特別に寒くなければ、昼間の気温は15度に。
それが天草の冬です。 軽い上着で十分。
・ ・ ・ ・ ・
朝まで亀川ダムの駐車場に。
せっかくいるから、ダム周辺を歩くことに。
麒麟がくるは大詰め。
信長をやっつけてしまえ、そんな雰囲気になってきた。
※ ※ ※ ※ ランキング
ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
・ ・ ・ ・ ・
時計回りで動きます。

1週は2.6㌔。 のんびり散歩。 小さなダム。

どこの島にも大きな川はない。 天草も同じで水は貴重。
※ 余談 きちょうを変換すると、帰蝶になる。 信長の妻。 毒を盛れと言った。 道三の娘。

ダムのコンクリートの部分がカーブしないで直線なら、重力式コンクリートダムですね。
ダムの重さと両側で水を支えて。 発電設備はない。 水道・農業用水などに水を。 洪水にも役立って。

雨が少ないから水位は下がっている。 貴重な水ですね。

駐車場の反対側に来た。

下の方に遊歩道。
鳥はシロハラでしょうか。 薩摩半島の吹上浜で見ています。 ヒヨドリより小さい。

いい天気。 気持ちいい。 お地蔵様。
供えてある植物は何でしょう。 シキミやサカキでは無いよう。 分からない。
※ 余談 シキミと言えば京都の愛宕山を思い出します。
水尾の地域の人が昔、愛宕山に登って売った。 愛宕神社に行く人に。
本能寺の変は、1582年の6月2日。
光秀は少し前の5月27日・28日に、愛宕神社に先勝祈願。
亀山城から向かった。 最後に紹介。

上流が近い。

ここで右の道を引き返す。 真っすぐ行けば牛深。 そこから海を渡れば長島。
亀川の水はこれだけ。 大雨の時の水を貯めますね。

国道を戻る。 左への道は個人の道。 橋を渡って左に行ける。

ダム湖。 水鳥はあちこちに。
黒っぽい水鳥。 オオバンのよう。 ほとんど見られない県も。

左への道。 案内がある。 櫨(はぜ)の杜(もり)。
これを見たら行きたくなる。 乳母池が楽しみ。

何もなくてもこんな道は楽しい。 家を庭を眺めたり。

着いた。 乳母池はどこだ。 昔はあったけど今はない。 残念。 そこにハゼノキを植えた。
真っ赤に紅葉する木ですね。 冬になっても目立ちます。
どうしてハゼノキなんでしょう。 伝説も分かりません。 ハゼノキはこんな木ですね。
※ ここは昔、櫨(枦)宇土村(はじうとむら)。 今は天草市枦宇土町。

