下津井は、岡山県によって町並み保存地区に指定されている。
でも、町並みになるだけ、古い家は残っていなかった。
今は、残ったものを大事にしている。 そういう状態でした。
※ ※ ※ ※
鷲羽山の駐車場について景色を眺めていたら、年配の男の人が近づいてきた。
旅のことや車のことを話した。
「散歩で来たが、この後、下津井まで歩くので一緒に行かないかい」と誘ってくれた。
鷲羽山は後にして、歩くことに。 40分か50分はかかる。
坂を下りながら歩くと、瀬戸大橋が見えてきた。 その向こうに、下津井の港。
ちょうど列車が通った。 左に少し見える。 下を走っている。
瀬戸大橋。 倉敷と坂出の間。 橋は10こあって、その総称。
下津井の港。 昔、風待ち潮待ちの港として栄えた。 北前船もやってきた。
タコが干してあった。 下津井タコとして、知られているそう。 冬の風物詩。
おばあちゃんが、お堂の世話をしていた。
最後に、線香に火を付けた。 煙を自分の体にかけ、静かに手を合わせた。
お願いしてるのは、家族のことか、それともお孫さんのことか。 何かのお礼かもしれない。
写真に撮れる町並みはない。 このように、古い家が、点在している。
男の人は、ここに連れて来てくれた。 むかし下津井回船問屋。
ここの説明では、建物は復元とあったが、古い建物をどれだけ利用したかは分からない。
女の人が迎えてくれた。 この後、見学している時、質問してみた。
下津井の町は、ずっと以前に、古い町並みを残そうと云う機運が高まったことは無いんですか、と。
女の人は、分からないと言った。 その人の役割は、見学に来た人のお世話。
港に来る船が回船。 荷物の積み下ろしや保管の、その他なんでも世話をするのが、廻船問屋。
下の写真の北前船が入港すると、港は賑やかになる。
北海道から、ニシン、かずのこ、コンブなどを山ほど積んでやってくる。
展示の方法には驚かされる。 素人がやったのではない。 これを見るだけでも、勉強になるし楽しい。
小樽や松前から日本海の荒波を越え、関門海峡を通ってやってくる。 長い旅。 瀬戸内に入ったら、一安心。
母屋の裏は、中庭になっていた。 それを取り囲むように蔵とかがある。
建物の位置は、昔のまま。 寄せ集めたのではないと説明してくれた。
昔の人のセンスをすべて再現はできない。 今の時代の優れたデザインをプラスしていいと思う。
奥の建物は、蔵サロン。休憩や会食に使える。
蔵サロンの中。 壺が展示してあった。
昔は、下津井軽便鉄道というのが走っていた。 小さな機関車。
※ 石炭の質が悪いと、力が出ない。 登りの時、客は下りて押すこともあったそう。
真ん中に、むかし下津井回船問屋。 右端に、鷲羽山。
左に小さな湾がある。 ここが良港として使われたのか。
大正・昭和の展示の蔵も。
真ん中の焼き物に、小さな穴。 この穴から水。 硯(すずり)に入れる。
キセルが左に。 今は吸ってないが、美味しいと思って吸っていた。
ずっと歳をとったら、また吸うかな。 こんなので。
※ 下津井節というのがあるので紹介。
こんな建物も。 なまこ壁が見える。
ブーゲンビリア。 九州の南の指宿に、いっぱい咲いていた。 いい名前だ。
祇園神社の境内。 「薫風や 北前船の 来し港」の歌碑。
薫る風で、季節は初夏。 北海道でのニシン漁が始まって、北前船がやってくる。
下津井は活気に満ち溢れる。
境内には、こんなのも。 旅は、自由に近い意味か。 柔軟な心、そんなのかも。
これは、面白い。
昔ここに、橋があった。
橋のたもとで「まだかな」と男の人に声をかける、お婆がいた。 どんな意味だと思います?
近くに、遊郭があった。
まだ遊郭には行ってないのかな、いい女の子がいるよ、と云う意味。
※ こういうのは、表向き、露骨な表現は使わない。
昔、根室に遊郭があった時、男は「ちょっと山に行って来る」と言って出かけた。
遊郭が少し高い所にあったので、こう表現した。
この遊郭から海に下りた所に、涙香岬(るいかみさき)がある。 小さな岬。
その岬から、流氷の冷たい海に、仕事の辛さから、多くの女性が身を投げた。
ルイカ岬は、涙香岬と呼ばれるようになった。
むかし賑わった商店街。 今はさびしい。
丘の中腹にある道を戻った。 下の家並みが、家の隙間から見えた。 迷路のように小路がある。
瀬戸大橋は、出来て23年経った。 巨大な建造物。
※ 下のプロジェクトXは、以前見たことがあります。
こんな道を戻る。
潮は動いているのか。 海はおだやか。
案内してくれた人と別れて、鷲羽山山頂へ。
山頂。 15分程で着いた。
霞んでいるけど、はるか遠くまで。
対岸の四国。 一昨年、見える所を歩いた。 山は、讃岐富士。
児島の市街。 案内してくれた人は、ここに住んでいる。
この道を上がって来た。
夕日も橋をつくった。
太陽は大きくなって、急ぎ足で沈んで行った。
下津井には優れたデザイナーがいるので、観光としての町の再生は可能なように思います。
見所をつなぐどこかの道を、昔のイメージで再現したらいい。
まだかな橋が駐車場に近いので、そこから、むかし下津井回船問屋までがいいでしょうか。
※ 参考に出来るところは、全国にあります。
書き忘れました。 昔の相撲取り、鷲羽山(わしゅうやま)は、山の下の児島出身です。
小さな体で、大きな小錦に勝ったことがあります。 この動画に。(YouTube)
【今日の歌】 日本の題名は、雨に消えたあなた。 美しい昔ともいう。
カーン・リーと云う人が歌っているが、若い時に歌っていた、録音のいいのはない。
この動画が、いいでしょうか。 もう少し優しい声だと、もっといい。 でも、心にしみる間奏。
この子の顔の表情の変化は、何がそうさせるのでしょう。 物語の世界に入っているのか。
このアレンジは、NHKの番組に使われた。 その動画は、今は無い。
震災の少し前に聴いていた。
3月11日に震災があった。 被災地の人々の悲しみと、曲のイメージが重なった。
※ 東北にボランティアに行くが、心の底に、いつもこの曲が流れていた。
札幌のTさんに編曲をお願いして、その曲に、写真を載せたもの。
写真は、私が撮影したのと、アメリカメディアのとが混ざっている。
※ 私の写真は、ボランティアの後の夕方に撮影したのと、休みを取った時に撮影。
ボランティアは、3月の20日頃から、釜石、大船渡、陸前高田、南三陸、亘理、相馬、南相馬で、1週間ずつ。
多くの人に支えてもらった。
【停泊所】 鷲羽山の駐車場
【明日の予定】 笠岡市のどこか
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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でも、町並みになるだけ、古い家は残っていなかった。
今は、残ったものを大事にしている。 そういう状態でした。
※ ※ ※ ※
鷲羽山の駐車場について景色を眺めていたら、年配の男の人が近づいてきた。
旅のことや車のことを話した。
「散歩で来たが、この後、下津井まで歩くので一緒に行かないかい」と誘ってくれた。
鷲羽山は後にして、歩くことに。 40分か50分はかかる。
坂を下りながら歩くと、瀬戸大橋が見えてきた。 その向こうに、下津井の港。
ちょうど列車が通った。 左に少し見える。 下を走っている。

