大湊の花街に生きる八重は、膝枕をして追われる男の爪を切った。
そして、その切った爪を、大事に持ち歩いた。
八重は、男を信じるたった一人の人間だった。
それなのに、最後は、男に殺された。
話は、岩内町、函館、津軽海峡、下北半島、舞鶴を舞台に展開される。
岩内町の大火、連絡船の転覆事故を話しの切り出しにして。
水上勉は何を知って、この物語を作りたいと考えたのか、それが知りたかった。
午後、余市町の図書館で、DVDを見た。
※ 伴淳三郎が刑事役。 長淵剛にそっくり。
寅さんに作ったFC2のブログは、まだ不十分だった。
ブログランキングが機能していない。
写真の載せ方も、すっかり忘れている。
私がブログを作ったのは、3年半前。
私も、忘れている。 全部、思い出しながら、調べながら。
また、午前中かかってしまった。
今後、もし誰かにブログの作成を頼まれたら、2時間あったらできそう。
作り方は色々あるけど、簡単な方法が分かった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
わたしが岩内に行くと言ったら、寅さんは、「飢餓海峡」が面白いと言い出した。
図書館で見られるという。
岩内に行くのを止めた。
古い映画だ。 時は、昭和22年。
冒頭で、こんなことをナレーターが言った。
「飢餓海峡 それは日本のどこにも見られる海峡である。その底流に我々は貧しい善意に満ちた人間のどろどろした愛と憎しみの執念を見る事が出来る」
※ 写真は、リンクフリーの所からお借り。

網走刑務所から、2人の男が出所した。
岩内の町で、もう一人の男が加わって、質屋に強盗に入る。 火を付けて、逃げる。
岩内は大火になる。 町の8割が燃える。
台風が近づいていたため、風が強かった。
※ このことは実際にあったかと云うと、質屋の部分はフィクション。
岩内大火は昭和29年にあったが、原因は、ある男の火の不始末。
列車で逃げる。
同じ日に、青函連絡船洞爺丸が、台風のため沈没する。
七重浜多くの遺体が打ち上がる。
※ この飢餓海峡の話は、後で調べたら、岩内の大火と洞爺丸の沈没は実際にあったが、それ以外はすべて
フィクションだった。
※ 水上勉が、どうして、岩内を登場させたのか、連絡船の沈没を小説に入れたかは、映画を見た後調べたが、
どうしても分からなかった。
3人は函館から、下北半島を小舟で目指す。
3人は仲間割れして、2人は海に。
洞爺丸が沈没したが、遺体の数が2人多かった。
身元不明の2人は、網走刑務所から出た2人と分かる。

函館署の弓坂という刑事が、3人と岩内の質屋の事件を疑い、もう一人を追う。
本州に逃げ延びた犬飼多吉を演じるのが、三國連太郎。
小舟でたどり着いた所が、仏ヶ浦。 その後、大湊に行く。(今は、むつ市)
大湊で、娼婦の八重に優しくしてもらう。 爪を切っているとところ。
犬飼は、八重にお礼にと奪った大金の一部を渡して、去る。

10年後、東京に出ていた八重は、新聞の載っていた写真が、犬飼多吉と知る。
犬飼多吉は事業に成功し、舞鶴で生きていた。 いい気な寄付をしたため、新聞に載った。
八重は会いに行ったが、犬飼は知らないと言った。
八重は、犬飼と見破り、犬飼に抱きついた。
犬飼も八重を抱きしめた。 しかし、そのまま強く抱きしめ、首の骨を折った。
翌日、死体で海に浮かんでいた。

八重は、もらったお金を包んであった洞爺丸と岩内の新聞記事を持っていた。
切ってやった犬飼の爪も。
函館の刑事弓坂も舞鶴に来て、犬飼は最後は白状する。
犬飼は、七重浜に行きたいと云う。
連絡船の乗った。 弓坂は花束を海に投げて、お経を唱える。
その横を、花束を持った犬飼が通り過ぎる。
海に花束を投げるふりをして、そのまま海に飛び込む。

この映画の魅力は、八重を演じる左幸子と、三國連太郎の演技でしょうか。
映画を見た後、色々調べてみた。
水上勉が、何を知って、この映画を作ろうとしたのか。
それは、どうしても分からなかった。
面白かったが、2つの点で、話の展開に無理があった。
① 七重浜に着いた遺体が2人多かったと言うが、当日は、他にも船は沈んでおり、その遺体も流れ着いた。
見つからない遺体も当然あり、2名という数字は、苦しい。
② 小舟で海を渡った時は、海はまだ荒れている。 連絡船にだって近づけなかった。
そんな中、津軽海峡を渡ることは出来ない。
小舟で渡るのは、普通に日で精いっぱい。
※ 伴淳三郎が出ていたが、長淵剛に似ていた。

