石橋を残す価値はあるのか。
そのことを整理しなければ、残すことはむずかしい。
世知原町は、残す価値に今は気づいているけど、少し遅かった。
そのために、全体は、いい状態ではなかった。
ゴッドファーザーの画像に、いい曲がついているのがあった。
何年も、誰が歌っているのか分からなかった。 それで、大騒ぎ。
今日調べたら、曲名・歌手名が分かっていた。
※ ※ ※ ※
世知原は、せちばる、と読みます。 伊万里に近い。
世知原町全体。 石橋が17基残っている。 この町は、お茶の産地。
今日見たのは、下の橋。 気付かないで、通り過ぎたのもあるよう。
曲川(まがりかわ)橋が、見えた。
昭和2年とある。 石橋にしては、新しい。
この後、私は橋を見つけられなかった。 どうしてか。
石橋の幅は、3.5㍍。 石橋の上に、新しい橋が載っていた。 幅は、5㍍程。
このように、石橋は中に隠れていた。
別の橋。 岩下橋。 これも昭和2年で、上の橋と似ている。
橋の美しさが、残っている。 水量が多い時のために、横にバイパスのような水路も。
石橋が大事にされたなって、感じる。
祝(いわい)橋。 佐々川の本流に架かっている。 昭和37年改良とあった。
深い谷。 この地方の地層は、浸食しやすいのでしょうか。
ここも、石橋は、新しい橋より狭い。
昭和37年といえば、これからという時代で、古いものを大事にする時代ではなかったか。
ここは、弦掛(つるかけ)観音。 大きな岩の中。
昔、松浦軍がこの山で有馬軍と戦った。 弓に弦をこの場所で掛けた。 それで、弦掛。
戦いで亡くなった人の千人塚があって、その霊を弔うために、お堂を建てた。 それが始まり。
上の方は、こんな風に。
上の写真の右。
橋。 ずっと昔は、大きな洞窟だった。 山伏の修行の地になっていた。
野田橋に向かった。 山の上に来た。 山の上の川は、小さい。 橋も小さくなる。
以前、一歩でまたげる川の石橋を見たことがある。 そんなのかと、不安。
この谷の右の方を、下る。
歩くのが楽しい。 石橋にかこつけて、歩いているのかもしれない。
家の横に、小さな石橋。 長さは、3㍍ない。 昭和になって作られたよう。
石段があって、洗い場がある。
更に谷の下へ。
見えてきた。 おもちゃのように小さい。
丑太郎という人が作ったので、丑太郎橋。
ごろごろした石で作られていた。
これなら崩れると、不思議に思った。
よく見たら、一番内側の石は、コンクリートで固められていた。
だから、内側の面は、きれいな曲面。 でこぼこしていない。
こうでした。 少し、がっかり。
戻る時、クマタカを見た。 最初、木の上にいた。 羽根を広げた時、胸が白かった。
見るのは2度目。 新潟県の山の中で、一度。
望遠の付いたカメラは、車の中。 間に合わなかった。 残念。
※ クマタカは、こんな鳥。(夫婦でバードウォッチングのHPから)
別の場所。 弦掛観音の近く。 ここを下って、右に。
あら、向こうが無くなっている。 流されたと、説明にあった。
左は、すぐに小さな滝。
橋の作りが、よく分かる。 これで頑丈なんだから、不思議。
朧(おぼろ)月。 昼間の月は、小さい。
世知原町の中心街。 山の上まで、畑と家。
高観寺橋。 今は使っていない。 新しいデザインにしたけど、失敗。
隣に、新しい橋。
※ 本当は、上のように使われなくなったら、昔の形に戻して、残す方法があるんですね。
もう少し、美しい石橋なら、その価値はあるんだが。
熊本県の霊台(れいたい)橋は、元に戻して、保存している。 人は通れる。 車は、隣の橋。
この橋を越える美しさの橋は、まだ見ていない。 古い橋では、日本一の大きさ。
小岩橋という小さな橋を探したが、見つけられなかった。 田んぼに、イノシシの罠(わな)。
世知原炭鉱資料館。 旧松浦炭炭鉱の事務所。 ※ 中は、見なかった。 隣に頼んで、わざわざ開けてもらうので。
砂岩の石で作られたと、説明があった。
もしかして、この地方は砂岩が多いのか。 砂岩は風化や浸食されやすい。
だから、洞窟が多く、石の橋が出来たりする。
※ 砂岩ってどんな石か、しっかり眺めておけばよかった。 いっつも、写真を撮って終わり。
ひどい時なんか、説明だって読まない。
橋河内(はしかわち)洞窟。 これは、戻る途中。 吉井町。
人が住んでたのは、縄文時代と説明にあった。 後の世では、信仰の場になった。
どうやって住んだんだろう。 入り口をふさがないと、冬は寒い。
※ ここに住んだ人たちは、どんな楽しみがあって、毎日を過ごしたのでしょう。
資料館や博物館に行けば、先人の残したものは見られる。
でも、それは、展示できる大きさの物で、日常的には目にしない。
石橋を見ることによって、先人の知恵や汗を感じ取ることが出来る。
石橋を大事にすることは、昔の人たちの努力を大事にすることになる。
昔を大事にすることは、今を大事にすることにつながる。
子供たちの教育のために、大きな役割を果たす。
また、石橋は、見ても美しい。
このようなことに気づくかどうかは、地域によって大きな差がある。
世知原町は、昭和の中頃、昔を大事にしない時代があった。
そのために、今の状態。 でも、今は考え方が変わった。
今後、今の橋では不十分で掛け替える時が来る。
その時がチャンス。 デザインのいい橋を復元する。
そうして、未来に残す。
※ 楽しみにしていた世知原温泉は、1日まで休みでした。
【今日の歌】
この曲には、曲名が知りたいと、膨大なコメントが寄せられていた。
でも、分からない。 世界中が気にしていた。 最近になって、分かったようだ。
曲名は、Quiero bailar。 歌詞の中で、何回も出てくる。 スペイン語。
踊りたい、という意味だそう。
※ Quieroは、~~したい。 bailarは、踊り。
※ ちなみに、英語のバレエは、ballet。 上と、スペルが似ている。
変わった雰囲気の曲。 数年前に知って、好きな曲です。
歌手名は、Kinzli。 韓国出身。 現在ロンドン在住の女性アーティスト。
ジプシーのリズムやジャズを取り入れた、結構アバンギャルドなポップス。
(ネットに、上のように説明があった)
【停泊場所】 御橋公園駐車場
【明日の予定】 九十九島かなと
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で12位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
そのことを整理しなければ、残すことはむずかしい。
世知原町は、残す価値に今は気づいているけど、少し遅かった。
そのために、全体は、いい状態ではなかった。
ゴッドファーザーの画像に、いい曲がついているのがあった。
何年も、誰が歌っているのか分からなかった。 それで、大騒ぎ。
今日調べたら、曲名・歌手名が分かっていた。
※ ※ ※ ※
世知原は、せちばる、と読みます。 伊万里に近い。
世知原町全体。 石橋が17基残っている。 この町は、お茶の産地。

