武田信玄、武田勝頼の地に、入って来た。
雲峰寺(うんぽうじ)は、大菩薩峠の麓にあった。
中里介山が、この寺で、小説「大菩薩峠」の構想を練った。
武田信玄の墓のある恵林寺は、大きな寺だった。
その中で庭がよかった。 夢窓疎石が作ったと云う。
また、小さな三重塔もあった。
☆ ☆ ☆ ☆
この場所は、甲斐の国の北東にあたり、大菩薩峠を通って、青梅に行く青梅街道があった。
中山道の、裏街道だそう。
雲峰寺への参道。 石段がずれていたり、荒れていた。 寺には整備する力はないように感じた。
武田信玄の父の、信虎が建てたとある。 武田の軍旗等があるとも。
仁王門。 国の重要文化財。
※ 雲峰寺は、少し荒れているが、建物は全て国の重要文化財。
この後行く、大きく立派な恵林寺は、観光地。 でも、重要文化財の建物は、門だけ。
仁王像。 傷んでいる。 木に布を貼り付けたのか。
※ 麻布を貼る作り方はあったよう。 木のつなぎ目が見えなくなる。
彩色したのが剥がれずらいなど、いい面があったよう。
本堂。
天正10年(1582年)に武田勝頼が一族とともに天目山の戦いで滅亡した。
その後、家来が、武田家の家宝である「日の丸の御旗」「孫子の旗」「諏訪神号旗」を、密かにこの寺に持ってきた。
いつの日かの再起を願って。
宝物館にあるんだが、休館中と云うことで、見られなかった。
これは、庫裡だろうか、こういうのも重要文化財。
寺の収入って、どうなっているんでしょうね。
環境整備のために、人を雇えることができればいい。
下の写真は、雲峰寺のHPからお借り。
右の部屋は、中里介山が大菩薩峠の構想を練ったという部屋かな。
※ 大菩薩峠へは、ここから山に入って行く。
私の車が、どこまで入れるかを調べて、来年でしょうか。
※ 峠の頂上は、こんな所。(Wikipedia) 昔の道の峠の頂上は、少し違う所に。
この後、恵林寺に向かった。
街の中にあるので、観光地になっていた。
お土産屋さん、食事のできるとこが、数軒ずつあった。
庭が立派。 草取りしてる人、落ち葉を集めている人が、何人もいた。
境内が広い。
山門。 4つの柱で立っており、四脚門とあった。 これだけが、重要文化財。
門の両側に桜の木。
信玄が歌を詠んでいる。 こんな意味のよう。
お誘いがなかったなら、さぞ心残りであったろう。
やってこなければ、桜花は雪の降るように、散りすぎていたであろうから
本堂。
庫裡や書院はこっち。 ※ 庫裡(くり)・・台所とかがある。
小さな三重塔。 新しいもの。 納骨堂になっている。
信玄の墓を見るため、堂内を参観した。 料金300円。
石庭。 ここも、夢窓疎石の設計かな。 ※ この人は、苔寺や天竜寺の庭も。
障子が綺麗だったので撮ったのだが、うまくいかない。 何枚か撮れば良かった。
※ 堂内の撮影も大丈夫。
屋根付き橋のよう。
左側に庭。
うぐいす張りの廊下。 歩いたら、キュッキュッって音がした。
中央の像は、武田不動尊。 信玄の姿。
信玄の髪の毛を細かく刻んで漆に混ぜ、胸の部分に塗ってあるそう。
ここに、信玄の墓。
信玄の葬儀は、亡くなった3年後の天正4年(1576年)4月に、勝頼を喪主として恵林寺で行われた。
3年間、秘密だった。
柳沢吉保の墓もあった。 ※ 柳沢吉保(Wikipedia)。
こんな庭が広く。
ここは、宝物館。 一応入ってみたけど、説明や資料が多かった。
山本勘助についても、詳しくあった。
宝物館だけど、国の重要文化財は1点も無かった。 これで500円は高い。
※ 観光の寺では、こういう所が多い。
遠くに、三重塔。 夕方になって、光が弱くなったので、もう一度撮ってみた。
造りが凝ってないように見えた。 調べたら、簡略化した造りだそう。
建物の価値としては高くないが、それなりに美しい。 ※ 清水寺の三重塔(昨年撮影 重要文化財)
恵林寺については、宝物館以外撮影出来たのがよかった。
普通は、撮影させてもらえない。
この辺りは、武田氏の拠点の甲府市から、十数㌔。 日常的に活動した範囲なんでしょうね。
【道の駅】 甲斐大和 ※ 勝頼が天目山で自刃した場所は、すぐ近くです。
【明日の予定】 明日は、この辺を歩きます。
また、勝頼の最後の数日間の、足取りを追ってみます。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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雲峰寺(うんぽうじ)は、大菩薩峠の麓にあった。
中里介山が、この寺で、小説「大菩薩峠」の構想を練った。
武田信玄の墓のある恵林寺は、大きな寺だった。
その中で庭がよかった。 夢窓疎石が作ったと云う。
また、小さな三重塔もあった。
☆ ☆ ☆ ☆
この場所は、甲斐の国の北東にあたり、大菩薩峠を通って、青梅に行く青梅街道があった。
中山道の、裏街道だそう。
雲峰寺への参道。 石段がずれていたり、荒れていた。 寺には整備する力はないように感じた。

