有田、伊万里は、日本の代表的な磁器の産地。 ※ 磁器は陶器に比べたら、硬い感じでしょうか。
分かっていたのは、そこまで。
その中で、江戸時代に高級品だけを作っている所があった。 大川内山(おおかわちやま)。
そこで作られた磁器は、鍋島と呼ばれた。
見慣れた人は、一目、鍋島と分かるそう。
※ ※ ※ ※
伊万里市街地から、少し南の山の中。
大川内山。 何て読むんだろう。 きっと、おおかわうちやま、ではない。
おおかわちやま、だった。
住所は、伊万里市大川内(おおかわち)。 山の側なので、大川内山と呼んでいた。
地図の横に、鍋島の説明。 絵皿の地図は、上の地図を90度回転。
鍋島は、鍋島焼のことだが、単に鍋島で通じる。
大川内山の窯(かま)は、鍋島藩直営だった。
※ 鍋島藩は、佐賀藩のこと。 肥前藩とも言った。
明治維新を推進した、薩長土肥(さっちょうとひ)の一つ。
江藤新平・大隈重信が、この藩出身。
明治に入って、江藤新平は、佐賀の乱を起こす。 鎮圧されて、四国に逃亡するが、捕まる。
捕まった地は、高知県の東部にある、甲浦(かんのうら)。 関連ブログは、最後に。
伊万里・有田焼伝統産業会館の中。 ※ 車は、ここの駐車場に。
鍋島は、色使いが、はっきりしてるそう。
鍋島を幕府に献上したため、何とか、江戸時代を乗り切ったと言われる。
※ 関ヶ原では、元々は、西軍だった。 途中で、変わる。
この説明が分かりやすい。 明治に入って、いったん下火に。
※ 普通の伊万里焼が混ざっているかもしれない。
メインの通りは、真っ直ぐ行って、途中から右の奥に行く。
そんなに寒くないので、花は元気。
橋も、鍋島の破片で。
橋の上の、鍋島。
大川内山には、30程の窯元がある。 ゆるい坂道が続き、正面には、屏風のような山。
この風景があるので、この地に、鍋島藩は窯を作ったのかなと思った。
重伝建地区ではないが、美しい町並み。 ※ そのため、多くの賞を受けている。
正面に、昔は、関所があった。 上の焼き物の皿の地図にある。