今日見たのは、下の橋。 気付かないで、通り過ぎたのもあるよう。

曲川(まがりかわ)橋が、見えた。

昭和2年とある。 石橋にしては、新しい。

この後、私は橋を見つけられなかった。 どうしてか。
石橋の幅は、3.5㍍。 石橋の上に、新しい橋が載っていた。 幅は、5㍍程。

このように、石橋は中に隠れていた。

別の橋。 岩下橋。 これも昭和2年で、上の橋と似ている。
橋の美しさが、残っている。 水量が多い時のために、横にバイパスのような水路も。
石橋が大事にされたなって、感じる。

祝(いわい)橋。 佐々川の本流に架かっている。 昭和37年改良とあった。

深い谷。 この地方の地層は、浸食しやすいのでしょうか。
ここも、石橋は、新しい橋より狭い。
昭和37年といえば、これからという時代で、古いものを大事にする時代ではなかったか。

ここは、弦掛(つるかけ)観音。 大きな岩の中。

昔、松浦軍がこの山で有馬軍と戦った。 弓に弦をこの場所で掛けた。 それで、弦掛。
戦いで亡くなった人の千人塚があって、その霊を弔うために、お堂を建てた。 それが始まり。
上の方は、こんな風に。

上の写真の右。

橋。 ずっと昔は、大きな洞窟だった。 山伏の修行の地になっていた。

野田橋に向かった。 山の上に来た。 山の上の川は、小さい。 橋も小さくなる。
以前、一歩でまたげる川の石橋を見たことがある。 そんなのかと、不安。
この谷の右の方を、下る。