ジョウビタキですね。 よく見る鳥。
ここにとまった時に音が出た。 センサーが反応したよう。

ダムに戻った。 時々群れで飛ぶ。 少しして着水。 カルガモっぽい。

あちこちに水鳥が。

キンクロハジロ。 冬に南からやってくる。 少ない鳥のよう。
右は、カルガモですね。
※ 鳥の名前を憶えても忘れます。 3回ほどで会ったらやっと何とか。

展望台。 ヒヨドリ。 1匹でいたらそれなりに。 群れだと・・・。

最初のダムの案内に、ダムカードが。 こんなのです。
集めてる人がいるよう。

最後にメジロを見ておしまい。 クリっとした目が可愛い。

戻ってきました。 数㌔行けば天草市の中心街。

のんびり歩いて、後半は鳥の観察になりました。
【麒麟がくる】
いよいよ本能寺に向かって決行。
外堀が埋まってそんな雰囲気になってきた。
光秀の信長に対する形相はすさまじかった。まるで般若。
(MAN TAN WEB からお借り)
もう心は決まったのか。
家康が何度も出た。 思わせぶりなことを言った。
平らかな世をつくるために、良き知恵があればお教え願いたい、と。
家康が麒麟なのかと思った。 江戸時代という平らかな世をつくる。
その前に秀吉の時代があるが。
待てよ、麒麟って何だ。 平らかな世をつくったものが麒麟なら、家康が麒麟。
そこへの道筋をつくった者が麒麟なら、光秀が麒麟。
題名は麒麟がくるだから、光秀が麒麟であるのが自然な流れか。
それを引き継いだのが家康。
この流れの方がいいかも。 今日感じた。
※ もし光秀が天海になるなら、いつまでも家康にアドバイスできる。
それは、家康の願いでもあります。
でも、その可能性は難しい。
生き延びてそうなればいいけど。
全体の流れが見えてきた感じがします。
今日の話の中で、信長・家康軍が武田勝頼を討ち果たした。
勝頼最後の地は天目山麓の田野でしたね。
武田勝頼の最後は、天目山の麓の田野。 今はそこに、景徳院。~甲州市~ 他 (2011/11/2)
本能寺の変は6月2日。 光秀はその少し前の5月27・28日に愛宕神社へ先勝祈願。
そこには、勝軍(しょうぐん)地蔵がある。 歌会で下のように。
「ときは今、あめが下しる五月かな」
時は今だと。 また、ときは、土岐氏の土岐でも。
彼の先祖は土岐氏でしたね。 土岐源氏の流れ。 これは、清和天皇から生まれる清和源氏でも。
清和天皇の墓は京都市の水尾にある。
光秀は愛宕神社に行くとき、亀山城から山を越えて水尾を通って登った。 その道は今も。
亀岡市から、明智越を通って、水尾へ。 保津川沿いの風景。~亀岡市~ 他 (2014/4/27)
愛宕山に登る。 保津峡駅~水尾~愛宕山~嵯峨嵐山駅。~京都市~ 他 (2013/4/11)
本能寺の紹介。 今の場所と、本能寺の変の時の場所を。
本能寺跡には石碑だけ。 堀川高校の近くに。 今の本能寺は東に移動、寺町通に。 墓と慰霊碑~京都市~ 他 (2020/10/6)
家康との関りがどうなるのか、最後それが気になります。
すべてが終わって、それでいいってきっと思わせてくれる。
どんな展開ならそうなるのか、予想付かない。
今回の大河で、光秀のイメージはすっかり変わった。
一番喜んでいるのは光秀。 主君殺しの逆族といわれていた。
あと3回ぐらいあればいい。
※ 追記 最終回の情報が少しだけ入ってきました。
菊丸(おかむら)が光秀から、大切なメッセージを託されるそう。
それだけですが、そのメッセージは家康にですね。
息を引き取る前に、自分ができるのはここまで、夢の続きは頼む、と。
光秀という麒麟が現れて、平らかな世への道筋をつくった。
麒麟という言葉は、駒が最初に言いだした。(火事から助け出されたとき、耳に)
駒は早いうちに、麒麟は光秀ときっと感じていた。
だから、いろんな情報で助けた。 駒の存在の意義はここに。
光秀が死んでしまうと分かったら悲しい。
でも最後、すい星のように輝いて命尽きる方が、歴史の中での光秀は大きくなる。
天海として生きるより。
本能寺への歯車が動き出した。
歴史では2週間と少し。 テレビは1週間。
最終回見るのつらくなりそう。
この次大河に夢中になれるのは、何年後でしょう。
※ 追記 1日の夜の10時過ぎに、NHKが公式HPでは最終回のあらすじを公開。 一部。
その中で、光秀に「ついに、ある究極の命令を突き付けた」と記載。
それ以上のことは分からない。
でも、家康暗殺命令ですね。
家康は安土城のもてなしで、毒を盛られると心配していた。
だからもてなしの責任者を光秀に頼んだ。
信長は計画通りに家康を殺せなかった。
料理に難癖をつけたのは、そのことがあったから。
やっと分かった。 怒りが尋常でなかった。
本能寺の後、家康が必死に伊賀越えで岡崎に逃げた。
家康の人生で最大のピンチと言われる。
誰を恐れて逃げのか、理由がよく分からなかった。
光秀が家康に逃げろと伝えた。 信長の配下が狙っていると。
自分は信長を討つ、そのことも家康に。
堺にいた家康に、光秀に頼まれて実際に伝えたのは、菊丸。
大切なメッセージというのは、これだったのか。
(これとは別に他にもあったかも。 死ぬときの麒麟の夢の続きのことも)
家康暗殺命令で光秀の心は固まった。
この流れだと、伊賀越えの本質も見えてくる。
最終回どんな流れになるか、自分の頭では予想できないけど。
また情報が出るかも知れない。
面白さが増してくる。
【道の駅】 有明
【明日の予定】 雨なので見学は出来ないかも知れません。
大江方面の海岸線の紹介かなと。 明後日の火曜日は、社長さんと治郎丸嶽に。
【カメラ・レンズ】 フジフイルム、X-H1 XF 18-135mm f 3.5-5.6R
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(放浪の旅Ⅱと放浪の旅Ⅰの両方です。 記事の総数は4300ほど。)
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それが天草の冬です。 軽い上着で十分。
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朝まで亀川ダムの駐車場に。
せっかくいるから、ダム周辺を歩くことに。
麒麟がくるは大詰め。
信長をやっつけてしまえ、そんな雰囲気になってきた。
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・ ・ ・ ・ ・
時計回りで動きます。


