今回は山の下から登りたい。
でも、ひょんなことで中腹からに。
・ ・ ・ ・ ・
竹田城は謙信の春日山城とともに、山城として有名ですね。
鉄砲が使われたり堀を掘る技術が高まって、山城は造られなくなるけど。
ここの城が最後に整備されたのは戦国時代の終わり。
斎村政広(赤松広秀)によって。
※ ※ ※ ※ ランキング
ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
・ ・ ・ ・ ・
山の下の駐車場に向かった、細い道を大型バスがやって来た。
自分は道を曲がった。 そのまま行ったら山城の郷に着いた。

山の中腹。 ここから歩く。 以前は山の上近くまで行けた。
※ 今は、シャトルバスかタクシーを使えば楽。
山の上が城跡。

2㌔ちょっと。 車道を歩くから楽。

以前はここまでこれた。 今は関係者だけ。
人気が出てから、一般車はこれなくなった。 右の道を行く。

上まで10分かからない。

案内があった。 城主は変わる。 最後は、斎村政広(赤松広秀)。 悲運の武将でも。
この後、時々触れます。

受付。 500円。 知らなかった。 人気が出る前は無料。

亀岡市もそうだったけど、ここも早朝霧が出やすい。
霧に浮かぶように。 天空とかマチュピチュに例えられる。

上がってきた。

着きました。 ここは北千畳。
400年と少し前に秀吉に攻められて落城。 以来石垣だけ。

端に来たら天守の石垣が見えた。 城跡の広さは、長さ400㍍、幅100㍍。 大きいですね。

向こうの下から来たかった。 小さな登山。

石垣の石の大きさはバラバラ。 穴太(あのう)積と呼ばれます。
適当に見えるので、その技術は難しいよう。
※ 余談 どういう風に石を積んだか。 難しいので下の答え。
石を積むとき、石に聞いたそう。 どこに行きたいって。
石の行きたい場所に積んだという。

最後の城主斎村政広は13年間かけて整備した。
実際に作業をしたのは、領地の農民。 大変な苦労。
堤防の作業とかなら農民は文句は言わない。 信玄が堤防を作ったように。
立派な城は、農民には何の役にも立たない。
斎村政広はこの地方の人たちには、愛着が薄いよう。

二の丸に来ている。

斎村政広の妻は、宇喜多秀家の姉。 岡山を領地とする宇喜多家の信頼が厚かった。
※ 宇喜多秀家は関ヶ原の時、西軍の副大将。 負けて鹿児島に逃げる。 島津が面倒を見る。 記事紹介で。
天守台。 どんな天守があったのでしょう。 自分が立っているところは本丸。

普段は城では暮らしていない。 下で。
いざ戦いという時に城にこもる。
向こうから来た。 下に二の丸。 向こうに三の丸。
水はどうしたのでしょう。 井戸の案内はなかった。

城跡の広さを感じます。 南二の丸。 南千畳。

山城の郷が下に。 自分の車が見える。 下の駐車場が空いていた。

斎村政広は関ヶ原の戦いでは、宇喜多秀家とともに西軍。 負ける。
東軍の亀井茲矩(かめい これのり)に、東軍に来ないかと誘われる。 それは罠だった。
騙されて鳥取城を攻める。 亀井の作戦の中で。 鳥取城の城下は焼ける。
家康は怒った。 その責任はすべて斎村政広に。 手柄はすべて亀井が手にした。 亀井のシナリオ通りに。
斎村政広には切腹の命が。 悲運。 ※ 関ヶ原で負けているので、悲運は仕方ないか。

