牛窓(うしまど)には、江戸時代から昭和にかけての風景が残っていた。
造船業、また、潮待ち風待ちの港として、栄えた時代があった。
瀬戸内の日差しの中、しおまち唐琴通りを、のんびりと歩いてみた。
※ ※ ※ ※
牛窓に来たのは、2年ぶり。 その時は、目の前にある前島に渡った。 写真に見える右半分は、前島。
古い町並みに向かった。
フェリー乗り場。 右向こうに、小さくフェリーが見える。 港を出たら、すぐに前島の港。
案内所で地図をいただいて、コースを教えてもらった。
明治20年に、警察署として建てられた。 今は、海遊文化館。(朝鮮通信使の資料などがある)
屋根は瓦。 でも洋風。 だから、和洋折衷。
瀬戸内市の地図。 夢二の生家が見える。 牛窓は右下。
ここを歩く。 しおまち唐琴通り。
※ どうして唐琴と云うのかは、?。 下の右の地図に、唐琴の瀬戸と云うのもある。
左半分。 右半分。
本蓮寺。 お堂がたくさんあるので、少しずつ。 ほとんどが、国の重要文化財。
こんなみ見せていただいて、無料。
本蓮寺は、朝鮮通信使の接待所だった。 この後行く井戸と合わせて、国の指定史跡になっている。
左向こうに、美しい三重塔。
中門の上。 一つだけ勉強した。
○の中は、鰭付蕪懸魚(ひれつきかぶらげぎょ)。
両側が鰭(ひれ)。 蕪(かぶ)は、野菜のカブ。 懸は、懸(か)けるの意味。 こういう物を、懸魚と云うそう。
小さな三重塔。 これは、国の重要文化財ではないが、美しい。 江戸時代のもの。
※ 重要文化財になるならないは、何で決まるのか、いつか調べてみますね。 コネもあったりして。
三重塔の下。 古さが分かります。
釣鐘のような窓は、花頭窓(かとうまど)。 これも、勉強。 一つだけでも、覚えることに。
前島の右半分。 フェリーが見える。 一昨年の今頃、島を歩いて歩いて・・・歩いた。
こんな感じの通りも多い。 ※ 重伝建地区ではない。
お休み処。 ありがたい。
酒屋だった。 高祖酒造。 今は、別の場所で。
上ってみなくなる石段。 上に小さな神社。
エンドウが、育ち始めた。 今は、冬なのに。
上からの風景はよかった。 右向こうに、三重塔。
再び、しおまち唐琴通り。
かわいいサンタさんが、お出迎え。 そんな季節がまもなく。 今日の歌は、きまった。
最一稲荷。 たいしたものに見えないが、地域では、大事にしている神社。
明治7年に出来た。 上の山で、老いた狐が亡くなった。 その狐を神と考えた。
この井戸が、朝鮮通信使ゆかりの井戸。 この井戸だけ、どんな時にも涸れることはなかった。
水が動いていたら、こんこんと、と表現できる。
右の方に朝鮮、そして、承応三と読める。 1654のこと。 岡山藩が掘った。
井戸からこの道を戻って、しおまち唐琴通りへ。
大正4年、牛窓銀行として建てられた建物の内部。
上の窓の所に、細い通路がある。 窓の開け閉めのためにある。 キャットウォークと云うそう。
初めて見る。 ししこま。 女の子が生まれて、最初の8月1日につくる。
米の粉でつくった団子。 色を塗って。 近所の子供にあげる。 そこの家で女の子が生まれたら、戻してもらう。
男の子が生まれたら、喜ぶことが多かった。
でもこれは、女の子が生まれた時、みんなで喜びあう風習。 いいですね。
建物のガラスは、昔のガラス。 ゆがんで見えた。 涙で潤んで見えたよう。
※ 福岡にいる私の教え子が、友達とけんかしたら友達の顔が涙でゆれて見えた、って、詩に書いたことがある。
この子は、糸が切れて、凧は自由になった、とも書いた。 4年生の時。 根室時代。
こんな道をさらに。
最初のバスは、こうだった。
唐琴の瀬戸。 前島があるため、港は波が穏やかだった。
それで、港が発展した。 風待ち潮待ちの船がやってきた。
※ 「 風待ち 潮待ち あなた待って 」となれば、以前紹介した「安芸灘の風」の歌になります。
※ 上のような歌を作るには、この地域の自然・歴史・暮らしの魅力の全てを整理します。
その中から物語を生み出します。 そこまで行ったら、詩を作ることが可能になります。
メロディは、その後に。 安芸灘の風は、そうやって作られています。
燈籠(とうろう)堂。 石垣は昔のまま。
燈籠堂の下に。 ここしかないと云う場所に、人形と花。
サザンカ。
造船所の前で、お年寄りの方とお話し。
船の作り方を、しつこく聞いたら、入っておいでと事務所に。
昔は、松林があった。
昔は、木造のこんな船も作った。
大きな船だねと行ったら、それは模型だと言われた。
帆船時代が一番栄えた時かな、とか少し面倒な質問をすると、聞こえなかったふりをして、話は次に進んだ。
毎日何しているのと聞いたら、畑の草取るくらいのもんじゃ、と言った。
最後に見た、若葉屋。 船に使う木材で、財を成した。
海沿いの道を、もどった。
牛窓は、古い町並みがあって、歴史があって、住む人は穏やかに暮らす。
安芸灘の御手洗(みたらい)に、魅力が似ていた。
【関連ブログ】 牛窓町 前島を歩いてみました。 他 (2009/12/6)
【今日の歌】
Aly & AJ Silent Night 1分30秒からの間奏が、たまらない。 しびれる。
Silent Night -- Original Version
【その他】 浅田真央のお母さんが亡くなりました。
お母さんのことで、あるニュースを見つけたけど、再度見つけられない。
こんな内容。 いい表現であったんだが。 オリンピックの時の話し。
匡子さんはそのとき、バンクーバー市内のホテルでテレビの前にいた。
スイッチは入れられず、ひたすら勝利を祈っていた。
娘の快挙を聞くと「よくやったねと伝えたい」と号泣した。
浅田真央の銀を喜んだのは、お母さんだけかもしれない。
お母さんだけが、最悪と大きなけがを心配していた。
【停泊場所】 牛窓の港
【明日の予定】 犬島を検討中。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は9位、 旅行全体で23位です。
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造船業、また、潮待ち風待ちの港として、栄えた時代があった。
瀬戸内の日差しの中、しおまち唐琴通りを、のんびりと歩いてみた。
※ ※ ※ ※
牛窓に来たのは、2年ぶり。 その時は、目の前にある前島に渡った。 写真に見える右半分は、前島。

