佐世保市に入りました。 今日動いたのは、佐世保市江迎(えむかえ)町。
潜竜ヶ滝を見るのが、メイン。
震災のとき、最後まで避難を呼びかけた女性がいた。 南三陸町の遠藤未希さん。
埼玉県で、道徳で扱うというニュースを昨日見た。
事実関係をどう捕まえたのか、何を子供たちに学ばせるのか、その辺が気になったので、少し考えてみます。
※ ※ ※ ※
印の所に、最初に行く本陣がある。 参勤交代で、平戸から、1日でここまで。
右の方の○が、潜竜ヶ滝(せんりゅうがたき)。
平戸藩の藩主が宿泊した本陣跡と、山下家の酒母蔵(もとぐら)。
ここは、江迎町の市街地。 昔は、江迎宿だった。
見学するには、予約が必要。
※ ここには、参勤交代の絵がある。(平戸街道探訪のHPより)
平戸街道は、最初の文にある、東彼杵(ひがしそのぎ)で、長崎街道に合流した。
その後、九州の北の小倉に向かった。
※ 平戸街道には、宿泊する本陣は、6ヶ所あったと云う。
ここは、平戸を出て、最初の本陣。 平戸から、15㌔程。
海を渡るが、そんなに遠い距離ではないように感じる。
元蔵の説明もある。
岩のある山があるので、見に行った。 白岳(しらたけ)公園があで、そこから見えた。
登山道があったので、登ることにした。 30分あれば、行けそうに感じた。
少し上に神社があるので、こんな石段。 神社には、頂上まで15分とあった。 近い。
牛の像があったら、京都の八坂神社と関係あると、どこかの神社で知った。
こんな道を上った。
直ぐに着いた。 高さ、373㍍。 山の上には何もない。 岩の所に、下りる道があった。
岩場の上に出た。 目の前の岩が、斜面になっている。 その下の状態も分からないので、ここでストップ。
白岳は、熔岩が固まってできた山と、ネットの説明にあった。
下が白岳公園。 駐車場の左端に、私の車。 屋根が少し。
右奥に、海が見える。 江迎湾。 本陣は、湾の奥にあった。
左の方、 遠くにゴルフ場。 その向こうに、これから行く滝がある。
こんな道を下る。 少し動くと暑い。
山道を数㌔走ったら、駐車場に着いた。 公園になっていて、滝はその奥に。
公園の下。 赤い橋を渡って来た。
3月になったら、ツツジが満開。 今は、間違って咲いてるのが、少し。
小さなお堂があって、その前を通る。
徐福伝説について、いろいろ書いている。。 紀元前の人。 中国から日本に来た。
龍がいたとある。
何という山菜だろう。
不動明王。 少し無理している表情に・・。
ここを上がって来た。 左はお堂。 右は、休憩所。
古い門。 龍門と、石の額にある。
1829年に平戸藩主が、この門を作り、この辺り一帯を整備した。 それで、お堂とかがある。
※ 龍門とあるから、藩主は、徐副伝説を知っていたことになる。
徐福は、いたかいないか分からない人。 昔、徐福伝説を広めた人がいるのかな。
昔は、滝も、神社も、寺も、格式を高めるために、何かの伝説を作った。
滝はすぐに見えてきた。
雨が降らないので、水量はきっと少ない。
ここに龍が潜んでいた、という。 深さ6㍍とネットにあったが、本当かな。
滝のある所は、たいてい、滝つぼの周りは、岩の壁。
正面からの写真。
