須坂市に入って来た。
朝、臥竜公園を散歩。 気持ちいい。
・ ・ ・ ・ ・
昨晩は東風さんと、自分の車でお酒。
今日の夜は、Mさん夫妻も来て4人で。 車はすっかり走る居酒屋に。
昼間は近くで華道家のイベントを見に。
その後、モーターグライダーが飛ぶのを見に。
※ ※ ※ ※ ランキング
ブログタイトル一覧は、右をクリック。
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~~~ 撮影は9月27日 ~~~
散歩したのは緑の辺り。 赤〇に駐車場。

左に野球場。 右写真の左は動物園の一部。 正面にテニスコート。

左の方に寺。 朝6時に鐘がなる。 テニスコートの後ろを通って池の方に。

彼岸花が咲いていた。 今年初めて見る。
9月23日はお彼岸でした。 暑さ寒さも彼岸までと云っても、その後も暑かった。

正面の山に、子供たちの遠足で一緒に行った。

臥竜山の中腹を越えて向こうに。

城跡の案内。 向こうへの道。 自分は右下へ。

池の周回道路に。 左へ。 まだ花がいっぱい。

振り返ったら須坂市動物園。

橋を渡って弁天島。

竜ヶ池。 向こうには行かない。

弁財天とある。 弁天様。 池の中にあるのは普通これですね。

向うにボート乗り場。 お店もある。

ボートの方に行く。 橋があって右を見たら滝。
※ 臥竜山の周囲は住宅。 小さいけど単独峰。 川が出来るほどの山ではない。
水はどこからでしょう。 調べたら1㌔程東の灰野川からでした。
取水口はここより少し標高が高い。 でも途中低いところが。
工夫して、流れるようにしていますね。

弁天島。 カモが寝ていた。

ボート乗り場。 春には桜が一面に。

向こうから来て、左に上がる。

碑があった。 文字は読めない。
上に、満州珠山開拓慰霊碑、と。

満蒙開拓団のHPに、ここの碑の文が載っていました。 一部を下に。
当初治安いまだ定まらない原野に開拓の鍬をふるい、やがて戸数九十余戸団員二百八名に達し、団の建設
は着々とその成果を上げつつありました。
昭和二十年には水田造成工事もなり、報告農場併設も決まって、今井弥吉隊長以下百名の隊員を迎えて村造
りに一段と前進したのであります。
しかるに、昭和二十年八月九日突如ソ連の参戦によって農場家財を放棄し立退きの事態に立ち至りました。
弾丸雨飛にさらされ山野に伏し草の根を食し露命をつなぎ避難の行路は長期に亘って、この間銃弾に倒れ悪
病に没し、あるいは自ら生命を断つ等悲惨な限りを尽くし、大陸に殉難したもの百三十余人に及んだことは
うたた痛惜に耐えません。
殊山の場所ですが、詳しくは、満洲国東満総省宝清県頭道河子村珠山。
地図では、下の場所です。
どこまで逃げたら、日本に戻れたのでしょう。
土地を追われた中国の人たちの恨みも大きかったよう。

※ 国策ということで、特別疑問を持たずに満州に行ったのでしょうか。
戦争にまけて、逃避行は地獄でした。 軍は人々を守らず真っ先に逃げたよう。
長野県からは多くの人が。 多い理由は下です。(満蒙開拓平和祈念館のHPから)
日本全国で約800の開拓団、青少年義勇軍を含めて27万人が満州に渡ったが、その中でも
長野県から(3万3000人)が突出して多かった。
その理由として、世界恐慌(1929年)後の生糸価格暴落により養蚕業が衰退して農村が困窮したこと、
地元の行政・教育界の指導者に満蒙開拓の推進者が多かったことなどが挙げられている。
※ 上の地図の下の方の大連まで行けたら、門司港への船がありました。
そこまでは、列車を利用しないと遠すぎます。 今日の歌は、大連の街からにしましょう。
※ 満州から戻るときの話の1つが、下の記事に。 最後の方。 三浦綾子の銃口に。 実話です。
下に池。

戻って来ました。

ヒガンバナ。 つぼみいっぱい。 これからです。

この後東風さんがやってきて、一緒に動くことになります。
【歌のたび】 大連の街から
※ 1940年の大連の人口は60万人。 そのうち日本人は20万人。
支配層の多くは日本人。 満州のどこの町も、似たような状態。 1945年に崩れます。
※ 現在の人口は600万人。
【停泊場所】 臥竜公園駐車場
【明日の記事】 華道家のイベントの記事。 假屋崎省吾。
【カメラ・レンズ】 フジフイルム X-S10 シグマ 18-50 f 2.8
※ 都道府県別のブログタイトル一覧表は、右をクリック。
(放浪の旅Ⅱと放浪の旅Ⅰの両方です。 記事の総数は4300ほど。)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
2021年夏のを1枚プラス。 美瑛川上流で釣り。
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朝、臥竜公園を散歩。 気持ちいい。
・ ・ ・ ・ ・
昨晩は東風さんと、自分の車でお酒。
今日の夜は、Mさん夫妻も来て4人で。 車はすっかり走る居酒屋に。
昼間は近くで華道家のイベントを見に。
その後、モーターグライダーが飛ぶのを見に。
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~~~ 撮影は9月27日 ~~~
散歩したのは緑の辺り。 赤〇に駐車場。


