お寺の鐘(梵鐘)や仏像、また銅像などの全国シェアが90%だという。
街のどこを歩いても、石仏はなかった。 全て銅像。
高岡市は、銅器鋳物の町だった。
駐車場では、苦労しなかった。
高岡古城公園には、日曜なので臨時駐車場があった。
この後歩く所にも、こまめに駐車場があった。 全て無料。
高岡市は、まず外からの人を温かく迎えるという姿勢であることが分かる。
このような町は少ないが、観光に成功している町は、高岡市の考えを持っている。
高岡古城公園は、高岡城跡につくられた。
ここの公園は、お濠や池が広いため、水の公園という感じがした。
落ち葉が、葉っぱの上に載っていた。 やさしく受け止めた感じ。
滝と聖観音菩薩像があった。
聖観音像の作者は、北村西望。 長崎の平和祈念像をつくった人。 ※ 関連ブログ 長崎平和公園他
昔、ここに本丸があった。 今は、本丸広場。
高岡城を築いたのは、、前田利長公。 江戸時代の初め。 でも、一国一条令で数年で廃城になる。
明治に入って、民間に払い下げになるのを、町民が守った。 そんな歴史を持っている。
射水神社。 昔は、近くの二上山にあったが、明治に入ってここに来た。
他に動物園や博物館もあった。 ここは、市民憩いの場だった。
今日は上着が要らないほどの、ポカポカ陽気。 こんなの久しぶり。
駐春橋を通って、中心街に向かう。
高岡大仏。 5分ほどで着いた。
仁王像は、たいていは石像。 ここは、銅像。
昭和8年に完成した。 高岡銅器の技術を総結集してつくった。
品のいい表情を、与謝野晶子がほめたそうだ。
内部にあった仏像。 木像は、一つもない。
大仏から10分ほど歩いて、金谷町に着いた。 銅器鋳物発祥の地。 古い町並みが残っている。
中にお地蔵さま。 屋根は、銅板。
この通りの家は、格子戸が目立つ。
キリッとした表情のサッカー少年。 昔の子どもの表情に感じた。
伝建地区と見間違うほど、状態がいい。
現在、それに向けて、動いているそうだ。 この後行く、資料館の方が教えてくれた。
高岡市鋳物資料館の内部。
道具類の展示が多かった。 ※ 銅器の表面に模様を細工する道具など。
この後、少し歩いて、写真の左に案内板がある、利三郎と書いてあるお店に行く。
工房の見学ができるとあったので。 一番見たいのは、こういう所。
鋳物工房利三郎。 店の中には、商品がセンス良く展示されていた。
お店の中は、撮影していない。
商品を一つだけ紹介。 情報誌にあったもの。 卓鈴。 手に持って振ると音がする。
奥さまが、工房に案内してくれた。
旦那様が、鋳型(いがた)をつくっていた。 金属の板を当てている。
鋳型は、いっぺんには厚く作れない。 砂が崩れる。
塗った部分の水が抜けてから、次にまたくっ付ける。
これが、上に書いた金属板。 外側ので、外側の鋳型。 内側ので、内側の鋳型。
少しずれてる部分が、鋳物の厚さ。
3種類のふるいで、大きさの違う、3種類の砂をつくる。
鋳型の表面は、小さな砂。 小さな砂は崩れやすい。
使うかもしれないから、みんなとってある。
砂は、川から勝手に持って来れない。 オーストラリアから輸入。
仕事が一段落して、いろいろ教えてくれた。
この店、利三郎の歴史も。
ある人が、別のことを調べている時に、この店の昔が分かった。 ※ 調べたのは、素人ではない。
先祖は明智光秀の家来。
※ だからか、家紋は同じ。
