戦争が終わって家に戻れる。
事故は、その夢を奪った。
・ ・ ・ ・ ・
朝になったら、真幸駅が賑やか。
今日は土曜日、お店が出る。
地元の方に、事故現場に行きたいと伝えた。
今なら線路沿いに行けると、教えてくれた。
※ ※ ※ ※ ランキング
ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
・ ・ ・ ・ ・
事故は紫〇のところ。 山神第二トンネル内。 緑〇に慰霊止め殉難碑。
真幸(まさき)駅から歩いた。 距離は3㌔ほど。

事故の概要。 昭和20年8月22日のこと。
中身については、この後、時々触れます。
s.jpg)
店はこのように。 自分は飴としおりを。
この後、車を下の駐車場に移動。 そこで昨日の記事を書く。

11時30分に、お店の人に行ってきますねと言って出発。
南に。 隣の駅は吉松駅。

戦争が終わった1週間後のこと。
吉松駅には、地元に戻りたい復員兵が集まっていた。
鹿児島と宮崎方面から。 あちこちに基地があって、そこの人たち。
宮崎側の日豊本線と鹿児島本線は空襲で不通。
北に帰るには、肥薩線しかなかった。
右に棚田があって家が見えた。

屋根のある列車が5両、無いのが8両。 前後にD51の機関車。
全体の長さは300㍍ほど。 山神第二トンネルは、倍の600㍍ほど。
山神第一トンネルが見えてきた。 真っ暗。

短い。 出口が見えている。 懐中電灯を持っている。

山神第二トンネルがすぐに見える。
2つのトンネルの中間の右に、山神神社。
※ トンネル工事の時、安全を願ってつくったのか。
当日、向こうから列車は上がってきた。 急こう配。
先頭の機関車は、こっちに出ていた。 その状態で停まってしまう。
後の機関車の車輪が空転したり、最後は力尽きた。
トンネルの中は、機関車から出る煙で息もできない程。
前の機関車の機関士は、後ろの機関士が窒息すると思った。 乗客も苦しい。
前には行けないから、下がるしかない。
苦しい乗客は、列車から降りて、真っ暗な中を向こうの出口に向かった。
大騒ぎのところに、列車は下がっていく。
後の機関車に、次々とひかれた。 トンネルは狭いから、全員がよけ切れない。
地獄の状態になった。
左に、復員軍人殉難碑。 右写真は、向こうから入ってきた。

救助の人たちがやってきた。 多くは、真幸駅方面から。
トロッコも来た。 トンネルの中の遺体はそれに載せて、ここに運んだ。
そして、ここに埋葬した。 ※ 少し息があっても、助からないものは埋めたとの話も。
怪我した人は、真幸駅に。 そこが野戦病院の感じ。 緊急の手当て。
※ 腕が取れた人は、それ以上の出血がないように。
今はここにあった骨は、市街地のお寺に。

山神第二トンネルへ。 617㍍。 事故現場。

集団で人がいたら、全員はよけれないですね。 1人なら、左右の下に寝ころべばいいですけど。
※ 臨時列車がもし来たらどうしようと思っていた。 でも万が一は上のように。
途中、線路に載った枝は、1本も折れていなかった。 ずっと列車は通っていないと分かっていたが。
この辺りの列車の人は、苦しくても乗ったままですね。 天井にも人がいっぱい。

自分は不気味な感じとかは全くしない。 クマの恐ろしさに比べたら、どうでもいいほど小さい。
退避所があった。

再びあって次は大きい。 この辺りが中間か。
列車全体は、トンネルの半分の長さ。
前の機関車はトンネルから出てるから、後ろの機関車は中間を過ぎた辺りで停まった。
人が歩きだしたのは、この先。

光が見えてきた。 ここは人で一杯。 そこを機関車を先頭に下がってきた。
騒然としてるから、列車の音が聞こえなかったようだ。 次々と。

出口の向こうには人がいっぱい。 手のない人、足の無い人も。
それなりにきっと助け合った。
100㍍ほど行ってみたが、慰霊碑とかはなかった。

この場所で、鎮魂の黙とうをした。 56数えた。
終えて、心の中で何かがざわついて。 これは霊かなって感じた。

そんな時は、色々見えてくる。 いう人に言わせれば、これが霊だ。
成仏してるはずだけど、まださまよってるのがいるのか。

70数年前の喧騒が聞こえてきそう。

さがさなくても、いくらでも。

苦悶の表情も。

トンネルの600㍍は、歩けば長い。

向こうから出てきた。 右の方からの道があった。 集落があるんですね。
そして、反対側に殉難碑。 奥の方から道はある。

第一トンネルを抜けて。 ここでは何も見えない。

下の写真を行って、途中で左上にあがった。
上がったら右写真。 右下に線路が。 あそこから上がってきた。

後に50㍍行ったら行き止まり。 スイッチバックの仕組み。

人吉に行く列車は、左にあがっていく。
人吉から来た列車は、こっちに来て右に行って真幸駅に。 戻って、トンネルの方に。(右写真の右に)

戻ってきました。

ホームの向こう隅に、山津波の碑。
※ 私に色々教えてくれた人は、山津波を見たそう。
実家に戻って、親せきの家に行くときに。 この周辺の集落は消えた。

この事故の詳しいいきさつは分からない。
まとまった資料は、見つけられていないです。
どこかにあるかもしれないが。
機関車の種類とか。 救助の内容とか。
【駐車場】 真幸駅駐車場。
【記事紹介】 塩狩峠(昔、自分が下敷きになって列車を止めた男がいた)
【停泊場所】 阿久根市のAZの駐車場。(24時間のスーパーセンター)
【明日の予定】 出水市でツルの観察。 その前に長島に挨拶に。
【カメラ・レンズ】 フジフイルム、X-H1 XF 18-135mm f 3.5-5.6
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(放浪の旅Ⅱと放浪の旅Ⅰの両方です。 記事の総数は4300ほど。)
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事故は紫〇のところ。 山神第二トンネル内。 緑〇に慰霊止め殉難碑。
真幸(まさき)駅から歩いた。 距離は3㌔ほど。


