若い男が2人いた。
どちらかが立身出世したら、もう片方を十分の一の俸禄で召抱える、という約束をした。
お互い、波乱の人生の後、最後にそれが実現した。
唐津の町を歩いていたら、上の話に偶然出会った。
話は、本能寺で信長と一緒に討ち死にした、森蘭丸に関わっていた。
今日は、美味しいとんこつラーメンを食べた。 安い。
※ ※ ※ ※
駅の観光案内所で、地図をいただいた。
その時、虹の松原の100万本について聞いてみた。 こうだった。
松原には、種が落ちて、小さな松が育っている。
だから、100万本以上あると思っている。 数えたことはない。
これが、説明だった。
他の松原と同じように、大きく育った松だけを数えたら、多くても25万本ほど。(昨日のブログに説明を)
25万本が、そう云うことで、100万本に化けていた。
唐津市の考え方なら、200万本と言うこともできる。
虹の松原の本数は、通称100万本。 根拠が無いので、今後も、Wikipedia等に載ることはない。
そう云うことでした。
唐津は、唐津くんちの町。 全国に知られている。
駅前に、曳山(ひきやま)の像が。
佐賀銀行。 いいですね。
真っ直ぐ行ったら、市役所。 この後、左に行く。
寺があったので、説明を読んだ。 ※ いつも、さ~って読んで、面白そうだったら、じっくり読む。
本能寺で、森蘭丸は、安田作兵衛にやられたんですね。
作兵衛は、明智光秀の家来だから、苦労することになる。 最後は、唐津に来る。
その時の城の城主は、寺沢広高。
安田作兵衛と寺沢広高は、若い時に約束していた。 最初にも書いたが、
「どちらかが立身出世したら、もう片方を十分の一の俸禄で召抱える」
唐津藩12万石。 作兵衛は8000石。 10分の1より少ないが、十分ですね。
憶えていた広高が、えらい。 ※ 元々は、8万石だった。 天草領がプラスされる前。
寺には、地獄絵があるという。
時計回りに動く。
近松寺(きんしょうじ)。
人形浄瑠璃の近松門左衛門が、若いころこの寺にいたと説明があった。 そして、墓があると。
※ ただ、このことについては、ネット上に、この寺の説明以外はない。 説明を知って書いたのはあるが。
※ 墓は別の所にある。 近松寺の墓は、遺髪の墓かな。
近松寺は、ずっと昔からあった。 近松門左衛門は、寺の名前を苗字にした。
そう云うことでしょうね。
山頭火の句があった。 松原にも行ってるし、町も歩いている。 昭和7年1月20日。
真ん中の2行を漢字で書くと、摩訶般若波羅密多。
※ ほかに、こんな句も作っている。
「けふのおひるは 水ばかり」
酒を飲みながら、2つの句を作ったそうです。
変わった灯籠があった。
近松門左衛門の墓。
正面は、唐津神社。 唐津くんちは、唐津神社の秋の例大祭だった。 11月2日~4日。
曳山展示場の中。 曳山は、全部で14台。
人気のある祭りで、正月や盆に戻らない若者も、この時は戻ってくる。
唐津市の人口は、12万6千。 見物客は、60万人だそう。
重さ2㌧~4㌧。 武田信玄の鎧(よろい)の曳山もあった。
鯱(しゃちほこ)。
紙を何枚も貼って作るそう。
台車。
血沸き肉躍る、そんな感じか。
ここは、石垣の散歩道。 今の城から遠いが、城の石垣。
旧高取邸。
時の太鼓。 今は、時計がついていた。 唐津市は、昔の物を復元している。
※ この後、龍虎軒で、とんこつラーメンを食べた。 550円。 九州は安い。 安っぽくないのに。
