寂光院は谷の集落の奥深くに。
ひっそりと隠れ住む感じの場所。(撮影は13日)
・ ・ ・ ・ ・
安徳天皇の母徳子(とくし)(建礼門院)は、壇ノ浦で源氏に命を助けられる。
※ 建礼門院の名は、安徳天皇が天皇になった時、上からもらっていた。
1185年の春3月に壇ノ浦。 建礼門院30才。
出家するのは夏。 東山の長楽寺。 そこが地震で壊れて、秋に大原の寂光院に移る。
建礼門院が亡くなるののは58才頃。
28年間、安徳天皇と平家の菩提を弔う。 質素な生活の中で。
※ ※ ※ ※ ランキング
ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
・ ・ ・ ・ ・
左上に。

右に上がっていく。 大原御幸(ごこう)のことが。
※ 壇ノ浦の翌年のこと。 後白河法皇が建礼門院を訪ねた。
(安徳天皇は高倉天皇の子。 高倉天皇は、後白河法皇の子)
昨日の記事で紹介の、江文(えぶみ)峠を通ってきた。(つまり、鞍馬の方から)

元々寺はあったが、建礼門院が来て、建礼門院の寺として知られるようにになった。
前から尼寺。

石段を上がって。 右に受付。 600円。

途中右に、小さな庭。 茶室。

山門。

本堂。

中の正面に本尊。

2000年に火災。 重要文化財の本尊をはじめ、多くの文化財が焼けた。
※ 余談 建物はいつか焼ける。 大事な仏像などは宝物館での保管がいい。
今、そういう寺は少なくない。 本堂には精巧なレプリカを展示する場合も。
本尊の造られたときの姿を展示するのが、自分はいいかなと。
どっちも見たい姿。 放火は簡単に防げない。 金閣寺だって。

右の方から本堂に。 住職さんにどうぞって呼ばれた。 下の建物で茶を飲めるのかな。有料。

中の写真は撮れない。 HPからお借り。
六万体地蔵菩薩立像。 復元したもの。 小さい仏像が六万。 仏像の中にもかな。
安徳天皇は7才で海に・・。

建礼門院と、彼女の世話をした阿波内侍(あわのないじ)の像。 復元。

山門を上がってきた。 右の庭。

四方正面の池。 どこから見ても正面に見えるのか。

左に山門。

汀(みぎわ)の池。 ※ 汀は水際の意味のよう。 みずぎわ⇒みぎわ

祇園精舎の鐘の音。

向こうに。

姫小松。 池もこの松も平家物語に出てくる。

この方向が美しい。

西門から出た。 今は終わったけど、大原菊があった。
※ 大原菊はミヤマヨメナと。 この花は、ミヤコワスレのことですね。
順徳天皇が歌に詠んで有名に。 もっと後の時代。 この記事に。
※ 順徳天皇の墓は彼が流された佐渡に。(上の記事に) 大原にもあって、別の記事で紹介。

建礼門院が住んだ建物の跡。

住んでた広さは、4畳半の仏間と寝室。
後白河法皇に会いたくなかった理由は何でしょう。
右写真は井戸。

分かりやすいです。
収蔵庫。 焼けた本尊はここに。
大事なものはここに保存。 見学できるようにしたらいい。

わらべ地蔵。

一度戻って。

山門の下に受付。

建礼門院の墓へ。

五輪塔の墓でした。

仏教を信じることで、建礼門院は強くなれたのでしょうか。
人生の半分を、この地で。 日々弔い。
【動画紹介】 平家物語 大原御幸(前編)朗読:向井智子
【記事紹介】
【停泊場所】 亀岡市のあるパーキング。
【カメラ・レンズ】 フジフイルム、X-S10 XF 18-135mm f 3.5-5.6R XF14mmF2.8 ゴープロ。 車載、FX10 他 .
※ 都道府県別のブログタイトル一覧表は、右をクリック。
(放浪の旅Ⅱと放浪の旅Ⅰの両方です。 記事の総数は4300ほど。)
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今までの記事には、この2枚だけ。
2021年夏のを1枚プラス。 美瑛川上流で釣り。
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ひっそりと隠れ住む感じの場所。(撮影は13日)
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安徳天皇の母徳子(とくし)(建礼門院)は、壇ノ浦で源氏に命を助けられる。
※ 建礼門院の名は、安徳天皇が天皇になった時、上からもらっていた。
1185年の春3月に壇ノ浦。 建礼門院30才。
出家するのは夏。 東山の長楽寺。 そこが地震で壊れて、秋に大原の寂光院に移る。
建礼門院が亡くなるののは58才頃。
28年間、安徳天皇と平家の菩提を弔う。 質素な生活の中で。
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左上に。


