1798年(寛政10年)、近藤重蔵が最上徳内とともに択捉(えとろふ)島に渡り、
「大日本恵登呂府(だいにっぽんえとろふ)」と書いた標柱を建てた。
北方領土の管理は、この時始まった。
近藤重蔵は、どこから島に渡ったのか。
それは、野付半島からだった。
※ ここから島への行き来は、その100年以上前からあったよう。
明治が始まるまで半島の先に町があり、歓楽街「キラク」があったと云われている。
消えた町の手前には、今消えゆく「トドワラ」が残っていた。
☆ ☆ ☆ ☆
トドワラは、黄色の所。 キラクは、きらく通行所跡の所。 ※ 北方展望塔には、こんな像がある。
女の人の向こうに、トドワラが小さく見える。 歩いて、30分。
羅臼を離れた時、キラクのことを思い出して、急にここに来た。
こんな道。
向こうから来た。 建物は、野付半島ネイチャーセンター。
もうススキでいっぱい。
下の歌を鼻歌で歌いながら歩いた。
フウロソウ。 その土地で、少し違う。 ここのは、花びらにしわがあって、色がはっきりしていた。
6月から咲き始めたハマナスが、まだ咲いていた。 ありがとうって言いたくなる。
歩くのがいやなら、これ。
写真の右部分が、野付崎。 キラクは、もっと右の方。
左に、トドワラが見える。
ナデシコ。 大きな花で、直系6㌢ほど。
サッカーのナデシコは、みんな男勝り。 たくましい。
その中で、鮫島彩選手が、ナデシコっぽいかな。
※ この人は、東電のサッカー部にいたことがある。
だから、震災のこと、福島のことを聞いたり話すと、涙を流す。
この辺り一帯は、トドマツの原生林だった。
地盤沈下か温暖化の海面の上昇かで、みんな枯れてしまった。
倒れた木も、だんだん朽ちて、消えて行っている。
ネイチャーセンターが見える。
生きてるトドマツは、1本もない。
※ そういえば、陸前高田の1本だけ残った松は、危ないそうですよ。
土に、塩水がしみ込んだからかな。
復興の湯は、昨日で終わりでした。
関わったみなさん、お疲れ様。
私がボランティアで行った時、風呂から上がったおばあちゃんが、私達に手を合わせてお礼を言った。
手前のナナカマドの木は、生きている。
こんな風景は、どこにもない。 だから人気があるのか。
木の骨が残っている感じ。
キラクのあった所も、半分海の中。 行けない。
野付半島にいて津波が来たら、逃げるところはない。
人が住んでる家は、1軒もない。 みんな番屋。
温暖化が進めば、トドワラはいつか海の中。 野付半島全体が海に沈むという声もある。
荒涼とした風景というのか。
40歳くらいのバスガイドさんが、私が入社したころは、木がいっぱいあったんだよ、って言った。
立ってる木も、あと何年かで倒れる。
その時は、観光は、ナラワラに移るのかな。
少し北にある、広いナラワラの林の木が、みんな枯れてる。
この花がいっぱい咲いている。 海水に強い。
ここを行くと、船着き場がある。 観光船が、尾岱沼とを結んでいる。
キラクは江戸時代の終わり頃、特に発展した。
伝説として伝わっており、文書が無い。 古老の話として残っている。
あったと云う通行所の辺りには、石畳の跡があったり、生活に使うたくさんの物が発掘されている。
武家屋敷もあった。 墓は、今もある。
また、遊郭もあって、たくさんの女の人がいたという。
キラクという言葉は、ロシア南部にいるウィルタ民族の言葉で神を意味すると云う。
向こうは、知床。
野付半島と国後との行き来は、17世紀の終わりには行われていた。
このことは、「津軽一統志」に書かれている。
※ オホーツク方面の歴史は、この史書によって、たくさんのことが分かった。
昔、雄武の沢木にいた時、100周年記念誌に、沢木の発祥を載せることにした。
紋別の郷土資料室で調べていた時、学芸員さんが、津軽一統志に載ってることを教えてくれた。
その時に、読んだことがある。
エゾニュウとか、そんなのかな。 すっかり秋。
看板にあった写真。 船に帆をつけて、北海シマエビを獲る。 昔のように。 乱獲しない。
ネイチャーセンターの中。
キラクに近づこうとしたが、道は野付先灯台の手前まで。
歩いたら、近くまで行けそうだが、キラクまでの道はない。
サケ釣りがどうなっているのか、あっちこっち行ってみた。
釣り人は、どこにもいなかった。
標津漁港で釣り人がいた。 最近釣れないから、誰も釣ってないと言った。
その人は、クロゾイを釣っていた。
キラクは、一夜にして消えたと言われている。
なぜそうなったかを調べたが、分からない。
台風の高波でもあったのか。 何なんだろう。
明治に入ってからは、根室の方が、北方領土への玄関になったようだ。
キラク。 幻の歓楽街。 ロマン溢れる伝説です。
トドワラも、キラクのように、近い将来消えていく。
【停泊場所】 標津町の観光案内所のパーキング
【明日の予定】 天気予報は雨。 養老牛の山の中に行こうかなと。
そこに露天風呂がある。
夜もそこにいて、フクロウの鳴き声でも何でも、聴いてみたい。 見れたら最高。
魚釣りもしたい。
※ ネットは、きっとつながらない。 その時は、次の朝移動。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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「大日本恵登呂府(だいにっぽんえとろふ)」と書いた標柱を建てた。
北方領土の管理は、この時始まった。
近藤重蔵は、どこから島に渡ったのか。
それは、野付半島からだった。
※ ここから島への行き来は、その100年以上前からあったよう。
明治が始まるまで半島の先に町があり、歓楽街「キラク」があったと云われている。
消えた町の手前には、今消えゆく「トドワラ」が残っていた。
☆ ☆ ☆ ☆
トドワラは、黄色の所。 キラクは、きらく通行所跡の所。 ※ 北方展望塔には、こんな像がある。

