ニワトリが鳴いて助かった武将がいた。 家康。
でも今日は、ニワトリが鳴いたおかげで、7人が死んだ話に出会った。
民俗資料館では、元寇について、少し勉強した。
昨年秋、鷹島の海で、沈んだ元の船が見つかった。
大騒ぎ。 それを見ることができた。
※ ※ ※ ※
今日は、地図の下半分。
変わったダムがあった。 ダムの部分は、以前は海で「湾」だった。
湾の出口を仕切ってしまった。 ダムが出来た。
高さが、左右違う。 確かにダム。
ダム湖。
下は、日比の港。
鹿島歴史民俗資料館に行った。 ここで、今日予定の場所の情報も頂く。 道が通れるかも。
資料館の方に、丁寧に説明していただいた。
元寇についての展示が中心だった。 私も、これが知りたい。
海底から発掘された物も、展示。
昨年秋に、大きなニュースがあった。 発見された船の木材は、隣の埋蔵文化センターで見ることが出来た。
元が日本を攻めた目的が書いてあった。
※ 右下の可能性があると思った。
政治家は、国のことを考えてるふりをして、自分の利益や都合で動いてること(者)が多い。
元はモンゴルと考えると、アジアの山の中だけど、当時は広かった。
元寇の様子の絵があったので、いくつか紹介。
対馬の様子。
小太郎と兵衛次郎の活躍が書いてある。 元寇について調べたら、この二人は必ず登場する。
太宰府への報告は、大きなことだったと分かる。
博多に攻めてる様子。
台風がやって来た。(2回目の弘安の役)
上の絵の場所は、鷹島南岸とは知らなかった。 九州の北の海と思っていた。
鷹島も、下のような有様になった。
鷹島で助かったのは、2人と云うから。
文永の役と弘安の役の概略。 こんなにやって来たら、海は船で埋まる。
隣の、鷹島埋蔵文化センター。
脱塩処理とあった。 液体に浸けている。 最後は、薬剤のようなのを注入して、腐らないようにする。
これが、海底の砂の中から発見された。
大きな碇(いかり)も。 大きさで、船の大きさも予想つくと云う。
小さな山の上に、対馬小太郎の墓。
小太郎の墓。 最後はこの島で戦って死ぬ。
彼と兵衛次郎は、夜通し小舟をこいだ。 敵に見つかったらお終いだった。
小太郎は、海が見えるところに墓を、と言った。 その通り、対馬の方が見えた。
すぐ近くに、「刀(とう)の元の六地蔵」があった。
この場所で、弘安の役の時、敵の捕虜を斬首したとあったが、どうして「刀の元」と云うかは分からない。
ここに、六地蔵がある。 こういう石塔は、他でも見る。
赤土を塗るのは、病気にならないための信仰だという。
※ そう云えば、この島の土は赤い。 鹿児島県の長島の土もそうだった。
住吉神社のあこう樹。 神社が隠れている。 あこう樹は、根が浮かび上がる。
※ 土佐清水にあった、あこう樹。 これは、室戸岬に。
こんな木も。
走っていたら、畑に草が転がっていた。
車を停めて、畑にいた人と、少しお話し。
この草は、タバコの苗を育てるために、ビニルハウスの中に敷くと云う。 (細かく刻むのかな)
タバコの畑になる。 タバコが値上げになって、作る農家が減ったと云う。
ずっと昔は、自分でタバコを作って吸った人もいたそう。
牧の岳史跡公園。 この島で、一番高い所。
目の前は、この風景。 左の方に、黒島が見えた。
この封駅が見える場所に、ベンチがあった。 そこに、冬なのに、2人のおばあちゃん。
散歩の途中で一休みという。
この地域では、今でもニワトリを飼わないのかい、と聞いた。
誰も飼わないと言った。 はるか昔のことを、今でも忘れてはいなかった。
「お互い、この島に来て、もう60年だね」
そんな話をしているのかな~、と思った。
開田の七人塚。
こんな説明。 ニワトリが鳴いたので、見つかってしまった。
※ 家康は、ある戦で負けて、少しの家来と、自分の城のある岡崎に逃げ帰った。
途中、夜になって、小さな寺に泊めてもらった。
住職に、夜が明けて、ニワトリが鳴いたら起こしてくれるよう、頼んだ。
朝が近づいて、ニワトリが鳴いた。 でも、まだ朝でなく、真っ暗だった。
しかし、鳴いたことを家康に伝えた。 家康一行は出発した。
その後、敵の追っ手が直ぐにやって来た。 危機一髪だった。
家康は、後に、その寺に褒美を出す。
その寺では、今でも、その時と同じ種類のニワトリを飼っている。 ※ 関連ブログは最後に。
今宮神社のイチョウの木。
お堂に、平安時代の像があった。 市の文化財。
※ 県や国の文化財にならないのは、調査がはっきりしてないからか。
後の時代に、誰かが手を加えると、平安時代の価値は無くなる。
明治以前は、ここに寺があった。 ここを治めた者の墓や塔が、いっぱいあった。
小さなお堂に、変わった像があった。
海の底から見つかった。 元寇の時、船に積んであった仏像。
日本の仏像と表情が違う。 県の文化財になっている。
鷹島歴史民俗資料館は、小さな島なのに、充実していた。
国からの予算が付いて、優秀な学芸員さんがいる感じ。
鷹島は、元寇と深い関わりのある島だった。
2日間いたが、退屈しなかった。
700年以上経った今も、ニワトリを飼っていないのが、驚き。
亡くなった人たちのことを、決して忘れない。
【関連ブログ】 満光寺 ~鶏が家康を救った伝説と小堀遠州流庭園の寺~ 他 (2009/11/12)
【今日の歌】 虹に松原で、下の歌を見たので、今日は「さくら貝の歌」
一人の男が、好きな人を病で亡くし、下の和歌を作った。
二つ合わさる貝殻の、片方になったと歌った。
わが恋のごとく悲しやさくら貝
片ひらのみのさみしくありて
上の和歌を元に、友人に詞を頼んだ。 出来たのが、さくら貝の歌の歌詞。
うるわしき桜貝ひとつ 去りゆける君に捧げむ
この貝は去年の浜辺に われひとり拾いし貝よ
メロディーは自分で付けた。 後に、彼は作曲家になる。
なくなった恋人の名前は、横山八重子。 戒名は、誓願院釈秀満大姉。
作曲家としての名前は、八洲秀章(やしまひであき)に。
『山のけむり』『あざみの歌』『チャペルの鐘』『毬藻の歌』などを作曲した。(二木紘三のうた物語等参考)
鎌倉の海岸と思う。 和歌はここでつくった。 左に、富士山の裾(すそ)が見える。
【道の駅】 鷹ら島
【明日の予定】 いろは島を見る
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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でも今日は、ニワトリが鳴いたおかげで、7人が死んだ話に出会った。
民俗資料館では、元寇について、少し勉強した。
昨年秋、鷹島の海で、沈んだ元の船が見つかった。
大騒ぎ。 それを見ることができた。
※ ※ ※ ※
今日は、地図の下半分。

