今日歩いた所は、宇津ノ谷峠。
平安時代まで使った、古い道もあった。
峠の下の宇津ノ谷集落は、今の時代から取り残された感じで、静かな佇まいだった。
☆ ☆ ☆ ☆
出発の前に清見寺(せいけんじ)に寄った。
家康が子供の頃、この寺に預かってもらった。 天下を取ってからも来た。 手植えの松があった。
また、武田勝頼を最期まで支えた土屋昌恒に息子がいた。 ※ 土屋昌恒は片手千人切りの土屋。
武田が滅びる時、危険なので母親と、この寺に逃げてきた。
※ 勝頼の息子の信勝は死んだことになっているが、上の息子になって生き延びたと、そんな伝説が・・。
五百羅漢の像があった。 島崎藤村が面白いことを言っていた。
羅漢像の顔が、誰かに見えてくると。
私は、石像を見て、いい顔だなと思った時だけ、あの人に似ていると、思うことがあるが。
この人は、韓国人。 現代の朝鮮通信使のように、自転車で旅をしている。
旅のことや、日本と韓国の関係、そしてキム・ヨナのことなど、20分ほど話した。
先日行った川越に向かっている。 ぜひ韓国においで、とも言われた。
※ ここに、紹介されている。
今日は、ここの場所。
ここは、道の駅宇津ノ谷峠(下り線)。
蔦(つた)の細道は、左の山に登り正面の山の向こうに下りて行く。
右の写真は、スイカズラ。 漢字では、忍冬。 初めて見た。
※ 実がなって、それを吸うように食べるので、スイカズラだそう。 カズラは葛。 甘い。
忍冬の曲を2つ。 上は因幡晃。 昔、紋別の港祭りで、これを歌っているのを聞いた。 いつも、サングラス。
蔦の細道。 消えかけた道を、このように再現した。
伊勢物語に、この歌がある。
主人公は、在原業平(ありわらのなりひら)と言われている。
歌人がこの道を通ったら、業平を偲んで、歌をつくった。
間もなく、峠の頂上。 坂は急だが、下から上まで、1㌔は無い。
峠の向こうには、岡部宿。 ※ 峠の手前は、鞠子宿。 鞠子川の名前を先日、他で見た。
急な道を下った。 下には、ミカン畑。 そして、猫石があった。
※ どうして猫石かは、分からない。
反対側の、蔦の細道の登り口。
伊勢物語に、この歌が。
「駿河なる うつの山べの うつつにも 夢にも人に 逢わぬなりけり」
滅多に人は通らない、さびしい所だったのか。
峠を下りたら、つたの細道公園になっていた。
初めて地図が。 時計回りで動いている。
蔦の細道は、この山を越える最も古い道。
鎌倉時代に入って戦いが多くなったら、新しい道を作った。
藤原定家、兼好法師の歌。
延命地蔵尊。 昔は、別の場所にあった。
左に上る道が、旧東海道。 長く使われる。 参勤交代も。
新しい道は、頼朝以来とある。 右の石碑は、髭のような字。
明治の初めに作ったトンネルがあった。 これが出来て、峠を越えなくて済むようになった。
鉄道は通らない。 煉瓦づくり。
道を下っている。 左に昔、さっきあった、延命地蔵尊があった。
ここを舞台にした話があった。
延命地蔵尊の谷側の石垣。
沢に下ると、宇津ノ谷集落が見えてきた。
大豆を鞘(さや)から取り出していた。
右に見えるのは、シイタケ。 雨の後出るのかいと聞いたら、そうだよ、って。
この道が、昔の風情を残していた。
右は、下から上を撮影。
左の家が、御羽織屋とある。 奥さまがいたので、話した。
この地に長くいると、時間が停まってしまうと、言った。
昔は茶とミカンで生計を立てていたが、今は、静岡とかに勤めに出る。
十団子が売っていた。
羽織のことも知りたいから、十団子を買った。 何も買わないで聞くのも何だなと思って。
羽織は200円で見せてくれることが分かった。
※ 新たにお金がかかるなら、買わなくてもよかった。
横に門があった。
中の写真は撮れなかったが、説明はこのおばあちゃん。 90歳を越えたそう。
博識で、頭は聡明。
奥さまが、おばあちゃんと対等に話せるなんてすごいね、って私を褒めた。 そんなおばあちゃん。
昔の絵。 延命地蔵尊が上の方に見える。 参勤交代のようす。 十団子も。
秀吉がくれたという羽織。 ※ 写真は、マップルのHPから。
おばあちゃんが話してくれたことを、少し。
○ 秀吉は、軒先の「馬の沓(くつ)」を見た。
4つ欲しいと言ったが、渡したのは3つ。 4つは、死につながるから。
山の名前を聞かれて、名前の無い山だったが、「勝ち山です」ととっさに答えた。
聞かれた答えの全てを、戦での「勝ち」に結び付けた。
秀吉が、戦に勝って戻る時、陣羽織を置いていった。
○ 羽織は、大名等が通る時、触るだけでなく、縁起がいいので、千切って持って行った者もいた。
袖や下の方な無くなった。
ある所に頼んで、その部分を付け足した。
私は、「それをしなかったら重要文化財ですよ」と言った。
ぼろぼろのままなら見せられないからそうしたと、説明してくれた。
※ 今は市の指定の文化財。
復元したものと、古いままのを、並べて飾るのが一番と、思った。
※ 仏像なんかも、後の世に漆なんか塗ったりしたら、文化財としての価値は、半分もなくなる。
○ 昔は、蔵に仕舞ってあった。
展示するようになって、家を留守にしたことはない。 誰かが残る。
「火事に気を付けないとだめですね」と言った時、そう言った。
他については、ここにあります。
ずっと下から上を。 石畳。
ここは、慶竜時。 十団子(とうだんご)は、この寺で生まれた。
峠に鬼がいた。 化けるのが得意だった。
ある僧がやっつけることになった。
うまくだまして、小さく化けさせた。 手のひらの上で。
それを棒でたたいたら、10に分かれた。 僧はそれを飲み込んだ。 ※ 似た話はある。
そんなことで生まれた団子。
※ 詳しくは下に。 (どこのHPか調べられない)
宇津ノ谷集落の、下の入り口。
東海道53次に、宇津ノ谷がある。 説明が分かりやすい。
買った団子は、こんなの。 あんこは入っていない。
宇津ノ谷峠はの山は、南アルプスの一部が海に入り込んでる所だそう。
ここの少し南は、別の名前で、日本坂と呼んでいる。
※ 日本坂トンネルがある。 長いトンネル。
昔、火災があった。 このニュースの最初に。
蔦の細道も宇津ノ谷集落も、ずっと残っていくでしょうね。
【関連ブログ】 焼津市 花沢集落 他 (2009/11/8)
【道の駅】 宇津ノ谷峠(下り線)
【明日の予定】 御前崎か。 掛川もある。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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平安時代まで使った、古い道もあった。
峠の下の宇津ノ谷集落は、今の時代から取り残された感じで、静かな佇まいだった。
☆ ☆ ☆ ☆
出発の前に清見寺(せいけんじ)に寄った。
家康が子供の頃、この寺に預かってもらった。 天下を取ってからも来た。 手植えの松があった。
また、武田勝頼を最期まで支えた土屋昌恒に息子がいた。 ※ 土屋昌恒は片手千人切りの土屋。
武田が滅びる時、危険なので母親と、この寺に逃げてきた。
※ 勝頼の息子の信勝は死んだことになっているが、上の息子になって生き延びたと、そんな伝説が・・。

