円満寺の境内に観音堂はあった。
寺はなくなって残ったのは、観音堂だけ。
・ ・ ・ ・ ・
700年前に建って、何度も何度も修理や解体修理。
その都度、建物の使える部材は残し、腐った部分だけ新しく。
そうしたら700年経っても、当時にままの部分が。
結果、室町時代の建物と認められれ、重要文化財に。
※ ※ ※ ※ ランキング
ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
~~~ 撮影は9月20日 ~~~
国道400は南につながっているが、途中から酷道。
危険なので一度戻って、右の只見線沿いの道を下った。 観音堂見学の後。

車は旧道に置いて向こうに。 観音堂は左上。 少しして案内があった。 左に。

案内の場所で振り返った。 立派な家。
※ この地域は紙漉きで栄えた。(紙をつくる)
職人は昔、伊豆からやって来た。 (それでここの地名は、出(いず)ヶ原)
紙漉きと関係のある家なのでしょうか。

左に入ると、階段。

見えた。 茅葺だ。 かやぶき。 神社もあって、伊豆原と当初のまま。

正面に神社。 横に観音堂。

昭和38年に国の重要文化財に。 7年後に解体修理。
その時、この場所に持ってきた。
芦名氏は戦に負け、その冥福を祈って建てられたよう。
※ 中先代の乱は1335年。 1333年(いちみさんざん)に鎌倉幕府滅びる。
1335年に鎌倉幕府再興を願っての戦い。
円満寺は廃れてなくなった。 仏像は集会所にあるそう。

茅葺。 観音堂だから、中に観音様。 ほんとうにあるのか。
ネットで調べても、像の姿は分からない。 秘仏か。

扁額(へんがく)は明和3年に奉納。1766年。 その前の、まるい鰐口は文政6年に奉納。1823年。
右写真。 ここを流れる川は長谷川ですね。 上の字?? よでいいのかな。

内部の写真はネットにはない。 パンフレットを撮った。
須弥壇の後ろに厨子(ずし)。 観音像はその中か。

隣に夫婦杉の跡。 石のミニ神社は集めたものですね。 石の祠(ほこら)。

別方向から。

外の木材は腐りやすい。 年代はバラバラでしょうね。 内部は古いのが残ります。

下の集落へ行きます。

里の秋。

どこかに湧水があったよう。 後で知る。 湧水は紙すきに。

白壁の蔵が続いて。

向こうから来ていた。 見える方は地元の人。 色々教えていただいた。 国道400はやめた方がいいことも。
昔観音堂はここにあった。 左側下に長谷川。

別方向から。 ここにあった。

観音堂跡から道を挟んで。 その後、バス停のある辺りに動いた。
その時に、重要文化財。 さらにさっきの場所にと。
円満寺はここにあった。 本堂は向こうの方でしょうか。
少し高いところには、今はお地蔵様だけ。 子育て地蔵。 夜泣き地蔵とも。(どのように泣く?)