瀬戸大橋。 倉敷と坂出の間。 橋は10こあって、その総称。

下津井の港。 昔、風待ち潮待ちの港として栄えた。 北前船もやってきた。

タコが干してあった。 下津井タコとして、知られているそう。 冬の風物詩。

おばあちゃんが、お堂の世話をしていた。
最後に、線香に火を付けた。 煙を自分の体にかけ、静かに手を合わせた。
お願いしてるのは、家族のことか、それともお孫さんのことか。 何かのお礼かもしれない。


写真に撮れる町並みはない。 このように、古い家が、点在している。

男の人は、ここに連れて来てくれた。 むかし下津井回船問屋。

ここの説明では、建物は復元とあったが、古い建物をどれだけ利用したかは分からない。
女の人が迎えてくれた。 この後、見学している時、質問してみた。
下津井の町は、ずっと以前に、古い町並みを残そうと云う機運が高まったことは無いんですか、と。
女の人は、分からないと言った。 その人の役割は、見学に来た人のお世話。

港に来る船が回船。 荷物の積み下ろしや保管の、その他なんでも世話をするのが、廻船問屋。
下の写真の北前船が入港すると、港は賑やかになる。
北海道から、ニシン、かずのこ、コンブなどを山ほど積んでやってくる。

展示の方法には驚かされる。 素人がやったのではない。 これを見るだけでも、勉強になるし楽しい。

小樽や松前から日本海の荒波を越え、関門海峡を通ってやってくる。 長い旅。 瀬戸内に入ったら、一安心。

母屋の裏は、中庭になっていた。 それを取り囲むように蔵とかがある。

建物の位置は、昔のまま。 寄せ集めたのではないと説明してくれた。

昔の人のセンスをすべて再現はできない。 今の時代の優れたデザインをプラスしていいと思う。
奥の建物は、蔵サロン。休憩や会食に使える。

蔵サロンの中。 壺が展示してあった。

昔は、下津井軽便鉄道というのが走っていた。 小さな機関車。
※ 石炭の質が悪いと、力が出ない。 登りの時、客は下りて押すこともあったそう。

真ん中に、むかし下津井回船問屋。 右端に、鷲羽山。
左に小さな湾がある。 ここが良港として使われたのか。

大正・昭和の展示の蔵も。

真ん中の焼き物に、小さな穴。 この穴から水。 硯(すずり)に入れる。
キセルが左に。 今は吸ってないが、美味しいと思って吸っていた。
ずっと歳をとったら、また吸うかな。 こんなので。

