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キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

いろは島の風景をながめた。 島の一つを、散歩。
他に見る予定の所が、閉まっていたので、テレビで相撲を見た。
そうしたら、十両に 阿夢羅(アムール)という力士がいた。
インタビューを受け、アムール川で釣りをしたとか話していた。

その話を聞いて、この時期、アムール川で生まれた流氷は、北海道に向かっているのを思い出した。
そして、大好きな「アムール河の波」の歌を聞いてみた。
    ※    ※    ※    ※

伊万里市に入る前にどこかを、と思って。


いろは島展望台から。 たくさんの島を、いろは島と呼んでいる。 島は、長崎県に入る。

12年1月11日 (1)

橋を渡って行ける島があるので、そこを散歩する予定。

12年1月11日 (2)

左の方。 遠くに棚田。 棚田は、どこにでもある。

12年1月11日 (3)

山を下りた。 駐車場に車を置いて、小さな島へ。

12年1月11日 (4)

おとぎ話の世界のよう。

12年1月11日 (5)

花と冒険の島とあった。 ※ 地図には、島山島とある。 

12年1月11日 (6)

夏は海水浴で賑わいそう。

12年1月11日 (7)

建物は、国民宿舎いろは島。

12年1月11日 (8)

こんな道を歩く。 花が無いから、少し退屈。

12年1月11日 (9)

夏の喧騒が残っている。 そう思うと、時が停まった感じになる。

12年1月11日 (10)

養殖の生簀(いけす)が多く見られる。 獲るだけの漁業ではなくなっている。

12年1月11日 (11)

山の上に、植物園のような所があるので行ってみた。 やってなかったので戻った。
戻る途中に撮影。 
小さな島の向こうの大きな島は、福島。 長崎県松浦市福島町。 明日行く予定。
いろは島の、ほぼ全体が見えている。

12年1月11日 (12)

棚田の下の方。

12年1月11日 (13)

棚田の全体。

12年1月11日 (14)

山の頂上近くまである。 水は、大丈夫か。

12年1月11日 (15)

この地域の学校は、山の上にある。
下校の子供たちが、坂の下に向かって、歩いていた。 一番下まで歩いた子もいた。
明日の朝は、山登り。 足腰が丈夫になる。

今日は、ただ歩いただけ。
車に戻って、久しぶりにテレビ。 3チャンネルが入った。 面白い物が無いので、相撲でがまん。

そうしたら、新十両だと云う、阿夢羅(アムール)関が紹介された。
9年かかって、やっと関取になれた。 28歳。 お姉さんは、小樽にいると云う。
子供の頃、アムール川で遊んだと言った。 泳いだり魚釣ったり。

テレビは途中でやめて、「アムール河の波」を、YouTubeで聞いた。 いい曲だ。


【今日の歌】   アムール河の波

この曲は、キュッスという男が、好きになった人に、プレゼントした曲だった。
※ キュッスについての情報は色々ありますが、新しい情報がロシア側から出ているので、それをもとに書きます。



2分50秒からの最後の部分がたまらない。 それで、載せました。 編曲って、恐ろしい。





演奏だけは、ここに

amu-rugawa656.jpg 

上の地図の説明。 印の所が、アムール川の河口。 そこからオホーツク海に真水が出る。
真水は凍りやすいので、氷が出来る。 それが、カラフトの東を南下。

キュッスは、ウラジオストクにやってくる。 シベリア鉄道の終着駅。 初めての演奏は、この町。

※ ピンクの場所は、黒沢監督の映画「デルス・ウザーラ」の舞台。 好きな映画。

下の地図の説明。 キュッスは、オデッサで生まれる。 1784年。   こんな人
オデッサの音楽学校で学ぶ。

その後、サンクト・ペテルブルグで暮らす。 家族あり。
1903年に、その町から、汽車に乗って、ウラジオストクに旅に出る。 作曲は、その時。

※ サンクト・ペテルブルグは、ロシア帝国時代の首都。
  クラムスコイの「見知らぬ女(ひと)」の絵は、この町が舞台。
※ 原発事故のチェルノブイリが見える。 上に、ベラルーシ。 ここの子供たちが、甲状腺癌にかかる。
※ 体操のコマネチは、シャウシェスク政権が崩壊する直前、ブカレストからウィーンに脱出。 
  命がけだった。 ウィーンから、特別機でアメリカに。

odessa879.jpg

「アムール河の波」が生まれた経緯は、こうです。 簡単に。

ウラジオストクに向かったキュッスは、途中である女性に出会う。 
でも、その人は、陸軍大佐の奥様だった。 名前は、ヴェーラ・ニコラーエヴナ。 こんな女性
お互いそれなりの気持ちになった時はあるが、女性の方は、引き下がる。

キュッスは、あきらめ切れない。 
ウラジオストクまでの汽車の中で、彼は、高まる気持ちを、音楽で表現した。 
それが、アムール河の波だった。  ※ 最初の曲名は、アムール湾の波。

ある演奏会で演奏する形で、彼女にプレゼントした。

しかし、叶わぬ恋であることは、キュッス自身も知っていた。
しばらくして、故郷のオデッサに戻る。 

キュッスが60歳の後半になった時、ドイツがオデッサを占領した。
彼は、音楽家として、名が知られていた。
ドイツ軍のある将校が、彼にナチの行進曲「ホルスト・ヴェッセルの歌」の演奏を要求した。
仕方なく演奏はしたが、ちゃんと演奏しなかった。 ※ 短調に変えたよう。
キュッスは、処刑されてしまった。 1941年のこと。 ※ 彼は、ユダヤ人でもあった。

アムール湾の波の楽譜は、埋もれていたが、1944年にある音楽家によって発見された。
歌詞が付けられ、題名も今の「アムール河の波」に変更された。
世界中に知られる曲になって行く。

この曲は、単純に自然を描写したものではなかった。
曲の持つ、激しさや、悲しさ、そんなものは、キュッスの彼女への思いだった。 
                           (主に参考にしたのは、女声合唱団チャイカのHP)

【停泊場所】   いろは島の公園の駐車場

【明日の予定】  福島という島に。 橋でつながっている。 何も無いかも知れないが。

※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                    (2008年4月~2010年9月までの記事)

meisigazoupppm.jpg
   
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  • いろは島の風景 他 ~唐津市肥前町~  「アムール河の波」について  他  (2012/1/11)
  • 2012年01月12日 (木)
  • 05時08分14秒
by AlphaWolfy

akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、十数回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
明日は、どこの空の下にいるのかな。


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