虹の松原には、約100万本のクロマツがあると云う。
唐津市の観光協会のHPに、そう書いてある。
そのため、ネット上や情報誌のほとんどが、100万本となっている。
※ Wikipediaは書いてない。 Wikipediaは数字を書く時、根拠を求められるので、100万本とは書けない。
このことについて調べてみたら、実際には、その半分もない。
もしかしたら、さらに、その半分だって無いかも知れない。
三大松原の他の2つは、それなりの数字を出している。
三保の松原、54000本。 気比松原(けひのまつばら)、17000本。
※ ちなみに、震災で全滅した高田松原は、70000本だった。 生き残った1本も、最近ダメと分かった。
唐津市は、100万本を見直さなければならない。
※ ※ ※ ※
虹の松原は、唐津市の中心街の少し東に。
松林は、唐津湾沿いに、細長く続いている。
※ 下に縮尺がある。 松原の幅は、ほとんどの部分、1㌔㍍ないのが分かる。
長さは5㌔、幅1㌔。(唐津市観光協会)
※ 日本観光ミシュランでは、長さ4㌔、幅400~700㍍。
唐津市浜玉町支所のHPも、ミシュランと同じ。
広さは、唐津市浜玉町支所のHPに、240㌶とある。
観光協会の言う長さ5㌔、幅1㌔内が全部松なら、500㌶になる。
※ 220㌶と云うサイトもある。
上の地図の、現在地で。
松は、江戸時代に入って、藩主が植えた。
昔は、もっとあって、長さは2里(約8㌔)と言われていた。
だから二里松原。 それが、明治に入って、二里が虹になった。
唐津市の観光協会で、約100万本と紹介している。
別の駐車場に「虹の松原百姓一揆」の碑があった。
※ 金助、吾助事件が、明和四年(1767)にあった。
2人の若者が、農民の窮状を直訴して、打ち首になった事件。(名護屋城のブログに)
上の4年後の1771年に、虹の松原で百姓一揆が起きた。
藩主の重税に反対して。
江戸時代は、1700年ごろの元禄時代を過ぎたら、どの藩も財政は苦しくなって行ったよう。
それで増税。 増税の中身はいろいろあって、1升の米を量る時、山盛りにするのもあった。
上の写真の右の文は、一揆を指導した大庄屋の辞世の句。 (普通、大庄屋は、藩主の方を向いている)
「種植えて 土にもどるや 土くじり」
自らを土くじり(早春に吹き上げる土混じりの風)に例え、やがて種を育てる土となることを誓った歌。(解釈は、九州絶佳選のHPによる)
一揆は成功したが、大庄屋冨田才治は、藩に首を差し出していた。
詳しくは、ここに。
別の駐車場に、山頭火の句碑があった。
これなら作れそうなんだが・・・無理。
中島哀浪と云う人の歌。 全国的に知られた人ではないけど、いいなと思うので載せます。
うすべにの貝がら、というのは、桜貝のことだそう。
海への道を散歩。
虹の松原には、七不思議があった。
※ ここが真水と云うことは、地下には、山からの水脈があるということでしょうか。
※ 七不思議は、こんなの。
「蝉が鳴かないこと」 豊臣秀吉が、騒々しいセミに一喝したため。
「松の背がみんな低いこと」 秀吉が高く伸びた松に「頭が高い」と睨んだことが起こり。
「すべてがクロマツだけ」
「蛇がいない」 諏訪神社に祀られている諏訪姫の願によるといわれています。
「瓜二つの槍掛松」 枝振りが全く同じの二本の松。 今では一本だけが現存。
「海岸に近い二軒茶屋の井戸が真水」
「高島・神集島を結ぶ延長線が松原の中心点」
江戸時代に植えた松に、秀吉が登場。 面白いからいいかな。 ロマン。
こんな風に、松は生えている。 ※ 松の込み具合に注目。
大きな松。
林の中の整備は、とてもいい。 裸足で歩いてみませんか、と標示があった。
※ 上の3枚の写真で、10㍍四方(1㌃)に、何本くらい松はあるでしょう。
一目、10本くらいかな、という感じ。
40本は、どう見たって無い。
実は、調べた市民グループがあった。 その市民グループは、全体の広さを220㌶と押さえていた。
実際に調べたのは、その10分の1の広さの、22㌶。 100㍍四方22個分。
本数は、20652本だった。 この結果では、全体の本数は、20万本ほどになる。
10㍍四方の中に、約10本。 写真は、そんな感じ。
観光協会の言う、220㌶に、100万本あったら、10㍍四方の中に、45本の松があることになる。
どの写真を見ても、そんなには無い。
※ 広さを、唐津市浜玉町支所のHPの240㌶にしても、10㍍四方に42本。
結論は、実際の本数は、100万本よりはるかに少なく、20万本ほど。
どんなに多くても、25万本か。
25万本でも、恥ずかしくなく、すごい数。 他の松原は、10万本ないんだから。
唐津市は、観光案内の中での約100万本を、約20万か約25万に、訂正するのがいいと思う。
また、ちゃっと調査をするべき。
唐津湾。
海寄りの松は、背が低い。
海寄りの松を、中から撮影。
鏡山に登った。 立派な道。 そして、大きな神社。
神社の横から撮影。
山上億良の歌碑。
佐用姫のことを歌っている。 はるか昔は、漢字だけの表記。
佐用姫の伝説について。 天童山に行ったとある。 最後の文が面白い。 本当か?
展望台があった。 お店は、さよひめ茶屋。 この地方では、佐用姫は有名。
子供たちが、転がって遊んでいた。
佐用姫の像。 先日見たのと同じ表情。 こっちは、銅像。
佐用姫が、領巾(ひれ)を振ったので、鏡山は領巾振山とも云う、とある。
右の緑が、鏡山。
唐津市街。 お城が、中央右に。
唐津城。 模擬天守。
※ 唐津城に天守があったとは、証明されていない。 無かったとされている。
なので、天守としての価値は、?。
下には、虹の松原。
虹の松原は、圧倒される広さに感じた。 ※ 100万本はひどいけど。
歩いて楽しい松原を、さらに目指すといいでしょうか。
※ 歩いて楽しい松原の一番は、天橋立でしょうか。
※ 2009年に見た、高田の松原。 その① その② その③
【動画】
【今日の歌】
水森かおりの歌だけど、だれが歌っているか分からない。
プロの感じ。 素人の人は、自分は上手だと思って歌うから、それが歌に出る。
【停泊場所】 鏡山頂上の駐車場
【明日の予定】 唐津市街地に入ります。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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唐津市の観光協会のHPに、そう書いてある。
そのため、ネット上や情報誌のほとんどが、100万本となっている。
※ Wikipediaは書いてない。 Wikipediaは数字を書く時、根拠を求められるので、100万本とは書けない。
このことについて調べてみたら、実際には、その半分もない。
もしかしたら、さらに、その半分だって無いかも知れない。
三大松原の他の2つは、それなりの数字を出している。
三保の松原、54000本。 気比松原(けひのまつばら)、17000本。
※ ちなみに、震災で全滅した高田松原は、70000本だった。 生き残った1本も、最近ダメと分かった。
唐津市は、100万本を見直さなければならない。
※ ※ ※ ※
虹の松原は、唐津市の中心街の少し東に。
松林は、唐津湾沿いに、細長く続いている。
※ 下に縮尺がある。 松原の幅は、ほとんどの部分、1㌔㍍ないのが分かる。