事故の概要。 昭和20年8月22日のこと。
中身については、この後、時々触れます。

s.jpg)
店はこのように。 自分は飴としおりを。
この後、車を下の駐車場に移動。 そこで昨日の記事を書く。


11時30分に、お店の人に行ってきますねと言って出発。
南に。 隣の駅は吉松駅。

戦争が終わった1週間後のこと。
吉松駅には、地元に戻りたい復員兵が集まっていた。
鹿児島と宮崎方面から。 あちこちに基地があって、そこの人たち。
宮崎側の日豊本線と鹿児島本線は空襲で不通。
北に帰るには、肥薩線しかなかった。
右に棚田があって家が見えた。


屋根のある列車が5両、無いのが8両。 前後にD51の機関車。
全体の長さは300㍍ほど。 山神第二トンネルは、倍の600㍍ほど。
山神第一トンネルが見えてきた。 真っ暗。


短い。 出口が見えている。 懐中電灯を持っている。


山神第二トンネルがすぐに見える。
2つのトンネルの中間の右に、山神神社。
※ トンネル工事の時、安全を願ってつくったのか。


当日、向こうから列車は上がってきた。 急こう配。
先頭の機関車は、こっちに出ていた。 その状態で停まってしまう。
後の機関車の車輪が空転したり、最後は力尽きた。
トンネルの中は、機関車から出る煙で息もできない程。
前の機関車の機関士は、後ろの機関士が窒息すると思った。 乗客も苦しい。
前には行けないから、下がるしかない。
苦しい乗客は、列車から降りて、真っ暗な中を向こうの出口に向かった。
大騒ぎのところに、列車は下がっていく。
後の機関車に、次々とひかれた。 トンネルは狭いから、全員がよけ切れない。
地獄の状態になった。
左に、復員軍人殉難碑。 右写真は、向こうから入ってきた。


救助の人たちがやってきた。 多くは、真幸駅方面から。
トロッコも来た。 トンネルの中の遺体はそれに載せて、ここに運んだ。
そして、ここに埋葬した。 ※ 少し息があっても、助からないものは埋めたとの話も。
怪我した人は、真幸駅に。 そこが野戦病院の感じ。 緊急の手当て。
※ 腕が取れた人は、それ以上の出血がないように。
今はここにあった骨は、市街地のお寺に。


山神第二トンネルへ。 617㍍。 事故現場。


集団で人がいたら、全員はよけれないですね。 1人なら、左右の下に寝ころべばいいですけど。
※ 臨時列車がもし来たらどうしようと思っていた。 でも万が一は上のように。
途中、線路に載った枝は、1本も折れていなかった。 ずっと列車は通っていないと分かっていたが。
この辺りの列車の人は、苦しくても乗ったままですね。 天井にも人がいっぱい。


自分は不気味な感じとかは全くしない。 クマの恐ろしさに比べたら、どうでもいいほど小さい。
退避所があった。


再びあって次は大きい。 この辺りが中間か。
列車全体は、トンネルの半分の長さ。
前の機関車はトンネルから出てるから、後ろの機関車は中間を過ぎた辺りで停まった。
人が歩きだしたのは、この先。


光が見えてきた。 ここは人で一杯。 そこを機関車を先頭に下がってきた。
騒然としてるから、列車の音が聞こえなかったようだ。 次々と。


出口の向こうには人がいっぱい。 手のない人、足の無い人も。
それなりにきっと助け合った。
100㍍ほど行ってみたが、慰霊碑とかはなかった。

この場所で、鎮魂の黙とうをした。 56数えた。
終えて、心の中で何かがざわついて。 これは霊かなって感じた。

そんな時は、色々見えてくる。 いう人に言わせれば、これが霊だ。
成仏してるはずだけど、まださまよってるのがいるのか。


70数年前の喧騒が聞こえてきそう。

さがさなくても、いくらでも。


苦悶の表情も。


トンネルの600㍍は、歩けば長い。


向こうから出てきた。 右の方からの道があった。 集落があるんですね。
そして、反対側に殉難碑。 奥の方から道はある。


第一トンネルを抜けて。 ここでは何も見えない。


下の写真を行って、途中で左上にあがった。
上がったら右写真。 右下に線路が。 あそこから上がってきた。


後に50㍍行ったら行き止まり。 スイッチバックの仕組み。

人吉に行く列車は、左にあがっていく。
人吉から来た列車は、こっちに来て右に行って真幸駅に。 戻って、トンネルの方に。(右写真の右に)


戻ってきました。

ホームの向こう隅に、山津波の碑。
※ 私に色々教えてくれた人は、山津波を見たそう。
実家に戻って、親せきの家に行くときに。 この周辺の集落は消えた。


この事故の詳しいいきさつは分からない。
まとまった資料は、見つけられていないです。
どこかにあるかもしれないが。
機関車の種類とか。 救助の内容とか。
【駐車場】 真幸駅駐車場。
【記事紹介】 塩狩峠(昔、自分が下敷きになって列車を止めた男がいた)
【停泊場所】 阿久根市のAZの駐車場。(24時間のスーパーセンター)
【明日の予定】 出水市でツルの観察。 その前に長島に挨拶に。
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