歓楽街のある温泉街、嬉野温泉は武雄温泉に似ていた。
シーボルトの湯があり、明るいモダンな雰囲気だった。
嬉野市には、和泉式部公園があり、和泉式部生誕の地とあった。
これは苦しいと云うのが、第一印象だったでしょうか。
中心街の中に、商家の町並みが残っていた。 重伝建地区。
※ ※ ※ ※
嬉野(うれしの)市は、佐賀県。
シーボルトの湯。 共同浴場。 観光の拠点。
この建物は新しく、まだ2年経っていない。 古い建物を再現した。
どうして。シーボルトなのか。 理由は、3つ。 (情報は、ある温泉のサイト。 正確さは?)
① シーボルトが、嬉野温泉に来たことがある。
② 温泉の湯の分析をシーボルトがした。
③ 嬉野茶を伝えたのは、シーボルト。
美人の湯というくらいで、肌がつるつるになる。 床も滑るところが。
受付は、この感じ。 モダン。
※ モダンという言葉は、新しいと云う意味だが、大正・昭和の匂いがする。
龍馬がどうだとか、資料が展示してあった。
大浦慶という人が、長崎にいた。
嬉野茶をはじめとした日本茶の輸出で儲けた。
彼女は、龍馬たちと関わりがあり、彼らの活動を支えたとある。
この説明は正しく、事実のよう。
陸奥宗光の夫人。 陸奥亮子。 横顔は、昨日のブログの、黒木瞳のよう。
旦那の陸奥宗光は、龍馬や勝海舟と親しかった。
龍馬はこう言った。 (Wikipediaより)
「(刀を)二本差さなくても食っていけるのは、俺と陸奥だけだ」
陸奥は、龍馬をこう絶賛。
「その融通変化の才に富める彼の右に出るものあらざりき。自由自在な人物、大空を翔る奔馬だ」
陸奥宗光は、明治に入って活躍。 夫人の亮子は、社交界の花形。
シーボルトの湯から、少し坂を上ると、シーボルトの足湯。
嬉野は蓮池(はすいけ)藩。 鍋島藩の支藩。 でも、山間部は佐賀藩。
境界線がどこなのかで、もめた。 それで、境界線に石を置いた。
ホテルと歓楽街のある温泉。 見所が多い訳ではない。
このような通りが続く。
燈籠なのか。 右は、きっと和泉式部。 嬉野市に、和泉式部公園があるから。
豊玉姫神社に向かっている。 左の人も。 そぞろ歩きが楽しい通りではない。
温泉ホテルは、このように建っている。
ホテルの客は、夕食後、街のネオン街に出てくる。 昔ながらの温泉。
白ナマズが祀ってあるというので、来てみた。
ピンクのナマズが、お出迎え。 ヒゲがある。
右の人が、白ナマズを触っている。 さわると、御利益。
水をかけてから、さわる。 かわいい。 ※ 生きてるのがいたら、面白い。
戻る途中の道端に、六地蔵さん。
嬉野温泉から、嬉野市の市街地に向かった。 街外れに、和泉式部公園があった。
歌碑があった。 こんな歌。
「君が 望む その木の綿は 川瀬住む 鮎の腹にぞ 宿りぬるかな」
※ 和泉式部が子供の頃、木綿を摘む手伝いをしていた。
これを見た天皇の使いが「この綿は売るのか」と聞いた。
和泉式部は即座に
「君が望む その木の綿は 川瀬住む 鮎の腹にぞ 宿りぬるかな」
と答えて、天皇の使いをびっくりさせた。
上のような話しで
このわたは、はらわたのこと。 うるかは、鮎のしおから。
この歌は、以前見たことがある。 作られた場所は、分からない。
和泉式部の表情、いいですね。
像があった。 いい像だなっていうのを作るのは、むずかしい。
※ それなりの作家にお願いしないと、絶対に作れない。
人物を全て理解しないと、表情をつくることはできない。
そんなことを思うんだが・・・。
最近、いい表情の像に、出会っていない。
今日も、像を見ただけで、がっかり。 たくさんお金をかけて、もったいない。
※ 檮原の龍馬たち。 月の沙漠。 林芙美子。 これらは、とてもいいのだが。
佐藤忠良が手掛けた像は、どれも完璧。 天草四郎もよかった。
下の説明があった。
「ふるさとに 帰る衣の色くちて 錦の浦や杵島なるらん」
この歌に、この地方の地名が入っている。
だから、和泉式部は、嬉野の出身といっている。 伝説もあるし。
※ 上の歌が、和泉式部の歌かどうかが分からない。
証明はできないと、思う。
※ 和泉式部の伝説は、全国にたくさんある。 小野小町と同じように。
柳田国男は、こう言っている。(Wikipedia)
式部の、このような伝承が各地に存在するのは、
「式部の伝説を語り物にして歩く京都誓願寺に所属する女性たちが、中世に諸国をくまなくめぐったからである」
※ 誓願寺は、祇園に近い新京極の奥にある。 龍馬が襲われた場所は、遠くない。
信者を広めるために、周ったのか。
和泉式部公園を活かすには、こうかなと思う。
すべて、この地域に伝わっていること、として押し通す。
行事の中身、ポスター、など、美しく魅力的な物にする。
恋の歌限定で、歌を募集するとかも。
それなりの存在感が出てきた時、小野小町の秋田の「雄勝」のように、全国的な物になる。
秋田では、米は秋田小町、銀行だって何だって、小町の名前がいっぱいついている。
こんな、魅力的なポスターも。
嬉野市の市街地。 ○の辺りに、町並みがある。 この時は、分からなかった。
タンポポ。 今年初めて。 夏には、踏みつけられている。
川は、旧塩田川。 川の左に町並み。 川の水運を利用して、町並みが発達した。
川の側なので、塩田津の町並み。
西岡家住宅。 国の重要文化財。
新しい家と、昔の家とが混ざっている。
復元が終わった状態に見えますね。
数軒の家が、復元の途中だった。 修復の工事が多いのが、塩田津の町並みの特徴。
今後、大きく変貌していく。 楽しみな町並み。
脇道が、時々ある。 石蔵から塩田川までの道とかも。 ちゃんと、石畳。
この子がいて、この表情。
中学生を含めて、通る人達は、みな挨拶を交わしている。 私も途中から、声をかけるようにした。
商家なので、重々しさを感じない。 そこがいい。
説明。 地図を見ながらでないと、分かりにくい。
旧長崎街道とある。 長崎や平戸の殿様も、嬉野を通って、小倉に向かった。
別な、修復中の家を見せてもらった。 のぞいていたら、どうぞって声をかけてくれた。
元の柱が、ほとんど使えている。
※ 少しでも使えば、復元したことになる。 使える材料は使う、それが条件。
昔の家は、いつまでたっても、デザインは古く感じない。
昭和の家のデザインのほとんどは、今に通用しない。
弁慶でしょうか。 なぎなた持ってるので。
景気が悪いから、温泉街は大変。
賑わっているのは、競争で勝ち残った所だけ。 湯布院や黒川温泉など。
若者にとって魅力的な所は、誰にとっても楽しい。
そんなふうに、最近思います。
【関連ブログ】 義経修行の地、鞍馬山 和泉式部恋の道、貴船 ~京都市鞍馬~ 他 (2010/11/25)
【今日の歌】
改築工事をしている中から、聞えてきた。
小柳ルミ子の両親は、秋田の人。 福岡で生まれた。 彼女は、秋田美人の顔ではない。
※ 上で紹介したポスターの子が、秋田美人。
小町は、どんな顔だったのか。 親は役人のようなので、秋田の人ではないが。
私の城下町、他。 彼女は、福岡をイメージして歌っている。 詩を書いた人は、京都を。
【道の駅】 鹿島
【明日の予定】 鹿島市内 見所はあります。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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シーボルトの湯があり、明るいモダンな雰囲気だった。
嬉野市には、和泉式部公園があり、和泉式部生誕の地とあった。
これは苦しいと云うのが、第一印象だったでしょうか。
中心街の中に、商家の町並みが残っていた。 重伝建地区。
※ ※ ※ ※
嬉野(うれしの)市は、佐賀県。
シーボルトの湯。 共同浴場。 観光の拠点。
この建物は新しく、まだ2年経っていない。 古い建物を再現した。