長さは5㌔、幅1㌔。(唐津市観光協会)
※ 日本観光ミシュランでは、長さ4㌔、幅400~700㍍。
唐津市浜玉町支所のHPも、ミシュランと同じ。
広さは、唐津市浜玉町支所のHPに、240㌶とある。
観光協会の言う長さ5㌔、幅1㌔内が全部松なら、500㌶になる。
※ 220㌶と云うサイトもある。
上の地図の、現在地で。

松は、江戸時代に入って、藩主が植えた。
昔は、もっとあって、長さは2里(約8㌔)と言われていた。
だから二里松原。 それが、明治に入って、二里が虹になった。
唐津市の観光協会で、約100万本と紹介している。

別の駐車場に「虹の松原百姓一揆」の碑があった。

※ 金助、吾助事件が、明和四年(1767)にあった。
2人の若者が、農民の窮状を直訴して、打ち首になった事件。(名護屋城のブログに)
上の4年後の1771年に、虹の松原で百姓一揆が起きた。
藩主の重税に反対して。
江戸時代は、1700年ごろの元禄時代を過ぎたら、どの藩も財政は苦しくなって行ったよう。
それで増税。 増税の中身はいろいろあって、1升の米を量る時、山盛りにするのもあった。
上の写真の右の文は、一揆を指導した大庄屋の辞世の句。 (普通、大庄屋は、藩主の方を向いている)
「種植えて 土にもどるや 土くじり」
自らを土くじり(早春に吹き上げる土混じりの風)に例え、やがて種を育てる土となることを誓った歌。(解釈は、九州絶佳選のHPによる)
一揆は成功したが、大庄屋冨田才治は、藩に首を差し出していた。
詳しくは、ここに。
別の駐車場に、山頭火の句碑があった。