武田信玄の父の、信虎が建てたとある。 武田の軍旗等があるとも。

仁王門。 国の重要文化財。
※ 雲峰寺は、少し荒れているが、建物は全て国の重要文化財。
この後行く、大きく立派な恵林寺は、観光地。 でも、重要文化財の建物は、門だけ。

仁王像。 傷んでいる。 木に布を貼り付けたのか。
※ 麻布を貼る作り方はあったよう。 木のつなぎ目が見えなくなる。
彩色したのが剥がれずらいなど、いい面があったよう。

本堂。

天正10年(1582年)に武田勝頼が一族とともに天目山の戦いで滅亡した。
その後、家来が、武田家の家宝である「日の丸の御旗」「孫子の旗」「諏訪神号旗」を、密かにこの寺に持ってきた。
いつの日かの再起を願って。
宝物館にあるんだが、休館中と云うことで、見られなかった。

これは、庫裡だろうか、こういうのも重要文化財。

寺の収入って、どうなっているんでしょうね。
環境整備のために、人を雇えることができればいい。
下の写真は、雲峰寺のHPからお借り。
右の部屋は、中里介山が大菩薩峠の構想を練ったという部屋かな。

※ 大菩薩峠へは、ここから山に入って行く。
私の車が、どこまで入れるかを調べて、来年でしょうか。
※ 峠の頂上は、こんな所。(Wikipedia) 昔の道の峠の頂上は、少し違う所に。

この後、恵林寺に向かった。
街の中にあるので、観光地になっていた。
お土産屋さん、食事のできるとこが、数軒ずつあった。

庭が立派。 草取りしてる人、落ち葉を集めている人が、何人もいた。

境内が広い。

山門。 4つの柱で立っており、四脚門とあった。 これだけが、重要文化財。

門の両側に桜の木。

信玄が歌を詠んでいる。 こんな意味のよう。
お誘いがなかったなら、さぞ心残りであったろう。
やってこなければ、桜花は雪の降るように、散りすぎていたであろうから

本堂。

庫裡や書院はこっち。 ※ 庫裡(くり)・・台所とかがある。

小さな三重塔。 新しいもの。 納骨堂になっている。

信玄の墓を見るため、堂内を参観した。 料金300円。

石庭。 ここも、夢窓疎石の設計かな。 ※ この人は、苔寺や天竜寺の庭も。

障子が綺麗だったので撮ったのだが、うまくいかない。 何枚か撮れば良かった。
※ 堂内の撮影も大丈夫。

屋根付き橋のよう。

左側に庭。

うぐいす張りの廊下。 歩いたら、キュッキュッって音がした。

中央の像は、武田不動尊。 信玄の姿。
信玄の髪の毛を細かく刻んで漆に混ぜ、胸の部分に塗ってあるそう。

ここに、信玄の墓。

信玄の葬儀は、亡くなった3年後の天正4年(1576年)4月に、勝頼を喪主として恵林寺で行われた。
3年間、秘密だった。

柳沢吉保の墓もあった。 ※ 柳沢吉保(Wikipedia)。

こんな庭が広く。

ここは、宝物館。 一応入ってみたけど、説明や資料が多かった。
山本勘助についても、詳しくあった。
宝物館だけど、国の重要文化財は1点も無かった。 これで500円は高い。
※ 観光の寺では、こういう所が多い。

遠くに、三重塔。 夕方になって、光が弱くなったので、もう一度撮ってみた。

造りが凝ってないように見えた。 調べたら、簡略化した造りだそう。
建物の価値としては高くないが、それなりに美しい。 ※ 清水寺の三重塔(昨年撮影 重要文化財)

恵林寺については、宝物館以外撮影出来たのがよかった。
普通は、撮影させてもらえない。
この辺りは、武田氏の拠点の甲府市から、十数㌔。 日常的に活動した範囲なんでしょうね。
【道の駅】 甲斐大和 ※ 勝頼が天目山で自刃した場所は、すぐ近くです。
【明日の予定】 明日は、この辺を歩きます。
また、勝頼の最後の数日間の、足取りを追ってみます。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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