佐世保の街外れの公園の駐車場に向かった。 狭かった。
他を考えた時、雪が強くなってきた。
不安になって戻った。 そして、温泉に。 いつもは、ぱっぱと出るけど、今日はのんびり。
戦後の昭和21年、ある夫婦が、長女を連れて佐世保にやって来た。
佐世保には、米軍基地があった。 夫は、そこのパン工場で働き、パンの作り方を学んだ。
昭和23年の春、二女が生まれた。 2ヶ月の時、肺炎にかかった。 当時、普通は助からない。
抗生物質のペニシリンが、日本の病院にやっと出回りかけた時期で、治療を受けるのは難しい。
しかし、瀕死の女の子は、米軍基地の病院に助けられた。 そこには、ペニシリンがあった。
その年、家族は、元いた大阪に戻る。
助かった女の子は、後に歌手になり、20歳の時、ブルー・ライト・ヨコハマを歌う。
※ ※ ※ ※
さあ行くぞ、と走り出したら、雪は強くなる。
戻り始めたら、雪は止む。
天気は、意地悪。
入った温泉は、九十九島温泉花みずきSASPA。 広い湯船。
海水の湯船が温まった。 タラソテラピーの効果があると書いてあった。
800円と高い。 受付の人に、安いガソリンスタンドを教えてもらった。 高い分は、戻った。
今日は、写真が1枚も無かった。
9時頃、近くの展海峰に、佐世保の夜景を撮りにいった。
佐世保の中心街の、右の方が見える。
この灯りは、不夜城のように、消えない。
森田童子は、ラストワルツの中で、
窓から見える街の灯は、まぶしく、自由が見える、と言った。 関連ブログは、最後に。
※ 昔、街の灯りの中に、人の幸せがあるように感じたことがある。(これに気付いて、北の岬の歌詞は完成)
昼間は、こう。 左の山のかげに、造船所がある。
上の写真の中央部分。
市街地の北の部分。
島が、暗闇に浮かんで見える。
左の、クレーンがある所が、佐世保重工業。 造船所など。
ここに、米軍基地があった。
昨年の映画。 いしだあゆみが、出た。 このポスターは、何度か見た。
おばあちゃん役をやる年齢。
いしだあゆみのことは、結構詳しく分かっている。
彼女の妹は、石田ゆり。 作詞家なかにし礼の夫人。
なかにし礼が、「てるてる坊主の照子」さんという小説を書いた。
これを元に作られたドラマが、『てるてる家族』(てるてるかぞく)。※ 2003年度下半期のNHK連続テレビ小説。
いしだあゆみは、4姉妹の二女。 照子さんは、母親。
家族の生活が描かれた。
【今日の歌】
昭和21年、長女の治子を連れて、佐世保に来る。 米軍基地で、パン作りを修行をするため。
※ 治子は、1968年グルノーブルオリンピック女子シングル日本代表として出場している。
だから、いしだあゆみも、スケートは得意。
ブルー・ライト・ヨコハマのヒットで、一躍有名に。
彼女の、いろんな表情の写真が。
※ 佐世保に親類があったのか、なぜ米軍基地に勤めることが出来たのか、その辺は分からない。
いしだあゆみは、昭和23年の3月に生まれる。 本名は、石田好子。
生後2か月の時に、肺炎になる。 症状が重くなる。
米軍基地の病院で治療を受ける。 ペニシリンによって、助かる。
※ この時の治療費については、正確には分からない。
今の金額で、安くて、数十万円。 もっと高かったと云う情報も。
両親は、全てを捨てて、お金を集めたよう。
下の動画は、テレビで見た記憶がある。
ペニシリンは、1929年にイギリスのフレミングによって発見。
感染症に対する人々の脅威を激減させた。 今で言う、抗生物質。 強力な薬。
アメリカで大量生産が可能になったのは、太平洋戦争末期の昭和18年のころ。
日本がペニシリンで動き始めたのは、昭和21年。 病院に行き渡るようになるのは、昭和23年。
いしだあゆみが肺炎になったのは、この年の5月の末か6月。
日本の病院では不十分でも、アメリカの病院には当然あった。
ペニシリンは奇跡の薬であり、いしだあゆみがこの薬の治療を受けられたのも、奇跡。
「てるてる家族」の中で、いしだあゆみを演じたのは、上原多香子。 夏子の名前で。
下の動画の彼女は、時代が変わって、全てが洗練されている。
今聴くなら、彼女が歌う方が好き。 いいですよ。
※ 上原多香子は、映画「恋谷橋」で主演している。 関連ブログは、最後に。
下の歌は、センチメンタル・ジャーニー。 曲名も魅力。 ドリス・デイ。
てるてる家族の中で使われたよう。
※ 夏子(いしだあゆみ)が、肺炎で苦しんでる時、母親がそのよこで、この曲を踊っていたとか、そんな話し。
昭和23年、病気が治ったその年のうちに、家族は大阪に戻り、池田市でパン屋さんを開く。
いしだあゆみも、姉と一緒で、スケートの選手だった。 スカウトは、その時に。
ケ・セラ・セラも、ドラマで使われたよう。 同じ、ドリス・デイ。 以前紹介している。
今日は動けなかったので、佐世保で生まれた、いしだあゆみについて書いてみました。
奇跡によって助けられた命でした。 奇跡を生み出したのは、両親。
【関連ブログ】 倉吉市白壁土蔵群・赤瓦 三朝温泉恋谷橋 他 (2011/6/6)
楼門のある、名湯武雄温泉 ~武雄市~ 森田童子の、ラスト・ワルツ 他 (2012/1/16)
【停泊場所】 花の森公園駐車場
【明日の予定】 午後から動けそう。
どこかの駅から、松浦線に乗って、佐世保に入る。 それがいいかな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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他を考えた時、雪が強くなってきた。
不安になって戻った。 そして、温泉に。 いつもは、ぱっぱと出るけど、今日はのんびり。
戦後の昭和21年、ある夫婦が、長女を連れて佐世保にやって来た。
佐世保には、米軍基地があった。 夫は、そこのパン工場で働き、パンの作り方を学んだ。
昭和23年の春、二女が生まれた。 2ヶ月の時、肺炎にかかった。 当時、普通は助からない。
抗生物質のペニシリンが、日本の病院にやっと出回りかけた時期で、治療を受けるのは難しい。
しかし、瀕死の女の子は、米軍基地の病院に助けられた。 そこには、ペニシリンがあった。
その年、家族は、元いた大阪に戻る。
助かった女の子は、後に歌手になり、20歳の時、ブルー・ライト・ヨコハマを歌う。
※ ※ ※ ※
さあ行くぞ、と走り出したら、雪は強くなる。
戻り始めたら、雪は止む。
天気は、意地悪。
入った温泉は、九十九島温泉花みずきSASPA。 広い湯船。
海水の湯船が温まった。 タラソテラピーの効果があると書いてあった。
800円と高い。 受付の人に、安いガソリンスタンドを教えてもらった。 高い分は、戻った。
今日は、写真が1枚も無かった。
9時頃、近くの展海峰に、佐世保の夜景を撮りにいった。
佐世保の中心街の、右の方が見える。
この灯りは、不夜城のように、消えない。
森田童子は、ラストワルツの中で、
窓から見える街の灯は、まぶしく、自由が見える、と言った。 関連ブログは、最後に。
※ 昔、街の灯りの中に、人の幸せがあるように感じたことがある。(これに気付いて、北の岬の歌詞は完成)

