志々伎山(しじきさん)の頂上は、鋭く尖った岩の上だった。
そこからは、四方全てが見えた。
久しぶりに晴れて、温かい一日になった。
イノシシと出会って、びっくり。
※ ※ ※ ※
ここが、九州本土の最西端になるんですね。 だから、本土最西端。
県道から、少し上がって来た。 阿弥陀寺のそばにいる。
昨夜は、この下に停泊。
阿弥陀寺。 左に小さく、志々伎山が見える。 右に見える石段が、登山道でもある。
11時出発。
志々伎神社への参道。 山の頂上には、志々岐神社の上宮(かみつみや)の石の祠がある。
10分程で、神社に着いた。 志々伎山神社は、式内社だという。
※ 平安時代の初めに、国が面倒をみる神社である官社の一覧表がつくられた。
この中にある神社が、式内社。 志々伎神社は、入っている。 肥前には4つしかない。
神社の社格が、普通の神社より上、ということのよう。
5分程歩くと、神社の跡があった。
中宮跡とある。 下山の時に見ることに。
馬ノ背のような所を歩いている。 自然の中にいるって感じがする。
腰掛け石。 いつの時代の話だろう。

※ 名前がついていると、「腰掛け石のとこで、一休みしようね」とか言える。
途中で、道が下っていくので、間違ったかなと思って戻った。
道の分岐は見つからなかった。 引き返して、そのまま下っていくことにした。
海に出たら、もう一度登ることにして。
※ 今日は、山用のナビを持って来なかった。 それがあれば、困らなかった。
だいぶ下ったら、こっちが頂上と、案内板があった。
そんなことをして、30分程経ったら、海が見えた。
見える島は、五島列島のよう。
そして、頂上も見えた。 向こう側から登るために、下ったりしていた。
稚児の塔が、この上100㍍にあると書いてある。 道はないが、帰りに行くことに。
住職にいじめられて、ここまで登って、自ら命を絶ったよう。
小さな祠や、祠の跡。 山全体が、志々伎山神社の境内。
時々ロープの場所があったりしながら、崖の下に近づいた。
ここまで、1時間。 行ったり来たりしなかったら、45分くらいでしょうか。
昔は、ここで草履をぬいで、裸足で登ったそう。
急な登りが続く。
こう見えたが、頂上とは思えない。
登ったら、開けた。 いい天気になった。
天気は、自分の行いとは関係ないが、行いが良かったから晴れたと思いたくなる。
頂上っぽい。
手前の海は、湾。 向こうも平戸島。
向こうから上がって来た。 右下は、崖。 強風の時は、危険。
もう少し。 木が生えているのは、安全のために有り難い。
着きました。 12時15分頃に。 志々伎山、山頂。 347㍍と書いてある。
五島列島のよう。 この時は、分からなかった。 ※ 福江島には、2年前に行ってきた。
左にず~っと、平戸島。 この風景を見られるのが、山の楽しみ。
水を飲んで、バナナとミカンを食べた。
どうだいと、足に聞いてみた。 この靴、登りやすいね、と言った。
※ 昨年の夏に、旭川で2足買った。 両方とも、足を包み込むような靴。 気に入っている。
この後、動画を撮る。 ※ 最後にある。
登って来たのは、もっと左の方からのよう。
佐世保方面でしょうか。 船が行く。 仲間の船か。
幅は、数㍍。 向こうに下る。 左の方にだったかな。
頂上付近は、危険。
ロープのある所では、ロープを離さない。 それなら、子供でも来れるでしょうか。
30分程いて、下山開始。
実は、登って来る時、この岩に手をかけた。 そうしたら、そこに動物のウンチがあった。
軍手をはいた手で、触った。
稚児の塔の下に、来ました。
木につかまらないと、登れない斜面。 危険ではないが。
岩が見えてきた。 稜線の上に出たよう。
何の実でしょう。
あった。 小さな石の祠。 亡くなった子を不憫に思って、作ったんですね。
安政四と読める。 1857年。 幕末。
木につかまりながら、下りていた。 その時だった。
目の前10㍍の所を、左から右に、イノシシが走り抜けた。
5頭ほど。 大きさは、50㌢位。 まるで運動会。
どんな走り方かは、分かりますね。 猪突猛進。
私はどうしたか。 カメラは手にしていなかった。
リュックから、急いで、熊除けのスプレーを出していた。
その後、親イノシシは現れなかった。
最後に見た海かな。
中宮跡の石段を上ってみた。 石灯。 瓦も、所々に。
少し高い場所に、拝殿があったよう。 左に、石段。 左向きに立っていたと考えてよさそう。
柱なんかも、朽ち果てている。
屋根の端っこに付ける、大黒様の瓦か。 少し悲しそう。
かわいそうに思って、石垣の上に置いた。 倒れないように。
そうして、写真を撮った。 大黒様は、うれしそうに笑った。
この上が、中宮の境内。
志々伎神社の石段を下る。 コンクリートは、使っていない。 昔のまま。
石が沈んだら、小石を挟む。
玄武岩の石段。
無事に、我が家に戻りました。
岩があって、遺跡があって、石段もあって、風景が良くて、今日くらいだと十分。
イノシシにも、恵比寿さんにも出会えた。
あ! 恵比寿さんに、ミカンでもあげればよかった。
もう一度この島に来たら、再度登りましょう。
恵比寿さんに会いに。 おみやげを持って。
平戸市は、あと1日。
【動画】 志々伎山山頂の様子と、山頂からの風景。
【今日の歌】 別れのブルース ※ 藤浦洸作詞
淡谷のりこが、軍歌を歌わないことは知っていた。 それもあって、好きだった。
コロッケの物まねに、ぷんぷん怒っていたのも、よかった。
下の写真は、アルバムと本の表紙の写真。

