はるか昔、中国に行って戻って来た人達は、船からこの島を見つけた時、あ~着いたと、ホッと息をついた。
それで、この島は、生月島(いきつきじま)。 そう言われている。
生月島は、九州の左上の角にある。
ザビエルが平戸に来て以降、イエズス会宣教師が、生月島でもカトリックの布教を行った。
安土桃山時代のこと。 多くの島民が洗礼を受けた。
しかし、その後の禁教令で、殉教したり、隠れキリシタンになる者も、少なくなかった。
※ ※ ※ ※
平戸島から、さらに橋を渡って、島へ。
右上に橋。 道の駅も。 そこを出発し、時計回りに動く。
最初は、隠れキリシタンの殉教史跡へ。
※ 殉教とは、信仰のために命を失ったとみなされる死のこと。
キリスト教の歴史で、使われることが多い。(Wikipedia)
海岸に下りた。 駐車場から10分程。 急な下り道が、続いた。
その場所は、下の右側に。
だんじく様と呼ばれている、この場所で、親子3人が命を断った。
※ 右に生えてる、笹のようなのが、暖竹(だんちく)。 葦(よし)の仲間。
それで、だんじく様という名前。
ここに隠れていたが、見つかって殉教したとある。
子供が海に遊びに出たとき、見つかったとある。
※ それが分かると云うことは、見つけた役人が、語ったのか。
※ 3人が殉教する、つまり自ら死ぬと云うことは、子供の命は親が断ったのか。
殉教を生み出したのは信者自身ではなく、キリスト教を排除する側の姿勢。
捕まって、キリスト教を捨てなかったら、多くは殺された。
キリスト教を捨てたふりをして、隠れキリシタンでいいのでは、と私は思うのだが。
そうすれば、子供の命を守ることができる。
※ 宗教については、むずかしい面があるので、分からない部分も多い。
最初の地図の、下の方は、東側。 そこを北上している。 遠くに、棚田。
棚田の周りに、家は無い。 そう云えば、家は地図の上、つまり東側に集中。
ずっとこの風景なので、家が無い。
狭い畑は続く。
方倉(ほうくら)神社。 昔、河童が住みついたと言われるが、説明が見当たらないので、行かなかった。
※ どんな伝説なのか、まとまったものは、ネット上には見つからない。
神社の側に池があって、大ウナギがいるとも。 行けばよかったか。
石垣を、時々見た。 風よけにしては、低い。 動物を飼うための、柵か。
塩俵の断崖。
同じ場所を、高い所から。 岩が大きな六角形。 柱状節理。
捕鯨納屋場跡と、あった。 沿岸捕鯨が、江戸時代には盛んだった。
100㍍程の断崖。 断崖の上に、大バエ灯台が少しだけ見える。 強風のため、崖に近づけない。
灯台の近くから、本土側を撮影。
向こうから、北上して来た。
大バエ灯台。 ※ 大碆鼻灯台。 手すりがあるので、登れる。
灯台の上から。 風が強く、一ヶ所に立っていることは出来ない。
駐車場に戻って来たら、平戸市の職員と云う人から、アンケートを頼まれた。
灯台に来る人たち、一人一人に書いてもらっていた。
観光は、どんな戦略を立てるかで、人の入りは全く変わる。
お年寄りを乗せた観光バスと、若者の車がやって来るのが、理想でしょうか。
多くの人に来てもらうのが先で、儲けるのはその後。 お金は、気持ちよく落としてもらう。
平戸市は、無料の広い駐車場を用意している。 上の考えに近いかも知れない。
※ 歩いて楽しいのは、どんな場所なのか、それを考えるのが一番大事なよう。
足湯のような、点。 小路のような、線。 ~~広場のような、面。
参考になるのを他から学ぶ、それと、独自の新しいアイディア。
その町に、観光に燃える人間が、3人は必要。
こんなことを、ある町の役場の人と、話したことがあります。
地図の右上の、舘浦(たてうら)地区に戻って来た。
生月観音に向かっている。 古い町並みがあり、旧道の感じ。
背中が見えてきた。 この大きさ。
この道を下って、振り返る。
こんな場所にある。
ブロンズの像。 像の高さ、18㍍。 重さ、150㌧。
穏やかな表情。 海の安全を願っているのか。 つらい歴史の鎮魂もかな。
中を見せていただいた。 ※ 写真、油断しましたね。 ボケました。
生月観音は、個人の所有。
舘浦地区。 橋があったら、本土と同じ。
生月大橋が見える。
※ この橋は、トラスト橋(きょう)と言われる。 鉄骨の橋。 三角形の強さを利用している。
少し走って、ここは、ガスパル様。
キリシタン、ガスパル西と云う人が、この地で斬首された。 殉教史跡。
クルスの丘公園として、整備されている。
意味は、分からないが。
※ ガスパル西は、こんな人。(Wikipedia)
クルスの丘公園から見える海。
戻る途中、隣の壱部地域が見えた。
長崎県に来ると、あごだしラーメンがある。 名物にもなっている。
焼いたトビウオのダシを使っている。
その元祖の店が、生月島にある。 道の駅に近い。 昨日食べた。
強い味でなく、ほんのりとした味。 まいったか、という強烈な味ではない。
全国区レベルではないが、美味しい。
最初の、だんじく様の説明に、オラショという言葉があった。
これは、信者がお祈りする時の歌のよう。
普通は、声に出さないが、生月島のは声を出す。 見張りを付けて。
※ ここに、その動画があります。(生月島のもの。 長いので少しだけでも)
隠れキリシタンの時代は、信者にとって、大変な時代。
幕府はなぜ恐れたのでしょう。 その辺を知りたい。
【今日の歌】
悲しき口笛の作詞は、藤浦 洸(ふじうらこう)。 平戸市の人。
この曲のヒットで、美空ひばりは、全国にデビューする。 ひばりにとって、転機になる曲だった。
昭和22年、ひばりは、四国の大豊町で、バスの転落事故に遭う。 九死に一生を経験。 ひばり、9才。
大豊町に入院して、治った時、近くの日本一の大杉のある神社にお参りする。
日本一の歌手になれますようにと。
2年後の昭和24年に、悲しき口笛が、ヒットする。
更に2年後、リンゴ園の少女の映画に主演する。
その中の歌が「津軽のふるさと」と「リンゴ追分」。 この2曲は、次の年にレコードに。
15歳になった時、大豊町の日本一の大杉に、お礼に来た。
今も、大豊町にある、ひばりの歌碑からは「悲しき口笛」が流れる。
ひばりは、歌詞を書いてくれた藤浦 洸を、忘れることは、きっとなかった。
悲しき口笛 ※ 映画の中で歌ってる。 クリックしたら、聴けます。 埋め込めれない。
ひばりの曲で、もう一つ好きなのが、「津軽のふるさと」
※ 関連ブログ 日本一の大杉と、美空ひばりのバス事故 ~大豊町~ 他 (2011/5/27)
水色のワルツ ※ これも、藤浦 洸。 いい歌を、たくさん残した。
※ 明日の曲は、アコースティックギターの曲を。
【停泊場所】 舘浦漁港の駐車場 ※ 道の駅は風が強かったので。
【明日の予定】 平戸の市街地を再度。 この島の博物館に行こうかな、とも。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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それで、この島は、生月島(いきつきじま)。 そう言われている。
生月島は、九州の左上の角にある。
ザビエルが平戸に来て以降、イエズス会宣教師が、生月島でもカトリックの布教を行った。
安土桃山時代のこと。 多くの島民が洗礼を受けた。
しかし、その後の禁教令で、殉教したり、隠れキリシタンになる者も、少なくなかった。
※ ※ ※ ※
平戸島から、さらに橋を渡って、島へ。
右上に橋。 道の駅も。 そこを出発し、時計回りに動く。