五百羅漢の像があった。 島崎藤村が面白いことを言っていた。
羅漢像の顔が、誰かに見えてくると。
私は、石像を見て、いい顔だなと思った時だけ、あの人に似ていると、思うことがあるが。


この人は、韓国人。 現代の朝鮮通信使のように、自転車で旅をしている。
旅のことや、日本と韓国の関係、そしてキム・ヨナのことなど、20分ほど話した。
先日行った川越に向かっている。 ぜひ韓国においで、とも言われた。

※ ここに、紹介されている。
今日は、ここの場所。
ここは、道の駅宇津ノ谷峠(下り線)。
蔦(つた)の細道は、左の山に登り正面の山の向こうに下りて行く。
右の写真は、スイカズラ。 漢字では、忍冬。 初めて見た。
※ 実がなって、それを吸うように食べるので、スイカズラだそう。 カズラは葛。 甘い。


忍冬の曲を2つ。 上は因幡晃。 昔、紋別の港祭りで、これを歌っているのを聞いた。 いつも、サングラス。
蔦の細道。 消えかけた道を、このように再現した。

伊勢物語に、この歌がある。
主人公は、在原業平(ありわらのなりひら)と言われている。
歌人がこの道を通ったら、業平を偲んで、歌をつくった。
間もなく、峠の頂上。 坂は急だが、下から上まで、1㌔は無い。