文は、本の裏表紙に書いてある文。
彼女は、そう言う人だった。 いい人に、藤浦洸は詞を書いた。
素敵なハーモニーを。
【停泊場所】 平戸城下の駐車場
【明日の予定】 平戸島を出ます。 平戸市の田平(たびら)町に。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で12位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
そこからは、四方全てが見えた。
久しぶりに晴れて、温かい一日になった。
イノシシと出会って、びっくり。
※ ※ ※ ※
ここが、九州本土の最西端になるんですね。 だから、本土最西端。
県道から、少し上がって来た。 阿弥陀寺のそばにいる。
昨夜は、この下に停泊。

阿弥陀寺。 左に小さく、志々伎山が見える。 右に見える石段が、登山道でもある。

11時出発。
志々伎神社への参道。 山の頂上には、志々岐神社の上宮(かみつみや)の石の祠がある。

10分程で、神社に着いた。 志々伎山神社は、式内社だという。
※ 平安時代の初めに、国が面倒をみる神社である官社の一覧表がつくられた。
この中にある神社が、式内社。 志々伎神社は、入っている。 肥前には4つしかない。
神社の社格が、普通の神社より上、ということのよう。

5分程歩くと、神社の跡があった。

中宮跡とある。 下山の時に見ることに。

馬ノ背のような所を歩いている。 自然の中にいるって感じがする。

腰掛け石。 いつの時代の話だろう。

※ 名前がついていると、「腰掛け石のとこで、一休みしようね」とか言える。
途中で、道が下っていくので、間違ったかなと思って戻った。
道の分岐は見つからなかった。 引き返して、そのまま下っていくことにした。
海に出たら、もう一度登ることにして。
※ 今日は、山用のナビを持って来なかった。 それがあれば、困らなかった。
だいぶ下ったら、こっちが頂上と、案内板があった。
そんなことをして、30分程経ったら、海が見えた。

見える島は、五島列島のよう。

そして、頂上も見えた。 向こう側から登るために、下ったりしていた。

稚児の塔が、この上100㍍にあると書いてある。 道はないが、帰りに行くことに。
住職にいじめられて、ここまで登って、自ら命を絶ったよう。

小さな祠や、祠の跡。 山全体が、志々伎山神社の境内。


時々ロープの場所があったりしながら、崖の下に近づいた。
ここまで、1時間。 行ったり来たりしなかったら、45分くらいでしょうか。
昔は、ここで草履をぬいで、裸足で登ったそう。