これなら作れそうなんだが・・・無理。

中島哀浪と云う人の歌。 全国的に知られた人ではないけど、いいなと思うので載せます。

うすべにの貝がら、というのは、桜貝のことだそう。

海への道を散歩。

虹の松原には、七不思議があった。
※ ここが真水と云うことは、地下には、山からの水脈があるということでしょうか。

※ 七不思議は、こんなの。
「蝉が鳴かないこと」 豊臣秀吉が、騒々しいセミに一喝したため。
「松の背がみんな低いこと」 秀吉が高く伸びた松に「頭が高い」と睨んだことが起こり。
「すべてがクロマツだけ」
「蛇がいない」 諏訪神社に祀られている諏訪姫の願によるといわれています。
「瓜二つの槍掛松」 枝振りが全く同じの二本の松。 今では一本だけが現存。
「海岸に近い二軒茶屋の井戸が真水」
「高島・神集島を結ぶ延長線が松原の中心点」
江戸時代に植えた松に、秀吉が登場。 面白いからいいかな。 ロマン。
こんな風に、松は生えている。 ※ 松の込み具合に注目。

大きな松。

林の中の整備は、とてもいい。 裸足で歩いてみませんか、と標示があった。

※ 上の3枚の写真で、10㍍四方(1㌃)に、何本くらい松はあるでしょう。
一目、10本くらいかな、という感じ。
40本は、どう見たって無い。
実は、調べた市民グループがあった。 その市民グループは、全体の広さを220㌶と押さえていた。
実際に調べたのは、その10分の1の広さの、22㌶。 100㍍四方22個分。
本数は、20652本だった。 この結果では、全体の本数は、20万本ほどになる。
10㍍四方の中に、約10本。 写真は、そんな感じ。
観光協会の言う、220㌶に、100万本あったら、10㍍四方の中に、45本の松があることになる。
どの写真を見ても、そんなには無い。
※ 広さを、唐津市浜玉町支所のHPの240㌶にしても、10㍍四方に42本。
結論は、実際の本数は、100万本よりはるかに少なく、20万本ほど。
どんなに多くても、25万本か。
25万本でも、恥ずかしくなく、すごい数。 他の松原は、10万本ないんだから。
唐津市は、観光案内の中での約100万本を、約20万か約25万に、訂正するのがいいと思う。
また、ちゃっと調査をするべき。
唐津湾。

海寄りの松は、背が低い。


海寄りの松を、中から撮影。

鏡山に登った。 立派な道。 そして、大きな神社。

神社の横から撮影。

山上億良の歌碑。

佐用姫のことを歌っている。 はるか昔は、漢字だけの表記。


佐用姫の伝説について。 天童山に行ったとある。 最後の文が面白い。 本当か?

展望台があった。 お店は、さよひめ茶屋。 この地方では、佐用姫は有名。

子供たちが、転がって遊んでいた。

佐用姫の像。 先日見たのと同じ表情。 こっちは、銅像。

佐用姫が、領巾(ひれ)を振ったので、鏡山は領巾振山とも云う、とある。

右の緑が、鏡山。

唐津市街。 お城が、中央右に。

唐津城。 模擬天守。
※ 唐津城に天守があったとは、証明されていない。 無かったとされている。
なので、天守としての価値は、?。

下には、虹の松原。

虹の松原は、圧倒される広さに感じた。 ※ 100万本はひどいけど。
歩いて楽しい松原を、さらに目指すといいでしょうか。
※ 歩いて楽しい松原の一番は、天橋立でしょうか。
※ 2009年に見た、高田の松原。 その① その② その③
【動画】
【今日の歌】
水森かおりの歌だけど、だれが歌っているか分からない。
プロの感じ。 素人の人は、自分は上手だと思って歌うから、それが歌に出る。
【停泊場所】 鏡山頂上の駐車場
【明日の予定】 唐津市街地に入ります。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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サイクリング(浜崎海岸~虹の松原)と松浦川運動広場
唐突だけど自転車ゲットした。折り畳み自転車。 ブラブラしながら写真撮りに行こーっつった場合、僕が住んでいるような田舎だと必然的に車になるわけで、そうなると目ぼしいもの ...