山内一豊は、10年間この城にいた。
最期に関ヶ原を戦って、手柄を立てた。
6万石から24万石になって、土佐の高知に行った。
今の城は再建した城だが、掛川城は、そう云う城だった。
また、掛川城御殿では、いくつかの映画が撮影されていた。
☆ ☆ ☆ ☆
駐車場を出た所。 はるかかなたに天守閣。
でも、私のいる場所も、かつては城の中だった。
大手門が見えるが、今の場所の、もっと左にあった。
掛川は、昔は遠江(とおとおみ)の国。
名古屋寄りは三河で、家康がいた。 甲斐には、信玄。
どっちにも攻められた。
でも、掛川城は一方的に攻め落とされることは無かった。
濠(ほり)になってる所は、川。
掛川城の最終的な形は、安土桃山時代の1590年に同地に来た、山内一豊による。
幕末の1854年(安政元年)末に、東海地方一帯を大地震が襲った。(安政東海地震)
掛川城は、天守を含む大半の建物が倒壊した。
天守は再建されなかったが、二の丸御殿は再建された。
※ 藩の実際の仕事は、天守でなく御殿で行うからか。
復元の時、下の高知城を参考にしている。
木造での再建の始まりは、郡上八幡城。 美しい城。
なお、一豊の妻の千代は、郡上八幡出身。(この説が一番有力)
霧吹き井戸。 今川氏が立て籠って、家康が攻めた時、井戸から霧が出て城を包んだ。
そうやって城を守った伝説がある。
天守閣の最上階に上った。 最上階は、特にせまい。
東の方だったか。 ※ 道の駅は、この写真の方向。
西かな。
下に、二の丸御殿。 これが立派。 価値もある。
※ 現存する(昔のままの)御殿は、4つしかない。
二条城二の丸御殿(国宝) 高知城の本丸御殿 川越城の本丸御殿 そして、ここ掛川城。
城の中の設計図は見つかっていない。 どこまで昔に近いかは、分からない。
ここから、鉄砲や弓矢で攻撃。
資料の展示。
こちらは、本丸御殿。
明治に入って、学校に使われたり、役場や消防署など、様々に。
昭和47年から3年かけて保存修理。 今は国の重要文化財。
貴重な建物と気づくまでに時間はかかったが、残せて良かったですね。
御殿から城は、このように。
殿様の、メインの部屋ではない。 それをちゃんと撮らなかった。
昔は、これだけの建物が。
一豊は、この城で家康を接待したとある。 関ヶ原の戦いの前。
一豊が賢かったのは、家康の味方をすると、真っ先に宣言したこと。
土佐の大名に出世した。
山内一豊の説明で、顔に矢が刺さったことが書いてあった。
それは、ある戦いで、矢が刺さったまま、敵の大将を討取ったこと。
その矢は、高知県の安芸市の歴史民俗資料館にあった。
下は、その時のブログの一部。 一豊が掛川に来る前のこと。
左は、御殿を再建する時に使われたよう。(儀式かな)
この映画も、ここで撮影された。 どの映画も全体ではなく、一部。
掛川城の御殿は、映画村などのロケ地に比べたら、風格が違う。 映画村が、おもちゃに見えてくる。
そんなことで、利用されるのかなと思う。
原作は、藤沢周平ですね。
テーマ曲は、alan の「風に向かう花」。
桜田門外ノ変の、「悲しみは雪に眠る」もこの人の歌。 いい曲ですよ。
蒼井優です。
客は、この部屋で取りつぐ。
ここから下りてきた。 ここが入り口。
ボランティアでガイドをしている人が、下の内容のことを話してくれた。
※(アサヒ・コムより)
掛川城(静岡県掛川市)の天守閣は1994年に再建されたが、再建は地元の悲願だった。
江戸時代の天守閣は幕末の地震で損壊、そのまま明治を迎えた。
昭和30年代の再建ブームでも、掛川市の財政事情で実現できなかった。
悲願は5億円に及ぶ老婦人の寄付で動き出す。
87年に市内の寺院「春林院」との縁で掛川に越してきた白木ハナヱさんだ。
戦後、中国から引き揚げ、東京都内に住んでいた白木さんと、都内で教員をしていた先代住職は近所づきあいから
親交を深めていた…
この後、市民も動き出し11億円が集まり、再建が実現した。
※ 関わって
掛川市は、生涯学習都市宣言を昭和54年にやっている。 日本で最初。
この数年後から、教育の世界では、生涯学習と云う言葉が、さかんに使われるようになる。
白木ハナヱさんは、掛川市のこの考えに共鳴したようだ。(ガイドの人の話からも)
掛川城はどれだけ昔に近づいたかは、むずかしい部分はある。
でも、出来得ることをして近づけた、と考えてよさそうです。
名古屋城は鉄筋コンクリートで復元した。 後悔している。
現在、木造での復元に向けて、動き出している。 500億円が必要だそう。
【関連ブログ】 山内一豊の高知城 ~高知市中央に建つ、南海の名城~ 他 (2011/1/14)
【道の駅】 掛川
【明日の予定】 近くに日坂宿(にっさかじゅく)がある。
何かがありそうなので、歩いて見ようかと。
天気がいいので、20㌔位歩いても構わない。
この後、ずっと道の駅が無い。
道の駅を作った掛川市に感謝して、この町をもう少し歩く。
掛川の道の駅は、農産物が安い。 地元の人でいっぱい。
お蕎麦屋さんや定食屋さんや、いろんな店もある。 プロの味。
賑わってる道の駅、ベストテンに入る。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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最期に関ヶ原を戦って、手柄を立てた。
6万石から24万石になって、土佐の高知に行った。
今の城は再建した城だが、掛川城は、そう云う城だった。
また、掛川城御殿では、いくつかの映画が撮影されていた。
☆ ☆ ☆ ☆
駐車場を出た所。 はるかかなたに天守閣。
でも、私のいる場所も、かつては城の中だった。
大手門が見えるが、今の場所の、もっと左にあった。