歩くのが楽しい。 石橋にかこつけて、歩いているのかもしれない。

家の横に、小さな石橋。 長さは、3㍍ない。 昭和になって作られたよう。
石段があって、洗い場がある。

更に谷の下へ。

見えてきた。 おもちゃのように小さい。

丑太郎という人が作ったので、丑太郎橋。

ごろごろした石で作られていた。
これなら崩れると、不思議に思った。
よく見たら、一番内側の石は、コンクリートで固められていた。
だから、内側の面は、きれいな曲面。 でこぼこしていない。

こうでした。 少し、がっかり。

戻る時、クマタカを見た。 最初、木の上にいた。 羽根を広げた時、胸が白かった。
見るのは2度目。 新潟県の山の中で、一度。
望遠の付いたカメラは、車の中。 間に合わなかった。 残念。

※ クマタカは、こんな鳥。(夫婦でバードウォッチングのHPから)
別の場所。 弦掛観音の近く。 ここを下って、右に。

あら、向こうが無くなっている。 流されたと、説明にあった。

左は、すぐに小さな滝。

橋の作りが、よく分かる。 これで頑丈なんだから、不思議。

朧(おぼろ)月。 昼間の月は、小さい。

世知原町の中心街。 山の上まで、畑と家。

高観寺橋。 今は使っていない。 新しいデザインにしたけど、失敗。
隣に、新しい橋。

※ 本当は、上のように使われなくなったら、昔の形に戻して、残す方法があるんですね。
もう少し、美しい石橋なら、その価値はあるんだが。
熊本県の霊台(れいたい)橋は、元に戻して、保存している。 人は通れる。 車は、隣の橋。
この橋を越える美しさの橋は、まだ見ていない。 古い橋では、日本一の大きさ。

小岩橋という小さな橋を探したが、見つけられなかった。 田んぼに、イノシシの罠(わな)。

世知原炭鉱資料館。 旧松浦炭炭鉱の事務所。 ※ 中は、見なかった。 隣に頼んで、わざわざ開けてもらうので。
砂岩の石で作られたと、説明があった。
もしかして、この地方は砂岩が多いのか。 砂岩は風化や浸食されやすい。
だから、洞窟が多く、石の橋が出来たりする。

※ 砂岩ってどんな石か、しっかり眺めておけばよかった。 いっつも、写真を撮って終わり。
ひどい時なんか、説明だって読まない。
橋河内(はしかわち)洞窟。 これは、戻る途中。 吉井町。

人が住んでたのは、縄文時代と説明にあった。 後の世では、信仰の場になった。

どうやって住んだんだろう。 入り口をふさがないと、冬は寒い。
※ ここに住んだ人たちは、どんな楽しみがあって、毎日を過ごしたのでしょう。

資料館や博物館に行けば、先人の残したものは見られる。
でも、それは、展示できる大きさの物で、日常的には目にしない。
石橋を見ることによって、先人の知恵や汗を感じ取ることが出来る。
石橋を大事にすることは、昔の人たちの努力を大事にすることになる。
昔を大事にすることは、今を大事にすることにつながる。
子供たちの教育のために、大きな役割を果たす。
また、石橋は、見ても美しい。
このようなことに気づくかどうかは、地域によって大きな差がある。
世知原町は、昭和の中頃、昔を大事にしない時代があった。
そのために、今の状態。 でも、今は考え方が変わった。
今後、今の橋では不十分で掛け替える時が来る。
その時がチャンス。 デザインのいい橋を復元する。
そうして、未来に残す。
※ 楽しみにしていた世知原温泉は、1日まで休みでした。
【今日の歌】
この曲には、曲名が知りたいと、膨大なコメントが寄せられていた。
でも、分からない。 世界中が気にしていた。 最近になって、分かったようだ。
曲名は、Quiero bailar。 歌詞の中で、何回も出てくる。 スペイン語。
踊りたい、という意味だそう。
※ Quieroは、~~したい。 bailarは、踊り。
※ ちなみに、英語のバレエは、ballet。 上と、スペルが似ている。
変わった雰囲気の曲。 数年前に知って、好きな曲です。
歌手名は、Kinzli。 韓国出身。 現在ロンドン在住の女性アーティスト。
ジプシーのリズムやジャズを取り入れた、結構アバンギャルドなポップス。
(ネットに、上のように説明があった)
【停泊場所】 御橋公園駐車場
【明日の予定】 九十九島かなと
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で12位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。

※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
コメント
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui.com/tb.php/509-e7b6acbb