船から島に降りたら、上着はいらなかった。
風光明媚なだけでなく、長い歴史を持った島でもあった。
魅力の多さから、島全体が、名勝に指定されている。
また、白石踊があるが、それは13種の踊りを同時に踊る、珍しいもの。
※ ※ ※ ※
白石島(しらいしじま)は、笠岡諸島の中にある。
船は、伏越港(ふしごえこう)から出る。 11時出航。 45分かかる。
船に乗る前から、時刻のこと、料金のことなどを、この人達に聞いていた。
上の写真には、3人いて、夫婦と白髪の女の人。
私は、瀬戸の花嫁はいるの、と聞いた。 つまり、船に乗って白石島に嫁いだ人。
この人がそう、って夫婦で乗ってる奥さま(この後、Aさん)が、白髪の人を指差した。
笠岡市の市街地から嫁いでいた。
深い入り江から出た。 水島灘。 釣り船があった。
航路を横切るので、船はスピードを調節していた。
どっちを見ても島だった。 Aさんは、こう言った。
島が浮いているのか、海が浮いているのか。
白石島が見えてきた。 手前に小さな山。
後ろの山の稜線を、右から左に、ずっと歩くことになる。 この時は、まだ分からない。
着いた。 朝早くの船に乗って、戻った人が多い。
島に渡ったとたん、暑さを感じた。 フェリーの事務所のような所で、地図をいただいた。
手前が、Aさんの旦那さん。 荷物いっぱい。 少し前をAさん(奥さま)。
この後、一緒に歩く。
島には若い人はいない。 漁師さんくらい。 定年で、戻ってくる。
60~70歳は、鼻たれ小僧。 若衆と呼ばれる。 奥さまが教えてくれた。
途中で、旦那さんの台車の車が、1つ取れた。 バックを2つ、私が持った。
帰りに時間があったら、寄ってお茶を飲んだらいいよって、声をかけてくれた。
ミカンを7~8個いただいて、別れた。
お寺への道を歩いている。 四国を歩く人は、みんな左の文。
四国を模した88の地蔵さんが、山の中にある。
開龍寺。
源平の水島合戦が1184年にあった。 両軍の多くの死者が流れついた。 島に逃げた平氏は、火攻めで全滅した。
戦没者の菩提を弔うために建てられた。
地図があった。 左回りで動く。 開隆寺の横から登り始めた。
下が見えた。 遠くに、幼稚園と小中学校。 全部で、28名。
更に登った。 白石島港が見える。 暑いので、上着は脱いでいる。
小さなツツジの木。 陽を浴びてまぶしそう。
こんな所を歩いてきた。
広島県側は、急な崖。
見えてるのは、福山市か。 もっと向こうは、尾道(おのみち)。
島の中央に近づいている。
中央向こうが、島の最高峰、立石山。 168㍍。 左向こうに薄く見える山は、北木島の山。
このように標識があるので、迷わない。
向こうから来た。 瀬戸内の島は、どこも岩の島。
ツツジが、ぱらぱらっと。 花はいい。
向こうから来ている。 島の岩は、ざらざらしていて、決して滑らない。 風化している。
右に港。 その手前が鎧岩と思われる。 行き忘れた。 天然記念物なのに。
暑いので、時々、いただいたミカンを食べた。 水の代わり。 皮はそこらにポイッ。 自然に戻る。
下に、石切り場が見える。
小さな花。 花はいっぱいないので、高山植物を探してる感じ。
向こうは、北木島。 笠岡諸島で一番大きい。
上の写真の左。 ここを下って行く。
鳥の口に出て、港に向かっている。
門の上。 これは何だ?
菊は、まだまだ大丈夫。
冬でも野菜は育つ。 向こうに、仕事をしている人。
真っ直ぐ戻らないで、家並みの中の小路を歩いた。 この人達に出会った。 20分程立ち話。
島には高校は無い。 本土の高校に行く。 親も一緒に行ってしまう。 戻って来ない。
中国から5人、お嫁に来ている。 漁師さんに嫁いでいる。 一生懸命働く。
中国にいる親に、仕送りをしている。 1年に1回は戻る。 子供のほとんどは、この家庭の子供。
手前の人の納屋の前に、差し入れが置いてあった。 誰が置いたか分からない。
空気はきれいだし、のんびり暮らせていいね、って、私は言った。
手前の人が、さみしい、って言った。 一人はとにかくダメ。 誰かと話さないと、って。
一人暮らしの人が多い。 とくに女の人。
周りをぐるっと見回して、子供がいるのは、あの家だけと言った。
震災の後、東京方面から越して来ていた。
上の写真に、変わった屋根の家が見える。 昔、中でタバコの葉をを乾燥させていた。
元気で暮らしてねとお礼を言って、別れた。
少し歩いたら、子供さんとお母さんに出会った。
今日初めて、子供に出会ったんですよ、とお母さんに話した。
2時頃学校が終わって、一緒に戻る途中。
さっきの人が教えてくれたお子さん。
後ろ姿の方が、いろいろと想像させくれる。 何を話してるかだって・・。
こんな道を通って。
白石踊の石碑。
踊りがみんな同じでない。 これが特徴。
開龍寺と同じで、この踊りも、源平合戦の死者の霊を弔っていた。
古いニュースなので、人でいっぱい。 昔は、子供だっていっぱいいた。
船が港に着いた。 私は、これに乗って戻る。 みんな島に帰って来た。
登った山々が見える。 もう一度来る時があるでしょうか。 4時出航。
夕焼けの中、伏越港に戻った。
漁業の他、島には産業がない。 それがつらい所。 若い人が暮らせない。
年間を通した観光と言っても、それもむずかしい。
温暖な気候での、何かの栽培でしょうか。 土地は余っている。
他の地域に負けない、アイディアが必要になる。
空き家がいっぱいあって、家賃は安いよって、お喋りした時、教えてくれた。
【今日の歌】 瀬戸の花嫁。
1972年の歌。 せとワンタン、ひぐれてんどん、って子供たちは歌っていた。
作詞は山上路夫。 具体的なモデルの島は無いと言う。 本人は、瀬戸内の島に行ったことは無かった。
ただ、尾道から四国に船で向かう時、段々畑と、美しい夕焼けの島々を見たことがあった。
小柳ルミ子の最近の歌は聞かない。 でも、生きたいように生きている。 それは好きだな。
※ 本能寺で信長と一緒に討ち死にした森蘭丸の弟に、森坊丸がいる。
坊丸も討ち死にしたことになっているが、生存説があって、その家系の直系の苗字は小柳。
彼女の本名は、小柳 留美子。 上に書いた小柳です。 坊丸も気が強かったかも知れない。
※ 彼女の家系は、15代目で直系と分かれた。 両親は元々秋田の人で、彼女は福岡で生まれている。
この曲、いいですよ。
【道の駅】 笠岡ベイファーム
【明日の予定】 鞆の浦(とものうら)
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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風光明媚なだけでなく、長い歴史を持った島でもあった。
魅力の多さから、島全体が、名勝に指定されている。
また、白石踊があるが、それは13種の踊りを同時に踊る、珍しいもの。
※ ※ ※ ※
白石島(しらいしじま)は、笠岡諸島の中にある。
船は、伏越港(ふしごえこう)から出る。 11時出航。 45分かかる。

