無料で見学できる重要文化財の家が。
それを知って行ってみる。
・ ・ ・ ・ ・
大正8年に建て始めて10年に完成。
贅を尽くしていると素人目にも分かった。
どうして立派な家を建てられるほどの財があったのでしょう。
知りたいところです。
※ ※ ※ ※ ランキング
ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
・ ・ ・ ・ ・
道の駅の北に市役所。 その右に旧吉松家住宅。 ※ 鹿児島県の北部に吉松駅。関係ないって分かりました。

昨日の記事では、あちこち歩いてここまで来ていた。

平成20年に重要文化財に。 木造建築として価値が高かった。

受付場所に事務所に声をかけてくださいとあった。
事務所がどこだか分からない。 別の女性の方も探している。 右は蔵の中。

勝手に外から中を見た。 事務所は標示してないけど、左の方にある部屋だったよう。

土間の台所。 人が住んでいた時はキッチンがあった。 元に戻している。

裏の方に。

コの字の建物の中庭。

広い部屋。 昔のガラス。 ゆらゆら。

女性の方が管理人さんを見つけた。 説明を聞きながら見学開始。
詳しいので退屈しない。 台所。

部屋の小さなところにも工夫。

これとか。 珍しいふすま張りも。

3代にわたって財を成した。
※ 吉松家は山を持っていた。 電信柱や鉄道の枕木で木材は売れた。
裕福になっていく。 庄屋でもあった。
※ 江戸時代が終わっても庶民の暮らしは楽にならなかった。
土地は庄屋さんの物だったり、富は一部に集まっていた。
※ ただ昔の財閥は今と違って、地域に貢献した。
今は自分のために使う。

まるい床柱は柿の木だそう。 この色になる木は滅多にないそう。

この部屋だけ洋間。 客室。

細かなところに、目立たない所に贅を尽くしている。

縁側の廊下の角。 石畳張りというそう。
こっちから見たら、右に曲がって続いていると分かりやすい。

表玄関。 一目、敷居が高いと・・。

上がった所の部屋。 色が残っている。
この玄関は数人しか使っていない。 いつも暗かった。 それで残った。
※ この玄関を使った人に、秋月家の人。
※ 吉松氏は秋月氏の家臣だった。
秋月藩は今の福岡県にあった。
豊臣秀吉に逆らって、高鍋藩に移された。(宮崎市の北)
(殺されなかったのは、有名な茶器を秀吉にやったため)
今いる串間は高鍋藩の飛び地だった。
※ 余談 秋月氏や蒲池(かまち)氏は、元々は平氏側だった。
どちらも苦労して生き延びた。
先日悲しい思いをした松田聖子は蒲池氏ですね。(蒲池法子)

スズメ。

続きは明日の記事で。
【記事紹介】
【道の駅】 つの(都農町)
【明日の記事】 吉松家住宅の続き。 今回宮崎市は素通り。(いくつか用事を)
美々津辺りから見学。
【カメラ・レンズ】 フジフイルム、X-S10 XF 18-135mm f 3.5-5.6R 車載、FX10 山に行くときはX70.
※ 都道府県別のブログタイトル一覧表は、右をクリック。
(放浪の旅Ⅱと放浪の旅Ⅰの両方です。 記事の総数は4300ほど。)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
2021年夏のを1枚プラス。 美瑛川上流で釣り。
【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体、3位です。
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勝手に外から中を見た。 事務所は標示してないけど、左の方にある部屋だったよう。


土間の台所。 人が住んでいた時はキッチンがあった。 元に戻している。

裏の方に。

コの字の建物の中庭。


広い部屋。 昔のガラス。 ゆらゆら。


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詳しいので退屈しない。 台所。


部屋の小さなところにも工夫。

これとか。 珍しいふすま張りも。


3代にわたって財を成した。
※ 吉松家は山を持っていた。 電信柱や鉄道の枕木で木材は売れた。
裕福になっていく。 庄屋でもあった。
※ 江戸時代が終わっても庶民の暮らしは楽にならなかった。
土地は庄屋さんの物だったり、富は一部に集まっていた。
※ ただ昔の財閥は今と違って、地域に貢献した。
今は自分のために使う。


まるい床柱は柿の木だそう。 この色になる木は滅多にないそう。

この部屋だけ洋間。 客室。


細かなところに、目立たない所に贅を尽くしている。

縁側の廊下の角。 石畳張りというそう。
こっちから見たら、右に曲がって続いていると分かりやすい。


表玄関。 一目、敷居が高いと・・。

上がった所の部屋。 色が残っている。
この玄関は数人しか使っていない。 いつも暗かった。 それで残った。
※ この玄関を使った人に、秋月家の人。
※ 吉松氏は秋月氏の家臣だった。
秋月藩は今の福岡県にあった。
豊臣秀吉に逆らって、高鍋藩に移された。(宮崎市の北)
(殺されなかったのは、有名な茶器を秀吉にやったため)
今いる串間は高鍋藩の飛び地だった。
※ 余談 秋月氏や蒲池(かまち)氏は、元々は平氏側だった。
どちらも苦労して生き延びた。
先日悲しい思いをした松田聖子は蒲池氏ですね。(蒲池法子)


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【明日の記事】 吉松家住宅の続き。 今回宮崎市は素通り。(いくつか用事を)
美々津辺りから見学。
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