最初は、隠れキリシタンの殉教史跡へ。
※ 殉教とは、信仰のために命を失ったとみなされる死のこと。
キリスト教の歴史で、使われることが多い。(Wikipedia)
海岸に下りた。 駐車場から10分程。 急な下り道が、続いた。
その場所は、下の右側に。

だんじく様と呼ばれている、この場所で、親子3人が命を断った。
※ 右に生えてる、笹のようなのが、暖竹(だんちく)。 葦(よし)の仲間。
それで、だんじく様という名前。

ここに隠れていたが、見つかって殉教したとある。
子供が海に遊びに出たとき、見つかったとある。
※ それが分かると云うことは、見つけた役人が、語ったのか。
※ 3人が殉教する、つまり自ら死ぬと云うことは、子供の命は親が断ったのか。
殉教を生み出したのは信者自身ではなく、キリスト教を排除する側の姿勢。
捕まって、キリスト教を捨てなかったら、多くは殺された。
キリスト教を捨てたふりをして、隠れキリシタンでいいのでは、と私は思うのだが。
そうすれば、子供の命を守ることができる。
※ 宗教については、むずかしい面があるので、分からない部分も多い。

最初の地図の、下の方は、東側。 そこを北上している。 遠くに、棚田。

棚田の周りに、家は無い。 そう云えば、家は地図の上、つまり東側に集中。

ずっとこの風景なので、家が無い。

狭い畑は続く。

方倉(ほうくら)神社。 昔、河童が住みついたと言われるが、説明が見当たらないので、行かなかった。
※ どんな伝説なのか、まとまったものは、ネット上には見つからない。
神社の側に池があって、大ウナギがいるとも。 行けばよかったか。