地蔵様はただの石だった。 それっぽい形。

ここの先は行かなかった。
※ 自分はカメラを下げて歩いている。
それは、写真を撮りに来ていると、見る人に分かりやすい。
不審者と思われない。 カメラはそんなことにも役立っています。

道を戻りました。 もう一度見上げて。

この後、只見線沿いの厳しい道を走りました。 (道はいいけど険しい山の中)
その代わり、夜は寒いほどに涼しく。
【記事紹介】 観音堂を。
【停泊場所】 道の駅ゆのたに(魚沼市)
【明日の記事】 田子倉ダムまでの風景。
【明日の予定】 予定はなく、道の駅で車の中のことを。
【カメラ・レンズ】 フジフイルム X-S10 シグマ 18-50 f 2.8
※ 都道府県別のブログタイトル一覧表は、右をクリック。
(放浪の旅Ⅱと放浪の旅Ⅰの両方です。 記事の総数は4300ほど。)
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2021年夏のを1枚プラス。 美瑛川上流で釣り。
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寺はなくなって残ったのは、観音堂だけ。
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700年前に建って、何度も何度も修理や解体修理。
その都度、建物の使える部材は残し、腐った部分だけ新しく。
そうしたら700年経っても、当時にままの部分が。
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~~~ 撮影は9月20日 ~~~
国道400は南につながっているが、途中から酷道。
危険なので一度戻って、右の只見線沿いの道を下った。 観音堂見学の後。


車は旧道に置いて向こうに。 観音堂は左上。 少しして案内があった。 左に。


案内の場所で振り返った。 立派な家。
※ この地域は紙漉きで栄えた。(紙をつくる)
職人は昔、伊豆からやって来た。 (それでここの地名は、出(いず)ヶ原)
紙漉きと関係のある家なのでしょうか。

左に入ると、階段。

見えた。 茅葺だ。 かやぶき。 神社もあって、伊豆原と当初のまま。


正面に神社。 横に観音堂。

昭和38年に国の重要文化財に。 7年後に解体修理。
その時、この場所に持ってきた。
芦名氏は戦に負け、その冥福を祈って建てられたよう。
※ 中先代の乱は1335年。 1333年(いちみさんざん)に鎌倉幕府滅びる。
1335年に鎌倉幕府再興を願っての戦い。
円満寺は廃れてなくなった。 仏像は集会所にあるそう。

茅葺。 観音堂だから、中に観音様。 ほんとうにあるのか。
ネットで調べても、像の姿は分からない。 秘仏か。

扁額(へんがく)は明和3年に奉納。1766年。 その前の、まるい鰐口は文政6年に奉納。1823年。
右写真。 ここを流れる川は長谷川ですね。 上の字?? よでいいのかな。


内部の写真はネットにはない。 パンフレットを撮った。
須弥壇の後ろに厨子(ずし)。 観音像はその中か。

隣に夫婦杉の跡。 石のミニ神社は集めたものですね。 石の祠(ほこら)。

別方向から。


外の木材は腐りやすい。 年代はバラバラでしょうね。 内部は古いのが残ります。


下の集落へ行きます。

里の秋。


どこかに湧水があったよう。 後で知る。 湧水は紙すきに。


白壁の蔵が続いて。


向こうから来ていた。 見える方は地元の人。 色々教えていただいた。 国道400はやめた方がいいことも。
昔観音堂はここにあった。 左側下に長谷川。


別方向から。 ここにあった。

観音堂跡から道を挟んで。 その後、バス停のある辺りに動いた。
その時に、重要文化財。 さらにさっきの場所にと。
円満寺はここにあった。 本堂は向こうの方でしょうか。
少し高いところには、今はお地蔵様だけ。 子育て地蔵。 夜泣き地蔵とも。(どのように泣く?)
地蔵様はただの石だった。 それっぽい形。


ここの先は行かなかった。
※ 自分はカメラを下げて歩いている。
それは、写真を撮りに来ていると、見る人に分かりやすい。
不審者と思われない。 カメラはそんなことにも役立っています。

道を戻りました。 もう一度見上げて。


この後、只見線沿いの厳しい道を走りました。 (道はいいけど険しい山の中)
その代わり、夜は寒いほどに涼しく。
【記事紹介】 観音堂を。
寺下観音堂は、今はない海潮山応物寺の遺構。 如意輪観音の石造の足が反対。 潮山神社が元は観音堂。~階上町~ 他 (2023/5/10)
護徳寺観音堂は室町時代に建立。 国の重要文化財。 会津藩の世話になって今に。 堂内に落書きが。~阿賀町~ 他 (2023/4/29)
観音寺観音堂(深山観音堂)は、 国指定重要文化財。 屋根の葺き替え終わって。 阿弥陀堂から観音堂へ。 簗場。~白鷹町~ 他 (2021/10/10/日)
浅間山噴火、鎌原観音堂に逃げられた者だけが助かった。 石段の途中で土石流につかまった者も。~嬬恋村鎌原~ 他 (2021/4/19/月)
朱塗りの磐台寺観音堂は、奇勝 阿伏兎(あぶと)岬の突端に。 断崖の岩頭に建つ。~福山市~ 他 (2016/11/4)
【明日の記事】 田子倉ダムまでの風景。
【明日の予定】 予定はなく、道の駅で車の中のことを。
【カメラ・レンズ】 フジフイルム X-S10 シグマ 18-50 f 2.8
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