昨夜は、東風さんと楽しく美味しい酒を飲んだ。
その酒が少し残った頭で、昼頃、京都に出た。
京都は盆地で、街の中は平地。
ところが、その平地の中に、小さな山がある。 吉田山。 銀閣寺に近い。
吉田山を散歩して、麓にある光明寺と真如堂に行ってみた。
どちらも初めて。
光明寺には、江の供養塔があった。
☆ ☆ ☆ ☆
最初に行った金戒光明寺(こんかいきょうみょうじ)。
銀閣寺が右上に見える。 吉田山は、光明寺の少し北。
電車で出町柳駅まで行って、歩いた。
今出川通り。 真っ直ぐ行ったら、銀閣寺に行く。
正面に大文字山が見える。 登山道がある。
今晩息子と食事が出来れば、明日京都を離れようと思っていたが、仕事の都合で出来なかったので、あと少し京都。
※ 歩いている途中、電話が来た。 忙しいって。
右に、京都大学の建物が続く。
吉田山の頂上。 標高125メートルの、小さな山。 京都大学に近い。
山を下っていたら、「紅(くれない)もゆる歌碑道」とあった。
「紅萌ゆる丘の花」のことを言っている。
これは、旧制第三高等学校(現京都大学)の歌。 ※ 寮歌かな。
一度は、どこかで聞いたことがあると思う。
丘というのは、吉田山のこと。
この後、道を間違って、住宅街の細い道を歩いた。
山から離れないように歩いたら、光明寺が見えた。
知恩院と同じような大きな山門があったが、改修中。
ここは、本堂。
知恩院と同じ浄土宗。 徳川家の菩提寺。
黒谷町にあるので、京都の人達は、親しみを込めて、くろ谷さん(くろだにさん)と呼ぶそう。
観光バスで、人がやって来ていた。 人の行く方へ行ってみた。
三重塔。 後で知ったが、塔の向こうには、維新の戦いに敗れた会津藩士が眠っているという。
墓地の下の方に、大河ドラマの「江」の供養塔があった。(宝篋印塔)
春日局が作ったと説明があった。 中には、遺髪が入っている。
※ 春日局の墓があるらしいんだけど、調べたけど、確認が出来ない。
なお、春日局は、昨日のブログの最初の写真の、亀岡城で生まれたと言われている。(可能性は十分ありそう)
※ なぜここまで、春日局は徳川家の中で大事にされたのか。
関ヶ原で小早川を寝返らせたのは「ねね」と聞いていたが、この人も大きく関わっていた。
本能寺の変の時は、亀山城にいた。 女と云うことで、その後追われることはなかった。
※ 晩に「江」のテレビが最終回だと言うので、半分ほど見た。 (サッカーも見たので)
江は、春日局に大奥を任せると言った。
叔父の信長が言った「己を信じ、己の思うまま生きよ」の言葉を思い出していた。
江は、これからそう生きると言ったが、今までもそう生きたのではないかな。
戦乱の時代という、条件の中で。
この後、近くの真如堂(しんにょどう)に。 紅葉が盛りだったの、多くの人がいた。
小さな寺ではなかった。
三重塔。 色があった方が、小さな塔はいいかな。
秋は、紅葉のいい所に人は集まる。
ここは、元々、紅葉で有名だった。
もう、十分すぎるほど見た。
丸太町駅に戻って来た。 見える橋の向こうが、三条河原。 晒し首の場所。
江に関する建物に、養源院(ようげんいん)と云うのがある。 三十三間堂の近く。
三姉妹の一番上の淀が、父浅井長政のために建てた。
火事で焼けたので、江が再び建てた。 血天井で知られる。
※ 血天井(Wiki)
関ヶ原の戦いの前哨戦ともいわれる伏見城の戦いで、鳥居元忠以下1000人余りが城を死守した。
最後に自刃した廊下の板の間を、供養のために天井とした。
武将達の遺体は残暑の残る8月から9月中旬まで放置されていたと言われ、そのため今も生々しい血の痕があちこちに残る。
同じ血天井は宝泉院・正伝寺・源光庵にもあるが、生々しさでは養源院が一番といわれる。
崇源院(江)の秀吉への憎しみを表しているといわれる。
養源院も気になって来た。
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 早起きできれば、山道を、京都に向かって歩いて見たい。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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その酒が少し残った頭で、昼頃、京都に出た。
京都は盆地で、街の中は平地。
ところが、その平地の中に、小さな山がある。 吉田山。 銀閣寺に近い。
吉田山を散歩して、麓にある光明寺と真如堂に行ってみた。
どちらも初めて。
光明寺には、江の供養塔があった。
☆ ☆ ☆ ☆
最初に行った金戒光明寺(こんかいきょうみょうじ)。
銀閣寺が右上に見える。 吉田山は、光明寺の少し北。
電車で出町柳駅まで行って、歩いた。
今出川通り。 真っ直ぐ行ったら、銀閣寺に行く。
正面に大文字山が見える。 登山道がある。

