武田信玄は、軍師を採用する際に、こう聞いた。
「占いは足利にて伝授か?」と。
軍師には、占いと兵法が必要だった。
足利学校で易学を学ぶことは、一人前と認められることに、つながった。
※ 武田の軍師 山本勘助が学んだかどうかは、分からない。
ある物語では、学んでいるが。
渡良瀬橋の袂で、森高千里の曲「渡良瀬橋」が、夕日の中で爽やかに流れた。
☆ ☆ ☆ ☆
足利市は、栃木県の南西部。 群馬県との県境に近い。
車は、河川敷の駐車場に置いて歩いた。
正面が、足利学校。 門は、学校門。 學校と書いてある。 入館料400円。
孔子廟。 この学校では、孔子の儒学を学んだ。 ※ 門もこの建物も、江戸時代の初めのもの。
孔子像。
手前が方丈で、ここで学んだ。 向こうは庫裡(くり)で、台所。
庫裡から入った。
方丈。 寺小屋という感じでない。
宥坐之器(ゆうざのき)。
最初少し傾いている。 水を丁度良く入れると、真っ直ぐに。 入れ過ぎると、ひっくり返る。
これで、教訓を学ぶ。
この人も、ひっくり返るまで水を入れてみた。
正面、木の向こうに、遺跡図書館がある。 大正時代の建物。
玄関から入った時、ここは入室禁止、ここも禁止と続いた。 どこに入れるんだと、他の客と顔を見合わせた。
100人くらいは、座れそう。
右は、仏殿と、徳川家の位牌。
見える建物は、さっきの孔子廟。 庫裡の後ろに、書院があって、そこから。
吉田松陰と高杉晋作も来たと。
吉田松陰が来たのは、1852年4月3日とあった。
以前のブログに書いた、吉田松陰が、秋田と青森県の間にある矢立峠を通ったのは、同じ年の2月29日。
それで、東北からの帰りに寄ったと分かる。
上杉憲実(のりざね)。 足利学校の、中興の祖とあった。
※ 上の像の本物は、新潟県の雲洞庵にある。
大河ドラマで、直江兼続が幼少時代、「わしはこんなとこ来とうはなかった!」 と言った寺。
下の門は、裏門。 普段は、ここを使ったと云う。 袖塀と云う塀がある。 珍しい。
全体が、ここからやっと。
足利学校で出て、まちなか遊学館に入った。
織物の機械と、夢二の絵ハガキ。 足利は、かつて、織物が盛んだった。
ばん阿(な)寺に向かっている。 近い。
この町は、私があまり良く言わない、相田みつをの出身地だった。
足利尊氏の像。
足利市が、足利氏発祥の地と聞いていたが、そのことは、足利学校では分からなく、気になっていた。
下の家系図に、源義康がいる。 この人が、この地で、足利義康を名乗る。
義康の数代後に、足利尊氏が生まれる。 そうして、金閣寺の義満や銀閣寺の義政につながる。
確かに、足利氏発祥の地だった。 やっと分かった。 源氏の流れだった。
ばん阿寺の境内は広く、ここは、かつて足利氏の館(やかた)だった。
※ 城跡とも考えられ、日本100名城(15番)に選定されている。
イチョウの大木。 建物は、多宝塔。
本堂。 寺の説明では、1196年建立とあった。 Wikipediaでは、1299年。
いずれにしても古い。
機械で、獅子が舞っていた。 びんづるさんかな。
道は、四方にある。 戦いに備えてか。
経堂。 帽子をかぶった、地蔵さん。
境内は木が育っていて、この場所からだけ、全体が撮れた。
街の中の道を歩いて、交番で聞いて、やっとここに来た。 渡良瀬橋。
川は、もちろん、渡良瀬川。 いい名前。
歌碑があった。 ボタンを押したら曲が流れた。 ※ 音が小さかったので、動画は無理だった。
※ この歌が生まれた経緯は、Wikipedisに、こうあった。
森高が1993年に新曲をリリースする際、特にイメージが沸かず困っていた頃、橋の詞を作ることにし
地図を広げ「言葉の響きの美しい川や橋」を探し、「渡良瀬川」という文字が気に入った。
森高は1989年に足利工業大学でライブを行っており、大学のある足利市内に渡良瀬橋という橋がある
ことが分かった。
その後、現地に再訪して橋の周辺を散策、そのイメージを使って詞を書いた。
城之内早苗も歌っている。
歌ってる通り、夕日も、夕日に照らされた町も、きれいだった。
急に渡ると分かって、曲は間に合わなかった。
渡良瀬川は鉱毒で苦しんだけど、渡良瀬橋の歌によって、少し助けられたでしょうか。
東京に近づいてきたので、何もかも、込み入ってきた。
川越市に行ったら、すぐ脱出する。
【その他~ダルビッシュの一言】
野球のドラフトで、巨人入りを希望していた管野を、日ハムが交渉権を手に入れた。
マスコミは、1位指名した日ハムを「空気が読めない日ハム」と書いた。
世論が、その言葉に流されそうになった。
その時、ダルビッシュが、ひとこと言った。
『そもそも、そんな「空気」あったらいけないですよね。 全ての人、球団に平等であるべき』と。
空気が再び変わった。
管野がもし日ハムに入ったら、ダルビッシュの一言が、大きな影響を与えたことになる。
ダルビッシュの言うことは面白いし、重い。
※ 話しが少しそれて、
城之内早苗のおじいちゃんと、元巨人の城之内投手は、兄弟。
投手の後、スカウトをやった。 若き日の落合を入団させたのは、彼。
【道の駅】 めぬま ※ 群馬県を通り越して、埼玉県に入った。
【明日の予定】 川越市を考えているが、明日は無理かな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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「占いは足利にて伝授か?」と。
軍師には、占いと兵法が必要だった。
足利学校で易学を学ぶことは、一人前と認められることに、つながった。
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渡良瀬橋の袂で、森高千里の曲「渡良瀬橋」が、夕日の中で爽やかに流れた。
☆ ☆ ☆ ☆
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車は、河川敷の駐車場に置いて歩いた。
正面が、足利学校。 門は、学校門。 學校と書いてある。 入館料400円。