古い町並みに向かった。

フェリー乗り場。 右向こうに、小さくフェリーが見える。 港を出たら、すぐに前島の港。

案内所で地図をいただいて、コースを教えてもらった。
明治20年に、警察署として建てられた。 今は、海遊文化館。(朝鮮通信使の資料などがある)
屋根は瓦。 でも洋風。 だから、和洋折衷。

瀬戸内市の地図。 夢二の生家が見える。 牛窓は右下。

ここを歩く。 しおまち唐琴通り。
※ どうして唐琴と云うのかは、?。 下の右の地図に、唐琴の瀬戸と云うのもある。

左半分。 右半分。


本蓮寺。 お堂がたくさんあるので、少しずつ。 ほとんどが、国の重要文化財。
こんなみ見せていただいて、無料。
本蓮寺は、朝鮮通信使の接待所だった。 この後行く井戸と合わせて、国の指定史跡になっている。
左向こうに、美しい三重塔。

中門の上。 一つだけ勉強した。
○の中は、鰭付蕪懸魚(ひれつきかぶらげぎょ)。
両側が鰭(ひれ)。 蕪(かぶ)は、野菜のカブ。 懸は、懸(か)けるの意味。 こういう物を、懸魚と云うそう。

小さな三重塔。 これは、国の重要文化財ではないが、美しい。 江戸時代のもの。
※ 重要文化財になるならないは、何で決まるのか、いつか調べてみますね。 コネもあったりして。

