文殊山に登ろうとしたが、道が細くて近づけない。
※ 観光案内所に連絡して、分かった。
集落の写真を撮りながら、島の西の方に行ってみることに。
何かあるだろうと。
この島出身の星野哲郎は、寅さんの歌の作詞をしている。
寅次郎相合い傘の中に、名場面がある。 独り芝居のような部分。
マドンナ役の浅丘ルリ子が、それを見て泣いたと云う。
※ ※ ※ ※
周防大島は広い。 瀬戸内の島では、淡路島、小豆島に次ぐ大きさと云う。
今日走る所は、合併する前は、東和町。 その中心街が見える。
オレンジロード。 山の中に新しく道ができた。 みかんの栽培、観光、両方のために。
白いサザンカの並木。
純白と云う感じの白か。
島の南。
右奥の島は、沖家室島(おきかむろじま)のよう。 昨日歩いた。
黄色の○に道の駅。 左回りで動いている。 オレンジロードを西へ。
見える島は片島。 小さな集落が続く。 左にみかん畑。 遠くは、もちろん四国。
少し大きな集落。 油宇(ゆう)。 左の高台に、この後行く寺がある。
港に行ってみたら、猫が目立った。 増えて困っているとの表示があった。 北海道でずっと外なら、凍え死ぬ。
その寺の入り口。
いったい、何なんだろう。 猫もいる。
浄西寺の境内。
石塔があった。 右の右上の方に「建仁二」とあるため、1202年の物と分かっている。
何かの供養のために、清原氏が建てたと、裏の方に書いてある。(説明にあった)
寺の石垣に穴。 大砲の玉が、ここに当たった。
※ 幕末に、倒幕運動の中心になったのが、長州藩。 この島も長州藩の中。
幕府は、禁門の変の後、第2次長州征討(せいとう)を行う。
つまり、長州をやっつけるために、兵を出した。 1866年のこと。
幕府側の兵は15万。 広島に集結していた。
どこを攻めたかと云うと、4ヶ所あって、その内の1ヶ所が、この島。
4ヶ所なので、四境戦争とも呼ばれる。 (寺の説明は、四境戦争)
幕府は当初5ヶ所攻める予定だった。 もう1ヶ所は萩。
萩の攻撃を命じられたのは、西郷隆盛。 薩摩藩。
坂本龍馬が動いた。 その結果、西郷隆盛は、萩を攻めなかった。
それで、4つになった。
長州藩の方が、戦いが上手だった。
幕府は負け、威信は失墜。 幕府の武力は、張子の虎とばれてしまった。
この時、徳川幕府滅亡が決まった。
龍馬が動いたのが大きかった。 幕府は龍馬に負けた。
このため、幕府は龍馬の命を狙う。
龍馬の命は、あと1年になってしまった。(1867年11月15日まで)
伊保田地域の港に、サギ。 老僧に見える。
陸奥記念館の近くに、こんな飛行機。 初めて見る。 水の上から飛び立つことが出来る。
星野哲郎の歌碑。 なみだ船。 若い時の北島三郎が歌った。
美しい鳥居があった。 上の方のそり具合がいいのか・・・。 元禄十四と読めた。
少し散歩。
散るだけ散った。
タコつぼ。
アジを釣っているのか。
※ 紋別の繁華街に「むらさき」という、小さな居酒屋がある。
たくさん食べなくていい時、よくそこに行った。 たいてい2人。
生きたアジを裁いてもらった。 刺身にした他は、から揚げにしてくれた。
それ以来、アジは、美味しい魚だと思っている。
道の駅に戻って、海に突き出た部分を歩いてきた。
先に小さな島。 潮が満ちたら、行けなくなる。 こういう島が、瀬戸内にはある。
家並みの中を歩いた。 秋の花コスモスが、まだ咲いている。
石段が見えたので、行ってみた。
大島のみかんの発展は、この人がいなかったら、今はない。 山本萬之丞。
和歌山からみかんの苗木を持ってきた。 ザボンに接ぎ木したり、品種の改良をした。
明治時代の話。 周防大島は、山口県のみかんのほとんどを栽培する。
道の駅が見える。
山の中に、「和子 永久(とわ)に ここに眠る」の碑があった。 説明はない。
気になったので、調べてみたが、分からなかった。
何かが分かるのが、面白い。
【動画】 第15作・男はつらいよ 寅次郎相合い傘
特にいい場面は、4分過ぎから。 山場は、6分から8分まで。 ※ 最初の部分に、さわりだけ。
寅さんの真骨頂。 その他の部分で浅丘ルリ子が出る。 役を忘れて楽しそうに、見える。
※ カーソルを動画の下の方にあてると、時間が出る。
※ 最初の学校、根室の幌茂尻小学校にいた時、男仲間4人で、養老牛温泉の「藤や」に遊びに行った。
たまたま、撮影のため、山田洋二監督以下が来ていた。もちろん寅さんも。
山田監督に何を話したか忘れたが、ロビーを打ち合わせに使わせてほしい、と言ってきた。
他の客である私達に、丁寧な言葉遣いだった。
その頃、正月に、寅さんグループは、毎年やって来ていた。
そのことを知らないで行った時、再度会ったことがある。
寅さんとお風呂の脱衣所で会ったのは、その時。 少しだけの会話だった。 もったいない。
夜、ロビーで倍賞千恵子に会ったが、彼女と気付かなかった。 少し後で分かった。
スタイルが良かった。 ジーパンを履いて。 彼女が30代後半の頃。
【道の駅】 サザンセトとうわ
【明日の予定】 島の西の方を探検
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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※ 観光案内所に連絡して、分かった。
集落の写真を撮りながら、島の西の方に行ってみることに。
何かあるだろうと。
この島出身の星野哲郎は、寅さんの歌の作詞をしている。
寅次郎相合い傘の中に、名場面がある。 独り芝居のような部分。
マドンナ役の浅丘ルリ子が、それを見て泣いたと云う。
※ ※ ※ ※
周防大島は広い。 瀬戸内の島では、淡路島、小豆島に次ぐ大きさと云う。
今日走る所は、合併する前は、東和町。 その中心街が見える。