船に乗る前から、時刻のこと、料金のことなどを、この人達に聞いていた。

上の写真には、3人いて、夫婦と白髪の女の人。
私は、瀬戸の花嫁はいるの、と聞いた。 つまり、船に乗って白石島に嫁いだ人。
この人がそう、って夫婦で乗ってる奥さま(この後、Aさん)が、白髪の人を指差した。
笠岡市の市街地から嫁いでいた。
深い入り江から出た。 水島灘。 釣り船があった。
航路を横切るので、船はスピードを調節していた。

どっちを見ても島だった。 Aさんは、こう言った。
島が浮いているのか、海が浮いているのか。
白石島が見えてきた。 手前に小さな山。
後ろの山の稜線を、右から左に、ずっと歩くことになる。 この時は、まだ分からない。

着いた。 朝早くの船に乗って、戻った人が多い。

島に渡ったとたん、暑さを感じた。 フェリーの事務所のような所で、地図をいただいた。
手前が、Aさんの旦那さん。 荷物いっぱい。 少し前をAさん(奥さま)。
この後、一緒に歩く。

島には若い人はいない。 漁師さんくらい。 定年で、戻ってくる。
60~70歳は、鼻たれ小僧。 若衆と呼ばれる。 奥さまが教えてくれた。
途中で、旦那さんの台車の車が、1つ取れた。 バックを2つ、私が持った。
帰りに時間があったら、寄ってお茶を飲んだらいいよって、声をかけてくれた。
ミカンを7~8個いただいて、別れた。