滝の下流。
こんな岩があると云うことは、この岩を動かすだけの激流になることがある。 台風の時か。
別の方から。 手前は浅い。
深いのは、緑の所。 ここは狭いから、井戸のように深くないと、6㍍にならない。
水量が多いと、左にもう一つ滝が出来そう。
展望台と、小さな祠。
滝の上に行く道を探したが、なかった。
戻る時、門の横の石塔を見た。 天保十四年とあった。 1843年。 門より、14年後。
※ ちなみに、龍馬はこの年、9歳。
公園の岩壁に、玄武岩があった。 柱にように剥がれる。
今日は、合併する前の小さな町を1つ見た。
有名な観光地は無いが、こんな感じが数日続きそう。 これはこれで、いいと思うし、嫌いでない。
滝を見る、ということで里山を歩くことができる。
【動画】
【その他】 下のが、埼玉県で使う道徳の資料の要旨。
遠藤未希さんに関わる事実関係は、何を元にしたのだろうと思う。
もし当時の新聞記事だったら、かなり不正確。
残された放送の記録、放送を聞いた人の証言、未希さんを見た人の証言、など、根拠をもって整理されたものが、現在あるのだろうか。
南三陸町の人達が、それで間違いないと思うものでなければならない。
私は全国版の新聞の多くが不正確で、地元新聞が事実に近いと思っている。
それは、足を運んで書いたから。
また、私は、未希さんが助かる道は無かったのかと、今でも思う。
かわいそうと思うので、道徳であつかう人ではないと考えるんだが。
※ 関連ブログ 最後まで防災無線で叫び続けた人は、2人いた。 ~南三陸町~ 他 (2011/4/13)
※ 震災の写真は、この動画にあります。
写真の半分は、私が撮影。 残りは、アメリカメディアから。 メロディは、札幌の友人が。
最初の写真の建物の2階で、未希さんは放送した。 2枚目の写真は、建物の前にあった花。
※ 被災地を撮影した動画を一つ紹介。 津波被害 釜石市鵜住居
【今日の曲】 ベトナム戦争で、つらい思いをした人たちの気持ちを表現した曲です。
東北にいた時、心の奥を、いつもこの曲が流れていました。
※ 東北では、1週間ずつ、7ヶ所でボランティアをしました。
震災の後、九州の椎葉村から、まず釜石に行きました。 最後は、南相馬市で。
また九州に戻って、九重、阿蘇、祖母山などの、山に登りました。
【道の駅】 昆虫の里たびら
【明日の予定】 佐世保市鹿町(しかまち)町を。 島がいっぱいある。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は6位、 旅行全体で13位です。
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潜竜ヶ滝を見るのが、メイン。
震災のとき、最後まで避難を呼びかけた女性がいた。 南三陸町の遠藤未希さん。
埼玉県で、道徳で扱うというニュースを昨日見た。
事実関係をどう捕まえたのか、何を子供たちに学ばせるのか、その辺が気になったので、少し考えてみます。
※ ※ ※ ※
印の所に、最初に行く本陣がある。 参勤交代で、平戸から、1日でここまで。
右の方の○が、潜竜ヶ滝(せんりゅうがたき)。