変わったダムがあった。 ダムの部分は、以前は海で「湾」だった。
湾の出口を仕切ってしまった。 ダムが出来た。

高さが、左右違う。 確かにダム。

ダム湖。

下は、日比の港。

鹿島歴史民俗資料館に行った。 ここで、今日予定の場所の情報も頂く。 道が通れるかも。
資料館の方に、丁寧に説明していただいた。
元寇についての展示が中心だった。 私も、これが知りたい。
海底から発掘された物も、展示。


昨年秋に、大きなニュースがあった。 発見された船の木材は、隣の埋蔵文化センターで見ることが出来た。

元が日本を攻めた目的が書いてあった。
※ 右下の可能性があると思った。
政治家は、国のことを考えてるふりをして、自分の利益や都合で動いてること(者)が多い。

元はモンゴルと考えると、アジアの山の中だけど、当時は広かった。

元寇の様子の絵があったので、いくつか紹介。
対馬の様子。

小太郎と兵衛次郎の活躍が書いてある。 元寇について調べたら、この二人は必ず登場する。
太宰府への報告は、大きなことだったと分かる。

博多に攻めてる様子。

台風がやって来た。(2回目の弘安の役)

上の絵の場所は、鷹島南岸とは知らなかった。 九州の北の海と思っていた。

鷹島も、下のような有様になった。

鷹島で助かったのは、2人と云うから。

文永の役と弘安の役の概略。 こんなにやって来たら、海は船で埋まる。

隣の、鷹島埋蔵文化センター。

脱塩処理とあった。 液体に浸けている。 最後は、薬剤のようなのを注入して、腐らないようにする。
これが、海底の砂の中から発見された。

大きな碇(いかり)も。 大きさで、船の大きさも予想つくと云う。

小さな山の上に、対馬小太郎の墓。

小太郎の墓。 最後はこの島で戦って死ぬ。
彼と兵衛次郎は、夜通し小舟をこいだ。 敵に見つかったらお終いだった。

小太郎は、海が見えるところに墓を、と言った。 その通り、対馬の方が見えた。

すぐ近くに、「刀(とう)の元の六地蔵」があった。
この場所で、弘安の役の時、敵の捕虜を斬首したとあったが、どうして「刀の元」と云うかは分からない。

ここに、六地蔵がある。 こういう石塔は、他でも見る。
赤土を塗るのは、病気にならないための信仰だという。
※ そう云えば、この島の土は赤い。 鹿児島県の長島の土もそうだった。

