根室地方の開拓の黎明期、大変な苦労で人々は旅をした。
その旅の途中に、オアシスのようにあったのが駅逓所。
・ ・ ・ ・ ・
明治40年、鉄道は釧路までつながった。
人の動きは活発になって、根室地方へも多くの人が。
3年後の明治43年に、奥行臼駅逓所が開業。 (おくゆきうすえきてい)
奥行臼に鉄道が来る少し前の昭和5年(1930年)に駅逓は廃止。
その後、山ト山崎旅館に。
車時代が来た昭和50年(1975年)まで続いた。
※ ※ ※ ※ ランキング
ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
~~~ 撮影は9月3日 ~~~
道の分岐に出来た。

旧奥行臼駅逓所。 平成30年に保存修理工事が完了。(耐震も)

右の2階建て部分は、大正9年に増築。
この写真は、その後に撮影。 建って10年ほどしてでしょうか。
みんな和服。 左の2人は洋服か。

左部分は昭和16年に建築。(旅館になってから) 上の写真と大きく変わっている。

右の部分は、駅逓所時代の間取。

居間。 ストーブと炉。 奥に台所。 まるいテーブルは、昔わが家にもあった。 もぐって遊んだ。
管理人さん(教育委員会)の説明が丁寧で分かりやすい。 Oさん夫婦と3人で聞く。 今日は勉強。

北への廊下。 右写真、廊下の曲がり角の板のつなぎ方。 たまに見ます。

上の写真の右。 奥に仏間。

山崎藤次郎の自宅を駅逓の建物として利用、そこからスタート。
当初山崎は馬の牧場で成功。 その勢いの時に、駅逓を始める。

山崎藤次郎は幕末に新潟県に生まれる。(1860年) 根室に行ってここに。

資料の展示。

右下にガラス製のハエ取り器。 仕組みはここに。
この数十年で、時代はすっかり変わりました。 みんな懐かしい。

奥行臼駅が出来たのは、昭和8年。 根室まで鉄道が通ったのが、大正10年。
奥行臼駅逓の廃止は、昭和5年。
鉄道の時代が来て、駅逓の役割が終わって行きます。

奥の広い客室。 懐かしいラジオ。
鉄道は人と物を運んでくる。 文かも。 ラジオは空を飛び越えて、文化を伝える。

春にはさくらの並木が見られたそう。 多く人が見学に来た。
※ そういえば昔、別海高校を舞台にした「桜の花の咲く頃に」というドキュメンタリーがありましたねって、管理人さんと話した。
出てきた期限付きの先生は後に正採用に。 今もどこかで先生をしているよう。(佐藤圭子先生)
これに関する以前の記事。 番組は右に。 https://youtu.be/rNAkqn8hS9E?t=2562

ふすまの取っ手や釘隠しに、お洒落な工夫。

客室。 ランプ。
極寒の冬、吹雪の中を歩いてきて一息つく。 お風呂は外に。


上への階段。

この部屋も広い。 外が見える。

大正時代のガラス。 歪んで見える。 味があります。

客室。 夏はクマも狼もいる。 命がけの旅。
※ 根室への道は国道44ではなく、落石を通ったよう。 落石に駅逓所があった。

下への階段。 転ばないようにって。

Oさんの奥様が不思議にこれを見ていた。
管理人さんが黒っぽいところは昔のままだよって。
そこの取っ手の金具の部分をはがしたら、右の色だった。
その色で、復元したのが右。

見学は無料でした。
親切にに説明していただき、いい時間を過ごすことが出来ました。
外で見送っていただきました。 感謝です。
【記事紹介】
【停泊場所】 3日は砂湯のパーキング。
【明日の記事】 浮島湿原。 事故があって以来初めてです。
【カメラ・レンズ】 フジフイルム X-S10 タムロン 18~300㎜
※ 都道府県別のブログタイトル一覧表は、右をクリック。
(放浪の旅Ⅱと放浪の旅Ⅰの両方です。 記事の総数は4300ほど。)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
2021年夏のを1枚プラス。 美瑛川上流で釣り。
【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体、4位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、これです。
⇓
ランキング
※ クリックが完了したら、国内旅行のランキングが表示されます。
表示された画面の「旅行」をクリックすると、旅行全体の順位が。
※ 1回のクリックで、10ポイント。
【拍 手】 拍手のクリックのバナーは、一番下に。 ※ 拍手は、ランキングとは関係ありません。.. .
.
その旅の途中に、オアシスのようにあったのが駅逓所。
・ ・ ・ ・ ・
明治40年、鉄道は釧路までつながった。
人の動きは活発になって、根室地方へも多くの人が。
3年後の明治43年に、奥行臼駅逓所が開業。 (おくゆきうすえきてい)
奥行臼に鉄道が来る少し前の昭和5年(1930年)に駅逓は廃止。
その後、山ト山崎旅館に。
車時代が来た昭和50年(1975年)まで続いた。
※ ※ ※ ※ ランキング


( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
~~~ 撮影は9月3日 ~~~
道の分岐に出来た。