※ 下津井節というのがあるので紹介。
こんな建物も。 なまこ壁が見える。

ブーゲンビリア。 九州の南の指宿に、いっぱい咲いていた。 いい名前だ。

祇園神社の境内。 「薫風や 北前船の 来し港」の歌碑。
薫る風で、季節は初夏。 北海道でのニシン漁が始まって、北前船がやってくる。
下津井は活気に満ち溢れる。

境内には、こんなのも。 旅は、自由に近い意味か。 柔軟な心、そんなのかも。

これは、面白い。
昔ここに、橋があった。
橋のたもとで「まだかな」と男の人に声をかける、お婆がいた。 どんな意味だと思います?
近くに、遊郭があった。
まだ遊郭には行ってないのかな、いい女の子がいるよ、と云う意味。
※ こういうのは、表向き、露骨な表現は使わない。
昔、根室に遊郭があった時、男は「ちょっと山に行って来る」と言って出かけた。
遊郭が少し高い所にあったので、こう表現した。
この遊郭から海に下りた所に、涙香岬(るいかみさき)がある。 小さな岬。
その岬から、流氷の冷たい海に、仕事の辛さから、多くの女性が身を投げた。
ルイカ岬は、涙香岬と呼ばれるようになった。

むかし賑わった商店街。 今はさびしい。

丘の中腹にある道を戻った。 下の家並みが、家の隙間から見えた。 迷路のように小路がある。

瀬戸大橋は、出来て23年経った。 巨大な建造物。

※ 下のプロジェクトXは、以前見たことがあります。
こんな道を戻る。

潮は動いているのか。 海はおだやか。

案内してくれた人と別れて、鷲羽山山頂へ。

山頂。 15分程で着いた。

霞んでいるけど、はるか遠くまで。

対岸の四国。 一昨年、見える所を歩いた。 山は、讃岐富士。

児島の市街。 案内してくれた人は、ここに住んでいる。

この道を上がって来た。

夕日も橋をつくった。

太陽は大きくなって、急ぎ足で沈んで行った。

下津井には優れたデザイナーがいるので、観光としての町の再生は可能なように思います。
見所をつなぐどこかの道を、昔のイメージで再現したらいい。
まだかな橋が駐車場に近いので、そこから、むかし下津井回船問屋までがいいでしょうか。
※ 参考に出来るところは、全国にあります。
書き忘れました。 昔の相撲取り、鷲羽山(わしゅうやま)は、山の下の児島出身です。
小さな体で、大きな小錦に勝ったことがあります。 この動画に。(YouTube)
【今日の歌】 日本の題名は、雨に消えたあなた。 美しい昔ともいう。
カーン・リーと云う人が歌っているが、若い時に歌っていた、録音のいいのはない。
この動画が、いいでしょうか。 もう少し優しい声だと、もっといい。 でも、心にしみる間奏。
この子の顔の表情の変化は、何がそうさせるのでしょう。 物語の世界に入っているのか。
このアレンジは、NHKの番組に使われた。 その動画は、今は無い。
震災の少し前に聴いていた。
3月11日に震災があった。 被災地の人々の悲しみと、曲のイメージが重なった。
※ 東北にボランティアに行くが、心の底に、いつもこの曲が流れていた。
札幌のTさんに編曲をお願いして、その曲に、写真を載せたもの。
写真は、私が撮影したのと、アメリカメディアのとが混ざっている。
※ 私の写真は、ボランティアの後の夕方に撮影したのと、休みを取った時に撮影。
ボランティアは、3月の20日頃から、釜石、大船渡、陸前高田、南三陸、亘理、相馬、南相馬で、1週間ずつ。
多くの人に支えてもらった。
【停泊所】 鷲羽山の駐車場
【明日の予定】 笠岡市のどこか
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
こんにちは
Re: こんにちは
こんばんは。
福山の鞆の浦、行ってみますね。 明後日辺りに。 遠くなく道の駅がありますし。
気にはなっていました。
福山の鞆の浦、行ってみますね。 明後日辺りに。 遠くなく道の駅がありますし。
気にはなっていました。
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ところでakkamui21さんは福山の鞆の浦には行きましたか?