にいる
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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それが理由で、網走という地に、監獄はできた。
囚人に何の仕事をさせたかったか。 それは、道路建設。
そう云うことだった。
脱獄王と云われた白鳥由栄は、自由が欲しくて脱獄したと思っていた。
違った。 そうではなかった。
スティーブ・マックイーンのパピヨンとは違った。
☆ ☆ ☆ ☆
場所は、網走湖の東岸。
少し上の、網走川とある辺りに、本物の刑務所がある。(120年前にスタート。 人口631名の時)
そこにあった物を、移築した。
鏡橋。 ※ 網走川に架かっている橋。

※ 本物の鏡橋。 (2008年11月19日撮影)
入り口の赤レンガ門の前に、脱獄王 五寸釘の寅吉の像があった。
網走監獄ではまじめだったので、こんな仕事もできた。

入り口の向こうに、庁舎。
※ 刑務所を管理するための事務を行う。 昭和62年まで使用した。 ここに移築。
今は、中でお土産とかを売っている。

順路とある方に行った。 敷地は広い。

休泊所。 刑務所の外にある宿泊所。 外での仕事が多いから、必要。
※ タコ部屋の原形だそう。
起こす時は、枕の木を棒でたたく。

裁判所。

無実でも有罪になった者が、たくさんいた。
※ こんな歴史があるため、死刑廃止の考えが生まれるよう。

どこの建物だったか忘れたが、現在はこんな独房。
広さは、私といっしょ。 食事は、私よりいい。

※ 敷地内には、こんな感じで建物がある。 時計回りで見ている。

ここからは、監獄歴史館の中。

7分程の映画。 受刑者が道を作ってる様子。

こんなのを足に付けられたのもいる。

何てことない。
道路を作るために、作業員が必要だったので、スタート地点の網走に刑務所を作った。
網走監獄の担当は、網走から北見峠までの、163㌔㍍。
監獄にいた受刑者の数は1200人。 道路建設に働いた人は、1115人。
死んだ人は、211人。 8ヶ月で、道は完成。

死んだ人は、そのへんに埋められた。 戦後、それを掘り起こして供養した。

歴史館の中は、このように広い。

刑務所を出る時の、受刑者の言葉。 3人分。

本物。

二見ヶ丘農場。 網走湖の西岸にある農場。 遠いから、刑務所も併設している。

明治29年の建物。

朝食の様子。 ご飯とみそ汁と漬物。

刑務所。

中心の建物。 五翼放射状平屋舎房。

真ん中に、見張りをするところがある。 舎房と言われる建物が、5つ放射状に出ている。

こう。

看守は刀も持っていた。


独居房。 規則違反したらここに。
まじめに座っているのは、看守の足音が聞こえてから。 看守が行ったら、ごろごろ。
(案内の人が、そう言った)

網走刑務所を脱獄した、白鳥由栄。 天井のガラスを破って逃げた。

白鳥由栄がいた部屋。 本物。 ドアの金具を外して、そこから出た。
狭いから、肩の骨を外して。

脱獄の様子は、下に。 ※ HP「オワリナキアクム」より。

白鳥由栄。
彼は、収監された刑務所に不満があった時だけ、脱獄を図った。

冬の暖房。 長い煙突。

ここは、別の建物で、浴場の中。
※ 明治時代は、6~9月は、月5回。 そのほかの月は、月1回。 時間は、15分。

独居房。 受刑者が最も恐れた。

食事も減らされた。

教かい道。 厚生への道を、さとし導く場とあった。

受刑者の作品。 下の中央の絵は、山本富士子か。

博物館 網走監獄の入館料は1050円。 少し高いけど、それに見合う内容だった。
道路建設で苦労し、また亡くなった人たちに対しての姿勢がいい。 そう思った。
知床峠に向かった。
原生花園駅。

知床連山。

斜里岳。

海別岳の麓から撮影。 ※ この場所は、ピアソン会館の方が教えてくれた。
まるで、空に続く道。

オシンコシンの滝の上に行ってみた。 旧道を通って。


下を、今の国道が通っている。

知床峠。 携帯が使えることは調べて行ったが、駐車場はダメだった。 少し離れたら使えたが。
ネットが使えないので、羅臼に下りることに。
※ 30年程前、友達とここに来たことがある。 知床五湖を見た後。
道はここまでしかなかった。 羅臼側は工事中。
暗かったので、羅臼の街の灯りが見えた。

国後(くなしり)島。 小さく、羅臼の市街が。

暗くなってから、熊の湯温泉に行った。


ここを下りて行く。

水を入れて温度を調節。 水を入れたけど、45度くらいあった。

写っているのは、地元の人。

場所はここ。
私は昔根室にいたので、知床と言えば、ウトロより羅臼になる。
羅臼は、ウトロより、半島の先まで道がある。
観光客は少ないが、知床っぽい感じがする。
【動画】
【道の駅】 知床・らうす
【明日の予定】 羅臼の町を歩く しばらく羅臼にいる
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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