残りの命は、7ヶ月を切った。
1867年4月の末、龍馬は鞆の浦に来て、大きな仕事をしていた。
※ ※ ※ ※
鞆の浦は、瀬戸内海の真ん中辺りだと言う。
潮が引く時、ここから左右に分かれる。 そんな場所があるとは、考えたことがなかった。
MH7007さんから、道と駐車場について、コメントを頂いていた。
観光案内所に電話すると、駐車場はあるけど、キャンピングカーは1時間1000円だと言う。
鞆の浦に向かっている時、あと5㌔になったら、駐車できそうな場所を探しながら走った。
最後に停めるところが無かったら、見つけた所に戻る。
あと2㌔と云う時、駐車禁止でない広い道が港にあったので、そこに停めた。
30分も歩けば、着く。 運動にもなる。
大きな鉄工場が並ぶ道を、歩いた。
観光駐車場の近くに、歌碑があった。 八代亜紀の「舟唄」。
近くの人に聞いたら、こうだった。
以前、作詞者の浜圭介が、鞆の浦に来た。 講演か何かで。
その記念に、ある組織がつくった。 以前はもっと街の中にあった。
そこの場所にはいらなくなって、ここに来た。 やっかい物扱いされた。
舟唄と鞆の浦は関係ないのに作るから、そうなった。
舟唄の舞台は分からないので、ここ以外、どこにも歌碑は無い。
でも、いい歌だ。
旧道を歩いたら、タコが干してあった。 小さなタチウオも。
昔は、この道を、ボンネットバスが走ってたんだよと、写真のおばあちゃんが教えてくれた。
この道は、海岸沿いの道だった。 埋め立てしたので、海が少し離れた。
古戦場の跡のことと、江戸時代から鉄工業が盛んだったことが書いてある。
龍馬が鞆の浦に来たのは、1967年の4月23日。 4日間いた。
宿泊したのが、この家。
龍馬は、この年の11月15日に、京都の祇園に近い、河原町通の近江屋で襲われた。
中岡慎太郎も一緒だった。
龍馬は絶命するが、中岡慎太郎は少しの間生きていたため、その時の状況が詳しく分かっている。
この運命を、龍馬はもちろん知らないが、あと7ヶ月を切っている。
龍馬は、いろは丸という船で、大阪に向かっていた。
鞆の浦の10㌔沖で、紀州藩の船とぶつかって、沈没。
その賠償交渉を、鞆の浦でやった。 決着つかないで、長崎でも。
交渉は龍馬ペースで進む。 龍馬の頭の良さが発揮される。
隠れ部屋があったとある。
古い建物。 日本外史を書いた頼山陽と関わりがある建物。
鯛焼きが売っていたので、2つ買って、食べながら歩いた。
対潮楼という建物。 龍馬の交渉は、ここでやった。
こんな像があった。 頭が大きく、よくない。
右は、龍馬から、お龍への手紙。 船の中にあった。
いろは丸という観光船に乗って、仙酔島に渡った。 5分程で着いた。
仙人が島の美しさに酔ったので、この名前。
遊歩道が続いていた。 地層を見ることが出来るが、他は特にない。
展望台から。 小さな島は、弁天島。 写真の中央付近が、向こうの船着き場。 船が見える。
また、復元したいろは丸で戻る。
戻って、鞆港に。
龍馬は、この建物でも交渉している。
地図に出会った。
鞆の浦は、重伝建地区には指定されていない。
観光で生きているお店は、昔の雰囲気。 その他は、普通。
保命酒(ほうめいしゅ)の店が目立つ。 養命酒に似ているそう。
鞆城跡に向かった。 今は石垣だけ。
石に刻印がある。 切り出した人の印なのか、運んだ人の印なのか、はっきりしない。
ここの横に、民俗資料館の建物がある。
像は、宮城道雄の像。 春の海と云う曲の作曲者。 父親がここの出身。 曲のイメージは、鞆の浦。
地図があった。
四国の石鎚山が、霞んでいなければ見える。 明日行く予定の走島は、左に。
後で、小高い所に見える円福寺に行く。
小さな湾になっている。 そうでないと、風待ち・潮待ちはできない。
小さな神社にあった、力石。 重さは140~200㌔。 港で荷揚げする人が、力自慢をしたと言う。
そんな重さの石を、本当に持てるのだろうか。
円福寺。 大可島城跡。 ずっと昔は島だった。
南北朝の戦いの時、南朝方が大可島城に立てこもって戦ったが、全滅したと、説明にあった。
さっき行ってた島。 手前は弁天島。 向こうが、仙酔島。
鞆港。 左に船が見える。 この船が走島に行くと、後で知る。 それで、走島の検討に入った。
港の奥。 江戸時代から残る、石段。 雁木(がんぎ)と呼んでいる。
このような通り。 この時はまだ、走島のことを調べていないので、行くと決まっていなかった。
決まっていたら、移動しないので、お酒を飲んだ。
感じのいい通り。
保命酒って書いてありますね。 どんな味なんだろう。
港にある、常夜灯。 日本一高いと、説明にあった。
港の説明。 潮待ちするのは、行きたい方に潮が流れるのを待つことですね。
このことを深く考えたことは、なかった。
再び、保命酒のお店。
海から離れている。 こんな標示。 右ハぎをんみち、とある。 ハが、なかなか読めなかった。
右に行ったら、祇園宮があった。
上の写真の標識は、左端に。 昔のポンプ。 呼び水を入れて、取っ手を動かしたら水が出た。
その時、自分で写真は撮れなかった。 誰か通れば、やってもらって動画が撮れた。
小学校低学年の時、我が家の水は、このポンプで。
風呂桶にいっぱい汲むのは、たいへんな仕事だった。
左に、山中鹿之介の首塚。
この人は尼子氏の家臣だった。 尼子氏が滅びた後、再興を願って戦いを起こした。 負けた。
こういう家臣が出るので、負けた方を皆殺しにする。 負けた平家を追うように。
右に、小さな橋。 ささやき橋。
はるか昔の応神天皇の頃、この橋で、恋人同士が夜語り合った。
役目を忘れたと言われ、海に沈められた。 そんな伝説がある。 人の恋に、為政者は優しくない。
沼名前(ぬまくま)神社。 祇園宮を一緒に祀っている。
能舞台があった。 元々は、秀吉の伏見城にあったもの。 それで、重要文化財。
福山藩主が、2代将軍秀忠から譲り受けたと、説明にあった。
鞆の浦は、もう少し西にある、御手洗(みたらい)とは違った。
御手洗に流れている空気は、今のではなく、歴史を感じる昔の空気だった。
鞆の浦は、小さな観光地。 けっこう賑やかで、活気があった。
龍馬が関わっているため、面白さが増していた。
【今日の歌】
舟唄です。 この歌を聴くと、しみじみとお酒が飲みたくなる。 あぶったイカで。
八代亜紀は、この歌も歌っている。 愛の終着駅。 いい曲だ。
同じ曲を、本田美奈子も歌ってみた。 これが、何とも言えないくらい、いい。
寒い夜汽車に乗ったら、この人、似合う。 細い肩で切なく歌う。
キュン、とくる。 今はいない。
※ この動画は、人気があり、YouTubeにアップしても、著作権の関係で、いつか消される。
何度消されても、誰かが必ずアップする。
トータルのアクセス数は、100万をとうに越えた。
【停泊場所】 町並みから、2㌔離れた所の港。
【明日の予定】 走島へ。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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1867年4月の末、龍馬は鞆の浦に来て、大きな仕事をしていた。
※ ※ ※ ※
鞆の浦は、瀬戸内海の真ん中辺りだと言う。
潮が引く時、ここから左右に分かれる。 そんな場所があるとは、考えたことがなかった。
MH7007さんから、道と駐車場について、コメントを頂いていた。
観光案内所に電話すると、駐車場はあるけど、キャンピングカーは1時間1000円だと言う。
鞆の浦に向かっている時、あと5㌔になったら、駐車できそうな場所を探しながら走った。
最後に停めるところが無かったら、見つけた所に戻る。
あと2㌔と云う時、駐車禁止でない広い道が港にあったので、そこに停めた。
30分も歩けば、着く。 運動にもなる。
大きな鉄工場が並ぶ道を、歩いた。

