登山道は倒木だらけ。
元のように楽しく歩けるのは、いつのことでしょう。
・ ・ ・ ・ ・
伊達政宗の家臣の片倉小十郎は、夏の陣の前、愛宕神社にお参りした。
そのおかげで、夏の陣では活躍した。
彼には、そのことに関して面白い話が。
昔は頂上までケーブルカーで行けた。
初めてちゃんと分かった。
※ ※ ※ ※ ランキング
ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
・ ・ ・ ・ ・
今日は下山の記事。 紫の道の辺りまで。
※ 撮影は昨日。 写真はたくさん失敗。 原因分かったので、今後はきっとない。
カメラの問題かと不安だった。 自分の問題だった。

参拝するところから。 孫の華ちゃんと桃ちゃんのことをお願いした。

拝殿の横に、愛宕太郎坊の絵馬。
本物は修復中でしょうか。 片倉小十郎はこんなのを奉納。

前回来た時、本物があった。
※ 小十郎が奉納したのは火事で焼けた。 その次に奉納したのは、細かくして参拝者に与えた。
3回目のが、下の。 傷んでるので、神社では修復の予定と言っていた。

片倉小十郎は仙台に近い白石(しろいし)城の城主。
下のは、白石城にあった物。 以前撮影。

※ 余談 大坂夏の陣は1615年のこと。 この戦いで、豊臣家は滅びる。
豊臣方に、真田幸村がいた。 大河の真田丸で知られる。
幸村は死ぬ前日(城が焼ける前日)、娘の阿梅(おうめ)12歳と大八4歳を、
敵方の上に書いた片倉小十郎に預ける。 真田家の血を残すためにそうした。
阿梅は後に、小十郎の息子の妻に。 大八は、幕府に知られないように育てられる。
大八は後に伊達政宗の元に。 本当は幕府は薄々知っていた。
政宗は幕府も一目置く大名。 おとがめはなかった。 詳しくはこの記事に。
※ 同じような話は、薩摩の島津にも。
島津は、関ケ原で負けた宇喜田秀家を山に中にかくまった。
幕府に知られることとなるが、特にお咎めはなかった。
島津も大きな力を持っていた。 その記事はここに。
石段を下って。

登山者は7~8人。 ここでお弁当。

下山開始。 黒門を通って。 木が倒れて。

水尾との分岐。 来るときは右から。
右は、何とか写真になると撮った。 ほとんどはもっとひどい。

お地蔵さんは泣いている。 今までこんなことなかったって。 2年前の秋の台風で。

ここには大きな杉があった。 右写真のように。(反対側から)

ここを通って。 右は休憩所。

変な木があった。 口を開けてにらむ。

ここに、茶屋が。

昔ここに、日除けの神が祀ってあった。 今はない。
隣に新しい祠と大木。 雷が落ちたのか、中は真っ黒。 神様がいないと、こうなる。

ずっと下って、ケーブルカーの跡。 清滝の家並みに。

ここから出て来た。 二の鳥居。 表参道の登山口。

近くに、ケーブルカーの駅の跡。 頂上近くまで行っていた。
多くの人でにぎわった時代があった。

この感じで。 下の左から2番目の写真。 中央左に白っぽい部分。
この辺りに、嵯峨小学校清滝分校があった。 今は、小さな祠がある。

ここを通って赤い橋。 お店が続く。

清滝川。 右に、今は廃墟の高級料亭。

右下から上がって来た。 バス停。
戦前は、ここに駅があった。 今の嵐山駅あたりからここまで軌道があった。 昔は頂上まで楽だった。
右のトンネルはその時の。 今は信号で交代で車が。 危険だから行かない。
右写真の山越えの道を行く。 試(こころみ)峠を。

続きは、明日の記事です。
【その他】 今日は中秋の名月。 十五夜。 いい月の晩。
月見だんごは売り切れていた。 コンビニ。 わらび餅を食べた。
キティちゃんいい調子。 お尻ふりふり。 急に振り返る。 2曲。
【停泊場所】 亀岡市運動公園駐車場。
【明日の予定】 記事は、中国人のいない嵯峨野・嵐山。 写真がおかしいので、撮りなおそうかなと。
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(放浪の旅Ⅱと放浪の旅Ⅰの両方です。 記事の総数は4300ほど。)
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元のように楽しく歩けるのは、いつのことでしょう。
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伊達政宗の家臣の片倉小十郎は、夏の陣の前、愛宕神社にお参りした。
そのおかげで、夏の陣では活躍した。
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参拝するところから。 孫の華ちゃんと桃ちゃんのことをお願いした。


拝殿の横に、愛宕太郎坊の絵馬。
本物は修復中でしょうか。 片倉小十郎はこんなのを奉納。


前回来た時、本物があった。
※ 小十郎が奉納したのは火事で焼けた。 その次に奉納したのは、細かくして参拝者に与えた。
3回目のが、下の。 傷んでるので、神社では修復の予定と言っていた。


片倉小十郎は仙台に近い白石(しろいし)城の城主。
下のは、白石城にあった物。 以前撮影。

※ 余談 大坂夏の陣は1615年のこと。 この戦いで、豊臣家は滅びる。
豊臣方に、真田幸村がいた。 大河の真田丸で知られる。
幸村は死ぬ前日(城が焼ける前日)、娘の阿梅(おうめ)12歳と大八4歳を、
敵方の上に書いた片倉小十郎に預ける。 真田家の血を残すためにそうした。
阿梅は後に、小十郎の息子の妻に。 大八は、幕府に知られないように育てられる。
大八は後に伊達政宗の元に。 本当は幕府は薄々知っていた。
政宗は幕府も一目置く大名。 おとがめはなかった。 詳しくはこの記事に。
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島津は、関ケ原で負けた宇喜田秀家を山に中にかくまった。
幕府に知られることとなるが、特にお咎めはなかった。
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石段を下って。

登山者は7~8人。 ここでお弁当。


下山開始。 黒門を通って。 木が倒れて。


水尾との分岐。 来るときは右から。
右は、何とか写真になると撮った。 ほとんどはもっとひどい。


お地蔵さんは泣いている。 今までこんなことなかったって。 2年前の秋の台風で。


ここには大きな杉があった。 右写真のように。(反対側から)


ここを通って。 右は休憩所。


変な木があった。 口を開けてにらむ。

ここに、茶屋が。

昔ここに、日除けの神が祀ってあった。 今はない。
隣に新しい祠と大木。 雷が落ちたのか、中は真っ黒。 神様がいないと、こうなる。


ずっと下って、ケーブルカーの跡。 清滝の家並みに。


ここから出て来た。 二の鳥居。 表参道の登山口。

近くに、ケーブルカーの駅の跡。 頂上近くまで行っていた。
多くの人でにぎわった時代があった。


この感じで。 下の左から2番目の写真。 中央左に白っぽい部分。
この辺りに、嵯峨小学校清滝分校があった。 今は、小さな祠がある。

ここを通って赤い橋。 お店が続く。


清滝川。 右に、今は廃墟の高級料亭。


右下から上がって来た。 バス停。
戦前は、ここに駅があった。 今の嵐山駅あたりからここまで軌道があった。 昔は頂上まで楽だった。
右のトンネルはその時の。 今は信号で交代で車が。 危険だから行かない。
右写真の山越えの道を行く。 試(こころみ)峠を。


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