掛川は、昔は遠江(とおとおみ)の国。
名古屋寄りは三河で、家康がいた。 甲斐には、信玄。
どっちにも攻められた。
でも、掛川城は一方的に攻め落とされることは無かった。
濠(ほり)になってる所は、川。

掛川城の最終的な形は、安土桃山時代の1590年に同地に来た、山内一豊による。

幕末の1854年(安政元年)末に、東海地方一帯を大地震が襲った。(安政東海地震)
掛川城は、天守を含む大半の建物が倒壊した。
天守は再建されなかったが、二の丸御殿は再建された。
※ 藩の実際の仕事は、天守でなく御殿で行うからか。

復元の時、下の高知城を参考にしている。

木造での再建の始まりは、郡上八幡城。 美しい城。
なお、一豊の妻の千代は、郡上八幡出身。(この説が一番有力)
霧吹き井戸。 今川氏が立て籠って、家康が攻めた時、井戸から霧が出て城を包んだ。
そうやって城を守った伝説がある。

天守閣の最上階に上った。 最上階は、特にせまい。

東の方だったか。 ※ 道の駅は、この写真の方向。

西かな。

下に、二の丸御殿。 これが立派。 価値もある。
※ 現存する(昔のままの)御殿は、4つしかない。
二条城二の丸御殿(国宝) 高知城の本丸御殿 川越城の本丸御殿 そして、ここ掛川城。

城の中の設計図は見つかっていない。 どこまで昔に近いかは、分からない。

ここから、鉄砲や弓矢で攻撃。

資料の展示。


こちらは、本丸御殿。
明治に入って、学校に使われたり、役場や消防署など、様々に。
昭和47年から3年かけて保存修理。 今は国の重要文化財。


貴重な建物と気づくまでに時間はかかったが、残せて良かったですね。

御殿から城は、このように。

殿様の、メインの部屋ではない。 それをちゃんと撮らなかった。

昔は、これだけの建物が。

一豊は、この城で家康を接待したとある。 関ヶ原の戦いの前。
一豊が賢かったのは、家康の味方をすると、真っ先に宣言したこと。

土佐の大名に出世した。

山内一豊の説明で、顔に矢が刺さったことが書いてあった。
それは、ある戦いで、矢が刺さったまま、敵の大将を討取ったこと。
その矢は、高知県の安芸市の歴史民俗資料館にあった。
下は、その時のブログの一部。 一豊が掛川に来る前のこと。

左は、御殿を再建する時に使われたよう。(儀式かな)


この映画も、ここで撮影された。 どの映画も全体ではなく、一部。
掛川城の御殿は、映画村などのロケ地に比べたら、風格が違う。 映画村が、おもちゃに見えてくる。
そんなことで、利用されるのかなと思う。

原作は、藤沢周平ですね。
テーマ曲は、alan の「風に向かう花」。
桜田門外ノ変の、「悲しみは雪に眠る」もこの人の歌。 いい曲ですよ。
蒼井優です。

客は、この部屋で取りつぐ。

ここから下りてきた。 ここが入り口。

ボランティアでガイドをしている人が、下の内容のことを話してくれた。
※(アサヒ・コムより)
掛川城(静岡県掛川市)の天守閣は1994年に再建されたが、再建は地元の悲願だった。
江戸時代の天守閣は幕末の地震で損壊、そのまま明治を迎えた。
昭和30年代の再建ブームでも、掛川市の財政事情で実現できなかった。
悲願は5億円に及ぶ老婦人の寄付で動き出す。
87年に市内の寺院「春林院」との縁で掛川に越してきた白木ハナヱさんだ。
戦後、中国から引き揚げ、東京都内に住んでいた白木さんと、都内で教員をしていた先代住職は近所づきあいから
親交を深めていた…
この後、市民も動き出し11億円が集まり、再建が実現した。
※ 関わって
掛川市は、生涯学習都市宣言を昭和54年にやっている。 日本で最初。
この数年後から、教育の世界では、生涯学習と云う言葉が、さかんに使われるようになる。
白木ハナヱさんは、掛川市のこの考えに共鳴したようだ。(ガイドの人の話からも)
掛川城はどれだけ昔に近づいたかは、むずかしい部分はある。
でも、出来得ることをして近づけた、と考えてよさそうです。
名古屋城は鉄筋コンクリートで復元した。 後悔している。
現在、木造での復元に向けて、動き出している。 500億円が必要だそう。
【関連ブログ】 山内一豊の高知城 ~高知市中央に建つ、南海の名城~ 他 (2011/1/14)
【道の駅】 掛川
【明日の予定】 近くに日坂宿(にっさかじゅく)がある。
何かがありそうなので、歩いて見ようかと。
天気がいいので、20㌔位歩いても構わない。
この後、ずっと道の駅が無い。
道の駅を作った掛川市に感謝して、この町をもう少し歩く。
掛川の道の駅は、農産物が安い。 地元の人でいっぱい。
お蕎麦屋さんや定食屋さんや、いろんな店もある。 プロの味。
賑わってる道の駅、ベストテンに入る。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
掛川市
Re: 掛川市
掛川市も、城を中心に街づくりを進めています。
心の拠り所の拠点。 そんな感じです。
私も、宙太さんが言うように、城に隠れたドラマが好きです。
心の拠り所の拠点。 そんな感じです。
私も、宙太さんが言うように、城に隠れたドラマが好きです。
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各都市の城にも、いろんなドラマがありますね。お城の話題は、とても興味があり、飽きません。