京都市の北部に、京北(けいほく)という地域がある。
そこに、新しく、ウッディ京北という道の駅ができた。
その近くに、慈眼寺(じがんじ)という寺があって、光秀の像があるという。 位牌も。
また、天海僧正がいた寺でもある。
情報は、昨日のブログの寅さん。 寅さんは、私以上にこういうのが好き。
寅さんを助手席に乗せて、行くことになった。
京都の周りには、蜘蛛の巣のように道がある。
タテ糸は、いい道だが、横糸は、細くて良くない。
今日走った、国道477は横糸で、林道と同じ。
道の駅ウッディ京北で、寅さんが役場の人に、慈眼寺の場所を聞いた。
あの大きなイチョウの木の所だよと教えてくれた。
紅葉の良さは、モミジだけでない。 黄色もいい。 黄葉(こうよう)か。
一番いいのは、セットであることかな。
紅葉(もみじ)の歌の、2番の歌詞はこう。
2 渓(たに)の流れに 散り浮く紅葉
波にゆられて 離れて寄って
赤や黄色の 色さまざまに
水の上にも 織る錦(にしき)
※ 曲はここに。 信越本線の碓氷峠の風景で、詩は作られたという。 軽井沢の近く。
慈眼寺。
後ろの山に、明智光秀は、周山城を作り始めた。 本能寺の変があって、完成には至らなかった。
この寺は、その麓にある。
この中に、像と位牌が。
慈眼寺の紅葉は、今が盛りだった。
中央に、位牌があった。 右に像があるはずだったが、今はなかった。 ※ 箱の中に。
位牌。 戒名とかが書いてある。
これが、この寺にある、光秀像。
下の展覧会に行っていた。 大阪城の天守閣で行われた。 間もなく戻ってくる。
上のことで、慈眼寺の光秀像は、それなりのものだと分かる。
展覧会の説明には、下のようにあった。(大阪市のHP)
大きな目を眉毛もろともつりあげた形相の光秀像。
肩口には明智家の桔梗(ききょう)紋があしらわれている。
もとは周山(京都市右京区京北周山町)の密厳寺に伝わったが、明治期に同寺が廃寺となったさい、
同地の慈眼寺に移された。
※ 詳しくは、ここに。
徳川家3代に仕えた天海僧正が、慈眼寺にいたというのは、調べたがはっきりしない。
天海僧正は確かに慈眼大師と言われたが、慈眼寺とは関係ないようだ。
※ 慈眼寺は、他にもある。
天海僧正と光秀の書物の、筆跡鑑定を行った。
同一人物ではないが、近い親類と思われる程、似ているという結果が出た。
天海僧正は、光秀の子どもか、光秀が左手で書いたか、そんな話がある。
南丹市に、九品寺(くほんじ)という寺があった。
百人一首と関係があると、寺の入り口に標示があったが、分からなかった。 調べてもダメ。
今は、歴史的なものは、この門しか残っていない。
ただ、この寺の美術品が外国に流れたことが分かっている。
南丹市にある、るり渓に行った。 ※ この辺りは、以前は、園部市。
紅葉の名所で、国の名勝に指定されている。
名前のるり渓は、清流が、光の反射によって瑠璃色の輝石のように見えることによる。
※ 瑠璃(ラピスラズリ)
_(Afghanistan)s.jpg)
小さな滝が多かった。 上の方に通天湖がある。 ※ 人造湖。
園部城。 新しい。

南丹市内の小学校(千代田小)に、亀山城の城門が移築され、現存していた。
せめて門だけでもと思ったのか。
払い下げになった時、亀山城を思う人間がいたということかな。 詳しくは、分からない。
亀岡市にもどって、ここは、神蔵寺。 紅葉の名所。
ここが京都市内なら、人でいっぱい。(寅さんの話し)
開山は最澄。
少し前まで、ライトアップしていた。
一番いい時は、下に落ちた葉っぱも紅いそうだ。
輝く紅から、少しずつ色は落ちていく。
寅さんの案内で、いろんな所が見られた。
私は運転してるだけでいいから、楽。
寅さんは、光秀について、もっと知りたいようだ。 図書館に行くと言っている。
私は、そこそこ分かったら、気持ちは次に移ってしまう。 そこが違う。
根拠がはっきりしていると、面白さが増すように思う。
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 京都市内に行きます。 状態のいい所を調べて。
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そこに、新しく、ウッディ京北という道の駅ができた。
その近くに、慈眼寺(じがんじ)という寺があって、光秀の像があるという。 位牌も。
また、天海僧正がいた寺でもある。
情報は、昨日のブログの寅さん。 寅さんは、私以上にこういうのが好き。
寅さんを助手席に乗せて、行くことになった。
京都の周りには、蜘蛛の巣のように道がある。
タテ糸は、いい道だが、横糸は、細くて良くない。
今日走った、国道477は横糸で、林道と同じ。
道の駅ウッディ京北で、寅さんが役場の人に、慈眼寺の場所を聞いた。
あの大きなイチョウの木の所だよと教えてくれた。