住吉神社のあこう樹。 神社が隠れている。 あこう樹は、根が浮かび上がる。
※ 土佐清水にあった、あこう樹。 これは、室戸岬に。

こんな木も。

走っていたら、畑に草が転がっていた。
車を停めて、畑にいた人と、少しお話し。
この草は、タバコの苗を育てるために、ビニルハウスの中に敷くと云う。 (細かく刻むのかな)

タバコの畑になる。 タバコが値上げになって、作る農家が減ったと云う。
ずっと昔は、自分でタバコを作って吸った人もいたそう。

牧の岳史跡公園。 この島で、一番高い所。

目の前は、この風景。 左の方に、黒島が見えた。
この封駅が見える場所に、ベンチがあった。 そこに、冬なのに、2人のおばあちゃん。
散歩の途中で一休みという。
この地域では、今でもニワトリを飼わないのかい、と聞いた。
誰も飼わないと言った。 はるか昔のことを、今でも忘れてはいなかった。
「お互い、この島に来て、もう60年だね」
そんな話をしているのかな~、と思った。

開田の七人塚。

こんな説明。 ニワトリが鳴いたので、見つかってしまった。

※ 家康は、ある戦で負けて、少しの家来と、自分の城のある岡崎に逃げ帰った。
途中、夜になって、小さな寺に泊めてもらった。
住職に、夜が明けて、ニワトリが鳴いたら起こしてくれるよう、頼んだ。
朝が近づいて、ニワトリが鳴いた。 でも、まだ朝でなく、真っ暗だった。
しかし、鳴いたことを家康に伝えた。 家康一行は出発した。
その後、敵の追っ手が直ぐにやって来た。 危機一髪だった。
家康は、後に、その寺に褒美を出す。
その寺では、今でも、その時と同じ種類のニワトリを飼っている。 ※ 関連ブログは最後に。
今宮神社のイチョウの木。

お堂に、平安時代の像があった。 市の文化財。
※ 県や国の文化財にならないのは、調査がはっきりしてないからか。
後の時代に、誰かが手を加えると、平安時代の価値は無くなる。

明治以前は、ここに寺があった。 ここを治めた者の墓や塔が、いっぱいあった。

小さなお堂に、変わった像があった。

海の底から見つかった。 元寇の時、船に積んであった仏像。

日本の仏像と表情が違う。 県の文化財になっている。

鷹島歴史民俗資料館は、小さな島なのに、充実していた。
国からの予算が付いて、優秀な学芸員さんがいる感じ。
鷹島は、元寇と深い関わりのある島だった。
2日間いたが、退屈しなかった。
700年以上経った今も、ニワトリを飼っていないのが、驚き。
亡くなった人たちのことを、決して忘れない。
【関連ブログ】 満光寺 ~鶏が家康を救った伝説と小堀遠州流庭園の寺~ 他 (2009/11/12)
【今日の歌】 虹に松原で、下の歌を見たので、今日は「さくら貝の歌」

一人の男が、好きな人を病で亡くし、下の和歌を作った。
二つ合わさる貝殻の、片方になったと歌った。
わが恋のごとく悲しやさくら貝
片ひらのみのさみしくありて
上の和歌を元に、友人に詞を頼んだ。 出来たのが、さくら貝の歌の歌詞。
うるわしき桜貝ひとつ 去りゆける君に捧げむ
この貝は去年の浜辺に われひとり拾いし貝よ
メロディーは自分で付けた。 後に、彼は作曲家になる。
なくなった恋人の名前は、横山八重子。 戒名は、誓願院釈秀満大姉。
作曲家としての名前は、八洲秀章(やしまひであき)に。
『山のけむり』『あざみの歌』『チャペルの鐘』『毬藻の歌』などを作曲した。(二木紘三のうた物語等参考)
鎌倉の海岸と思う。 和歌はここでつくった。 左に、富士山の裾(すそ)が見える。
【道の駅】 鷹ら島
【明日の予定】 いろは島を見る
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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