石垣を、時々見た。 風よけにしては、低い。 動物を飼うための、柵か。

塩俵の断崖。

同じ場所を、高い所から。 岩が大きな六角形。 柱状節理。


捕鯨納屋場跡と、あった。 沿岸捕鯨が、江戸時代には盛んだった。

100㍍程の断崖。 断崖の上に、大バエ灯台が少しだけ見える。 強風のため、崖に近づけない。

灯台の近くから、本土側を撮影。

向こうから、北上して来た。

大バエ灯台。 ※ 大碆鼻灯台。 手すりがあるので、登れる。

灯台の上から。 風が強く、一ヶ所に立っていることは出来ない。

駐車場に戻って来たら、平戸市の職員と云う人から、アンケートを頼まれた。
灯台に来る人たち、一人一人に書いてもらっていた。
観光は、どんな戦略を立てるかで、人の入りは全く変わる。
お年寄りを乗せた観光バスと、若者の車がやって来るのが、理想でしょうか。
多くの人に来てもらうのが先で、儲けるのはその後。 お金は、気持ちよく落としてもらう。
平戸市は、無料の広い駐車場を用意している。 上の考えに近いかも知れない。
※ 歩いて楽しいのは、どんな場所なのか、それを考えるのが一番大事なよう。
足湯のような、点。 小路のような、線。 ~~広場のような、面。
参考になるのを他から学ぶ、それと、独自の新しいアイディア。
その町に、観光に燃える人間が、3人は必要。
こんなことを、ある町の役場の人と、話したことがあります。
地図の右上の、舘浦(たてうら)地区に戻って来た。
生月観音に向かっている。 古い町並みがあり、旧道の感じ。

背中が見えてきた。 この大きさ。

この道を下って、振り返る。

こんな場所にある。

ブロンズの像。 像の高さ、18㍍。 重さ、150㌧。

穏やかな表情。 海の安全を願っているのか。 つらい歴史の鎮魂もかな。

中を見せていただいた。 ※ 写真、油断しましたね。 ボケました。
生月観音は、個人の所有。

舘浦地区。 橋があったら、本土と同じ。

生月大橋が見える。
※ この橋は、トラスト橋(きょう)と言われる。 鉄骨の橋。 三角形の強さを利用している。

少し走って、ここは、ガスパル様。

キリシタン、ガスパル西と云う人が、この地で斬首された。 殉教史跡。
クルスの丘公園として、整備されている。

意味は、分からないが。

※ ガスパル西は、こんな人。(Wikipedia)

クルスの丘公園から見える海。

戻る途中、隣の壱部地域が見えた。

長崎県に来ると、あごだしラーメンがある。 名物にもなっている。
焼いたトビウオのダシを使っている。
その元祖の店が、生月島にある。 道の駅に近い。 昨日食べた。
強い味でなく、ほんのりとした味。 まいったか、という強烈な味ではない。
全国区レベルではないが、美味しい。

最初の、だんじく様の説明に、オラショという言葉があった。
これは、信者がお祈りする時の歌のよう。
普通は、声に出さないが、生月島のは声を出す。 見張りを付けて。
※ ここに、その動画があります。(生月島のもの。 長いので少しだけでも)
隠れキリシタンの時代は、信者にとって、大変な時代。
幕府はなぜ恐れたのでしょう。 その辺を知りたい。
【今日の歌】
悲しき口笛の作詞は、藤浦 洸(ふじうらこう)。 平戸市の人。
この曲のヒットで、美空ひばりは、全国にデビューする。 ひばりにとって、転機になる曲だった。
昭和22年、ひばりは、四国の大豊町で、バスの転落事故に遭う。 九死に一生を経験。 ひばり、9才。
大豊町に入院して、治った時、近くの日本一の大杉のある神社にお参りする。
日本一の歌手になれますようにと。
2年後の昭和24年に、悲しき口笛が、ヒットする。
更に2年後、リンゴ園の少女の映画に主演する。
その中の歌が「津軽のふるさと」と「リンゴ追分」。 この2曲は、次の年にレコードに。
15歳になった時、大豊町の日本一の大杉に、お礼に来た。
今も、大豊町にある、ひばりの歌碑からは「悲しき口笛」が流れる。
ひばりは、歌詞を書いてくれた藤浦 洸を、忘れることは、きっとなかった。
悲しき口笛 ※ 映画の中で歌ってる。 クリックしたら、聴けます。 埋め込めれない。

ひばりの曲で、もう一つ好きなのが、「津軽のふるさと」
※ 関連ブログ 日本一の大杉と、美空ひばりのバス事故 ~大豊町~ 他 (2011/5/27)
水色のワルツ ※ これも、藤浦 洸。 いい歌を、たくさん残した。
※ 明日の曲は、アコースティックギターの曲を。
【停泊場所】 舘浦漁港の駐車場 ※ 道の駅は風が強かったので。
【明日の予定】 平戸の市街地を再度。 この島の博物館に行こうかな、とも。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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