日坂宿(にっさかしゅく) は、東海道五十三次の25番目の宿場。
江戸に向かう時、日坂宿を過ぎたら、小夜の中山。 難所の峠。
その峠を上る途中に、夜泣き石があった。 それも、道の真ん中に。
また、芭蕉を初め多くの俳人や歌人が、小夜の中山で、俳句や歌を詠んでいた。
☆ ☆ ☆ ☆
今日の場所。 ※ 左の方に、ジュビロ磐田の磐田が見える。
道の駅から少し歩くと、事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)。
「ことのまま」の名が「願い事が意のままに叶う」の意味を持つそう。
昔から、ここにお参りして、日坂宿に入っていく。
※ 源頼義が大きな力を尽くし、八幡宮とした。 源氏の家系では、だいぶ上に。義家の父。
日坂宿は、新しい建物が多くなっている。 一部の建物が残っていた。
ここが、西の入り口。 ※ 日坂宿(Wikipedia)
入り口には、高札場があった。 藩の御定めなどを、掲げた。
秋葉常夜燈(あきはじょうやとう)。
※ 秋葉山本宮が近い。 火から守ってくれる神社。 日坂宿は、火事で苦労する歴史がある。
お地蔵さん。
旅籠屋(はたごや)。 川坂屋。 ※ 向こうから来て撮影。
立派な建物で、要人も泊っている。 繊細な作り。
中央下の書は、西郷隆盛の弟の西郷従道(つぐみち・じゅうどう)が書いた。
左は、山岡鉄舟。 右は、成瀬大域と云う人。書の大家。 ※ 成瀬大域(Wikipedia)
※ 上のような書は、頼まれるから書くんでしょうね。
書いたら、宿賃がタダになるとかあったのか・・・。
古い建物が続いた。 手前も宿。
この宿は、庶民の宿のよう。 雑魚寝か。
まだ普通に生活している。
日坂宿の地図。 左にさっきの神社。 下にある道が、小夜の中山。
日坂宿の様子。
※ 広重が書いたものだが、歌が載っていて、普通見る五十三次の版画ではない。
※ 歌は、 『あたらしく 今朝 にこにことわらび餅 をかしな春の立場なるらん』。
小夜の中山の道。 急な登りが続いた。
だいぶ登ったら、見通しが良くなった。 茶畑。 ミカンの畑は無い。
※ この峠を過ぎたら、牧ノ原台地。 全国最大の茶の生産地。
茶の工場が、山のあちこちに見えた。
夜泣き石は、明治元年まで、ここにあった。 道の真ん中に。
明治天皇が通るので、よけた。
その後、東京で博覧会があり持ちだされ、別の場所に移った。 昔も有名だったよう。
東海道五十三次の日坂宿の絵は、小夜の中山になっている。
石を興味深そうに見ている。
※ 昔の人が描いた、夜泣き石。(Wikipedia)
※ こんなお話し。
※ 更に詳しくは、Wikipediaに。
ここは、もちろん、昔の東海道だが、車が通るため、舗装になっている。 歌碑が。
芭蕉の句です。 のざらし紀行を読めば、小夜に中山で詠んだと分かるようです。
涼み松、とあった。 夜泣き石に近い。
こんな句を詠んだ。
「命なり わずかの笠の 下涼み」
※ 西行が、「年たけて また越ゆべしと 思ひきや 命なりけり 小夜の中山」と歌っている。 歌碑はもっと先に。
それで、こんな解釈になるよう。
西行の「命なりけり」ではないが、いまその佐夜の中山を通過していると、ここには木陰が全くない。
喉は渇き、猛暑は容赦ない。
まさに「命なりけり」だが、その命ときたらまさに傘の下の日陰の中にかすかにあるというだけの塩梅だ。
小石姫の墓。 夜泣き石のお話しの主人公。
馬頭観音。 ある武将の馬が、ここで死んだ。 ※ この伝説があり、やっつけるため、京からやってきた。
更に歌碑が。
す~っと読めて、気持ちいい。
ナデシコ。 昨日のブログの蒼井優が、ナデシコの花かなって、以前書いたことがある。
※ それは、ここに。 遊びっぽい内容。
白山神社。 ※ この夏白山に登ったけど、そんなに立派な神社ではなかった。
さらに、こんな歌。 ※ 歌碑は、他にもあった。
ある武将が、この場所で敵をやっつけた。 あっぱれと、葬った。
※ 自分が勝ったことを、後の世に伝えるために作ったとしか思えない。
見渡す限り、茶畑。「茶」と云う字が、どこかに見えます。
これも、いいですよ。 ここから、甲斐の山が見えてるのかな。
一里塚。
見えずらいが、小さなアゲハ蝶。 ここに飛ぶ前、このチョウは、私の鼻にとまった。
決定的な写真を撮ろうとしたが、逃げた。 チョウは、落ち着きが無い。
※ 近くに小夜の中山公園があって、西行の歌碑があった。 見忘れた。
今日の目的地、久遠寺(きゅうおんじ)。
本堂の手前に、夜泣き石がある。 夜泣き石は、他にもある。
お店もある。
山内一豊は、この場所に茶室を建て、家康に茶の接待をした。
お店は、昔のまま。 建物は、350年経った。
夜泣き石のお話しで、生まれた赤ちゃんに舐めさせたという、子育て飴。
※ 4歳頃、こうやって買った記憶がある。
茶の葉を刈る機械。 別のもあった。 ここの人が、説明してくれた。
こんな道を戻った。 雨が上がった次の日の空気は、さわやか。
日坂宿も、小夜の中山も、この地に来て知りました。
まだ知らなく、いいところが、どれだけあるのやら。
【関連ブログ】 紅葉の秋葉神社 犬居城址 他 (2009/11/10)
【道の駅】 掛川
【明日の予定】 御前崎 道の駅が無い。 夜は、どこの空の下かな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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江戸に向かう時、日坂宿を過ぎたら、小夜の中山。 難所の峠。
その峠を上る途中に、夜泣き石があった。 それも、道の真ん中に。
また、芭蕉を初め多くの俳人や歌人が、小夜の中山で、俳句や歌を詠んでいた。
☆ ☆ ☆ ☆
今日の場所。 ※ 左の方に、ジュビロ磐田の磐田が見える。
道の駅から少し歩くと、事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)。
「ことのまま」の名が「願い事が意のままに叶う」の意味を持つそう。
昔から、ここにお参りして、日坂宿に入っていく。
※ 源頼義が大きな力を尽くし、八幡宮とした。 源氏の家系では、だいぶ上に。義家の父。