紅葉の良さは、モミジだけでない。 黄色もいい。 黄葉(こうよう)か。
一番いいのは、セットであることかな。
紅葉(もみじ)の歌の、2番の歌詞はこう。
2 渓(たに)の流れに 散り浮く紅葉
波にゆられて 離れて寄って
赤や黄色の 色さまざまに
水の上にも 織る錦(にしき)
※ 曲はここに。 信越本線の碓氷峠の風景で、詩は作られたという。 軽井沢の近く。

慈眼寺。
後ろの山に、明智光秀は、周山城を作り始めた。 本能寺の変があって、完成には至らなかった。
この寺は、その麓にある。

この中に、像と位牌が。

慈眼寺の紅葉は、今が盛りだった。

中央に、位牌があった。 右に像があるはずだったが、今はなかった。 ※ 箱の中に。

位牌。 戒名とかが書いてある。

これが、この寺にある、光秀像。

下の展覧会に行っていた。 大阪城の天守閣で行われた。 間もなく戻ってくる。

上のことで、慈眼寺の光秀像は、それなりのものだと分かる。
展覧会の説明には、下のようにあった。(大阪市のHP)
大きな目を眉毛もろともつりあげた形相の光秀像。
肩口には明智家の桔梗(ききょう)紋があしらわれている。
もとは周山(京都市右京区京北周山町)の密厳寺に伝わったが、明治期に同寺が廃寺となったさい、
同地の慈眼寺に移された。
※ 詳しくは、ここに。
徳川家3代に仕えた天海僧正が、慈眼寺にいたというのは、調べたがはっきりしない。
天海僧正は確かに慈眼大師と言われたが、慈眼寺とは関係ないようだ。
※ 慈眼寺は、他にもある。
天海僧正と光秀の書物の、筆跡鑑定を行った。
同一人物ではないが、近い親類と思われる程、似ているという結果が出た。
天海僧正は、光秀の子どもか、光秀が左手で書いたか、そんな話がある。
南丹市に、九品寺(くほんじ)という寺があった。
百人一首と関係があると、寺の入り口に標示があったが、分からなかった。 調べてもダメ。
今は、歴史的なものは、この門しか残っていない。
ただ、この寺の美術品が外国に流れたことが分かっている。

南丹市にある、るり渓に行った。 ※ この辺りは、以前は、園部市。
紅葉の名所で、国の名勝に指定されている。

名前のるり渓は、清流が、光の反射によって瑠璃色の輝石のように見えることによる。
※ 瑠璃(ラピスラズリ)
_(Afghanistan)s.jpg)
小さな滝が多かった。 上の方に通天湖がある。 ※ 人造湖。

園部城。 新しい。


南丹市内の小学校(千代田小)に、亀山城の城門が移築され、現存していた。

せめて門だけでもと思ったのか。
払い下げになった時、亀山城を思う人間がいたということかな。 詳しくは、分からない。

亀岡市にもどって、ここは、神蔵寺。 紅葉の名所。

ここが京都市内なら、人でいっぱい。(寅さんの話し)

開山は最澄。

少し前まで、ライトアップしていた。
一番いい時は、下に落ちた葉っぱも紅いそうだ。


輝く紅から、少しずつ色は落ちていく。

寅さんの案内で、いろんな所が見られた。
私は運転してるだけでいいから、楽。
寅さんは、光秀について、もっと知りたいようだ。 図書館に行くと言っている。
私は、そこそこ分かったら、気持ちは次に移ってしまう。 そこが違う。
根拠がはっきりしていると、面白さが増すように思う。
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 京都市内に行きます。 状態のいい所を調べて。
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