昼間は、こう。 左の山のかげに、造船所がある。

上の写真の中央部分。

市街地の北の部分。

島が、暗闇に浮かんで見える。

左の、クレーンがある所が、佐世保重工業。 造船所など。
ここに、米軍基地があった。

昨年の映画。 いしだあゆみが、出た。 このポスターは、何度か見た。
おばあちゃん役をやる年齢。

いしだあゆみのことは、結構詳しく分かっている。
彼女の妹は、石田ゆり。 作詞家なかにし礼の夫人。
なかにし礼が、「てるてる坊主の照子」さんという小説を書いた。
これを元に作られたドラマが、『てるてる家族』(てるてるかぞく)。※ 2003年度下半期のNHK連続テレビ小説。
いしだあゆみは、4姉妹の二女。 照子さんは、母親。
家族の生活が描かれた。
【今日の歌】
昭和21年、長女の治子を連れて、佐世保に来る。 米軍基地で、パン作りを修行をするため。
※ 治子は、1968年グルノーブルオリンピック女子シングル日本代表として出場している。
だから、いしだあゆみも、スケートは得意。
ブルー・ライト・ヨコハマのヒットで、一躍有名に。
彼女の、いろんな表情の写真が。
※ 佐世保に親類があったのか、なぜ米軍基地に勤めることが出来たのか、その辺は分からない。
いしだあゆみは、昭和23年の3月に生まれる。 本名は、石田好子。
生後2か月の時に、肺炎になる。 症状が重くなる。
米軍基地の病院で治療を受ける。 ペニシリンによって、助かる。
※ この時の治療費については、正確には分からない。
今の金額で、安くて、数十万円。 もっと高かったと云う情報も。
両親は、全てを捨てて、お金を集めたよう。
下の動画は、テレビで見た記憶がある。
ペニシリンは、1929年にイギリスのフレミングによって発見。
感染症に対する人々の脅威を激減させた。 今で言う、抗生物質。 強力な薬。
アメリカで大量生産が可能になったのは、太平洋戦争末期の昭和18年のころ。
日本がペニシリンで動き始めたのは、昭和21年。 病院に行き渡るようになるのは、昭和23年。
いしだあゆみが肺炎になったのは、この年の5月の末か6月。
日本の病院では不十分でも、アメリカの病院には当然あった。
ペニシリンは奇跡の薬であり、いしだあゆみがこの薬の治療を受けられたのも、奇跡。
「てるてる家族」の中で、いしだあゆみを演じたのは、上原多香子。 夏子の名前で。
下の動画の彼女は、時代が変わって、全てが洗練されている。
今聴くなら、彼女が歌う方が好き。 いいですよ。
※ 上原多香子は、映画「恋谷橋」で主演している。 関連ブログは、最後に。
下の歌は、センチメンタル・ジャーニー。 曲名も魅力。 ドリス・デイ。
てるてる家族の中で使われたよう。
※ 夏子(いしだあゆみ)が、肺炎で苦しんでる時、母親がそのよこで、この曲を踊っていたとか、そんな話し。
昭和23年、病気が治ったその年のうちに、家族は大阪に戻り、池田市でパン屋さんを開く。
いしだあゆみも、姉と一緒で、スケートの選手だった。 スカウトは、その時に。
ケ・セラ・セラも、ドラマで使われたよう。 同じ、ドリス・デイ。 以前紹介している。
今日は動けなかったので、佐世保で生まれた、いしだあゆみについて書いてみました。
奇跡によって助けられた命でした。 奇跡を生み出したのは、両親。
【関連ブログ】 倉吉市白壁土蔵群・赤瓦 三朝温泉恋谷橋 他 (2011/6/6)
楼門のある、名湯武雄温泉 ~武雄市~ 森田童子の、ラスト・ワルツ 他 (2012/1/16)
【停泊場所】 花の森公園駐車場
【明日の予定】 午後から動けそう。
どこかの駅から、松浦線に乗って、佐世保に入る。 それがいいかな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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