秀吉は天下統一を果たしたら、目は外国に向いた。
失敗して、病気で死んで、淀君をはじめ、残された物たちは、苦労することになる。
※ 家康は天下を取った時、徳川の時代が末代まで続くように考えた。
秀吉とは違った。
関ヶ原の戦いまで10年と無い時期に、この狭い名護屋城の周りに、20万以上の兵が集まっていた。
※ ※ ※ ※
道の駅から5分ほど歩いて、名護屋城跡のある、小さな山に上って来た。
左に城跡。 右後ろに、博物館。 道は、国道204。
名護屋城跡。 石垣が残っている。
佐賀県立名護屋城博物館。 大きく立派。 佐賀県は、名護屋城跡は県の宝物、と考えたのでしょうか。
チャンスンと言われる物。 韓国で、村の入り口などに置かれる。 魔よけ。
左は、地下女将軍、とある。
企画展示室。 名護屋城以前の歴史の展示も。 ※ 写真は、一部しか撮れない。
古墳時代の装飾品。
※ レプリカかどうか、確認しなかった。 展示物の中には、本物も混ざっていた。
レプリカには、説明の隅に小さく、Rの文字があった。 分かりにくい。
名護屋城。 天守閣があった。 周りは、各大名の陣。
この像は、韓国にある像のレプリカ。 金銅製(銅に金メッキ)。
京都の広隆寺の半跏思惟像(はんかしいぞう)に似ているから、展示しているよう。
後ろの写真は、広隆寺のもの。 木造。
広隆寺の方が、大きくて、もっとスマート。 繊細さも、広隆寺が上かな。 ※ 最後に、関連ブログ。
古くから朝鮮との交流があるので、朝鮮からの像が残されている。
これは、本物。 頭が大きい。
博物館の2階から見た、名護屋城跡。 人が結構来ている。
常設展示室。 テーマは、歴史の中の名護屋城。
1592年に侵攻したのが、文禄の役。 一気に16万人が海を渡った。 最終的に、20万人。
この人間を、どれだけの船で運んだのでしょう。 食料とかは?
※ 1597年に、2度目の侵攻。 慶長の役。 最後は負ける。
右が、半島の先で海の方。 城の周りは、大名の陣で埋まっている。
拡大してみると。 水が少なくて、苦労したとあった。
別の部分を拡大。 加藤清正たちが中心になって、8ヶ月で完成させた。
各大名の陣。
家康の陣がある。
大名の陣の全体。 西日本の大名が多いとある。 東の方では、来てない大名もあるということか。
秀吉が書いた、ある大名への手紙のようなもの。 本物。
朝鮮の人たちの様子。
博物館の外に、陣跡があった。 木下延俊陣跡。 建物とかが残ってる訳ではない。
金助吾助の墓、とあった。
※ 江戸時代の中ごろ、飢饉があったが、年貢はそのままだった。
2人の若者が、藩主に年貢の減免を直訴した。 願いは叶い、年貢は軽くなった。
直訴は厳罰なので、2人は斬首の刑。
金助と吾助には身寄りが無かった。
残されて困る者は自分達にはいないからと、直訴を名乗り出た。 首をはねられるのは覚悟して。
村人は、末代まで、2人を忘れることはなかった。
農民の命は、幕府や藩から見たら、虫けらの命と同じ。
龍馬は、幕府を倒さないと世の中の根本は変わらない、と考えた。 だから、龍馬はえらい。
城跡に向かった。
上の写真の左手。 右奥に本丸があって、そこに天守閣があった。
城は使われなくなって、壊された。 唐津城の築城にも利用。
※ 島原の乱の天草四郎たちは、使われなくなっていた原城に立てこもった。
幕府は、島原の乱の後、名護屋城を更に壊した。 使われないように。
上の写真の石段を登ったら、呼子大橋が見えた。
右に、道の駅の駐車場。 私の車が見える。
ここを登ったら、本丸。
本丸跡。 向こう隅に、天守があった。 全体は大きく、当時、大阪城に次ぐ大きさだった。
ここに、天守閣があった。
呼子大橋。
向こうが、玄界灘。 赤○に、直江兼続の陣。 上杉景勝の陣は、少し右。 写真で、場所が確定できないが。
※ この近くに、織田秀勝陣があると、表示されていた。
この人誰だろう。 豊臣秀勝だろうか。 そう思うんだが。
江(ごう)が2番目に嫁いだのはこの人。 九条家に嫁ぐ完子(さだこ)を生む。
豊臣秀勝は、8000の兵を引き連れて朝鮮に行く。 そこで、病没。
石垣の角の部分を、まず壊したと説明にあった。
復元した跡。
朝鮮(韓国)には、この時を含めて、2度攻め入った。
このことがあるから、韓国の中には、日本を好きになれない人がいるのかな。
秀吉が死んだら、各大名は、さっさと引き揚げた。
どの大名も、いやいや参加してたよう。
名護屋城は、朝鮮との間の不幸な歴史の舞台、そう考えていいでしょうね。
【関連ブログ】 太秦映画村 広隆寺半跏思惟像 他 (2009/06/14)
【今日の歌】 昨日登場した、ジュリー・アンドリュースです。 作曲は、ロジャース。
サウンド・オブ・ミュージック です。
エーデルワイス。
岩手県の早池峰山の頂上付近に、ハヤチネウスユキソウが咲いている。
下の歌に歌われてるエーデルワイスに、近い品種。 似ている。
そのため、この花を見るためにだけに、早池峰山に登る人が、たくさんいる。 こんな花(一昨年夏)
【道の駅】 昨晩に同じ。
【明日の予定】 呼子(よぶこ)大橋を渡って、加部島に。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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失敗して、病気で死んで、淀君をはじめ、残された物たちは、苦労することになる。
※ 家康は天下を取った時、徳川の時代が末代まで続くように考えた。
秀吉とは違った。
関ヶ原の戦いまで10年と無い時期に、この狭い名護屋城の周りに、20万以上の兵が集まっていた。
※ ※ ※ ※
道の駅から5分ほど歩いて、名護屋城跡のある、小さな山に上って来た。
左に城跡。 右後ろに、博物館。 道は、国道204。