日坂宿は、新しい建物が多くなっている。 一部の建物が残っていた。
ここが、西の入り口。 ※ 日坂宿(Wikipedia)

入り口には、高札場があった。 藩の御定めなどを、掲げた。

秋葉常夜燈(あきはじょうやとう)。
※ 秋葉山本宮が近い。 火から守ってくれる神社。 日坂宿は、火事で苦労する歴史がある。

お地蔵さん。

旅籠屋(はたごや)。 川坂屋。 ※ 向こうから来て撮影。

立派な建物で、要人も泊っている。 繊細な作り。
中央下の書は、西郷隆盛の弟の西郷従道(つぐみち・じゅうどう)が書いた。

左は、山岡鉄舟。 右は、成瀬大域と云う人。書の大家。 ※ 成瀬大域(Wikipedia)


※ 上のような書は、頼まれるから書くんでしょうね。
書いたら、宿賃がタダになるとかあったのか・・・。
古い建物が続いた。 手前も宿。

この宿は、庶民の宿のよう。 雑魚寝か。

まだ普通に生活している。

日坂宿の地図。 左にさっきの神社。 下にある道が、小夜の中山。

日坂宿の様子。
※ 広重が書いたものだが、歌が載っていて、普通見る五十三次の版画ではない。
※ 歌は、 『あたらしく 今朝 にこにことわらび餅 をかしな春の立場なるらん』。