三重塔の下。 古さが分かります。
釣鐘のような窓は、花頭窓(かとうまど)。 これも、勉強。 一つだけでも、覚えることに。

前島の右半分。 フェリーが見える。 一昨年の今頃、島を歩いて歩いて・・・歩いた。

こんな感じの通りも多い。 ※ 重伝建地区ではない。

お休み処。 ありがたい。

酒屋だった。 高祖酒造。 今は、別の場所で。

上ってみなくなる石段。 上に小さな神社。

エンドウが、育ち始めた。 今は、冬なのに。

上からの風景はよかった。 右向こうに、三重塔。

再び、しおまち唐琴通り。

かわいいサンタさんが、お出迎え。 そんな季節がまもなく。 今日の歌は、きまった。

最一稲荷。 たいしたものに見えないが、地域では、大事にしている神社。
明治7年に出来た。 上の山で、老いた狐が亡くなった。 その狐を神と考えた。

この井戸が、朝鮮通信使ゆかりの井戸。 この井戸だけ、どんな時にも涸れることはなかった。

水が動いていたら、こんこんと、と表現できる。

右の方に朝鮮、そして、承応三と読める。 1654のこと。 岡山藩が掘った。

井戸からこの道を戻って、しおまち唐琴通りへ。

大正4年、牛窓銀行として建てられた建物の内部。
上の窓の所に、細い通路がある。 窓の開け閉めのためにある。 キャットウォークと云うそう。

初めて見る。 ししこま。 女の子が生まれて、最初の8月1日につくる。
米の粉でつくった団子。 色を塗って。 近所の子供にあげる。 そこの家で女の子が生まれたら、戻してもらう。
男の子が生まれたら、喜ぶことが多かった。
でもこれは、女の子が生まれた時、みんなで喜びあう風習。 いいですね。

建物のガラスは、昔のガラス。 ゆがんで見えた。 涙で潤んで見えたよう。
※ 福岡にいる私の教え子が、友達とけんかしたら友達の顔が涙でゆれて見えた、って、詩に書いたことがある。
この子は、糸が切れて、凧は自由になった、とも書いた。 4年生の時。 根室時代。

こんな道をさらに。

最初のバスは、こうだった。

唐琴の瀬戸。 前島があるため、港は波が穏やかだった。
それで、港が発展した。 風待ち潮待ちの船がやってきた。
※ 「 風待ち 潮待ち あなた待って 」となれば、以前紹介した「安芸灘の風」の歌になります。
※ 上のような歌を作るには、この地域の自然・歴史・暮らしの魅力の全てを整理します。
その中から物語を生み出します。 そこまで行ったら、詩を作ることが可能になります。
メロディは、その後に。 安芸灘の風は、そうやって作られています。

燈籠(とうろう)堂。 石垣は昔のまま。

燈籠堂の下に。 ここしかないと云う場所に、人形と花。

サザンカ。

造船所の前で、お年寄りの方とお話し。
船の作り方を、しつこく聞いたら、入っておいでと事務所に。
昔は、松林があった。

昔は、木造のこんな船も作った。

大きな船だねと行ったら、それは模型だと言われた。

帆船時代が一番栄えた時かな、とか少し面倒な質問をすると、聞こえなかったふりをして、話は次に進んだ。
毎日何しているのと聞いたら、畑の草取るくらいのもんじゃ、と言った。
最後に見た、若葉屋。 船に使う木材で、財を成した。

海沿いの道を、もどった。

牛窓は、古い町並みがあって、歴史があって、住む人は穏やかに暮らす。
安芸灘の御手洗(みたらい)に、魅力が似ていた。
【関連ブログ】 牛窓町 前島を歩いてみました。 他 (2009/12/6)
【今日の歌】
Aly & AJ Silent Night 1分30秒からの間奏が、たまらない。 しびれる。
Silent Night -- Original Version
【その他】 浅田真央のお母さんが亡くなりました。
お母さんのことで、あるニュースを見つけたけど、再度見つけられない。
こんな内容。 いい表現であったんだが。 オリンピックの時の話し。
匡子さんはそのとき、バンクーバー市内のホテルでテレビの前にいた。
スイッチは入れられず、ひたすら勝利を祈っていた。
娘の快挙を聞くと「よくやったねと伝えたい」と号泣した。
浅田真央の銀を喜んだのは、お母さんだけかもしれない。
お母さんだけが、最悪と大きなけがを心配していた。
【停泊場所】 牛窓の港
【明日の予定】 犬島を検討中。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
牛窓
Re: 牛窓
美しい塔があって、それを美しく見せる。 2つがあるといい。
そういう面で、室生寺は優れています。
山口の瑠璃光寺のもいい。 周りと調和しています。 上の階の手すりを取った。これもよかった。
塔はどこから人に見られるのか、それを考えて塔を建てた寺もありますね。
遠くから見ても、塔は目立ちます。
そういう面で、室生寺は優れています。
山口の瑠璃光寺のもいい。 周りと調和しています。 上の階の手すりを取った。これもよかった。
塔はどこから人に見られるのか、それを考えて塔を建てた寺もありますね。
遠くから見ても、塔は目立ちます。
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塔や城は、その町のシンボルであり、市民の誇りでしょう。