孔子廟。 この学校では、孔子の儒学を学んだ。 ※ 門もこの建物も、江戸時代の初めのもの。

孔子像。


手前が方丈で、ここで学んだ。 向こうは庫裡(くり)で、台所。

庫裡から入った。

方丈。 寺小屋という感じでない。

宥坐之器(ゆうざのき)。
最初少し傾いている。 水を丁度良く入れると、真っ直ぐに。 入れ過ぎると、ひっくり返る。
これで、教訓を学ぶ。
この人も、ひっくり返るまで水を入れてみた。

正面、木の向こうに、遺跡図書館がある。 大正時代の建物。
玄関から入った時、ここは入室禁止、ここも禁止と続いた。 どこに入れるんだと、他の客と顔を見合わせた。

100人くらいは、座れそう。

右は、仏殿と、徳川家の位牌。


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吉田松陰が来たのは、1852年4月3日とあった。
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それで、東北からの帰りに寄ったと分かる。

上杉憲実(のりざね)。 足利学校の、中興の祖とあった。

※ 上の像の本物は、新潟県の雲洞庵にある。
大河ドラマで、直江兼続が幼少時代、「わしはこんなとこ来とうはなかった!」 と言った寺。
下の門は、裏門。 普段は、ここを使ったと云う。 袖塀と云う塀がある。 珍しい。