左に野球場。 右写真の左は動物園の一部。 正面にテニスコート。


左の方に寺。 朝6時に鐘がなる。 テニスコートの後ろを通って池の方に。


彼岸花が咲いていた。 今年初めて見る。
9月23日はお彼岸でした。 暑さ寒さも彼岸までと云っても、その後も暑かった。

正面の山に、子供たちの遠足で一緒に行った。
高甫小学校明徳山登山に参加。 6年生と一緒に尾根コースを。 登山日和に。~須坂市~ 夜はみんなで宴会。 (2019/5/18)
右写真。 他にも花があった。 帰りに・・。

臥竜山の中腹を越えて向こうに。


城跡の案内。 向こうへの道。 自分は右下へ。

池の周回道路に。 左へ。 まだ花がいっぱい。


振り返ったら須坂市動物園。

橋を渡って弁天島。


竜ヶ池。 向こうには行かない。

弁財天とある。 弁天様。 池の中にあるのは普通これですね。


向うにボート乗り場。 お店もある。
臥竜公園の桜は、ほとんど散って。 池の畔のお店でお酒。 山菜の天ぷら。 店の娘さんがバイクに。~須坂市~ 他 (2022/4/21/木)

ボートの方に行く。 橋があって右を見たら滝。
※ 臥竜山の周囲は住宅。 小さいけど単独峰。 川が出来るほどの山ではない。
水はどこからでしょう。 調べたら1㌔程東の灰野川からでした。
取水口はここより少し標高が高い。 でも途中低いところが。
工夫して、流れるようにしていますね。


弁天島。 カモが寝ていた。


ボート乗り場。 春には桜が一面に。

向こうから来て、左に上がる。


碑があった。 文字は読めない。
上に、満州珠山開拓慰霊碑、と。

満蒙開拓団のHPに、ここの碑の文が載っていました。 一部を下に。
当初治安いまだ定まらない原野に開拓の鍬をふるい、やがて戸数九十余戸団員二百八名に達し、団の建設
は着々とその成果を上げつつありました。
昭和二十年には水田造成工事もなり、報告農場併設も決まって、今井弥吉隊長以下百名の隊員を迎えて村造
りに一段と前進したのであります。
しかるに、昭和二十年八月九日突如ソ連の参戦によって農場家財を放棄し立退きの事態に立ち至りました。
弾丸雨飛にさらされ山野に伏し草の根を食し露命をつなぎ避難の行路は長期に亘って、この間銃弾に倒れ悪
病に没し、あるいは自ら生命を断つ等悲惨な限りを尽くし、大陸に殉難したもの百三十余人に及んだことは
うたた痛惜に耐えません。
殊山の場所ですが、詳しくは、満洲国東満総省宝清県頭道河子村珠山。
地図では、下の場所です。
どこまで逃げたら、日本に戻れたのでしょう。
土地を追われた中国の人たちの恨みも大きかったよう。


※ 国策ということで、特別疑問を持たずに満州に行ったのでしょうか。
戦争にまけて、逃避行は地獄でした。 軍は人々を守らず真っ先に逃げたよう。
長野県からは多くの人が。 多い理由は下です。(満蒙開拓平和祈念館のHPから)
日本全国で約800の開拓団、青少年義勇軍を含めて27万人が満州に渡ったが、その中でも
長野県から(3万3000人)が突出して多かった。
その理由として、世界恐慌(1929年)後の生糸価格暴落により養蚕業が衰退して農村が困窮したこと、
地元の行政・教育界の指導者に満蒙開拓の推進者が多かったことなどが挙げられている。
※ 上の地図の下の方の大連まで行けたら、門司港への船がありました。
そこまでは、列車を利用しないと遠すぎます。 今日の歌は、大連の街からにしましょう。
解体修理中の門司港駅、旧大連航路上屋、林芙美子資料室を、見学する。~門司区~ 他 (2014/1/19)
※ 満州から戻るときの話の1つが、下の記事に。 最後の方。 三浦綾子の銃口に。 実話です。
朱鞠内湖は日本一日広いダム湖。 建設には苛酷な労働による多くの犠牲者。 笹の墓標展示館。~幌加内町~ 他 (2018/8/31)
下に池。

戻って来ました。

ヒガンバナ。 つぼみいっぱい。 これからです。


この後東風さんがやってきて、一緒に動くことになります。
【歌のたび】 大連の街から
※ 1940年の大連の人口は60万人。 そのうち日本人は20万人。
支配層の多くは日本人。 満州のどこの町も、似たような状態。 1945年に崩れます。
※ 現在の人口は600万人。
【停泊場所】 臥竜公園駐車場
【明日の記事】 華道家のイベントの記事。 假屋崎省吾。
【カメラ・レンズ】 フジフイルム X-S10 シグマ 18-50 f 2.8
※ 都道府県別のブログタイトル一覧表は、右をクリック。

(放浪の旅Ⅱと放浪の旅Ⅰの両方です。 記事の総数は4300ほど。)
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2021年夏のを1枚プラス。 美瑛川上流で釣り。

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