※ 娼婦の仕事は厳しい。
昔、根室にも花街はあって、仕事の辛さから多くの女性が、海に身を投げた。
身を投げた場所は、花街の近くにあった小さな岬。 名前は、ルイカ岬。
悲しい歴史のある岬は、いつしか、涙香岬と書かれるようになった。
岬の名前では、一番好き。
根室市街の入り口に近い。
その岬を知る人は、根室でも、ほとんどいない。
映画を見ながら、涙香岬を思い出していた。
【道の駅】 スペース・アップルよいち
【明日の予定】 積丹ブルーを考えているが。 天気が・・・。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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そして、その切った爪を、大事に持ち歩いた。
八重は、男を信じるたった一人の人間だった。
それなのに、最後は、男に殺された。
話は、岩内町、函館、津軽海峡、下北半島、舞鶴を舞台に展開される。
岩内町の大火、連絡船の転覆事故を話しの切り出しにして。
水上勉は何を知って、この物語を作りたいと考えたのか、それが知りたかった。
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私も、忘れている。 全部、思い出しながら、調べながら。
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今後、もし誰かにブログの作成を頼まれたら、2時間あったらできそう。
作り方は色々あるけど、簡単な方法が分かった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
わたしが岩内に行くと言ったら、寅さんは、「飢餓海峡」が面白いと言い出した。
図書館で見られるという。
岩内に行くのを止めた。
古い映画だ。 時は、昭和22年。
冒頭で、こんなことをナレーターが言った。
「飢餓海峡 それは日本のどこにも見られる海峡である。その底流に我々は貧しい善意に満ちた人間のどろどろした愛と憎しみの執念を見る事が出来る」
※ 写真は、リンクフリーの所からお借り。

網走刑務所から、2人の男が出所した。
岩内の町で、もう一人の男が加わって、質屋に強盗に入る。 火を付けて、逃げる。
岩内は大火になる。 町の8割が燃える。
台風が近づいていたため、風が強かった。
※ このことは実際にあったかと云うと、質屋の部分はフィクション。
岩内大火は昭和29年にあったが、原因は、ある男の火の不始末。
列車で逃げる。
同じ日に、青函連絡船洞爺丸が、台風のため沈没する。
七重浜多くの遺体が打ち上がる。
※ この飢餓海峡の話は、後で調べたら、岩内の大火と洞爺丸の沈没は実際にあったが、それ以外はすべて
フィクションだった。
※ 水上勉が、どうして、岩内を登場させたのか、連絡船の沈没を小説に入れたかは、映画を見た後調べたが、
どうしても分からなかった。
3人は函館から、下北半島を小舟で目指す。
3人は仲間割れして、2人は海に。
洞爺丸が沈没したが、遺体の数が2人多かった。
身元不明の2人は、網走刑務所から出た2人と分かる。

函館署の弓坂という刑事が、3人と岩内の質屋の事件を疑い、もう一人を追う。
本州に逃げ延びた犬飼多吉を演じるのが、三國連太郎。
小舟でたどり着いた所が、仏ヶ浦。 その後、大湊に行く。(今は、むつ市)
大湊で、娼婦の八重に優しくしてもらう。 爪を切っているとところ。
犬飼は、八重にお礼にと奪った大金の一部を渡して、去る。

10年後、東京に出ていた八重は、新聞の載っていた写真が、犬飼多吉と知る。
犬飼多吉は事業に成功し、舞鶴で生きていた。 いい気な寄付をしたため、新聞に載った。
八重は会いに行ったが、犬飼は知らないと言った。
八重は、犬飼と見破り、犬飼に抱きついた。
犬飼も八重を抱きしめた。 しかし、そのまま強く抱きしめ、首の骨を折った。
翌日、死体で海に浮かんでいた。

八重は、もらったお金を包んであった洞爺丸と岩内の新聞記事を持っていた。
切ってやった犬飼の爪も。
函館の刑事弓坂も舞鶴に来て、犬飼は最後は白状する。
犬飼は、七重浜に行きたいと云う。
連絡船の乗った。 弓坂は花束を海に投げて、お経を唱える。
その横を、花束を持った犬飼が通り過ぎる。
海に花束を投げるふりをして、そのまま海に飛び込む。

この映画の魅力は、八重を演じる左幸子と、三國連太郎の演技でしょうか。
映画を見た後、色々調べてみた。
水上勉が、何を知って、この映画を作ろうとしたのか。
それは、どうしても分からなかった。
面白かったが、2つの点で、話の展開に無理があった。
① 七重浜に着いた遺体が2人多かったと言うが、当日は、他にも船は沈んでおり、その遺体も流れ着いた。
見つからない遺体も当然あり、2名という数字は、苦しい。
② 小舟で海を渡った時は、海はまだ荒れている。 連絡船にだって近づけなかった。
そんな中、津軽海峡を渡ることは出来ない。
小舟で渡るのは、普通に日で精いっぱい。
※ 伴淳三郎が出ていたが、長淵剛に似ていた。

※ 娼婦の仕事は厳しい。
昔、根室にも花街はあって、仕事の辛さから多くの女性が、海に身を投げた。
身を投げた場所は、花街の近くにあった小さな岬。 名前は、ルイカ岬。
悲しい歴史のある岬は、いつしか、涙香岬と書かれるようになった。
岬の名前では、一番好き。
根室市街の入り口に近い。
その岬を知る人は、根室でも、ほとんどいない。
映画を見ながら、涙香岬を思い出していた。
【道の駅】 スペース・アップルよいち
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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