右に上がっていく。 大原御幸(ごこう)のことが。
※ 壇ノ浦の翌年のこと。 後白河法皇が建礼門院を訪ねた。
(安徳天皇は高倉天皇の子。 高倉天皇は、後白河法皇の子)
昨日の記事で紹介の、江文(えぶみ)峠を通ってきた。(つまり、鞍馬の方から)


元々寺はあったが、建礼門院が来て、建礼門院の寺として知られるようにになった。
前から尼寺。


石段を上がって。 右に受付。 600円。

途中右に、小さな庭。 茶室。


山門。


本堂。

中の正面に本尊。


2000年に火災。 重要文化財の本尊をはじめ、多くの文化財が焼けた。
※ 余談 建物はいつか焼ける。 大事な仏像などは宝物館での保管がいい。
今、そういう寺は少なくない。 本堂には精巧なレプリカを展示する場合も。
本尊の造られたときの姿を展示するのが、自分はいいかなと。
どっちも見たい姿。 放火は簡単に防げない。 金閣寺だって。

右の方から本堂に。 住職さんにどうぞって呼ばれた。 下の建物で茶を飲めるのかな。有料。


中の写真は撮れない。 HPからお借り。
六万体地蔵菩薩立像。 復元したもの。 小さい仏像が六万。 仏像の中にもかな。
安徳天皇は7才で海に・・。


建礼門院と、彼女の世話をした阿波内侍(あわのないじ)の像。 復元。


山門を上がってきた。 右の庭。


四方正面の池。 どこから見ても正面に見えるのか。


左に山門。

汀(みぎわ)の池。 ※ 汀は水際の意味のよう。 みずぎわ⇒みぎわ

祇園精舎の鐘の音。


向こうに。


姫小松。 池もこの松も平家物語に出てくる。


この方向が美しい。

西門から出た。 今は終わったけど、大原菊があった。
※ 大原菊はミヤマヨメナと。 この花は、ミヤコワスレのことですね。
順徳天皇が歌に詠んで有名に。 もっと後の時代。 この記事に。
※ 順徳天皇の墓は彼が流された佐渡に。(上の記事に) 大原にもあって、別の記事で紹介。


建礼門院が住んだ建物の跡。


住んでた広さは、4畳半の仏間と寝室。
後白河法皇に会いたくなかった理由は何でしょう。
右写真は井戸。


分かりやすいです。
収蔵庫。 焼けた本尊はここに。
大事なものはここに保存。 見学できるようにしたらいい。


わらべ地蔵。


一度戻って。

山門の下に受付。


建礼門院の墓へ。


五輪塔の墓でした。


仏教を信じることで、建礼門院は強くなれたのでしょうか。
人生の半分を、この地で。 日々弔い。
【動画紹介】 平家物語 大原御幸(前編)朗読:向井智子
【記事紹介】
関門トンネル人道を歩いて、下関に。 みもすそ川公園。 安徳天皇を祀る赤間神宮、他。~下関市~ 他 (2016/2/9)
源平の古戦場、那須与一が扇の的を射た地。 85番札所、八栗寺。~高松市~ 他 (2012/12/19)
【明日の記事】 寂光院から三千院までの風景。【停泊場所】 亀岡市のあるパーキング。
【カメラ・レンズ】 フジフイルム、X-S10 XF 18-135mm f 3.5-5.6R XF14mmF2.8 ゴープロ。 車載、FX10 他 .
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