観光駐車場の近くに、歌碑があった。 八代亜紀の「舟唄」。
近くの人に聞いたら、こうだった。
以前、作詞者の浜圭介が、鞆の浦に来た。 講演か何かで。
その記念に、ある組織がつくった。 以前はもっと街の中にあった。
そこの場所にはいらなくなって、ここに来た。 やっかい物扱いされた。
舟唄と鞆の浦は関係ないのに作るから、そうなった。
舟唄の舞台は分からないので、ここ以外、どこにも歌碑は無い。
でも、いい歌だ。

旧道を歩いたら、タコが干してあった。 小さなタチウオも。
昔は、この道を、ボンネットバスが走ってたんだよと、写真のおばあちゃんが教えてくれた。
この道は、海岸沿いの道だった。 埋め立てしたので、海が少し離れた。


古戦場の跡のことと、江戸時代から鉄工業が盛んだったことが書いてある。

龍馬が鞆の浦に来たのは、1967年の4月23日。 4日間いた。
宿泊したのが、この家。
龍馬は、この年の11月15日に、京都の祇園に近い、河原町通の近江屋で襲われた。
中岡慎太郎も一緒だった。
龍馬は絶命するが、中岡慎太郎は少しの間生きていたため、その時の状況が詳しく分かっている。
この運命を、龍馬はもちろん知らないが、あと7ヶ月を切っている。

龍馬は、いろは丸という船で、大阪に向かっていた。
鞆の浦の10㌔沖で、紀州藩の船とぶつかって、沈没。
その賠償交渉を、鞆の浦でやった。 決着つかないで、長崎でも。
交渉は龍馬ペースで進む。 龍馬の頭の良さが発揮される。
隠れ部屋があったとある。