全体が、ここからやっと。

足利学校で出て、まちなか遊学館に入った。
織物の機械と、夢二の絵ハガキ。 足利は、かつて、織物が盛んだった。


ばん阿(な)寺に向かっている。 近い。

この町は、私があまり良く言わない、相田みつをの出身地だった。

足利尊氏の像。
足利市が、足利氏発祥の地と聞いていたが、そのことは、足利学校では分からなく、気になっていた。

下の家系図に、源義康がいる。 この人が、この地で、足利義康を名乗る。

義康の数代後に、足利尊氏が生まれる。 そうして、金閣寺の義満や銀閣寺の義政につながる。
確かに、足利氏発祥の地だった。 やっと分かった。 源氏の流れだった。

ばん阿寺の境内は広く、ここは、かつて足利氏の館(やかた)だった。
※ 城跡とも考えられ、日本100名城(15番)に選定されている。

イチョウの大木。 建物は、多宝塔。

本堂。 寺の説明では、1196年建立とあった。 Wikipediaでは、1299年。
いずれにしても古い。

機械で、獅子が舞っていた。 びんづるさんかな。


道は、四方にある。 戦いに備えてか。

経堂。 帽子をかぶった、地蔵さん。


境内は木が育っていて、この場所からだけ、全体が撮れた。

街の中の道を歩いて、交番で聞いて、やっとここに来た。 渡良瀬橋。

川は、もちろん、渡良瀬川。 いい名前。


歌碑があった。 ボタンを押したら曲が流れた。 ※ 音が小さかったので、動画は無理だった。


※ この歌が生まれた経緯は、Wikipedisに、こうあった。
森高が1993年に新曲をリリースする際、特にイメージが沸かず困っていた頃、橋の詞を作ることにし
地図を広げ「言葉の響きの美しい川や橋」を探し、「渡良瀬川」という文字が気に入った。
森高は1989年に足利工業大学でライブを行っており、大学のある足利市内に渡良瀬橋という橋がある
ことが分かった。
その後、現地に再訪して橋の周辺を散策、そのイメージを使って詞を書いた。
城之内早苗も歌っている。
歌ってる通り、夕日も、夕日に照らされた町も、きれいだった。

急に渡ると分かって、曲は間に合わなかった。
渡良瀬川は鉱毒で苦しんだけど、渡良瀬橋の歌によって、少し助けられたでしょうか。
東京に近づいてきたので、何もかも、込み入ってきた。
川越市に行ったら、すぐ脱出する。
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野球のドラフトで、巨人入りを希望していた管野を、日ハムが交渉権を手に入れた。
マスコミは、1位指名した日ハムを「空気が読めない日ハム」と書いた。
世論が、その言葉に流されそうになった。
その時、ダルビッシュが、ひとこと言った。
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空気が再び変わった。
管野がもし日ハムに入ったら、ダルビッシュの一言が、大きな影響を与えたことになる。
ダルビッシュの言うことは面白いし、重い。
※ 話しが少しそれて、
城之内早苗のおじいちゃんと、元巨人の城之内投手は、兄弟。
投手の後、スカウトをやった。 若き日の落合を入団させたのは、彼。
【道の駅】 めぬま ※ 群馬県を通り越して、埼玉県に入った。
【明日の予定】 川越市を考えているが、明日は無理かな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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記事は役立ったでしょうか。
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コメント
こんばんは
Re: こんばんは
こんにちは。
震災のボランティアですが、私のような人間が、一番動きやすいんですね。
自分の気持ちを落ち着かせるには、あれしかなかった。
知りたいと云う気持ちもあって、いろいろ動いた。
そうしたら、ああだこうだ言われた。
今は、その人達を相手にしたことが、失敗だったと思っています。
ああいうことは、今後ない。
今でも、コメントで助けていただいた方には、感謝しています。
最近、雑穀米の食事と野菜ジュースを、ちゃんと作っています。
ただ、体が驚いて、お腹をこわすことがあります。
※ 少し前から慣れてきましたが。
健康については、多くの情報をどう判断するかが難しいですね。
健康以外は、みんな贅沢。
いつも、そう思っていますよ。
ぎっくり腰、気をつけて・・。
震災のボランティアですが、私のような人間が、一番動きやすいんですね。
自分の気持ちを落ち着かせるには、あれしかなかった。
知りたいと云う気持ちもあって、いろいろ動いた。
そうしたら、ああだこうだ言われた。
今は、その人達を相手にしたことが、失敗だったと思っています。
ああいうことは、今後ない。
今でも、コメントで助けていただいた方には、感謝しています。
最近、雑穀米の食事と野菜ジュースを、ちゃんと作っています。
ただ、体が驚いて、お腹をこわすことがあります。
※ 少し前から慣れてきましたが。
健康については、多くの情報をどう判断するかが難しいですね。
健康以外は、みんな贅沢。
いつも、そう思っていますよ。
ぎっくり腰、気をつけて・・。
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今夜は東日本大震災前後の記事を読みました。
居ても立っても居られないという心情が読み取れました。そして長期間のボランティア活動で感じた喜び、悲しみ、憤り、無常感はおそらく何十万言尽くしても足りないのではないでしょうか。
大学時代の友人が東野市でJOCAの一員として(青年海外協力隊OB)今もなおボランティアの業務調整をしています。
私はと言えば現地で活動することはできませんが、同じ国民として恥ずかしくない態度でいつづけたいと思います。
さらに原子力村の人たちの思うままに操られてはいけないことを肝に命じています。
柳川の検診の三日前にぎっくり腰を起こしてしまいましたが、なんとか治療を施してバスと電車でいってきました。じじばばツアーは半年後に延期です。健康のありがたさを感じました。
akkamui212さんは食生活にも気をつけているようなので大丈夫ですよね。