いろは島の風景をながめた。 島の一つを、散歩。
他に見る予定の所が、閉まっていたので、テレビで相撲を見た。
そうしたら、十両に 阿夢羅(アムール)という力士がいた。
インタビューを受け、アムール川で釣りをしたとか話していた。
その話を聞いて、この時期、アムール川で生まれた流氷は、北海道に向かっているのを思い出した。
そして、大好きな「アムール河の波」の歌を聞いてみた。
※ ※ ※ ※
伊万里市に入る前にどこかを、と思って。
いろは島展望台から。 たくさんの島を、いろは島と呼んでいる。 島は、長崎県に入る。
橋を渡って行ける島があるので、そこを散歩する予定。
左の方。 遠くに棚田。 棚田は、どこにでもある。
山を下りた。 駐車場に車を置いて、小さな島へ。
おとぎ話の世界のよう。
花と冒険の島とあった。 ※ 地図には、島山島とある。
夏は海水浴で賑わいそう。
建物は、国民宿舎いろは島。
こんな道を歩く。 花が無いから、少し退屈。
夏の喧騒が残っている。 そう思うと、時が停まった感じになる。
養殖の生簀(いけす)が多く見られる。 獲るだけの漁業ではなくなっている。
山の上に、植物園のような所があるので行ってみた。 やってなかったので戻った。
戻る途中に撮影。
小さな島の向こうの大きな島は、福島。 長崎県松浦市福島町。 明日行く予定。
いろは島の、ほぼ全体が見えている。
棚田の下の方。
棚田の全体。
山の頂上近くまである。 水は、大丈夫か。
この地域の学校は、山の上にある。
下校の子供たちが、坂の下に向かって、歩いていた。 一番下まで歩いた子もいた。
明日の朝は、山登り。 足腰が丈夫になる。
今日は、ただ歩いただけ。
車に戻って、久しぶりにテレビ。 3チャンネルが入った。 面白い物が無いので、相撲でがまん。
そうしたら、新十両だと云う、阿夢羅(アムール)関が紹介された。
9年かかって、やっと関取になれた。 28歳。 お姉さんは、小樽にいると云う。
子供の頃、アムール川で遊んだと言った。 泳いだり魚釣ったり。
テレビは途中でやめて、「アムール河の波」を、YouTubeで聞いた。 いい曲だ。
【今日の歌】 アムール河の波
この曲は、キュッスという男が、好きになった人に、プレゼントした曲だった。
※ キュッスについての情報は色々ありますが、新しい情報がロシア側から出ているので、それをもとに書きます。
2分50秒からの最後の部分がたまらない。 それで、載せました。 編曲って、恐ろしい。
演奏だけは、ここに。
上の地図の説明。 印の所が、アムール川の河口。 そこからオホーツク海に真水が出る。
真水は凍りやすいので、氷が出来る。 それが、カラフトの東を南下。
キュッスは、ウラジオストクにやってくる。 シベリア鉄道の終着駅。 初めての演奏は、この町。
※ ピンクの場所は、黒沢監督の映画「デルス・ウザーラ」の舞台。 好きな映画。
下の地図の説明。 キュッスは、オデッサで生まれる。 1784年。 こんな人。
オデッサの音楽学校で学ぶ。
その後、サンクト・ペテルブルグで暮らす。 家族あり。
1903年に、その町から、汽車に乗って、ウラジオストクに旅に出る。 作曲は、その時。
※ サンクト・ペテルブルグは、ロシア帝国時代の首都。
クラムスコイの「見知らぬ女(ひと)」の絵は、この町が舞台。
※ 原発事故のチェルノブイリが見える。 上に、ベラルーシ。 ここの子供たちが、甲状腺癌にかかる。
※ 体操のコマネチは、シャウシェスク政権が崩壊する直前、ブカレストからウィーンに脱出。
命がけだった。 ウィーンから、特別機でアメリカに。
「アムール河の波」が生まれた経緯は、こうです。 簡単に。
ウラジオストクに向かったキュッスは、途中である女性に出会う。
でも、その人は、陸軍大佐の奥様だった。 名前は、ヴェーラ・ニコラーエヴナ。 こんな女性。
お互いそれなりの気持ちになった時はあるが、女性の方は、引き下がる。
キュッスは、あきらめ切れない。
ウラジオストクまでの汽車の中で、彼は、高まる気持ちを、音楽で表現した。
それが、アムール河の波だった。 ※ 最初の曲名は、アムール湾の波。
ある演奏会で演奏する形で、彼女にプレゼントした。
しかし、叶わぬ恋であることは、キュッス自身も知っていた。
しばらくして、故郷のオデッサに戻る。
キュッスが60歳の後半になった時、ドイツがオデッサを占領した。
彼は、音楽家として、名が知られていた。
ドイツ軍のある将校が、彼にナチの行進曲「ホルスト・ヴェッセルの歌」の演奏を要求した。
仕方なく演奏はしたが、ちゃんと演奏しなかった。 ※ 短調に変えたよう。
キュッスは、処刑されてしまった。 1941年のこと。 ※ 彼は、ユダヤ人でもあった。
アムール湾の波の楽譜は、埋もれていたが、1944年にある音楽家によって発見された。
歌詞が付けられ、題名も今の「アムール河の波」に変更された。
世界中に知られる曲になって行く。
この曲は、単純に自然を描写したものではなかった。
曲の持つ、激しさや、悲しさ、そんなものは、キュッスの彼女への思いだった。
(主に参考にしたのは、女声合唱団チャイカのHP)
【停泊場所】 いろは島の公園の駐車場
【明日の予定】 福島という島に。 橋でつながっている。 何も無いかも知れないが。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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他に見る予定の所が、閉まっていたので、テレビで相撲を見た。
そうしたら、十両に 阿夢羅(アムール)という力士がいた。
インタビューを受け、アムール川で釣りをしたとか話していた。
その話を聞いて、この時期、アムール川で生まれた流氷は、北海道に向かっているのを思い出した。
そして、大好きな「アムール河の波」の歌を聞いてみた。
※ ※ ※ ※
伊万里市に入る前にどこかを、と思って。
いろは島展望台から。 たくさんの島を、いろは島と呼んでいる。 島は、長崎県に入る。