1週は2.6㌔。 のんびり散歩。 小さなダム。


どこの島にも大きな川はない。 天草も同じで水は貴重。
※ 余談 きちょうを変換すると、帰蝶になる。 信長の妻。 毒を盛れと言った。 道三の娘。


ダムのコンクリートの部分がカーブしないで直線なら、重力式コンクリートダムですね。
ダムの重さと両側で水を支えて。 発電設備はない。 水道・農業用水などに水を。 洪水にも役立って。


雨が少ないから水位は下がっている。 貴重な水ですね。


駐車場の反対側に来た。


下の方に遊歩道。
鳥はシロハラでしょうか。 薩摩半島の吹上浜で見ています。 ヒヨドリより小さい。


いい天気。 気持ちいい。 お地蔵様。
供えてある植物は何でしょう。 シキミやサカキでは無いよう。 分からない。
※ 余談 シキミと言えば京都の愛宕山を思い出します。
水尾の地域の人が昔、愛宕山に登って売った。 愛宕神社に行く人に。
本能寺の変は、1582年の6月2日。
光秀は少し前の5月27日・28日に、愛宕神社に先勝祈願。
亀山城から向かった。 最後に紹介。


上流が近い。

ここで右の道を引き返す。 真っすぐ行けば牛深。 そこから海を渡れば長島。
亀川の水はこれだけ。 大雨の時の水を貯めますね。


国道を戻る。 左への道は個人の道。 橋を渡って左に行ける。

ダム湖。 水鳥はあちこちに。
黒っぽい水鳥。 オオバンのよう。 ほとんど見られない県も。


左への道。 案内がある。 櫨(はぜ)の杜(もり)。
これを見たら行きたくなる。 乳母池が楽しみ。


何もなくてもこんな道は楽しい。 家を庭を眺めたり。

着いた。 乳母池はどこだ。 昔はあったけど今はない。 残念。 そこにハゼノキを植えた。
真っ赤に紅葉する木ですね。 冬になっても目立ちます。
どうしてハゼノキなんでしょう。 伝説も分かりません。 ハゼノキはこんな木ですね。

※ ここは昔、櫨(枦)宇土村(はじうとむら)。 今は天草市枦宇土町。


ジョウビタキですね。 よく見る鳥。
ここにとまった時に音が出た。 センサーが反応したよう。

ダムに戻った。 時々群れで飛ぶ。 少しして着水。 カルガモっぽい。

あちこちに水鳥が。

キンクロハジロ。 冬に南からやってくる。 少ない鳥のよう。
右は、カルガモですね。
※ 鳥の名前を憶えても忘れます。 3回ほどで会ったらやっと何とか。


展望台。 ヒヨドリ。 1匹でいたらそれなりに。 群れだと・・・。


最初のダムの案内に、ダムカードが。 こんなのです。



最後にメジロを見ておしまい。 クリっとした目が可愛い。

戻ってきました。 数㌔行けば天草市の中心街。

のんびり歩いて、後半は鳥の観察になりました。
【麒麟がくる】
いよいよ本能寺に向かって決行。
外堀が埋まってそんな雰囲気になってきた。
光秀の信長に対する形相はすさまじかった。まるで般若。