旧奥行臼駅逓所。 平成30年に保存修理工事が完了。(耐震も)


右の2階建て部分は、大正9年に増築。
この写真は、その後に撮影。 建って10年ほどしてでしょうか。
みんな和服。 左の2人は洋服か。


左部分は昭和16年に建築。(旅館になってから) 上の写真と大きく変わっている。

右の部分は、駅逓所時代の間取。

居間。 ストーブと炉。 奥に台所。 まるいテーブルは、昔わが家にもあった。 もぐって遊んだ。
管理人さん(教育委員会)の説明が丁寧で分かりやすい。 Oさん夫婦と3人で聞く。 今日は勉強。


北への廊下。 右写真、廊下の曲がり角の板のつなぎ方。 たまに見ます。


上の写真の右。 奥に仏間。

山崎藤次郎の自宅を駅逓の建物として利用、そこからスタート。
当初山崎は馬の牧場で成功。 その勢いの時に、駅逓を始める。


山崎藤次郎は幕末に新潟県に生まれる。(1860年) 根室に行ってここに。

資料の展示。

右下にガラス製のハエ取り器。 仕組みはここに。
この数十年で、時代はすっかり変わりました。 みんな懐かしい。


奥行臼駅が出来たのは、昭和8年。 根室まで鉄道が通ったのが、大正10年。
奥行臼駅逓の廃止は、昭和5年。
鉄道の時代が来て、駅逓の役割が終わって行きます。


奥の広い客室。 懐かしいラジオ。
鉄道は人と物を運んでくる。 文かも。 ラジオは空を飛び越えて、文化を伝える。


春にはさくらの並木が見られたそう。 多く人が見学に来た。
※ そういえば昔、別海高校を舞台にした「桜の花の咲く頃に」というドキュメンタリーがありましたねって、管理人さんと話した。
出てきた期限付きの先生は後に正採用に。 今もどこかで先生をしているよう。(佐藤圭子先生)
これに関する以前の記事。 番組は右に。 https://youtu.be/rNAkqn8hS9E?t=2562


ふすまの取っ手や釘隠しに、お洒落な工夫。


客室。 ランプ。
極寒の冬、吹雪の中を歩いてきて一息つく。 お風呂は外に。


上への階段。

この部屋も広い。 外が見える。

大正時代のガラス。 歪んで見える。 味があります。


客室。 夏はクマも狼もいる。 命がけの旅。
※ 根室への道は国道44ではなく、落石を通ったよう。 落石に駅逓所があった。


下への階段。 転ばないようにって。

Oさんの奥様が不思議にこれを見ていた。
管理人さんが黒っぽいところは昔のままだよって。
そこの取っ手の金具の部分をはがしたら、右の色だった。
その色で、復元したのが右。

見学は無料でした。
親切にに説明していただき、いい時間を過ごすことが出来ました。
外で見送っていただきました。 感謝です。
【記事紹介】
トドワラは野付半島の先近くに。 立ち枯れたトドマツ林の跡。 広く原生花園。 先端まで30分歩いて。~別海町~ 他 (2023/6/13)
今年も暑い夏が・・。 他 (2009/08/13)
日航123便、34年目の御巣鷹の尾根。 遺体発見場所に墓や墓標。 後部は形を残してスゲノ沢に滑る。(その2)~上野村~ 他 (2019/10/8)
【停泊場所】 3日は砂湯のパーキング。
【明日の記事】 浮島湿原。 事故があって以来初めてです。
【カメラ・レンズ】 フジフイルム X-S10 タムロン 18~300㎜
※ 都道府県別のブログタイトル一覧表は、右をクリック。

(放浪の旅Ⅱと放浪の旅Ⅰの両方です。 記事の総数は4300ほど。)
※ プロフィール・・・。 ⇒


2021年夏のを1枚プラス。 美瑛川上流で釣り。

【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体、4位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、これです。
⇓

※ クリックが完了したら、国内旅行のランキングが表示されます。
表示された画面の「旅行」をクリックすると、旅行全体の順位が。
※ 1回のクリックで、10ポイント。
【拍 手】 拍手のクリックのバナーは、一番下に。 ※ 拍手は、ランキングとは関係ありません。.. .
.
コメント
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui.com/tb.php/4725-4cccf4a7