土壁の町並み。 それが、長府の特徴だった。
長府は、長州藩の瀬戸内に面した町。 数々の歴史の舞台になっていた。
幕府を倒すため、高杉晋作は、この町に兵を集め、挙兵した。
日本の夜明けが、始まろうとしていた。
※ ※ ※ ※
国道2号線は、下関の中心街に行かないで、長府で曲がって関門トンネルに入る。
※ 国道2は、大阪から門司まで。 その先は、国道3。
○の所を、時計回りに。 下から出発。
今日は、温かい。 鳥たちも日向ぼっこ。
山頭火の句碑。 この地で詠まれたものですね。
※ よく知られた、「ほろほろ酔うて この葉ふる」は、近くの山口市で詠んだ句です。
長府には、長州藩の支藩があった。 長府毛利家の陣屋(櫛崎城)があり、その周辺に武家屋敷が広がった。
ハヤブサでしょうか。 獲物を食べていた。 望遠のカメラは持っていなかった。 残念。
攻山寺の前。 長州藩の高杉晋作がここで挙兵した。 その碑。
禁門の変の後で、幕府の長州征討に対して。 1864年12月15日。 伊藤博文もいた。
※ この時期、長州藩は分裂していて、高杉晋作達は、やっと主導権を取りつつあった。
1866年に、幕府に勝つことになる。 大政奉還へと進む。
国宝の仏殿。 鎌倉時代末期。
高杉晋作の像。
攻山寺名水、とあった。 説明には、多くの者がこの水を飲んで武運を祈ったとある。
※ 小泉純一郎も来ているが、彼は、総理の仕事をすべて終えた直後。 平成18年の8月。(9月から安倍内閣)
こんなのがあった。 七卿落ちがここに来たと。
※ 七卿落ち(しちきょうおち)って何かと云うと、こうですね。
1863年(文久3年)の八月十八日の政変において、7人の公家が京都から追放された事件。
三条実美は、この中の一人。
朝廷と幕府は、公武合体を考えていた。 長州は、尊王攘夷。
七卿は、長州の考えをしたので、追放。
※ この辺りのことについて、やっと、少しずつ分かって来ている状態。 私は。
寺を離れて、歩きだした。 長府毛利邸とあった。 明治時代の建物。
この道を見たくて、長府に来た。 武家屋敷の通り。 古江小路。 石垣の上に土壁。
乃木神社に向かっている。
途中にあった小路。
乃木神社。 テントを張って、初詣の準備。
さざれ石があった。 この石はよく見る。 滋賀県の伊吹山に登った時、登山道に転がっていた。
古い歌に、こんなのがあるそう。
わが君は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまま
この歌から、国歌の歌詞が生まれたと、説明があった。
※ 国旗・国歌が、国民を動かすために利用された時代があった。 国旗・国歌に責任はない。
でも、そのために、国民すべてには、好かれていない。
他の国のように、誰にでも好かれる国旗・国歌があればいい。
※ 私の好きな国歌は、メキシコ国歌。 曲調が次から次と、移って行く。
乃木旧邸とあった。 復元したもの。
これを見て、散策はおしまい。
関門トンネルを通って、門司の、ノーフォーク広場に着いた。
※ この場所は、コメントのtakarinnさんが教えてくれた。
少し散歩。
昔、門司関があったと、ある。
※ 上の碑に、歌があった。 作者は、源俊頼。 太宰府の任を終え、帰京の途中に詠んだ。
「行き過ぐる 心は門司の 関屋より とどめぬさゑに 書きみたりけり」
百人一首に、この人の歌がある。
「うかりける ひとをはつせの やまおろしよ はげしかれとは いのらぬものを」
関門橋。 壇ノ浦は、向こうの橋の袂(たもと)の少し右。
レトロな町並みは向こう。
こんな道を散歩。 夕方になると、風は冷たい。
長府は、町並みを整備している途中だった。
明日から2日間は、門司です。 壇ノ浦は、来年の大河ドラマの舞台。
見るところ、いろいろ。 楽しみです。
【動画】 関門トンネルを通って九州へ
【今日の曲】 海の上のピアニスト
自分の生きる場所は、船の上しかなかった。 そんな映画かな。
最初の動画の最後と、次の動画の初めの曲は、同じ。 この曲がいい。
ピアノの対決をしている。
【停泊場所】 ノースフォーク広場の駐車場
【明日の予定】 門司の散策 takarinnさんが案内してくれます。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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長府は、長州藩の瀬戸内に面した町。 数々の歴史の舞台になっていた。
幕府を倒すため、高杉晋作は、この町に兵を集め、挙兵した。
日本の夜明けが、始まろうとしていた。
※ ※ ※ ※
国道2号線は、下関の中心街に行かないで、長府で曲がって関門トンネルに入る。
※ 国道2は、大阪から門司まで。 その先は、国道3。
○の所を、時計回りに。 下から出発。