橋を渡って行ける島があるので、そこを散歩する予定。

左の方。 遠くに棚田。 棚田は、どこにでもある。

山を下りた。 駐車場に車を置いて、小さな島へ。

おとぎ話の世界のよう。

花と冒険の島とあった。 ※ 地図には、島山島とある。

夏は海水浴で賑わいそう。

建物は、国民宿舎いろは島。

こんな道を歩く。 花が無いから、少し退屈。

夏の喧騒が残っている。 そう思うと、時が停まった感じになる。

養殖の生簀(いけす)が多く見られる。 獲るだけの漁業ではなくなっている。

山の上に、植物園のような所があるので行ってみた。 やってなかったので戻った。
戻る途中に撮影。
小さな島の向こうの大きな島は、福島。 長崎県松浦市福島町。 明日行く予定。
いろは島の、ほぼ全体が見えている。

棚田の下の方。

棚田の全体。

山の頂上近くまである。 水は、大丈夫か。

この地域の学校は、山の上にある。
下校の子供たちが、坂の下に向かって、歩いていた。 一番下まで歩いた子もいた。
明日の朝は、山登り。 足腰が丈夫になる。
今日は、ただ歩いただけ。
車に戻って、久しぶりにテレビ。 3チャンネルが入った。 面白い物が無いので、相撲でがまん。
そうしたら、新十両だと云う、阿夢羅(アムール)関が紹介された。
9年かかって、やっと関取になれた。 28歳。 お姉さんは、小樽にいると云う。
子供の頃、アムール川で遊んだと言った。 泳いだり魚釣ったり。
テレビは途中でやめて、「アムール河の波」を、YouTubeで聞いた。 いい曲だ。
【今日の歌】 アムール河の波
この曲は、キュッスという男が、好きになった人に、プレゼントした曲だった。
※ キュッスについての情報は色々ありますが、新しい情報がロシア側から出ているので、それをもとに書きます。
2分50秒からの最後の部分がたまらない。 それで、載せました。 編曲って、恐ろしい。
演奏だけは、ここに。

上の地図の説明。 印の所が、アムール川の河口。 そこからオホーツク海に真水が出る。
真水は凍りやすいので、氷が出来る。 それが、カラフトの東を南下。
キュッスは、ウラジオストクにやってくる。 シベリア鉄道の終着駅。 初めての演奏は、この町。
※ ピンクの場所は、黒沢監督の映画「デルス・ウザーラ」の舞台。 好きな映画。
下の地図の説明。 キュッスは、オデッサで生まれる。 1784年。 こんな人。
オデッサの音楽学校で学ぶ。
その後、サンクト・ペテルブルグで暮らす。 家族あり。
1903年に、その町から、汽車に乗って、ウラジオストクに旅に出る。 作曲は、その時。
※ サンクト・ペテルブルグは、ロシア帝国時代の首都。
クラムスコイの「見知らぬ女(ひと)」の絵は、この町が舞台。
※ 原発事故のチェルノブイリが見える。 上に、ベラルーシ。 ここの子供たちが、甲状腺癌にかかる。
※ 体操のコマネチは、シャウシェスク政権が崩壊する直前、ブカレストからウィーンに脱出。
命がけだった。 ウィーンから、特別機でアメリカに。

「アムール河の波」が生まれた経緯は、こうです。 簡単に。
ウラジオストクに向かったキュッスは、途中である女性に出会う。
でも、その人は、陸軍大佐の奥様だった。 名前は、ヴェーラ・ニコラーエヴナ。 こんな女性。
お互いそれなりの気持ちになった時はあるが、女性の方は、引き下がる。
キュッスは、あきらめ切れない。
ウラジオストクまでの汽車の中で、彼は、高まる気持ちを、音楽で表現した。
それが、アムール河の波だった。 ※ 最初の曲名は、アムール湾の波。
ある演奏会で演奏する形で、彼女にプレゼントした。
しかし、叶わぬ恋であることは、キュッス自身も知っていた。
しばらくして、故郷のオデッサに戻る。
キュッスが60歳の後半になった時、ドイツがオデッサを占領した。
彼は、音楽家として、名が知られていた。
ドイツ軍のある将校が、彼にナチの行進曲「ホルスト・ヴェッセルの歌」の演奏を要求した。
仕方なく演奏はしたが、ちゃんと演奏しなかった。 ※ 短調に変えたよう。
キュッスは、処刑されてしまった。 1941年のこと。 ※ 彼は、ユダヤ人でもあった。
アムール湾の波の楽譜は、埋もれていたが、1944年にある音楽家によって発見された。
歌詞が付けられ、題名も今の「アムール河の波」に変更された。
世界中に知られる曲になって行く。
この曲は、単純に自然を描写したものではなかった。
曲の持つ、激しさや、悲しさ、そんなものは、キュッスの彼女への思いだった。
(主に参考にしたのは、女声合唱団チャイカのHP)
【停泊場所】 いろは島の公園の駐車場
【明日の予定】 福島という島に。 橋でつながっている。 何も無いかも知れないが。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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