急な登りが続く。

こう見えたが、頂上とは思えない。

登ったら、開けた。 いい天気になった。
天気は、自分の行いとは関係ないが、行いが良かったから晴れたと思いたくなる。

頂上っぽい。

手前の海は、湾。 向こうも平戸島。

向こうから上がって来た。 右下は、崖。 強風の時は、危険。

もう少し。 木が生えているのは、安全のために有り難い。

着きました。 12時15分頃に。 志々伎山、山頂。 347㍍と書いてある。

五島列島のよう。 この時は、分からなかった。 ※ 福江島には、2年前に行ってきた。

左にず~っと、平戸島。 この風景を見られるのが、山の楽しみ。

水を飲んで、バナナとミカンを食べた。
どうだいと、足に聞いてみた。 この靴、登りやすいね、と言った。
※ 昨年の夏に、旭川で2足買った。 両方とも、足を包み込むような靴。 気に入っている。

この後、動画を撮る。 ※ 最後にある。
登って来たのは、もっと左の方からのよう。

佐世保方面でしょうか。 船が行く。 仲間の船か。

幅は、数㍍。 向こうに下る。 左の方にだったかな。

頂上付近は、危険。
ロープのある所では、ロープを離さない。 それなら、子供でも来れるでしょうか。

30分程いて、下山開始。
実は、登って来る時、この岩に手をかけた。 そうしたら、そこに動物のウンチがあった。
軍手をはいた手で、触った。

稚児の塔の下に、来ました。

木につかまらないと、登れない斜面。 危険ではないが。
岩が見えてきた。 稜線の上に出たよう。

何の実でしょう。

あった。 小さな石の祠。 亡くなった子を不憫に思って、作ったんですね。

安政四と読める。 1857年。 幕末。


木につかまりながら、下りていた。 その時だった。
目の前10㍍の所を、左から右に、イノシシが走り抜けた。
5頭ほど。 大きさは、50㌢位。 まるで運動会。
どんな走り方かは、分かりますね。 猪突猛進。
私はどうしたか。 カメラは手にしていなかった。
リュックから、急いで、熊除けのスプレーを出していた。
その後、親イノシシは現れなかった。

最後に見た海かな。

中宮跡の石段を上ってみた。 石灯。 瓦も、所々に。

少し高い場所に、拝殿があったよう。 左に、石段。 左向きに立っていたと考えてよさそう。

柱なんかも、朽ち果てている。

屋根の端っこに付ける、大黒様の瓦か。 少し悲しそう。

かわいそうに思って、石垣の上に置いた。 倒れないように。
そうして、写真を撮った。 大黒様は、うれしそうに笑った。

この上が、中宮の境内。

志々伎神社の石段を下る。 コンクリートは、使っていない。 昔のまま。

石が沈んだら、小石を挟む。

玄武岩の石段。

無事に、我が家に戻りました。

岩があって、遺跡があって、石段もあって、風景が良くて、今日くらいだと十分。
イノシシにも、恵比寿さんにも出会えた。
あ! 恵比寿さんに、ミカンでもあげればよかった。
もう一度この島に来たら、再度登りましょう。
恵比寿さんに会いに。 おみやげを持って。
平戸市は、あと1日。
【動画】 志々伎山山頂の様子と、山頂からの風景。
【今日の歌】 別れのブルース ※ 藤浦洸作詞
淡谷のりこが、軍歌を歌わないことは知っていた。 それもあって、好きだった。
コロッケの物まねに、ぷんぷん怒っていたのも、よかった。
下の写真は、アルバムと本の表紙の写真。

文は、本の裏表紙に書いてある文。
彼女は、そう言う人だった。 いい人に、藤浦洸は詞を書いた。

素敵なハーモニーを。
【停泊場所】 平戸城下の駐車場
【明日の予定】 平戸島を出ます。 平戸市の田平(たびら)町に。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で12位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。

※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
コメント
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui.com/tb.php/505-bbb1fb51