三見橋は大正3年に造られた。
眼鏡橋が作られた最後の時代でしょうか。
・ ・ ・ ・ ・
眼鏡橋は鉄道でいえば機関車のよう。
手作りの感じがして、美しい。
便利な橋ができると交通は一変。
谷底まで下りて橋を渡らなくて済みます。
※ ※ ※ ※ ランキング
ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
・ ・ ・ ・ ・
赤〇がその場所。 旧街道に造られた。

ここに広い駐車場。 端まで400㍍。 歩くことに。
少し行って、右に入る。

100㍍ほど歩けば見えた。 棚田の向こうに。

右遠くに不思議な土地。 何があったのでしょう。

ここにも駐車場。 今も使われている。 車が通れる。

大正3年。 眼鏡橋の多くは九州に。 技術を持った人が多くいた。

下は公園に。 アジサイなど、初夏には咲く。 いい季節。
旧赤間関街道は向こうに続く。 難所の鎖峠まで数㌔。 そして、長門・下関へと。

反対側から。

造られたのが大正時代ということもあり、傷んでない。 そのまま。
石橋の技術は難しい。 調べたけど、設計者や技術指導者が分からない。 説明に書くことがほとんど。
美しいですね。 右に、復元した一里塚。 宿場までの距離などが。

この道は赤間関北浦道筋と呼ばれる街道。 萩から下関に行く一番北側の道。
※ 赤間関は下関のことですね。 そこにある大きな神社は、赤間神宮。 街道については後程も。

近くから。 右写真中央下に要(かなめ)石。

隙間に、赤土と石灰を混ぜたものを詰めている。
※ 石橋は重さには強い。 苦手なのは車の振動。 詰め物がそれに対して強くしているのか。

基礎部分はコンクリート。 橋の下の方が弱いと、洪水に負ける。
石は溶岩が固まった火成岩を使っている。(安山岩と閃緑岩) 硬い。

休憩所。 写真が貼ってある。 古い写真を見るのが好き。 どんな表情かなって。

江戸時代の人に扮して。 龍馬とお龍さんかと思った。 違った。 2人はこの街道は通っていない。
※ 余談 男の人の家紋が丸に花菱だった。 甲斐の武田氏の別の家紋。 家臣にこの家紋の家系が。
その紋が気に入ったか、上の流れの人がこの地域にいますね。
右写真、上の2人は左に。 子供の表情は今の時代ですね。 右端の女装、似合っている。?。

完成した時の写真。 多くの人。 右下に太い木の柱。
造るとき、橋の下に木の枠(わく)。 それを取り外して完成。
取り外すときは恐怖。 崩れないかと。 それに負けないために、酒を飲んだそう。
後ほどの説明に。
遠くから。 石橋は丈夫。 木の橋のように朽(く)ちないし。
※ 余談 大正時代は鋼鉄の橋が作られ始めている。 地方だからまだ石橋でしょうか。
橋の技術は急速に進歩し、昭和に入ると立派な橋がどこにでも。
北海道の旭川市の旭橋は、昭和の初めに。

河原に下りてみた。

街道の説明。 ここは①。赤間関街道北浦道筋。
萩の殿様が大寧寺や俵山温泉へ行くとき通った。 寺と温泉の記事は最後に。

ここの道は、長門市を通る一番上に。 ※ 地図は、旧街道を歩くと戦車にまみれからお借り。

小屋の後ろに、古い説明。 酒を飲んだことが。

来た道を戻る。 ここは庭園との表示があった。 夏には花いっぱいでしょうか。
戻ってきました。

完成した時は、感動だったでしょうね。
村人みんなでお祝いして。
三見橋は登録有形文化財。 100年後まで残りそうです。
【駐車場】 400メートル手前と、すぐ近くにも。
【記事紹介】 美しさと大きさで一番の石橋、霊台橋。 俵山温泉。 湯本温泉と大寧寺。
【道の駅】 萩・さんさん三見(さんみ)。
【明日の予定】 旧宿駅三見市の紹介。 見学した橋の近く。 萩市 三見 三見市(さんみいち)。
【カメラ・レンズ】 フジフイルム、X-H1 XF 18-135mm f 3.5-5.6
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眼鏡橋が作られた最後の時代でしょうか。
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眼鏡橋は鉄道でいえば機関車のよう。
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100㍍ほど歩けば見えた。 棚田の向こうに。


右遠くに不思議な土地。 何があったのでしょう。


ここにも駐車場。 今も使われている。 車が通れる。


大正3年。 眼鏡橋の多くは九州に。 技術を持った人が多くいた。


下は公園に。 アジサイなど、初夏には咲く。 いい季節。
旧赤間関街道は向こうに続く。 難所の鎖峠まで数㌔。 そして、長門・下関へと。


反対側から。

造られたのが大正時代ということもあり、傷んでない。 そのまま。
石橋の技術は難しい。 調べたけど、設計者や技術指導者が分からない。 説明に書くことがほとんど。
美しいですね。 右に、復元した一里塚。 宿場までの距離などが。


この道は赤間関北浦道筋と呼ばれる街道。 萩から下関に行く一番北側の道。
※ 赤間関は下関のことですね。 そこにある大きな神社は、赤間神宮。 街道については後程も。


近くから。 右写真中央下に要(かなめ)石。


隙間に、赤土と石灰を混ぜたものを詰めている。
※ 石橋は重さには強い。 苦手なのは車の振動。 詰め物がそれに対して強くしているのか。

基礎部分はコンクリート。 橋の下の方が弱いと、洪水に負ける。
石は溶岩が固まった火成岩を使っている。(安山岩と閃緑岩) 硬い。


休憩所。 写真が貼ってある。 古い写真を見るのが好き。 どんな表情かなって。


江戸時代の人に扮して。 龍馬とお龍さんかと思った。 違った。 2人はこの街道は通っていない。
※ 余談 男の人の家紋が丸に花菱だった。 甲斐の武田氏の別の家紋。 家臣にこの家紋の家系が。
その紋が気に入ったか、上の流れの人がこの地域にいますね。
右写真、上の2人は左に。 子供の表情は今の時代ですね。 右端の女装、似合っている。?。


完成した時の写真。 多くの人。 右下に太い木の柱。
造るとき、橋の下に木の枠(わく)。 それを取り外して完成。
取り外すときは恐怖。 崩れないかと。 それに負けないために、酒を飲んだそう。
後ほどの説明に。

遠くから。 石橋は丈夫。 木の橋のように朽(く)ちないし。
※ 余談 大正時代は鋼鉄の橋が作られ始めている。 地方だからまだ石橋でしょうか。
橋の技術は急速に進歩し、昭和に入ると立派な橋がどこにでも。
北海道の旭川市の旭橋は、昭和の初めに。

河原に下りてみた。


街道の説明。 ここは①。赤間関街道北浦道筋。
萩の殿様が大寧寺や俵山温泉へ行くとき通った。 寺と温泉の記事は最後に。


ここの道は、長門市を通る一番上に。 ※ 地図は、旧街道を歩くと戦車にまみれからお借り。


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来た道を戻る。 ここは庭園との表示があった。 夏には花いっぱいでしょうか。
戻ってきました。


完成した時は、感動だったでしょうね。
村人みんなでお祝いして。
三見橋は登録有形文化財。 100年後まで残りそうです。
【駐車場】 400メートル手前と、すぐ近くにも。
【記事紹介】 美しさと大きさで一番の石橋、霊台橋。 俵山温泉。 湯本温泉と大寧寺。
【道の駅】 萩・さんさん三見(さんみ)。
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