オレンジロード。 山の中に新しく道ができた。 みかんの栽培、観光、両方のために。
白いサザンカの並木。

純白と云う感じの白か。

島の南。

右奥の島は、沖家室島(おきかむろじま)のよう。 昨日歩いた。

黄色の○に道の駅。 左回りで動いている。 オレンジロードを西へ。

見える島は片島。 小さな集落が続く。 左にみかん畑。 遠くは、もちろん四国。

少し大きな集落。 油宇(ゆう)。 左の高台に、この後行く寺がある。
港に行ってみたら、猫が目立った。 増えて困っているとの表示があった。 北海道でずっと外なら、凍え死ぬ。

その寺の入り口。

いったい、何なんだろう。 猫もいる。

浄西寺の境内。

石塔があった。 右の右上の方に「建仁二」とあるため、1202年の物と分かっている。
何かの供養のために、清原氏が建てたと、裏の方に書いてある。(説明にあった)

寺の石垣に穴。 大砲の玉が、ここに当たった。

※ 幕末に、倒幕運動の中心になったのが、長州藩。 この島も長州藩の中。
幕府は、禁門の変の後、第2次長州征討(せいとう)を行う。
つまり、長州をやっつけるために、兵を出した。 1866年のこと。
幕府側の兵は15万。 広島に集結していた。
どこを攻めたかと云うと、4ヶ所あって、その内の1ヶ所が、この島。
4ヶ所なので、四境戦争とも呼ばれる。 (寺の説明は、四境戦争)
幕府は当初5ヶ所攻める予定だった。 もう1ヶ所は萩。
萩の攻撃を命じられたのは、西郷隆盛。 薩摩藩。
坂本龍馬が動いた。 その結果、西郷隆盛は、萩を攻めなかった。
それで、4つになった。
長州藩の方が、戦いが上手だった。
幕府は負け、威信は失墜。 幕府の武力は、張子の虎とばれてしまった。
この時、徳川幕府滅亡が決まった。
龍馬が動いたのが大きかった。 幕府は龍馬に負けた。
このため、幕府は龍馬の命を狙う。
龍馬の命は、あと1年になってしまった。(1867年11月15日まで)
伊保田地域の港に、サギ。 老僧に見える。

陸奥記念館の近くに、こんな飛行機。 初めて見る。 水の上から飛び立つことが出来る。

星野哲郎の歌碑。 なみだ船。 若い時の北島三郎が歌った。

美しい鳥居があった。 上の方のそり具合がいいのか・・・。 元禄十四と読めた。

少し散歩。

散るだけ散った。

タコつぼ。

アジを釣っているのか。

※ 紋別の繁華街に「むらさき」という、小さな居酒屋がある。
たくさん食べなくていい時、よくそこに行った。 たいてい2人。
生きたアジを裁いてもらった。 刺身にした他は、から揚げにしてくれた。
それ以来、アジは、美味しい魚だと思っている。
道の駅に戻って、海に突き出た部分を歩いてきた。

先に小さな島。 潮が満ちたら、行けなくなる。 こういう島が、瀬戸内にはある。

家並みの中を歩いた。 秋の花コスモスが、まだ咲いている。

石段が見えたので、行ってみた。

大島のみかんの発展は、この人がいなかったら、今はない。 山本萬之丞。
和歌山からみかんの苗木を持ってきた。 ザボンに接ぎ木したり、品種の改良をした。
明治時代の話。 周防大島は、山口県のみかんのほとんどを栽培する。

道の駅が見える。

山の中に、「和子 永久(とわ)に ここに眠る」の碑があった。 説明はない。
気になったので、調べてみたが、分からなかった。
何かが分かるのが、面白い。
【動画】 第15作・男はつらいよ 寅次郎相合い傘
特にいい場面は、4分過ぎから。 山場は、6分から8分まで。 ※ 最初の部分に、さわりだけ。
寅さんの真骨頂。 その他の部分で浅丘ルリ子が出る。 役を忘れて楽しそうに、見える。
※ カーソルを動画の下の方にあてると、時間が出る。
※ 最初の学校、根室の幌茂尻小学校にいた時、男仲間4人で、養老牛温泉の「藤や」に遊びに行った。
たまたま、撮影のため、山田洋二監督以下が来ていた。もちろん寅さんも。
山田監督に何を話したか忘れたが、ロビーを打ち合わせに使わせてほしい、と言ってきた。
他の客である私達に、丁寧な言葉遣いだった。
その頃、正月に、寅さんグループは、毎年やって来ていた。
そのことを知らないで行った時、再度会ったことがある。
寅さんとお風呂の脱衣所で会ったのは、その時。 少しだけの会話だった。 もったいない。
夜、ロビーで倍賞千恵子に会ったが、彼女と気付かなかった。 少し後で分かった。
スタイルが良かった。 ジーパンを履いて。 彼女が30代後半の頃。
【道の駅】 サザンセトとうわ
【明日の予定】 島の西の方を探検
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