女の人の向こうに、トドワラが小さく見える。 歩いて、30分。

羅臼を離れた時、キラクのことを思い出して、急にここに来た。
こんな道。

向こうから来た。 建物は、野付半島ネイチャーセンター。

もうススキでいっぱい。

下の歌を鼻歌で歌いながら歩いた。
フウロソウ。 その土地で、少し違う。 ここのは、花びらにしわがあって、色がはっきりしていた。

6月から咲き始めたハマナスが、まだ咲いていた。 ありがとうって言いたくなる。

歩くのがいやなら、これ。

写真の右部分が、野付崎。 キラクは、もっと右の方。

左に、トドワラが見える。

ナデシコ。 大きな花で、直系6㌢ほど。

サッカーのナデシコは、みんな男勝り。 たくましい。
その中で、鮫島彩選手が、ナデシコっぽいかな。
※ この人は、東電のサッカー部にいたことがある。
だから、震災のこと、福島のことを聞いたり話すと、涙を流す。

この辺り一帯は、トドマツの原生林だった。
地盤沈下か温暖化の海面の上昇かで、みんな枯れてしまった。
倒れた木も、だんだん朽ちて、消えて行っている。

ネイチャーセンターが見える。

生きてるトドマツは、1本もない。
※ そういえば、陸前高田の1本だけ残った松は、危ないそうですよ。
土に、塩水がしみ込んだからかな。
復興の湯は、昨日で終わりでした。
関わったみなさん、お疲れ様。
私がボランティアで行った時、風呂から上がったおばあちゃんが、私達に手を合わせてお礼を言った。

手前のナナカマドの木は、生きている。

こんな風景は、どこにもない。 だから人気があるのか。

木の骨が残っている感じ。

キラクのあった所も、半分海の中。 行けない。

野付半島にいて津波が来たら、逃げるところはない。
人が住んでる家は、1軒もない。 みんな番屋。
温暖化が進めば、トドワラはいつか海の中。 野付半島全体が海に沈むという声もある。

荒涼とした風景というのか。

40歳くらいのバスガイドさんが、私が入社したころは、木がいっぱいあったんだよ、って言った。

立ってる木も、あと何年かで倒れる。
その時は、観光は、ナラワラに移るのかな。
少し北にある、広いナラワラの林の木が、みんな枯れてる。

この花がいっぱい咲いている。 海水に強い。

ここを行くと、船着き場がある。 観光船が、尾岱沼とを結んでいる。

キラクは江戸時代の終わり頃、特に発展した。
伝説として伝わっており、文書が無い。 古老の話として残っている。
あったと云う通行所の辺りには、石畳の跡があったり、生活に使うたくさんの物が発掘されている。
武家屋敷もあった。 墓は、今もある。
また、遊郭もあって、たくさんの女の人がいたという。

キラクという言葉は、ロシア南部にいるウィルタ民族の言葉で神を意味すると云う。
向こうは、知床。

野付半島と国後との行き来は、17世紀の終わりには行われていた。
このことは、「津軽一統志」に書かれている。
※ オホーツク方面の歴史は、この史書によって、たくさんのことが分かった。
昔、雄武の沢木にいた時、100周年記念誌に、沢木の発祥を載せることにした。
紋別の郷土資料室で調べていた時、学芸員さんが、津軽一統志に載ってることを教えてくれた。
その時に、読んだことがある。

エゾニュウとか、そんなのかな。 すっかり秋。


看板にあった写真。 船に帆をつけて、北海シマエビを獲る。 昔のように。 乱獲しない。

ネイチャーセンターの中。

キラクに近づこうとしたが、道は野付先灯台の手前まで。
歩いたら、近くまで行けそうだが、キラクまでの道はない。

サケ釣りがどうなっているのか、あっちこっち行ってみた。
釣り人は、どこにもいなかった。
標津漁港で釣り人がいた。 最近釣れないから、誰も釣ってないと言った。
その人は、クロゾイを釣っていた。

キラクは、一夜にして消えたと言われている。
なぜそうなったかを調べたが、分からない。
台風の高波でもあったのか。 何なんだろう。
明治に入ってからは、根室の方が、北方領土への玄関になったようだ。
キラク。 幻の歓楽街。 ロマン溢れる伝説です。
トドワラも、キラクのように、近い将来消えていく。
【停泊場所】 標津町の観光案内所のパーキング
【明日の予定】 天気予報は雨。 養老牛の山の中に行こうかなと。
そこに露天風呂がある。
夜もそこにいて、フクロウの鳴き声でも何でも、聴いてみたい。 見れたら最高。
魚釣りもしたい。
※ ネットは、きっとつながらない。 その時は、次の朝移動。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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