秘密を守るために、関所を作った。
上の写真は、最初は、もっと奥で撮ろうとした。 車が、左に停車。
車の見えない所まで、下がって撮る。
車から、この人が、焼く前の物を、こうやって運んでいた。
メインの通りに戻った。 地図の、右に向かった。 後ろの山は、山水画。
通りの魅力は、独自のもの。 過去の世界ではない。 大川内山の、大きな魅力。
※ 先日、コメントで、ここはいいと、教えていただいていた。
どこのお店も、ウィンドウに、作品を並べていた。 それを見ながら歩く。
この辺りは、特に雰囲気がいい。 煉瓦などの焼き物も、町並みを良くしている。
どこまでも続く坂道。 焼き物の好きな人は、一軒一軒のぞくのかな。
小路に入った。 清正公堂があった。 加藤清正のこと。
また、空き地には、下の様な標示が。 これも、鍋島の説明。
※ 敷地内には、入れない。 発掘が終わっていない所がある。
どう飾るか。 センスが問われます。
観光客のための休憩所の中。 通りから離れている。
仕事の、道具。
作品の展示。
山の上に、こんな所。 磨崖仏のよう。
登り窯の跡。 別の場所に、新しいのを再現している。
山の上から。
梅ですね。 うっかり、咲いてしまったのか。 12月まで、冬桜は、時々見た。
再現した登り窯。 1年に1回は焼くそう。 窯元みんなで。
タマネギ畑。 雨が降らないので、水。 初夏の頃、収穫だそう。 昔は、田んぼ。
お店の窓。
陶工の墓を集めた。 880を、このように積んだ。
秀吉が朝鮮に出兵した時、優秀な陶工を連れて来たと云う。 技術は、そこから始まった。
焼き物の使う材料を、細かくする。 右は、磁器製風鈴。
音が鳴ったので、何の曲かを考えたが、分からなかった。
後で知ったが、曲ではなかった。 陶器の音を楽しむものだった。
陶器をたたいたら、割れているとか、作品の出来栄えが分かった。
そうやって、作品を選別することが、めおとし。
どうして、それが「めおとし」なのか。 どんな漢字なのか。 調べても、分からない。
※ 目落としか。 たたいて音が悪かったら、落として壊す。(自信は無いが)
※ 追記 次の日に陶器商家資料館で分かりました。
「めおとし」は、目落としでいいよう。
目は大事なと云う意味で、それが落ちていないかと云う意味。
割れていないか等。 音で、品物の状態が分かった。
芭蕉塚。 江戸時代から、芭蕉は慕われていた。 ここに芭蕉が来たわけではない。
時雨忌(しぐれき)は、芭蕉の忌日。 なくなった日。 10月12日。
歩いていて、磁器の作品を見ることが出来る。
町並みは、古い町並みとは違う魅力。 後ろの山は、屏風に描いた山水画。
小さな公園、そしてギャラリー。
大川内山は、退屈しない所だった。
【動画】
【関連ブログ】 土佐の東の玄関口 甲浦 ~仏頂造りの家と、江藤新平が捕まった地 東洋町~ 他 (2011/1/3)
【その他】 静岡の清水のKさんが、ネットに鷹島のニュースがあると教えてくれた。
少し前に、2日間いた。
【今日の歌】 池上線
この曲は、西島三重子の代表作。 長く売れ続けている。 1976年発売。
池上線を知って、彼女の歌を聴くようになった。
鬼無里(きなさ)の道という歌を知り、戸隠の近くの鬼無里に行くことになる。 3回も。
※ 作詞は、佐藤順英。 この曲は、彼が国連職員を目指し、ハワイ大学に留学しながら、遠距離恋愛をしていた恋人との別れが
モチーフになっている。(Wikipedia)
作ってから30年後に歌っても、新鮮に感じる歌い方。
先日の、「さくら貝の歌」の倍賞千恵子もそうだが、そうやって歌える人は少ない。
みんな、いいのは若い時だけ。
※ 池上線は、下の地図の、五反田と蒲田の間。 約11㌔。

【道の駅】 伊万里
【明日の予定】 伊万里市の市街地
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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分かっていたのは、そこまで。
その中で、江戸時代に高級品だけを作っている所があった。 大川内山(おおかわちやま)。
そこで作られた磁器は、鍋島と呼ばれた。
見慣れた人は、一目、鍋島と分かるそう。
※ ※ ※ ※
伊万里市街地から、少し南の山の中。
大川内山。 何て読むんだろう。 きっと、おおかわうちやま、ではない。
おおかわちやま、だった。
住所は、伊万里市大川内(おおかわち)。 山の側なので、大川内山と呼んでいた。

地図の横に、鍋島の説明。 絵皿の地図は、上の地図を90度回転。
鍋島は、鍋島焼のことだが、単に鍋島で通じる。

大川内山の窯(かま)は、鍋島藩直営だった。
※ 鍋島藩は、佐賀藩のこと。 肥前藩とも言った。
明治維新を推進した、薩長土肥(さっちょうとひ)の一つ。
江藤新平・大隈重信が、この藩出身。
明治に入って、江藤新平は、佐賀の乱を起こす。 鎮圧されて、四国に逃亡するが、捕まる。
捕まった地は、高知県の東部にある、甲浦(かんのうら)。 関連ブログは、最後に。
伊万里・有田焼伝統産業会館の中。 ※ 車は、ここの駐車場に。

鍋島は、色使いが、はっきりしてるそう。

鍋島を幕府に献上したため、何とか、江戸時代を乗り切ったと言われる。
※ 関ヶ原では、元々は、西軍だった。 途中で、変わる。

この説明が分かりやすい。 明治に入って、いったん下火に。

※ 普通の伊万里焼が混ざっているかもしれない。



メインの通りは、真っ直ぐ行って、途中から右の奥に行く。

そんなに寒くないので、花は元気。

橋も、鍋島の破片で。

橋の上の、鍋島。

大川内山には、30程の窯元がある。 ゆるい坂道が続き、正面には、屏風のような山。
この風景があるので、この地に、鍋島藩は窯を作ったのかなと思った。

重伝建地区ではないが、美しい町並み。 ※ そのため、多くの賞を受けている。

正面に、昔は、関所があった。 上の焼き物の皿の地図にある。

秘密を守るために、関所を作った。
上の写真は、最初は、もっと奥で撮ろうとした。 車が、左に停車。
車の見えない所まで、下がって撮る。
車から、この人が、焼く前の物を、こうやって運んでいた。


