fc2ブログ

キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

飢餓海峡が、どうして生まれたか分からない。
そのことを寅さんに話した。
岩内の郷土館に、岩内大火の展示があると、教えてくれた。
何か分かるかもしれない。

今日は、雨模様の天気。
積丹ブルーは、うまく撮れない。
そう思って、岩内に行くことにした。
    ☆    ☆    ☆    ☆

寅さんは起きるの早い。
今日も6時過ぎには、トントンとノックがあった。
外でコーヒーを御馳走になった。

ブログへの写真の載せ方を忘れたと言う。
私の車にパソコンを持ち込んで、手順をもう一度やった。
手順は、紙に書いていった。
 ○ デスクトップにフォルダを作る。 今日の日付にする。
 ○ SDカードの写真は、パソコンのどこにあるのか。
   見つけた写真を、どのようにフォルダに持っていくのか。
 ○ 写真の容量を、どのように少なくするのか。
 ○ 準備で来た写真を、どのようにブログに載せるのか。

手順は、40項目を越えていた。
すぐに全部を憶えるのは、無理なことだった。
10月1日の寅さんのブログに写真が載ったら、自分で出来たことになる。
  ※ 分からなくなったら、メールが来る。
何日かで、紙を見なくても、出来るようになる。

終わって、仁木町の「フルーツパークにき」に案内してくれた。 近い。

展望台があって、そこからの風景。
こっちは、余市町の市街地。

11年9月30日 (1)

仁木町の市街地。 この谷を函館本線が通っている。

余市町や仁木町は、北海道で最も果物作りが盛ん。

11年9月30日 (2)

明日の土曜日から、こんな祭りがある。

11年9月30日 (3)

温室では、いろんな果物が栽培されてた。

11年9月30日 (4)

コクワと桃。 コクワは美味しい。 この秋、どこかで見つけたい。

11年9月30日 (5)   11年9月30日 (6)
寅さんとは、ここで別れた。
11月に、京都に近い亀岡の道の駅で、また会う。
寅さんは歴史に詳しい。 だから、話して面白い。

※ 寅さんは細かいことは、全く気にしない。
  温室を見たときだって、いつの間にか、手にコクワを持っていた。
  ダメだよ寅さん、って言ったら、1つくらいいいべや、って気にしない。

岩内に向かった。 途中に、きのこ王国。 
キノコ汁を食べた。 大盛り180円。 色んなキノコが入っている。

11年9月30日 (7)

共和町を通った。 かかし古里館。
かかしがいっぱいあるかと思ったら、普通の郷土資料館。

昔の教室。 私の小学校も、こんなんだった。 
  ※ 道北の中川町の国府にあった。 4年までいた。 その後、美瑛。

11年9月30日 (8)

共和町は3つの村が集まった。 その一つに、前田村があった。 
金沢から来ていたから、前田。  ※ 金沢は加賀藩で、前田利家がいた。

体重400㌔というが、小さい感じがする。
ヒグマなんだが、月の輪がある。 爪が細い。 ツキノワグマの血が混ざっているのか。
ツキノワグマが、泳いで津軽海峡を渡ったのかな。

11年9月30日 (9)

岩内町郷土館に行った。
岩内は、ここ。


受付の人が、竹久夢二の原画がありますよ、と教えてくれた。 うれしい。 写真もいい。

これは、夏目漱石の除籍簿。 明治の終わり頃、22年間岩内に本籍があった。
徴兵の関係かもしれないと言ってる。

11年9月30日 (10)

詳しくは、こう。

009890000.jpg

水上勉は、なんてことない、岩内に来ていた。
その時、洞爺丸の遭難と岩内の火事は、同日であることを知った。
それを聞いて、大きな構想が浮かんだよう。

下には書いてないが、ある人に「岩内で殺人事件はなかったか」と聞いている。
どう答えたかは、分からない。

11年9月30日 (11)

洞爺丸と岩内の大火を、話しの軸にしたが、物語の展開はすべてフィクションで、水上勉が生み出した。
そう考えてよさそう。

私が好きなのは、実際にあった、というのが好き。
そう云う意味で、三浦綾子の「泥流地帯」も「銃口」も好き。
   ※ 銃口は、いくつかの話を合わせている。 部分的に見たら、実際にあった。
     銃口の主人公のモデルは、旭川市内で教師をしていた人。
     最後、校長になる。 
     その学校は、紋別市立上渚滑中学校。 校長室に写真があった。
     私がいたのは、隣の小学校。 

岩内での撮影風景。

11年9月30日 (12)

高倉健も、刑事役で出てくる。

11年9月30日 (13)

岩内の大火は、1954年(昭和29年)9月26日。 北海道新聞。

11年9月30日 (14)

焼け跡。

11年9月30日 (15)

冒頭は、小説の一節の朗読。 爪は、足の爪だった。

飢餓海峡 石川さゆり 2003年

これは、竹久夢二の原画。 本物。

11年9月30日 (16)

11年9月30日 (17)

原画は、7月に入って、この郷土館で見つかった。 その時のニュース。

897766yumezi.jpg

交流のあった小説家は、長田幹彦。  彼の遺品が展示してあった。

11年9月30日 (18)

長田幹彦は、祇園小唄の詩を書いた人。 初めて知った。

11年9月30日 (19)



飢餓海峡がどのように作られたか。
それが分かったので、少しすっきり。
似た事件が実際にあったら、もっとおもしろかったかな、とも思うんだが。
仕方ない。

【道の駅】   いわない

【明日の予定】   豊浦の道の駅で、伊達のTさんに会う。

※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                    (2008年4月~2010年9月までの記事)

meisigazoupppm.jpg
   
【ランキング】  国内旅行は5位、 旅行全体で16位です。            
           
            記事は役立ったでしょうか。
            気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
                     ※ クリックするバナーは、下のです。 
                   
              ありがとう!!

                   ※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
           
 
 

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

https://akkamui.com/tb.php/385-4bbcfaf2

openclose

03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09 

  • 飢餓海峡が、どうして生まれたかが分かった。 竹久夢二の原画~岩内町~  他  (2011/9/30)
  • 2011年10月01日 (土)
  • 03時19分10秒
by AlphaWolfy

akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、十数回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
明日は、どこの空の下にいるのかな。


02 | 2023/03 | 04
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

現在の閲覧者数:

名前:
メール:
件名:
本文:

QR

気に入った所がありましたら、よろしく。