お寺への道を歩いている。 四国を歩く人は、みんな左の文。
四国を模した88の地蔵さんが、山の中にある。

開龍寺。
源平の水島合戦が1184年にあった。 両軍の多くの死者が流れついた。 島に逃げた平氏は、火攻めで全滅した。
戦没者の菩提を弔うために建てられた。

地図があった。 左回りで動く。 開隆寺の横から登り始めた。

下が見えた。 遠くに、幼稚園と小中学校。 全部で、28名。

更に登った。 白石島港が見える。 暑いので、上着は脱いでいる。

小さなツツジの木。 陽を浴びてまぶしそう。

こんな所を歩いてきた。

広島県側は、急な崖。

見えてるのは、福山市か。 もっと向こうは、尾道(おのみち)。

島の中央に近づいている。

中央向こうが、島の最高峰、立石山。 168㍍。 左向こうに薄く見える山は、北木島の山。

このように標識があるので、迷わない。

向こうから来た。 瀬戸内の島は、どこも岩の島。

ツツジが、ぱらぱらっと。 花はいい。

向こうから来ている。 島の岩は、ざらざらしていて、決して滑らない。 風化している。

右に港。 その手前が鎧岩と思われる。 行き忘れた。 天然記念物なのに。
暑いので、時々、いただいたミカンを食べた。 水の代わり。 皮はそこらにポイッ。 自然に戻る。

下に、石切り場が見える。

小さな花。 花はいっぱいないので、高山植物を探してる感じ。

向こうは、北木島。 笠岡諸島で一番大きい。

上の写真の左。 ここを下って行く。

鳥の口に出て、港に向かっている。

門の上。 これは何だ?

菊は、まだまだ大丈夫。

冬でも野菜は育つ。 向こうに、仕事をしている人。

真っ直ぐ戻らないで、家並みの中の小路を歩いた。 この人達に出会った。 20分程立ち話。

島には高校は無い。 本土の高校に行く。 親も一緒に行ってしまう。 戻って来ない。
中国から5人、お嫁に来ている。 漁師さんに嫁いでいる。 一生懸命働く。
中国にいる親に、仕送りをしている。 1年に1回は戻る。 子供のほとんどは、この家庭の子供。
手前の人の納屋の前に、差し入れが置いてあった。 誰が置いたか分からない。
空気はきれいだし、のんびり暮らせていいね、って、私は言った。
手前の人が、さみしい、って言った。 一人はとにかくダメ。 誰かと話さないと、って。
一人暮らしの人が多い。 とくに女の人。
周りをぐるっと見回して、子供がいるのは、あの家だけと言った。
震災の後、東京方面から越して来ていた。
上の写真に、変わった屋根の家が見える。 昔、中でタバコの葉をを乾燥させていた。
元気で暮らしてねとお礼を言って、別れた。
少し歩いたら、子供さんとお母さんに出会った。
今日初めて、子供に出会ったんですよ、とお母さんに話した。
2時頃学校が終わって、一緒に戻る途中。
さっきの人が教えてくれたお子さん。
後ろ姿の方が、いろいろと想像させくれる。 何を話してるかだって・・。

こんな道を通って。

白石踊の石碑。

踊りがみんな同じでない。 これが特徴。

開龍寺と同じで、この踊りも、源平合戦の死者の霊を弔っていた。

古いニュースなので、人でいっぱい。 昔は、子供だっていっぱいいた。
船が港に着いた。 私は、これに乗って戻る。 みんな島に帰って来た。

登った山々が見える。 もう一度来る時があるでしょうか。 4時出航。

夕焼けの中、伏越港に戻った。

漁業の他、島には産業がない。 それがつらい所。 若い人が暮らせない。
年間を通した観光と言っても、それもむずかしい。
温暖な気候での、何かの栽培でしょうか。 土地は余っている。
他の地域に負けない、アイディアが必要になる。
空き家がいっぱいあって、家賃は安いよって、お喋りした時、教えてくれた。
【今日の歌】 瀬戸の花嫁。
1972年の歌。 せとワンタン、ひぐれてんどん、って子供たちは歌っていた。
作詞は山上路夫。 具体的なモデルの島は無いと言う。 本人は、瀬戸内の島に行ったことは無かった。
ただ、尾道から四国に船で向かう時、段々畑と、美しい夕焼けの島々を見たことがあった。
小柳ルミ子の最近の歌は聞かない。 でも、生きたいように生きている。 それは好きだな。
※ 本能寺で信長と一緒に討ち死にした森蘭丸の弟に、森坊丸がいる。
坊丸も討ち死にしたことになっているが、生存説があって、その家系の直系の苗字は小柳。
彼女の本名は、小柳 留美子。 上に書いた小柳です。 坊丸も気が強かったかも知れない。
※ 彼女の家系は、15代目で直系と分かれた。 両親は元々秋田の人で、彼女は福岡で生まれている。
この曲、いいですよ。
【道の駅】 笠岡ベイファーム
【明日の予定】 鞆の浦(とものうら)
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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