ガラシャは味土野で、四季を2度。
悲しみはあっても、豊かな自然の中に暮らす。 地元の人たちに助けられ。
・ ・ ・ ・ ・
記事は昨日の続き。
彼女が暮らした女城(めじろ)に着いてから。
大河ドラマの関係で、整備されていた。
山奥でも小高い所だから、暗さはない。
※ ※ ※ ※ ランキング
ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
・ ・ ・ ・ ・
丹後半島の真ん中。 右地図の緑〇は、ガラシャが宮津から歩いてきた道。

ここが女城。 ガラシャが暮らした場所。 右から続く山の尾根の先端。

奥への道はあっても、車は行けない。
右地図。 上は南。 伝説の地がいくつか。

奥が少し高い。 女城跡の碑はそこに。

味土野の説明。 男城(おじろ)に警護の者が数名。
女城には、彼女の世話をする侍女(じじょ)が数名。
学校があってにぎわった時代があった。

小さな井戸。 今、水はない。 ※ 尾根の先だから、水は出ますね。

ガラシャは子供と忠興(ただおき)と別れて来た。 悲しみの日々。
そんな中、元気にさせてくれるものがあった。
地元の人々との関り、そして四季折々の自然。
どっちも、ガラシャの知らないものだった。 知らない幸せ。
地元の高校生もかかわって、このように整備。 ガラシャがいた。
後で、ベンチに座って食事。

地元の人のことを心配して。
※ みもすそ川は、伊勢神宮に流れる川。 正確な解釈は難しい。
右のオペラの案内があった。
※ 少しだけ紹介(YouTube 辞世の句を歌う 1分)
「 散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ 」

奥の高い所の裏側から上に。

細川忠興夫人隠棲地、とある。
説明に、上で紹介した辞世の句が。(小町がつくったように、流れがいい)
ガラシャの名前になるのは、ここを出てから。
ただ、キリスト教との出会いは味土野で。
※ ガラシャの侍女の中に清原イトがいた。
一番信頼していた侍女で、彼女はキリシタン。
頼るものがないガラシャは、キリストの教えに惹かれていく。

谷の向こうに、男城(おじろ)。 数人の警備の者がいた。
役割は警備だけでなく、宮津との連絡や、ガラシャの生活を大きな面で見ていた。
直線の道があったのではと。

下は、最後に紹介する動画の、最後の場面。 〇の中で、ガラシャは暮らす。
正面に、金剛童子山。 はるか昔は、多くの堂宇があった。 修験の地。
だから、味土野は平家の落人部落のような隠れ里ではなかった。 修験者がやって来た。
そのために、ガラシャのここでの2年間は、はすべてが伝説ではなく、記録が残された。
本能寺は1582年6月2日。 光秀が討たれたのは、6月13日。(最後に記事紹介)
この時、ガラシャは宮津の城にいた。 丹後は、細川家の領地。
謀反人の娘の命は、秀吉から狙われる。
夫の忠興(ただおき)は、ガラシャを幽閉することに。 それで勘弁してもらおうとした。
ガラシャは、味土野には6月中には来たでしょうね。 ※ 正確な情報は見つからない。
宮津からどこを通って来たかは、ほぼ分かっている。
初めは船で。 その後は歩き。 山越え。 10人ほどでしょうか。
峠では、子どものことを思って、何度も振り返ったでしょうね。
ガラシャが歩いた道は、正確ではなくても、今も歩けるよう。
一人でなければ、歩いてみたい。