南千畳から。 その場所にぴったりの石があるんですね。 どこに積むかは石に聞けっていうのかな。

南側から見た全体。

これを見て、別の道で下に。 元の道にすぐに合流。

ゲジゲジを始めてみました。
途中でマムシグサの実。 着きました。

農民の汗の結晶が残っていた。 喜びの汗でなく。
広大な石垣を見て、そんな風に感じました。
【動画紹介】 『天空の城』竹田城最後の主・斎村政広がたどった不運の最期とは?
【記事紹介】
【道の駅】 あさご
【明日の予定】 国道429で西に。 酷道シニクと呼ばれる道。
ひどい酷道部分は県道で迂回できます。 道沿いの田舎の風景を撮りたい。
道の駅みなみ波賀を目指します。 60㌔ほどか。
【カメラ・レンズ】 フジフイルム、X-S10 XF 18-135mm f 3.5-5.6R
※ 都道府県別のブログタイトル一覧表は、右をクリック。
(放浪の旅Ⅱと放浪の旅Ⅰの両方です。 記事の総数は4300ほど。)
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竹田城は謙信の春日山城とともに、山城として有名ですね。
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山の下の駐車場に向かった、細い道を大型バスがやって来た。
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山の中腹。 ここから歩く。 以前は山の上近くまで行けた。
※ 今は、シャトルバスかタクシーを使えば楽。
山の上が城跡。


2㌔ちょっと。 車道を歩くから楽。

以前はここまでこれた。 今は関係者だけ。
人気が出てから、一般車はこれなくなった。 右の道を行く。

上まで10分かからない。

案内があった。 城主は変わる。 最後は、斎村政広(赤松広秀)。 悲運の武将でも。
この後、時々触れます。

受付。 500円。 知らなかった。 人気が出る前は無料。

亀岡市もそうだったけど、ここも早朝霧が出やすい。
霧に浮かぶように。 天空とかマチュピチュに例えられる。

上がってきた。

着きました。 ここは北千畳。
400年と少し前に秀吉に攻められて落城。 以来石垣だけ。

端に来たら天守の石垣が見えた。 城跡の広さは、長さ400㍍、幅100㍍。 大きいですね。


向こうの下から来たかった。 小さな登山。

石垣の石の大きさはバラバラ。 穴太(あのう)積と呼ばれます。
適当に見えるので、その技術は難しいよう。
※ 余談 どういう風に石を積んだか。 難しいので下の答え。
石を積むとき、石に聞いたそう。 どこに行きたいって。
石の行きたい場所に積んだという。

最後の城主斎村政広は13年間かけて整備した。
実際に作業をしたのは、領地の農民。 大変な苦労。
堤防の作業とかなら農民は文句は言わない。 信玄が堤防を作ったように。
立派な城は、農民には何の役にも立たない。
斎村政広はこの地方の人たちには、愛着が薄いよう。

二の丸に来ている。


斎村政広の妻は、宇喜多秀家の姉。 岡山を領地とする宇喜多家の信頼が厚かった。
※ 宇喜多秀家は関ヶ原の時、西軍の副大将。 負けて鹿児島に逃げる。 島津が面倒を見る。 記事紹介で。
天守台。 どんな天守があったのでしょう。 自分が立っているところは本丸。

普段は城では暮らしていない。 下で。
いざ戦いという時に城にこもる。
向こうから来た。 下に二の丸。 向こうに三の丸。
水はどうしたのでしょう。 井戸の案内はなかった。

城跡の広さを感じます。 南二の丸。 南千畳。

山城の郷が下に。 自分の車が見える。 下の駐車場が空いていた。


斎村政広は関ヶ原の戦いでは、宇喜多秀家とともに西軍。 負ける。
東軍の亀井茲矩(かめい これのり)に、東軍に来ないかと誘われる。 それは罠だった。
騙されて鳥取城を攻める。 亀井の作戦の中で。 鳥取城の城下は焼ける。
家康は怒った。 その責任はすべて斎村政広に。 手柄はすべて亀井が手にした。 亀井のシナリオ通りに。
斎村政広には切腹の命が。 悲運。 ※ 関ヶ原で負けているので、悲運は仕方ないか。

南千畳から。 その場所にぴったりの石があるんですね。 どこに積むかは石に聞けっていうのかな。


南側から見た全体。

これを見て、別の道で下に。 元の道にすぐに合流。


ゲジゲジを始めてみました。
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農民の汗の結晶が残っていた。 喜びの汗でなく。
広大な石垣を見て、そんな風に感じました。
【動画紹介】 『天空の城』竹田城最後の主・斎村政広がたどった不運の最期とは?
【記事紹介】
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【道の駅】 あさご
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ひどい酷道部分は県道で迂回できます。 道沿いの田舎の風景を撮りたい。
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