今日は、温かい。 鳥たちも日向ぼっこ。

山頭火の句碑。 この地で詠まれたものですね。
※ よく知られた、「ほろほろ酔うて この葉ふる」は、近くの山口市で詠んだ句です。

長府には、長州藩の支藩があった。 長府毛利家の陣屋(櫛崎城)があり、その周辺に武家屋敷が広がった。

ハヤブサでしょうか。 獲物を食べていた。 望遠のカメラは持っていなかった。 残念。

攻山寺の前。 長州藩の高杉晋作がここで挙兵した。 その碑。
禁門の変の後で、幕府の長州征討に対して。 1864年12月15日。 伊藤博文もいた。
※ この時期、長州藩は分裂していて、高杉晋作達は、やっと主導権を取りつつあった。
1866年に、幕府に勝つことになる。 大政奉還へと進む。

国宝の仏殿。 鎌倉時代末期。


高杉晋作の像。

攻山寺名水、とあった。 説明には、多くの者がこの水を飲んで武運を祈ったとある。
※ 小泉純一郎も来ているが、彼は、総理の仕事をすべて終えた直後。 平成18年の8月。(9月から安倍内閣)

こんなのがあった。 七卿落ちがここに来たと。

※ 七卿落ち(しちきょうおち)って何かと云うと、こうですね。
1863年(文久3年)の八月十八日の政変において、7人の公家が京都から追放された事件。
三条実美は、この中の一人。
朝廷と幕府は、公武合体を考えていた。 長州は、尊王攘夷。
七卿は、長州の考えをしたので、追放。
※ この辺りのことについて、やっと、少しずつ分かって来ている状態。 私は。
寺を離れて、歩きだした。 長府毛利邸とあった。 明治時代の建物。

この道を見たくて、長府に来た。 武家屋敷の通り。 古江小路。 石垣の上に土壁。

乃木神社に向かっている。

途中にあった小路。

乃木神社。 テントを張って、初詣の準備。

さざれ石があった。 この石はよく見る。 滋賀県の伊吹山に登った時、登山道に転がっていた。
古い歌に、こんなのがあるそう。
わが君は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまま
この歌から、国歌の歌詞が生まれたと、説明があった。
※ 国旗・国歌が、国民を動かすために利用された時代があった。 国旗・国歌に責任はない。
でも、そのために、国民すべてには、好かれていない。
他の国のように、誰にでも好かれる国旗・国歌があればいい。

※ 私の好きな国歌は、メキシコ国歌。 曲調が次から次と、移って行く。
乃木旧邸とあった。 復元したもの。

これを見て、散策はおしまい。

関門トンネルを通って、門司の、ノーフォーク広場に着いた。
※ この場所は、コメントのtakarinnさんが教えてくれた。
少し散歩。

昔、門司関があったと、ある。

※ 上の碑に、歌があった。 作者は、源俊頼。 太宰府の任を終え、帰京の途中に詠んだ。
「行き過ぐる 心は門司の 関屋より とどめぬさゑに 書きみたりけり」
百人一首に、この人の歌がある。
「うかりける ひとをはつせの やまおろしよ はげしかれとは いのらぬものを」
関門橋。 壇ノ浦は、向こうの橋の袂(たもと)の少し右。

レトロな町並みは向こう。

こんな道を散歩。 夕方になると、風は冷たい。

長府は、町並みを整備している途中だった。
明日から2日間は、門司です。 壇ノ浦は、来年の大河ドラマの舞台。
見るところ、いろいろ。 楽しみです。
【動画】 関門トンネルを通って九州へ
【今日の曲】 海の上のピアニスト
自分の生きる場所は、船の上しかなかった。 そんな映画かな。
最初の動画の最後と、次の動画の初めの曲は、同じ。 この曲がいい。
ピアノの対決をしている。
【停泊場所】 ノースフォーク広場の駐車場
【明日の予定】 門司の散策 takarinnさんが案内してくれます。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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