小夜の中山の道。 急な登りが続いた。


だいぶ登ったら、見通しが良くなった。 茶畑。 ミカンの畑は無い。
※ この峠を過ぎたら、牧ノ原台地。 全国最大の茶の生産地。
茶の工場が、山のあちこちに見えた。

夜泣き石は、明治元年まで、ここにあった。 道の真ん中に。
明治天皇が通るので、よけた。
その後、東京で博覧会があり持ちだされ、別の場所に移った。 昔も有名だったよう。

東海道五十三次の日坂宿の絵は、小夜の中山になっている。

石を興味深そうに見ている。

※ 昔の人が描いた、夜泣き石。(Wikipedia)
※ こんなお話し。

※ 更に詳しくは、Wikipediaに。
ここは、もちろん、昔の東海道だが、車が通るため、舗装になっている。 歌碑が。

芭蕉の句です。 のざらし紀行を読めば、小夜に中山で詠んだと分かるようです。

涼み松、とあった。 夜泣き石に近い。
こんな句を詠んだ。
「命なり わずかの笠の 下涼み」

※ 西行が、「年たけて また越ゆべしと 思ひきや 命なりけり 小夜の中山」と歌っている。 歌碑はもっと先に。
それで、こんな解釈になるよう。
西行の「命なりけり」ではないが、いまその佐夜の中山を通過していると、ここには木陰が全くない。
喉は渇き、猛暑は容赦ない。
まさに「命なりけり」だが、その命ときたらまさに傘の下の日陰の中にかすかにあるというだけの塩梅だ。
小石姫の墓。 夜泣き石のお話しの主人公。

馬頭観音。 ある武将の馬が、ここで死んだ。 ※ この伝説があり、やっつけるため、京からやってきた。

更に歌碑が。

す~っと読めて、気持ちいい。

ナデシコ。 昨日のブログの蒼井優が、ナデシコの花かなって、以前書いたことがある。
※ それは、ここに。 遊びっぽい内容。

白山神社。 ※ この夏白山に登ったけど、そんなに立派な神社ではなかった。

さらに、こんな歌。 ※ 歌碑は、他にもあった。


ある武将が、この場所で敵をやっつけた。 あっぱれと、葬った。
※ 自分が勝ったことを、後の世に伝えるために作ったとしか思えない。

見渡す限り、茶畑。「茶」と云う字が、どこかに見えます。

これも、いいですよ。 ここから、甲斐の山が見えてるのかな。

一里塚。

見えずらいが、小さなアゲハ蝶。 ここに飛ぶ前、このチョウは、私の鼻にとまった。
決定的な写真を撮ろうとしたが、逃げた。 チョウは、落ち着きが無い。

※ 近くに小夜の中山公園があって、西行の歌碑があった。 見忘れた。
今日の目的地、久遠寺(きゅうおんじ)。
本堂の手前に、夜泣き石がある。 夜泣き石は、他にもある。

お店もある。

山内一豊は、この場所に茶室を建て、家康に茶の接待をした。

お店は、昔のまま。 建物は、350年経った。

夜泣き石のお話しで、生まれた赤ちゃんに舐めさせたという、子育て飴。
※ 4歳頃、こうやって買った記憶がある。

茶の葉を刈る機械。 別のもあった。 ここの人が、説明してくれた。

こんな道を戻った。 雨が上がった次の日の空気は、さわやか。

日坂宿も、小夜の中山も、この地に来て知りました。
まだ知らなく、いいところが、どれだけあるのやら。
【関連ブログ】 紅葉の秋葉神社 犬居城址 他 (2009/11/10)
【道の駅】 掛川
【明日の予定】 御前崎 道の駅が無い。 夜は、どこの空の下かな。
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