名護屋城跡。 石垣が残っている。

佐賀県立名護屋城博物館。 大きく立派。 佐賀県は、名護屋城跡は県の宝物、と考えたのでしょうか。

チャンスンと言われる物。 韓国で、村の入り口などに置かれる。 魔よけ。
左は、地下女将軍、とある。

企画展示室。 名護屋城以前の歴史の展示も。 ※ 写真は、一部しか撮れない。

古墳時代の装飾品。
※ レプリカかどうか、確認しなかった。 展示物の中には、本物も混ざっていた。
レプリカには、説明の隅に小さく、Rの文字があった。 分かりにくい。

名護屋城。 天守閣があった。 周りは、各大名の陣。

この像は、韓国にある像のレプリカ。 金銅製(銅に金メッキ)。
京都の広隆寺の半跏思惟像(はんかしいぞう)に似ているから、展示しているよう。
後ろの写真は、広隆寺のもの。 木造。
広隆寺の方が、大きくて、もっとスマート。 繊細さも、広隆寺が上かな。 ※ 最後に、関連ブログ。

古くから朝鮮との交流があるので、朝鮮からの像が残されている。
これは、本物。 頭が大きい。

博物館の2階から見た、名護屋城跡。 人が結構来ている。

常設展示室。 テーマは、歴史の中の名護屋城。

1592年に侵攻したのが、文禄の役。 一気に16万人が海を渡った。 最終的に、20万人。
この人間を、どれだけの船で運んだのでしょう。 食料とかは?
※ 1597年に、2度目の侵攻。 慶長の役。 最後は負ける。
右が、半島の先で海の方。 城の周りは、大名の陣で埋まっている。

拡大してみると。 水が少なくて、苦労したとあった。

別の部分を拡大。 加藤清正たちが中心になって、8ヶ月で完成させた。

各大名の陣。

家康の陣がある。

大名の陣の全体。 西日本の大名が多いとある。 東の方では、来てない大名もあるということか。

秀吉が書いた、ある大名への手紙のようなもの。 本物。

朝鮮の人たちの様子。

博物館の外に、陣跡があった。 木下延俊陣跡。 建物とかが残ってる訳ではない。

金助吾助の墓、とあった。
※ 江戸時代の中ごろ、飢饉があったが、年貢はそのままだった。
2人の若者が、藩主に年貢の減免を直訴した。 願いは叶い、年貢は軽くなった。
直訴は厳罰なので、2人は斬首の刑。
金助と吾助には身寄りが無かった。
残されて困る者は自分達にはいないからと、直訴を名乗り出た。 首をはねられるのは覚悟して。
村人は、末代まで、2人を忘れることはなかった。
農民の命は、幕府や藩から見たら、虫けらの命と同じ。
龍馬は、幕府を倒さないと世の中の根本は変わらない、と考えた。 だから、龍馬はえらい。

城跡に向かった。

上の写真の左手。 右奥に本丸があって、そこに天守閣があった。

城は使われなくなって、壊された。 唐津城の築城にも利用。

※ 島原の乱の天草四郎たちは、使われなくなっていた原城に立てこもった。
幕府は、島原の乱の後、名護屋城を更に壊した。 使われないように。
上の写真の石段を登ったら、呼子大橋が見えた。

右に、道の駅の駐車場。 私の車が見える。

ここを登ったら、本丸。

本丸跡。 向こう隅に、天守があった。 全体は大きく、当時、大阪城に次ぐ大きさだった。

ここに、天守閣があった。

呼子大橋。

向こうが、玄界灘。 赤○に、直江兼続の陣。 上杉景勝の陣は、少し右。 写真で、場所が確定できないが。
※ この近くに、織田秀勝陣があると、表示されていた。
この人誰だろう。 豊臣秀勝だろうか。 そう思うんだが。
江(ごう)が2番目に嫁いだのはこの人。 九条家に嫁ぐ完子(さだこ)を生む。
豊臣秀勝は、8000の兵を引き連れて朝鮮に行く。 そこで、病没。

石垣の角の部分を、まず壊したと説明にあった。

復元した跡。

朝鮮(韓国)には、この時を含めて、2度攻め入った。
このことがあるから、韓国の中には、日本を好きになれない人がいるのかな。

秀吉が死んだら、各大名は、さっさと引き揚げた。
どの大名も、いやいや参加してたよう。
名護屋城は、朝鮮との間の不幸な歴史の舞台、そう考えていいでしょうね。
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【今日の歌】 昨日登場した、ジュリー・アンドリュースです。 作曲は、ロジャース。
サウンド・オブ・ミュージック です。
エーデルワイス。
岩手県の早池峰山の頂上付近に、ハヤチネウスユキソウが咲いている。
下の歌に歌われてるエーデルワイスに、近い品種。 似ている。
そのため、この花を見るためにだけに、早池峰山に登る人が、たくさんいる。 こんな花(一昨年夏)
【道の駅】 昨晩に同じ。
【明日の予定】 呼子(よぶこ)大橋を渡って、加部島に。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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