戻り道。 左の道を行ってみる。 ガラシャの化粧水場が。 伝説。

向こうから上がってきた。 離村の碑、の感じ。 今は、2~3名は住んでいるよう。
阿弥陀寺にあった石仏をここに。 ※ 阿弥陀寺は、金剛童子山への途中にあった。

奥に行ってみた。 遠くで犬が吠えた。 引き返した。

この道を戻る。 少し先に、味土野ガラシャ大滝。
そこから先の谷は深い。 右写真。

4㌔歩いてここに。 下りてきた。 廃屋。

家並みが見えた。
車はここに。

ガラシャは、最後壮絶な死。 秀吉、そして石田三成が彼女を追い詰めた。
その残酷さを、多くの戦国大名は感じ取った。
上のことは後に、関ヶ原でどっちに付くか迷っていた戦国大名に影響を与えた。
恩を決して忘れない家康に、ガラシャの風が吹いた。
味土野は自然豊かな緑、けっして狭くない青い空。
ガラシャが見た同じものを、自分は今日見ました。
※ ガラシャを演じる芦田愛奈さんも見に来たらいい。
味土野の場面では、心を味土野に置いて演じることが出来ますよ。
【記事紹介】 ガラシャ(玉)の生誕地に関する記事。
光秀が討たれた場所の記事。 この後、玉は味土野に。
【動画紹介】 細川ガラシャ 夫の愛より神の愛を選んだ戦国の花 ※ 味土野関係は4分40秒から。
細川ガラシャ物語 長編ナレーションあり 京都・宮津から京丹後・味土野へ ~古道の想い出~
【道の駅】 久美浜
【明日の予定】 近くの見所を探しています。 無ければ西に。 内陸に入って。
※ 都道府県別のブログタイトル一覧表は、右をクリック。
(放浪の旅Ⅱと放浪の旅Ⅰの両方です。 記事の総数は4300ほど。)
※ プロフィール・・・。 ⇒
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ここが女城。 ガラシャが暮らした場所。 右から続く山の尾根の先端。

奥への道はあっても、車は行けない。
右地図。 上は南。 伝説の地がいくつか。


奥が少し高い。 女城跡の碑はそこに。


味土野の説明。 男城(おじろ)に警護の者が数名。
女城には、彼女の世話をする侍女(じじょ)が数名。
学校があってにぎわった時代があった。


小さな井戸。 今、水はない。 ※ 尾根の先だから、水は出ますね。


ガラシャは子供と忠興(ただおき)と別れて来た。 悲しみの日々。
そんな中、元気にさせてくれるものがあった。
地元の人々との関り、そして四季折々の自然。
どっちも、ガラシャの知らないものだった。 知らない幸せ。
地元の高校生もかかわって、このように整備。 ガラシャがいた。
後で、ベンチに座って食事。


地元の人のことを心配して。
※ みもすそ川は、伊勢神宮に流れる川。 正確な解釈は難しい。
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※ 少しだけ紹介(YouTube 辞世の句を歌う 1分)
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奥の高い所の裏側から上に。

細川忠興夫人隠棲地、とある。
説明に、上で紹介した辞世の句が。(小町がつくったように、流れがいい)
ガラシャの名前になるのは、ここを出てから。
ただ、キリスト教との出会いは味土野で。
※ ガラシャの侍女の中に清原イトがいた。
一番信頼していた侍女で、彼女はキリシタン。
頼るものがないガラシャは、キリストの教えに惹かれていく。


谷の向こうに、男城(おじろ)。 数人の警備の者がいた。
役割は警備だけでなく、宮津との連絡や、ガラシャの生活を大きな面で見ていた。
直線の道があったのではと。

下は、最後に紹介する動画の、最後の場面。 〇の中で、ガラシャは暮らす。
正面に、金剛童子山。 はるか昔は、多くの堂宇があった。 修験の地。
だから、味土野は平家の落人部落のような隠れ里ではなかった。 修験者がやって来た。
そのために、ガラシャのここでの2年間は、はすべてが伝説ではなく、記録が残された。

本能寺は1582年6月2日。 光秀が討たれたのは、6月13日。(最後に記事紹介)
この時、ガラシャは宮津の城にいた。 丹後は、細川家の領地。
謀反人の娘の命は、秀吉から狙われる。
夫の忠興(ただおき)は、ガラシャを幽閉することに。 それで勘弁してもらおうとした。
ガラシャは、味土野には6月中には来たでしょうね。 ※ 正確な情報は見つからない。
宮津からどこを通って来たかは、ほぼ分かっている。
初めは船で。 その後は歩き。 山越え。 10人ほどでしょうか。
峠では、子どものことを思って、何度も振り返ったでしょうね。
ガラシャが歩いた道は、正確ではなくても、今も歩けるよう。
一人でなければ、歩いてみたい。


戻り道。 左の道を行ってみる。 ガラシャの化粧水場が。 伝説。


向こうから上がってきた。 離村の碑、の感じ。 今は、2~3名は住んでいるよう。
阿弥陀寺にあった石仏をここに。 ※ 阿弥陀寺は、金剛童子山への途中にあった。


奥に行ってみた。 遠くで犬が吠えた。 引き返した。


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そこから先の谷は深い。 右写真。


4㌔歩いてここに。 下りてきた。 廃屋。


家並みが見えた。

車はここに。

ガラシャは、最後壮絶な死。 秀吉、そして石田三成が彼女を追い詰めた。
その残酷さを、多くの戦国大名は感じ取った。
上のことは後に、関ヶ原でどっちに付くか迷っていた戦国大名に影響を与えた。
恩を決して忘れない家康に、ガラシャの風が吹いた。
味土野は自然豊かな緑、けっして狭くない青い空。
ガラシャが見た同じものを、自分は今日見ました。
※ ガラシャを演じる芦田愛奈さんも見に来たらいい。
味土野の場面では、心を味土野に置いて演じることが出来ますよ。
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