その家来は、高辻村に逃げてきた。 ※ 秀吉軍に追われた。 高辻村は今はない。
名前を、高辻屋与右衛門にした。 その後、高辻屋利三郎に。
そして、この地方の神保の殿様に拾われる。 屋の付かない名前に、変えることになる。
新しい名前は、神初利三郎。 神は、神保の神。 初は、子どもの頃、初平だったから。 じんぱち と読む。
そんなことで、ここのお店の苗字は、神初。 この苗字は、親類だけという。
なお、鋳物は150年前からで、その前は、北前船で商売をしていたことが分かっている。
明智光秀の家来ということで、賢かったのか、何かがあって、商売を始めることができた。
1582年6月1日の真夜中、ここのお店の先祖の方は、亀山と京都の間にある、老ノ坂にいた。
光秀の兵、13000。
坂を下り、桂川を渡る時、光秀は「敵は本能寺にあり」と宣言した。 ※ 関連ブログ 光秀は、亀山城から老ノ坂を通って、本能寺へ行った。
本能寺の変の後、光秀の家来であった先祖の方は、逃げのびることができた。
もし、そうでなかったら、このお店「利三郎」は生まれなかった。
これで、風鈴を作る。
ここは、お客さんが、体験できる。
坩堝(るつぼ)。 この中で、銅を溶かす。 ※ 客席は興奮のるつぼと化した、の るつぼ。
こんな文が。 そうです、ここで作っているものは、作品だった。 お土産品のレベルではなかった。
小さなフクロウのキーホルダーを、売っていただいて、お店を出た。 暗くなっていた。
鳳鳴橋の鳳凰。 橋を渡った左手が、さっきまでいた金谷町。
詩経の一節に、「鳳凰鳴けり 彼の高き岡に」があるそう。
高岡という地名の由来は、これにあった。
真っ直ぐ5分ほど歩いたら、高岡駅。 左に曲がった。
夜の高岡大仏。
城のお濠に映った、お店。
高岡古城公園の中を通って、戻った。 少し不気味だった。
旦那さんが、こんなことを言った。
この仕事は、人間関係に気をつかわないのがいい。
人の顔色見なくていい。
失敗した時は、自分が悪いということになる。
その時は、息子さん、お孫さんの3人で、頭を突き合わせ、原因を探すそうだ。
ここに来た、ある大学の学長さんが、仕事は日本一を目指すのではなく、オンリーワンがいいって、言ったそうだ。
今日は、工房を見せていただき、嬉しかったですね。
「鋳物工房 利三郎」さんのおかげで、いい一日になった。
【道の駅】 氷見
【明日の予定】 朝、雨晴海岸に行く。 海の向こうに、立山連峰が見える。 雨晴~あまはらし
その後は、能登半島へ。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
8,9月分だけ、タイトル一覧表が出来ています。
【ランキング】 国内旅行は 4位、 旅行全体で10位 です。
記事は役立ったでしょうか。
気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
街のどこを歩いても、石仏はなかった。 全て銅像。
高岡市は、銅器鋳物の町だった。
駐車場では、苦労しなかった。
高岡古城公園には、日曜なので臨時駐車場があった。
この後歩く所にも、こまめに駐車場があった。 全て無料。
高岡市は、まず外からの人を温かく迎えるという姿勢であることが分かる。
このような町は少ないが、観光に成功している町は、高岡市の考えを持っている。
高岡古城公園は、高岡城跡につくられた。