平戸藩の藩主が宿泊した本陣跡と、山下家の酒母蔵(もとぐら)。
ここは、江迎町の市街地。 昔は、江迎宿だった。

見学するには、予約が必要。
※ ここには、参勤交代の絵がある。(平戸街道探訪のHPより)

平戸街道は、最初の文にある、東彼杵(ひがしそのぎ)で、長崎街道に合流した。
その後、九州の北の小倉に向かった。
※ 平戸街道には、宿泊する本陣は、6ヶ所あったと云う。
ここは、平戸を出て、最初の本陣。 平戸から、15㌔程。
海を渡るが、そんなに遠い距離ではないように感じる。
元蔵の説明もある。

岩のある山があるので、見に行った。 白岳(しらたけ)公園があで、そこから見えた。
登山道があったので、登ることにした。 30分あれば、行けそうに感じた。

少し上に神社があるので、こんな石段。 神社には、頂上まで15分とあった。 近い。


牛の像があったら、京都の八坂神社と関係あると、どこかの神社で知った。

こんな道を上った。

直ぐに着いた。 高さ、373㍍。 山の上には何もない。 岩の所に、下りる道があった。


岩場の上に出た。 目の前の岩が、斜面になっている。 その下の状態も分からないので、ここでストップ。
白岳は、熔岩が固まってできた山と、ネットの説明にあった。

下が白岳公園。 駐車場の左端に、私の車。 屋根が少し。

右奥に、海が見える。 江迎湾。 本陣は、湾の奥にあった。

左の方、 遠くにゴルフ場。 その向こうに、これから行く滝がある。

こんな道を下る。 少し動くと暑い。

山道を数㌔走ったら、駐車場に着いた。 公園になっていて、滝はその奥に。

公園の下。 赤い橋を渡って来た。
3月になったら、ツツジが満開。 今は、間違って咲いてるのが、少し。

小さなお堂があって、その前を通る。

徐福伝説について、いろいろ書いている。。 紀元前の人。 中国から日本に来た。
龍がいたとある。

何という山菜だろう。

不動明王。 少し無理している表情に・・。

ここを上がって来た。 左はお堂。 右は、休憩所。

古い門。 龍門と、石の額にある。
1829年に平戸藩主が、この門を作り、この辺り一帯を整備した。 それで、お堂とかがある。

※ 龍門とあるから、藩主は、徐副伝説を知っていたことになる。
徐福は、いたかいないか分からない人。 昔、徐福伝説を広めた人がいるのかな。
昔は、滝も、神社も、寺も、格式を高めるために、何かの伝説を作った。

滝はすぐに見えてきた。


雨が降らないので、水量はきっと少ない。

ここに龍が潜んでいた、という。 深さ6㍍とネットにあったが、本当かな。

滝のある所は、たいてい、滝つぼの周りは、岩の壁。
正面からの写真。




滝の下流。
こんな岩があると云うことは、この岩を動かすだけの激流になることがある。 台風の時か。

別の方から。 手前は浅い。
深いのは、緑の所。 ここは狭いから、井戸のように深くないと、6㍍にならない。

水量が多いと、左にもう一つ滝が出来そう。

展望台と、小さな祠。

滝の上に行く道を探したが、なかった。
戻る時、門の横の石塔を見た。 天保十四年とあった。 1843年。 門より、14年後。
※ ちなみに、龍馬はこの年、9歳。

公園の岩壁に、玄武岩があった。 柱にように剥がれる。

今日は、合併する前の小さな町を1つ見た。
有名な観光地は無いが、こんな感じが数日続きそう。 これはこれで、いいと思うし、嫌いでない。
滝を見る、ということで里山を歩くことができる。
【動画】
【その他】 下のが、埼玉県で使う道徳の資料の要旨。

遠藤未希さんに関わる事実関係は、何を元にしたのだろうと思う。
もし当時の新聞記事だったら、かなり不正確。
残された放送の記録、放送を聞いた人の証言、未希さんを見た人の証言、など、根拠をもって整理されたものが、現在あるのだろうか。
南三陸町の人達が、それで間違いないと思うものでなければならない。
私は全国版の新聞の多くが不正確で、地元新聞が事実に近いと思っている。
それは、足を運んで書いたから。
また、私は、未希さんが助かる道は無かったのかと、今でも思う。
かわいそうと思うので、道徳であつかう人ではないと考えるんだが。
※ 関連ブログ 最後まで防災無線で叫び続けた人は、2人いた。 ~南三陸町~ 他 (2011/4/13)
※ 震災の写真は、この動画にあります。
写真の半分は、私が撮影。 残りは、アメリカメディアから。 メロディは、札幌の友人が。
最初の写真の建物の2階で、未希さんは放送した。 2枚目の写真は、建物の前にあった花。
※ 被災地を撮影した動画を一つ紹介。 津波被害 釜石市鵜住居
【今日の曲】 ベトナム戦争で、つらい思いをした人たちの気持ちを表現した曲です。
東北にいた時、心の奥を、いつもこの曲が流れていました。
※ 東北では、1週間ずつ、7ヶ所でボランティアをしました。
震災の後、九州の椎葉村から、まず釜石に行きました。 最後は、南相馬市で。
また九州に戻って、九重、阿蘇、祖母山などの、山に登りました。
【道の駅】 昆虫の里たびら
【明日の予定】 佐世保市鹿町(しかまち)町を。 島がいっぱいある。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
吉井町のおはし公園
Re: 吉井町のおはし公園
おはし公園の駐車場に停泊して、朝を迎えています。
ここの石の橋は、珍しい橋ですね。
佐世保の北方面は、見所がいっぱい。
退屈しません。
今日は、世知原に行って戻ってくると思います。
見かけたら、声をかけてください。
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