紅ショウガをいっぱい入れて食べたら、スープが赤くなった。
遠くに、唐津城。 城としての魅力は、?。
※ 二の丸御殿跡には学校が建っている。
虹の松原一揆があった。 唐津市民の藩主への思いは、どうなんだろう。
石垣は、町の中まで続いている。
三の丸辰巳櫓。
旧唐津銀行本店。
右が正面。 デザインが凝っている。
現在は、無料で見学できる。 ※ 唐津市は、駐車場を含めて、公共的な料金は安いか無料。
辰野金吾の建築物は、誰でもが、テレビとかで見ている。
※ 日本銀行本店や東京駅(竣工当時)など。
この建物は、辰野の指導のもと、弟子が建てた。
駅の近くに、小さな屋台。 曳山の数と同じ、14のお店。
唐津くんちを、一度見てみたいです。
唐津には、あと1日いて、隣の玄海町に動きます。 通り過ぎたら、また唐津市。
寒さは、少し和らいでいます。
※ 追記 書き忘れたことがあるので、少しだけ。
上で登場した、唐津藩の所在藩主 寺沢広高は、関ヶ原の戦いで家康についた。
その結果、天草領4万石も彼の物になった。 それで12万石になった。
天草の城は、富岡城。 その場所は、今は苓北町(れいほくまち)。
そこを守ったのは、唐津藩の2代藩主、寺沢堅高。
島原の乱で、天草四郎は、富岡城を攻めた。 城は落とせなく、島原城に立てこもることになる。
寺沢堅高が、この時、天草四郎の軍を壊滅出来ていたら、後の島原の乱は起きなかった。
堅高は失政の責任を問われ、天草を没収される。 後に、堅高は自殺する。
このため、唐津藩は改易になり、藩主寺沢氏は廃絶する。
※ 関連ブログ 富岡城 ~苓北町、天草・島原の乱の激戦地~ 下田温泉五足の湯 他 (2010/2/7)
※ 上のブログの中で、「アダム荒川殉教の地」に行っている。
「天草の殉教者 アダム荒川」というサイトに、詳しく書いてある。
その中に、藩主 寺沢広高が、出てくる。
明日行く、松島の人たちの先祖は、きっと大変な思いをして、島に渡っている。
【動画】
【今日の歌】
【道の駅】 桃山天下市
【明日の予定】 クリスチャン100%という、松島に。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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どちらかが立身出世したら、もう片方を十分の一の俸禄で召抱える、という約束をした。
お互い、波乱の人生の後、最後にそれが実現した。
唐津の町を歩いていたら、上の話に偶然出会った。
話は、本能寺で信長と一緒に討ち死にした、森蘭丸に関わっていた。
今日は、美味しいとんこつラーメンを食べた。 安い。
※ ※ ※ ※
駅の観光案内所で、地図をいただいた。
その時、虹の松原の100万本について聞いてみた。 こうだった。
松原には、種が落ちて、小さな松が育っている。
だから、100万本以上あると思っている。 数えたことはない。
これが、説明だった。
他の松原と同じように、大きく育った松だけを数えたら、多くても25万本ほど。(昨日のブログに説明を)
25万本が、そう云うことで、100万本に化けていた。
唐津市の考え方なら、200万本と言うこともできる。
虹の松原の本数は、通称100万本。 根拠が無いので、今後も、Wikipedia等に載ることはない。
そう云うことでした。
唐津は、唐津くんちの町。 全国に知られている。
駅前に、曳山(ひきやま)の像が。