ここの公園は、お濠や池が広いため、水の公園という感じがした。

落ち葉が、葉っぱの上に載っていた。 やさしく受け止めた感じ。

滝と聖観音菩薩像があった。

聖観音像の作者は、北村西望。 長崎の平和祈念像をつくった人。 ※ 関連ブログ 長崎平和公園他

昔、ここに本丸があった。 今は、本丸広場。

高岡城を築いたのは、、前田利長公。 江戸時代の初め。 でも、一国一条令で数年で廃城になる。
明治に入って、民間に払い下げになるのを、町民が守った。 そんな歴史を持っている。

射水神社。 昔は、近くの二上山にあったが、明治に入ってここに来た。

他に動物園や博物館もあった。 ここは、市民憩いの場だった。
今日は上着が要らないほどの、ポカポカ陽気。 こんなの久しぶり。
駐春橋を通って、中心街に向かう。

高岡大仏。 5分ほどで着いた。

仁王像は、たいていは石像。 ここは、銅像。

昭和8年に完成した。 高岡銅器の技術を総結集してつくった。
品のいい表情を、与謝野晶子がほめたそうだ。

内部にあった仏像。 木像は、一つもない。

大仏から10分ほど歩いて、金谷町に着いた。 銅器鋳物発祥の地。 古い町並みが残っている。

中にお地蔵さま。 屋根は、銅板。

この通りの家は、格子戸が目立つ。
キリッとした表情のサッカー少年。 昔の子どもの表情に感じた。

伝建地区と見間違うほど、状態がいい。
現在、それに向けて、動いているそうだ。 この後行く、資料館の方が教えてくれた。

高岡市鋳物資料館の内部。

道具類の展示が多かった。 ※ 銅器の表面に模様を細工する道具など。

この後、少し歩いて、写真の左に案内板がある、利三郎と書いてあるお店に行く。
工房の見学ができるとあったので。 一番見たいのは、こういう所。

鋳物工房利三郎。 店の中には、商品がセンス良く展示されていた。

お店の中は、撮影していない。
商品を一つだけ紹介。 情報誌にあったもの。 卓鈴。 手に持って振ると音がする。

奥さまが、工房に案内してくれた。
旦那様が、鋳型(いがた)をつくっていた。 金属の板を当てている。
鋳型は、いっぺんには厚く作れない。 砂が崩れる。
塗った部分の水が抜けてから、次にまたくっ付ける。

これが、上に書いた金属板。 外側ので、外側の鋳型。 内側ので、内側の鋳型。
少しずれてる部分が、鋳物の厚さ。

3種類のふるいで、大きさの違う、3種類の砂をつくる。
鋳型の表面は、小さな砂。 小さな砂は崩れやすい。

使うかもしれないから、みんなとってある。

砂は、川から勝手に持って来れない。 オーストラリアから輸入。

仕事が一段落して、いろいろ教えてくれた。
この店、利三郎の歴史も。
ある人が、別のことを調べている時に、この店の昔が分かった。 ※ 調べたのは、素人ではない。
先祖は明智光秀の家来。
※ だからか、家紋は同じ。

その家来は、高辻村に逃げてきた。 ※ 秀吉軍に追われた。 高辻村は今はない。
名前を、高辻屋与右衛門にした。 その後、高辻屋利三郎に。
そして、この地方の神保の殿様に拾われる。 屋の付かない名前に、変えることになる。
新しい名前は、神初利三郎。 神は、神保の神。 初は、子どもの頃、初平だったから。 じんぱち と読む。
そんなことで、ここのお店の苗字は、神初。 この苗字は、親類だけという。
なお、鋳物は150年前からで、その前は、北前船で商売をしていたことが分かっている。
明智光秀の家来ということで、賢かったのか、何かがあって、商売を始めることができた。
1582年6月1日の真夜中、ここのお店の先祖の方は、亀山と京都の間にある、老ノ坂にいた。
光秀の兵、13000。
坂を下り、桂川を渡る時、光秀は「敵は本能寺にあり」と宣言した。 ※ 関連ブログ 光秀は、亀山城から老ノ坂を通って、本能寺へ行った。
本能寺の変の後、光秀の家来であった先祖の方は、逃げのびることができた。
もし、そうでなかったら、このお店「利三郎」は生まれなかった。
これで、風鈴を作る。

ここは、お客さんが、体験できる。

坩堝(るつぼ)。 この中で、銅を溶かす。 ※ 客席は興奮のるつぼと化した、の るつぼ。

こんな文が。 そうです、ここで作っているものは、作品だった。 お土産品のレベルではなかった。

小さなフクロウのキーホルダーを、売っていただいて、お店を出た。 暗くなっていた。

鳳鳴橋の鳳凰。 橋を渡った左手が、さっきまでいた金谷町。
詩経の一節に、「鳳凰鳴けり 彼の高き岡に」があるそう。
高岡という地名の由来は、これにあった。

真っ直ぐ5分ほど歩いたら、高岡駅。 左に曲がった。

夜の高岡大仏。

城のお濠に映った、お店。

高岡古城公園の中を通って、戻った。 少し不気味だった。

旦那さんが、こんなことを言った。
この仕事は、人間関係に気をつかわないのがいい。
人の顔色見なくていい。
失敗した時は、自分が悪いということになる。
その時は、息子さん、お孫さんの3人で、頭を突き合わせ、原因を探すそうだ。
ここに来た、ある大学の学長さんが、仕事は日本一を目指すのではなく、オンリーワンがいいって、言ったそうだ。
今日は、工房を見せていただき、嬉しかったですね。
「鋳物工房 利三郎」さんのおかげで、いい一日になった。
【道の駅】 氷見
【明日の予定】 朝、雨晴海岸に行く。 海の向こうに、立山連峰が見える。 雨晴~あまはらし
その後は、能登半島へ。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
8,9月分だけ、タイトル一覧表が出来ています。
【ランキング】 国内旅行は 4位、 旅行全体で10位 です。
記事は役立ったでしょうか。
気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。

※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
コメント
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui.com/tb.php/39-ae3ac254