今晩息子と食事が出来れば、明日京都を離れようと思っていたが、仕事の都合で出来なかったので、あと少し京都。
※ 歩いている途中、電話が来た。 忙しいって。
右に、京都大学の建物が続く。

吉田山の頂上。 標高125メートルの、小さな山。 京都大学に近い。

山を下っていたら、「紅(くれない)もゆる歌碑道」とあった。
「紅萌ゆる丘の花」のことを言っている。
これは、旧制第三高等学校(現京都大学)の歌。 ※ 寮歌かな。

一度は、どこかで聞いたことがあると思う。
丘というのは、吉田山のこと。
この後、道を間違って、住宅街の細い道を歩いた。
山から離れないように歩いたら、光明寺が見えた。

知恩院と同じような大きな山門があったが、改修中。
ここは、本堂。
知恩院と同じ浄土宗。 徳川家の菩提寺。
黒谷町にあるので、京都の人達は、親しみを込めて、くろ谷さん(くろだにさん)と呼ぶそう。

観光バスで、人がやって来ていた。 人の行く方へ行ってみた。

三重塔。 後で知ったが、塔の向こうには、維新の戦いに敗れた会津藩士が眠っているという。

墓地の下の方に、大河ドラマの「江」の供養塔があった。(宝篋印塔)

春日局が作ったと説明があった。 中には、遺髪が入っている。

※ 春日局の墓があるらしいんだけど、調べたけど、確認が出来ない。
なお、春日局は、昨日のブログの最初の写真の、亀岡城で生まれたと言われている。(可能性は十分ありそう)
※ なぜここまで、春日局は徳川家の中で大事にされたのか。
関ヶ原で小早川を寝返らせたのは「ねね」と聞いていたが、この人も大きく関わっていた。
本能寺の変の時は、亀山城にいた。 女と云うことで、その後追われることはなかった。
※ 晩に「江」のテレビが最終回だと言うので、半分ほど見た。 (サッカーも見たので)
江は、春日局に大奥を任せると言った。
叔父の信長が言った「己を信じ、己の思うまま生きよ」の言葉を思い出していた。
江は、これからそう生きると言ったが、今までもそう生きたのではないかな。
戦乱の時代という、条件の中で。
この後、近くの真如堂(しんにょどう)に。 紅葉が盛りだったの、多くの人がいた。

小さな寺ではなかった。

三重塔。 色があった方が、小さな塔はいいかな。

秋は、紅葉のいい所に人は集まる。


ここは、元々、紅葉で有名だった。

もう、十分すぎるほど見た。

丸太町駅に戻って来た。 見える橋の向こうが、三条河原。 晒し首の場所。

江に関する建物に、養源院(ようげんいん)と云うのがある。 三十三間堂の近く。
三姉妹の一番上の淀が、父浅井長政のために建てた。
火事で焼けたので、江が再び建てた。 血天井で知られる。
※ 血天井(Wiki)
関ヶ原の戦いの前哨戦ともいわれる伏見城の戦いで、鳥居元忠以下1000人余りが城を死守した。
最後に自刃した廊下の板の間を、供養のために天井とした。
武将達の遺体は残暑の残る8月から9月中旬まで放置されていたと言われ、そのため今も生々しい血の痕があちこちに残る。
同じ血天井は宝泉院・正伝寺・源光庵にもあるが、生々しさでは養源院が一番といわれる。
崇源院(江)の秀吉への憎しみを表しているといわれる。
養源院も気になって来た。
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 早起きできれば、山道を、京都に向かって歩いて見たい。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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