古い建物。 日本外史を書いた頼山陽と関わりがある建物。
鯛焼きが売っていたので、2つ買って、食べながら歩いた。

対潮楼という建物。 龍馬の交渉は、ここでやった。

こんな像があった。 頭が大きく、よくない。
右は、龍馬から、お龍への手紙。 船の中にあった。


いろは丸という観光船に乗って、仙酔島に渡った。 5分程で着いた。
仙人が島の美しさに酔ったので、この名前。

遊歩道が続いていた。 地層を見ることが出来るが、他は特にない。

展望台から。 小さな島は、弁天島。 写真の中央付近が、向こうの船着き場。 船が見える。

また、復元したいろは丸で戻る。

戻って、鞆港に。

龍馬は、この建物でも交渉している。

地図に出会った。

鞆の浦は、重伝建地区には指定されていない。
観光で生きているお店は、昔の雰囲気。 その他は、普通。


保命酒(ほうめいしゅ)の店が目立つ。 養命酒に似ているそう。

鞆城跡に向かった。 今は石垣だけ。

石に刻印がある。 切り出した人の印なのか、運んだ人の印なのか、はっきりしない。

ここの横に、民俗資料館の建物がある。
像は、宮城道雄の像。 春の海と云う曲の作曲者。 父親がここの出身。 曲のイメージは、鞆の浦。

地図があった。

四国の石鎚山が、霞んでいなければ見える。 明日行く予定の走島は、左に。


後で、小高い所に見える円福寺に行く。

小さな湾になっている。 そうでないと、風待ち・潮待ちはできない。

小さな神社にあった、力石。 重さは140~200㌔。 港で荷揚げする人が、力自慢をしたと言う。
そんな重さの石を、本当に持てるのだろうか。

円福寺。 大可島城跡。 ずっと昔は島だった。
南北朝の戦いの時、南朝方が大可島城に立てこもって戦ったが、全滅したと、説明にあった。

さっき行ってた島。 手前は弁天島。 向こうが、仙酔島。

鞆港。 左に船が見える。 この船が走島に行くと、後で知る。 それで、走島の検討に入った。

港の奥。 江戸時代から残る、石段。 雁木(がんぎ)と呼んでいる。

このような通り。 この時はまだ、走島のことを調べていないので、行くと決まっていなかった。
決まっていたら、移動しないので、お酒を飲んだ。
感じのいい通り。

保命酒って書いてありますね。 どんな味なんだろう。

港にある、常夜灯。 日本一高いと、説明にあった。

港の説明。 潮待ちするのは、行きたい方に潮が流れるのを待つことですね。
このことを深く考えたことは、なかった。

再び、保命酒のお店。

海から離れている。 こんな標示。 右ハぎをんみち、とある。 ハが、なかなか読めなかった。
右に行ったら、祇園宮があった。

上の写真の標識は、左端に。 昔のポンプ。 呼び水を入れて、取っ手を動かしたら水が出た。
その時、自分で写真は撮れなかった。 誰か通れば、やってもらって動画が撮れた。
小学校低学年の時、我が家の水は、このポンプで。
風呂桶にいっぱい汲むのは、たいへんな仕事だった。

左に、山中鹿之介の首塚。
この人は尼子氏の家臣だった。 尼子氏が滅びた後、再興を願って戦いを起こした。 負けた。
こういう家臣が出るので、負けた方を皆殺しにする。 負けた平家を追うように。
右に、小さな橋。 ささやき橋。
はるか昔の応神天皇の頃、この橋で、恋人同士が夜語り合った。
役目を忘れたと言われ、海に沈められた。 そんな伝説がある。 人の恋に、為政者は優しくない。


沼名前(ぬまくま)神社。 祇園宮を一緒に祀っている。

能舞台があった。 元々は、秀吉の伏見城にあったもの。 それで、重要文化財。
福山藩主が、2代将軍秀忠から譲り受けたと、説明にあった。

鞆の浦は、もう少し西にある、御手洗(みたらい)とは違った。
御手洗に流れている空気は、今のではなく、歴史を感じる昔の空気だった。
鞆の浦は、小さな観光地。 けっこう賑やかで、活気があった。
龍馬が関わっているため、面白さが増していた。
【今日の歌】
舟唄です。 この歌を聴くと、しみじみとお酒が飲みたくなる。 あぶったイカで。
八代亜紀は、この歌も歌っている。 愛の終着駅。 いい曲だ。
同じ曲を、本田美奈子も歌ってみた。 これが、何とも言えないくらい、いい。
寒い夜汽車に乗ったら、この人、似合う。 細い肩で切なく歌う。
キュン、とくる。 今はいない。
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何度消されても、誰かが必ずアップする。
トータルのアクセス数は、100万をとうに越えた。
【停泊場所】 町並みから、2㌔離れた所の港。
【明日の予定】 走島へ。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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