佐賀銀行。 いいですね。

真っ直ぐ行ったら、市役所。 この後、左に行く。

寺があったので、説明を読んだ。 ※ いつも、さ~って読んで、面白そうだったら、じっくり読む。

本能寺で、森蘭丸は、安田作兵衛にやられたんですね。
作兵衛は、明智光秀の家来だから、苦労することになる。 最後は、唐津に来る。
その時の城の城主は、寺沢広高。
安田作兵衛と寺沢広高は、若い時に約束していた。 最初にも書いたが、
「どちらかが立身出世したら、もう片方を十分の一の俸禄で召抱える」
唐津藩12万石。 作兵衛は8000石。 10分の1より少ないが、十分ですね。
憶えていた広高が、えらい。 ※ 元々は、8万石だった。 天草領がプラスされる前。

寺には、地獄絵があるという。

時計回りに動く。

近松寺(きんしょうじ)。

人形浄瑠璃の近松門左衛門が、若いころこの寺にいたと説明があった。 そして、墓があると。
※ ただ、このことについては、ネット上に、この寺の説明以外はない。 説明を知って書いたのはあるが。
※ 墓は別の所にある。 近松寺の墓は、遺髪の墓かな。
近松寺は、ずっと昔からあった。 近松門左衛門は、寺の名前を苗字にした。
そう云うことでしょうね。
山頭火の句があった。 松原にも行ってるし、町も歩いている。 昭和7年1月20日。

真ん中の2行を漢字で書くと、摩訶般若波羅密多。
※ ほかに、こんな句も作っている。
「けふのおひるは 水ばかり」
酒を飲みながら、2つの句を作ったそうです。

変わった灯籠があった。


近松門左衛門の墓。

正面は、唐津神社。 唐津くんちは、唐津神社の秋の例大祭だった。 11月2日~4日。

曳山展示場の中。 曳山は、全部で14台。

人気のある祭りで、正月や盆に戻らない若者も、この時は戻ってくる。
唐津市の人口は、12万6千。 見物客は、60万人だそう。

重さ2㌧~4㌧。 武田信玄の鎧(よろい)の曳山もあった。

鯱(しゃちほこ)。

紙を何枚も貼って作るそう。

台車。

血沸き肉躍る、そんな感じか。

ここは、石垣の散歩道。 今の城から遠いが、城の石垣。

旧高取邸。

時の太鼓。 今は、時計がついていた。 唐津市は、昔の物を復元している。

※ この後、龍虎軒で、とんこつラーメンを食べた。 550円。 九州は安い。 安っぽくないのに。
紅ショウガをいっぱい入れて食べたら、スープが赤くなった。
遠くに、唐津城。 城としての魅力は、?。
※ 二の丸御殿跡には学校が建っている。
虹の松原一揆があった。 唐津市民の藩主への思いは、どうなんだろう。

石垣は、町の中まで続いている。

三の丸辰巳櫓。

旧唐津銀行本店。

右が正面。 デザインが凝っている。

現在は、無料で見学できる。 ※ 唐津市は、駐車場を含めて、公共的な料金は安いか無料。

辰野金吾の建築物は、誰でもが、テレビとかで見ている。
※ 日本銀行本店や東京駅(竣工当時)など。
この建物は、辰野の指導のもと、弟子が建てた。

駅の近くに、小さな屋台。 曳山の数と同じ、14のお店。

唐津くんちを、一度見てみたいです。
唐津には、あと1日いて、隣の玄海町に動きます。 通り過ぎたら、また唐津市。
寒さは、少し和らいでいます。
※ 追記 書き忘れたことがあるので、少しだけ。
上で登場した、唐津藩の所在藩主 寺沢広高は、関ヶ原の戦いで家康についた。
その結果、天草領4万石も彼の物になった。 それで12万石になった。
天草の城は、富岡城。 その場所は、今は苓北町(れいほくまち)。
そこを守ったのは、唐津藩の2代藩主、寺沢堅高。
島原の乱で、天草四郎は、富岡城を攻めた。 城は落とせなく、島原城に立てこもることになる。
寺沢堅高が、この時、天草四郎の軍を壊滅出来ていたら、後の島原の乱は起きなかった。
堅高は失政の責任を問われ、天草を没収される。 後に、堅高は自殺する。
このため、唐津藩は改易になり、藩主寺沢氏は廃絶する。
※ 関連ブログ 富岡城 ~苓北町、天草・島原の乱の激戦地~ 下田温泉五足の湯 他 (2010/2/7)
※ 上のブログの中で、「アダム荒川殉教の地」に行っている。
「天草の殉教者 アダム荒川」というサイトに、詳しく書いてある。
その中に、藩主 寺沢広高が、出てくる。
明日行く、松島の人たちの先祖は、きっと大変な思いをして、島に渡っている。
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【今日の歌】
【道の駅】 桃山天下市
【明日の予定】 クリスチャン100%という、松島に。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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