もう心は決まったのか。
家康が何度も出た。 思わせぶりなことを言った。
平らかな世をつくるために、良き知恵があればお教え願いたい、と。
家康が麒麟なのかと思った。 江戸時代という平らかな世をつくる。
その前に秀吉の時代があるが。
待てよ、麒麟って何だ。 平らかな世をつくったものが麒麟なら、家康が麒麟。
そこへの道筋をつくった者が麒麟なら、光秀が麒麟。
題名は麒麟がくるだから、光秀が麒麟であるのが自然な流れか。
それを引き継いだのが家康。
この流れの方がいいかも。 今日感じた。
※ もし光秀が天海になるなら、いつまでも家康にアドバイスできる。
それは、家康の願いでもあります。
でも、その可能性は難しい。
生き延びてそうなればいいけど。
全体の流れが見えてきた感じがします。
今日の話の中で、信長・家康軍が武田勝頼を討ち果たした。
勝頼最後の地は天目山麓の田野でしたね。
武田勝頼の最後は、天目山の麓の田野。 今はそこに、景徳院。~甲州市~ 他 (2011/11/2)
本能寺の変は6月2日。 光秀はその少し前の5月27・28日に愛宕神社へ先勝祈願。
そこには、勝軍(しょうぐん)地蔵がある。 歌会で下のように。
「ときは今、あめが下しる五月かな」
時は今だと。 また、ときは、土岐氏の土岐でも。
彼の先祖は土岐氏でしたね。 土岐源氏の流れ。 これは、清和天皇から生まれる清和源氏でも。
清和天皇の墓は京都市の水尾にある。
光秀は愛宕神社に行くとき、亀山城から山を越えて水尾を通って登った。 その道は今も。
亀岡市から、明智越を通って、水尾へ。 保津川沿いの風景。~亀岡市~ 他 (2014/4/27)
愛宕山に登る。 保津峡駅~水尾~愛宕山~嵯峨嵐山駅。~京都市~ 他 (2013/4/11)
本能寺の紹介。 今の場所と、本能寺の変の時の場所を。
本能寺跡には石碑だけ。 堀川高校の近くに。 今の本能寺は東に移動、寺町通に。 墓と慰霊碑~京都市~ 他 (2020/10/6)
家康との関りがどうなるのか、最後それが気になります。
すべてが終わって、それでいいってきっと思わせてくれる。
どんな展開ならそうなるのか、予想付かない。
今回の大河で、光秀のイメージはすっかり変わった。
一番喜んでいるのは光秀。 主君殺しの逆族といわれていた。
あと3回ぐらいあればいい。
※ 追記 最終回の情報が少しだけ入ってきました。
菊丸(おかむら)が光秀から、大切なメッセージを託されるそう。
それだけですが、そのメッセージは家康にですね。
息を引き取る前に、自分ができるのはここまで、夢の続きは頼む、と。
光秀という麒麟が現れて、平らかな世への道筋をつくった。
麒麟という言葉は、駒が最初に言いだした。(火事から助け出されたとき、耳に)
駒は早いうちに、麒麟は光秀ときっと感じていた。
だから、いろんな情報で助けた。 駒の存在の意義はここに。
光秀が死んでしまうと分かったら悲しい。
でも最後、すい星のように輝いて命尽きる方が、歴史の中での光秀は大きくなる。
天海として生きるより。
本能寺への歯車が動き出した。
歴史では2週間と少し。 テレビは1週間。
最終回見るのつらくなりそう。
この次大河に夢中になれるのは、何年後でしょう。
※ 追記 1日の夜の10時過ぎに、NHKが公式HPでは最終回のあらすじを公開。 一部。
その中で、光秀に「ついに、ある究極の命令を突き付けた」と記載。
それ以上のことは分からない。
でも、家康暗殺命令ですね。
家康は安土城のもてなしで、毒を盛られると心配していた。
だからもてなしの責任者を光秀に頼んだ。
信長は計画通りに家康を殺せなかった。
料理に難癖をつけたのは、そのことがあったから。
やっと分かった。 怒りが尋常でなかった。
本能寺の後、家康が必死に伊賀越えで岡崎に逃げた。
家康の人生で最大のピンチと言われる。
誰を恐れて逃げのか、理由がよく分からなかった。
光秀が家康に逃げろと伝えた。 信長の配下が狙っていると。
自分は信長を討つ、そのことも家康に。
堺にいた家康に、光秀に頼まれて実際に伝えたのは、菊丸。
大切なメッセージというのは、これだったのか。
(これとは別に他にもあったかも。 死ぬときの麒麟の夢の続きのことも)
家康暗殺命令で光秀の心は固まった。
この流れだと、伊賀越えの本質も見えてくる。
最終回どんな流れになるか、自分の頭では予想できないけど。
また情報が出るかも知れない。
面白さが増してくる。
【道の駅】 有明
【明日の予定】 雨なので見学は出来ないかも知れません。
大江方面の海岸線の紹介かなと。 明後日の火曜日は、社長さんと治郎丸嶽に。
【カメラ・レンズ】 フジフイルム、X-H1 XF 18-135mm f 3.5-5.6R
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