峠の向こうには、岡部宿。 ※ 峠の手前は、鞠子宿。 鞠子川の名前を先日、他で見た。

急な道を下った。 下には、ミカン畑。 そして、猫石があった。
※ どうして猫石かは、分からない。


反対側の、蔦の細道の登り口。

伊勢物語に、この歌が。
「駿河なる うつの山べの うつつにも 夢にも人に 逢わぬなりけり」
滅多に人は通らない、さびしい所だったのか。

峠を下りたら、つたの細道公園になっていた。
初めて地図が。 時計回りで動いている。


蔦の細道は、この山を越える最も古い道。
鎌倉時代に入って戦いが多くなったら、新しい道を作った。

藤原定家、兼好法師の歌。


延命地蔵尊。 昔は、別の場所にあった。

左に上る道が、旧東海道。 長く使われる。 参勤交代も。

新しい道は、頼朝以来とある。 右の石碑は、髭のような字。


明治の初めに作ったトンネルがあった。 これが出来て、峠を越えなくて済むようになった。


鉄道は通らない。 煉瓦づくり。

道を下っている。 左に昔、さっきあった、延命地蔵尊があった。

ここを舞台にした話があった。


延命地蔵尊の谷側の石垣。

沢に下ると、宇津ノ谷集落が見えてきた。

大豆を鞘(さや)から取り出していた。
右に見えるのは、シイタケ。 雨の後出るのかいと聞いたら、そうだよ、って。

この道が、昔の風情を残していた。

右は、下から上を撮影。


左の家が、御羽織屋とある。 奥さまがいたので、話した。
この地に長くいると、時間が停まってしまうと、言った。
昔は茶とミカンで生計を立てていたが、今は、静岡とかに勤めに出る。
十団子が売っていた。
羽織のことも知りたいから、十団子を買った。 何も買わないで聞くのも何だなと思って。
羽織は200円で見せてくれることが分かった。
※ 新たにお金がかかるなら、買わなくてもよかった。

横に門があった。

中の写真は撮れなかったが、説明はこのおばあちゃん。 90歳を越えたそう。
博識で、頭は聡明。
奥さまが、おばあちゃんと対等に話せるなんてすごいね、って私を褒めた。 そんなおばあちゃん。

昔の絵。 延命地蔵尊が上の方に見える。 参勤交代のようす。 十団子も。


秀吉がくれたという羽織。 ※ 写真は、マップルのHPから。

おばあちゃんが話してくれたことを、少し。
○ 秀吉は、軒先の「馬の沓(くつ)」を見た。
4つ欲しいと言ったが、渡したのは3つ。 4つは、死につながるから。
山の名前を聞かれて、名前の無い山だったが、「勝ち山です」ととっさに答えた。
聞かれた答えの全てを、戦での「勝ち」に結び付けた。
秀吉が、戦に勝って戻る時、陣羽織を置いていった。
○ 羽織は、大名等が通る時、触るだけでなく、縁起がいいので、千切って持って行った者もいた。
袖や下の方な無くなった。
ある所に頼んで、その部分を付け足した。
私は、「それをしなかったら重要文化財ですよ」と言った。
ぼろぼろのままなら見せられないからそうしたと、説明してくれた。
※ 今は市の指定の文化財。
復元したものと、古いままのを、並べて飾るのが一番と、思った。
※ 仏像なんかも、後の世に漆なんか塗ったりしたら、文化財としての価値は、半分もなくなる。
○ 昔は、蔵に仕舞ってあった。
展示するようになって、家を留守にしたことはない。 誰かが残る。
「火事に気を付けないとだめですね」と言った時、そう言った。
他については、ここにあります。
ずっと下から上を。 石畳。

ここは、慶竜時。 十団子(とうだんご)は、この寺で生まれた。
峠に鬼がいた。 化けるのが得意だった。
ある僧がやっつけることになった。
うまくだまして、小さく化けさせた。 手のひらの上で。
それを棒でたたいたら、10に分かれた。 僧はそれを飲み込んだ。 ※ 似た話はある。
そんなことで生まれた団子。


※ 詳しくは下に。 (どこのHPか調べられない)


宇津ノ谷集落の、下の入り口。

東海道53次に、宇津ノ谷がある。 説明が分かりやすい。


買った団子は、こんなの。 あんこは入っていない。


宇津ノ谷峠はの山は、南アルプスの一部が海に入り込んでる所だそう。
ここの少し南は、別の名前で、日本坂と呼んでいる。
※ 日本坂トンネルがある。 長いトンネル。
昔、火災があった。 このニュースの最初に。
蔦の細道も宇津ノ谷集落も、ずっと残っていくでしょうね。
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【道の駅】 宇津ノ谷峠(下り線)
【明日の予定】 御前崎か。 掛川もある。
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