メインの通りに戻った。 地図の、右に向かった。 後ろの山は、山水画。

通りの魅力は、独自のもの。 過去の世界ではない。 大川内山の、大きな魅力。
※ 先日、コメントで、ここはいいと、教えていただいていた。

どこのお店も、ウィンドウに、作品を並べていた。 それを見ながら歩く。

この辺りは、特に雰囲気がいい。 煉瓦などの焼き物も、町並みを良くしている。

どこまでも続く坂道。 焼き物の好きな人は、一軒一軒のぞくのかな。

小路に入った。 清正公堂があった。 加藤清正のこと。
また、空き地には、下の様な標示が。 これも、鍋島の説明。
※ 敷地内には、入れない。 発掘が終わっていない所がある。


どう飾るか。 センスが問われます。

観光客のための休憩所の中。 通りから離れている。
仕事の、道具。

作品の展示。

山の上に、こんな所。 磨崖仏のよう。

登り窯の跡。 別の場所に、新しいのを再現している。

山の上から。

梅ですね。 うっかり、咲いてしまったのか。 12月まで、冬桜は、時々見た。

再現した登り窯。 1年に1回は焼くそう。 窯元みんなで。

タマネギ畑。 雨が降らないので、水。 初夏の頃、収穫だそう。 昔は、田んぼ。

お店の窓。

陶工の墓を集めた。 880を、このように積んだ。
秀吉が朝鮮に出兵した時、優秀な陶工を連れて来たと云う。 技術は、そこから始まった。

焼き物の使う材料を、細かくする。 右は、磁器製風鈴。
音が鳴ったので、何の曲かを考えたが、分からなかった。
後で知ったが、曲ではなかった。 陶器の音を楽しむものだった。
陶器をたたいたら、割れているとか、作品の出来栄えが分かった。
そうやって、作品を選別することが、めおとし。
どうして、それが「めおとし」なのか。 どんな漢字なのか。 調べても、分からない。
※ 目落としか。 たたいて音が悪かったら、落として壊す。(自信は無いが)
※ 追記 次の日に陶器商家資料館で分かりました。
「めおとし」は、目落としでいいよう。
目は大事なと云う意味で、それが落ちていないかと云う意味。
割れていないか等。 音で、品物の状態が分かった。

芭蕉塚。 江戸時代から、芭蕉は慕われていた。 ここに芭蕉が来たわけではない。

時雨忌(しぐれき)は、芭蕉の忌日。 なくなった日。 10月12日。

歩いていて、磁器の作品を見ることが出来る。
町並みは、古い町並みとは違う魅力。 後ろの山は、屏風に描いた山水画。
小さな公園、そしてギャラリー。
大川内山は、退屈しない所だった。
【動画】
【関連ブログ】 土佐の東の玄関口 甲浦 ~仏頂造りの家と、江藤新平が捕まった地 東洋町~ 他 (2011/1/3)
【その他】 静岡の清水のKさんが、ネットに鷹島のニュースがあると教えてくれた。
少し前に、2日間いた。

【今日の歌】 池上線
この曲は、西島三重子の代表作。 長く売れ続けている。 1976年発売。
池上線を知って、彼女の歌を聴くようになった。
鬼無里(きなさ)の道という歌を知り、戸隠の近くの鬼無里に行くことになる。 3回も。
※ 作詞は、佐藤順英。 この曲は、彼が国連職員を目指し、ハワイ大学に留学しながら、遠距離恋愛をしていた恋人との別れが
モチーフになっている。(Wikipedia)
作ってから30年後に歌っても、新鮮に感じる歌い方。
先日の、「さくら貝の歌」の倍賞千恵子もそうだが、そうやって歌える人は少ない。
みんな、いいのは若い時だけ。
※ 池上線は、下の地図の、五反田と蒲田の間。 約11㌔。

【道の駅】 伊万里
【明日の予定】 伊万里市の市街地
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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