1582年6月2日に、本能寺。
11日後の13日に、山崎の戦い。 その夜に、光秀は討たれる。
・ ・ ・ ・ ・
山崎で秀吉に負けて、坂本の自分の城に少しの家来と逃げた。
城までまだ十数㌔。 今日行った明智薮と呼ばれるところで、襲われた。
致命傷を負い自刃。 家臣が介錯。
胴は近くに埋められる。 そこは、胴塚と。
頭は、南禅寺に近い粟田口でさらされる。(そこに昔、処刑場があった)
その後、首は家臣が持ち去る。 近くに埋める。
そこにあった石塔婆は、昨日紹介した白川の近くに移される。
こんな流れでしょうか。(言い伝えを元に)
※ ※ ※ ※ ランキング
ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
・ ・ ・ ・ ・
山崎から坂本城に逃げる途中。 印が討たれた明智藪(やぶ)。

印が明智薮。 赤〇に胴塚。

地下鉄東西線の石田駅で下りた。 山科(やましな)川の橋に。
黄色〇辺りに、明智薮。 小さなコウモリ。

ずっと案内はなかった。 光秀関係の本の地図と、スマホの地図でここまで。
スマホの地図に、明智薮が載ってる。 探すの楽。

湧水があった。 ここで右に。

こんな道を歩いて、右写真。 右に行く。
左に行けば、本経寺。 この寺が明智薮を管理。 後で行く。

少し歩いて着いた。 大理石の文字はいつも読みにくい。
農民の槍にという説明が多いけど、ここでは武士集団と。
※ 農民も、戦いでは駆り出される。 それで武士集団か。

左から来た。 この竹やぶで。

秀吉は、光秀は坂本に逃げると考えたんですね。
考えられるルートで待ち伏せしていた。

後ろに竹藪。 向こうの谷下に、地下鉄。 左に行けば、琵琶湖に出て坂本への道が。
見つからないように、夜に、山道を通った。 それでも見つかって。
右写真、ここの住所が。 小栗栖とある。
竹をストーブで燃やすのか。 あっという間に燃える? 中の節に穴を開けないと、バチバチうるさそう。

本経寺に。 右写真の右向こうに明智薮。 すぐ下。 左に本堂。

本堂の左に、供養塔。 新しく作った。

説明が読みやすい。 坂本城が光秀の本来の城。
亀山城も光秀の城。 丹波を支配するときに使った城。 本能寺へはここからでしたね。

石田駅に戻ってきた。

小野駅から出たら、この地図。 赤〇に胴塚。
※ 上の方に、随心院。 小町にゆかりの寺です。 その記事。
醍醐寺も近くです。 境内が山の上まで。 その記事。

山科川の橋の上から。 写真中央向こうに。

スマホの地図にはないので、本と両方見ながら探していた。
向こうに行った自転車の女性が、探してるのかいって言ってきた。
一本左の道から、ここに連れて来てくれた。
この後、後ろに行く。 米を精米する隣だよって教えてもらって。

向こうからここに来た。 ずっと昔、この辺りに胴塚があった。
そう伝わっているので、新しく作った。

戻ってきた。 橋を割った左に小野駅。

本能寺の変の後、光秀は生きていたのは11日間。
秀吉はあっという間に、備中高松城から戻ってきた。
それは、光秀にとって予想できないことだった。
どこかで計算が狂った。 天下は夢物語に。
【停泊場所】 亀岡市運動公園駐車場。
【明日の予定】 南禅寺を歩く。 光秀関係が1つあるので。
※ 都道府県別のブログタイトル一覧表は、右をクリック。
(放浪の旅Ⅱと放浪の旅Ⅰの両方です。 記事の総数は4300ほど。)
※ プロフィール・・・。 ⇒
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山崎で秀吉に負けて、坂本の自分の城に少しの家来と逃げた。
城までまだ十数㌔。 今日行った明智薮と呼ばれるところで、襲われた。
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少し歩いて着いた。 大理石の文字はいつも読みにくい。
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左から来た。 この竹やぶで。

秀吉は、光秀は坂本に逃げると考えたんですね。
考えられるルートで待ち伏せしていた。


後ろに竹藪。 向こうの谷下に、地下鉄。 左に行けば、琵琶湖に出て坂本への道が。
見つからないように、夜に、山道を通った。 それでも見つかって。
右写真、ここの住所が。 小栗栖とある。
竹をストーブで燃やすのか。 あっという間に燃える? 中の節に穴を開けないと、バチバチうるさそう。


本経寺に。 右写真の右向こうに明智薮。 すぐ下。 左に本堂。


本堂の左に、供養塔。 新しく作った。


説明が読みやすい。 坂本城が光秀の本来の城。
亀山城も光秀の城。 丹波を支配するときに使った城。 本能寺へはここからでしたね。


石田駅に戻ってきた。

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山科川の橋の上から。 写真中央向こうに。

スマホの地図にはないので、本と両方見ながら探していた。
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