どうして。シーボルトなのか。 理由は、3つ。 (情報は、ある温泉のサイト。 正確さは?)
① シーボルトが、嬉野温泉に来たことがある。
② 温泉の湯の分析をシーボルトがした。
③ 嬉野茶を伝えたのは、シーボルト。
美人の湯というくらいで、肌がつるつるになる。 床も滑るところが。

受付は、この感じ。 モダン。
※ モダンという言葉は、新しいと云う意味だが、大正・昭和の匂いがする。

龍馬がどうだとか、資料が展示してあった。

大浦慶という人が、長崎にいた。
嬉野茶をはじめとした日本茶の輸出で儲けた。
彼女は、龍馬たちと関わりがあり、彼らの活動を支えたとある。
この説明は正しく、事実のよう。


陸奥宗光の夫人。 陸奥亮子。 横顔は、昨日のブログの、黒木瞳のよう。
旦那の陸奥宗光は、龍馬や勝海舟と親しかった。
龍馬はこう言った。 (Wikipediaより)
「(刀を)二本差さなくても食っていけるのは、俺と陸奥だけだ」
陸奥は、龍馬をこう絶賛。
「その融通変化の才に富める彼の右に出るものあらざりき。自由自在な人物、大空を翔る奔馬だ」
陸奥宗光は、明治に入って活躍。 夫人の亮子は、社交界の花形。

シーボルトの湯から、少し坂を上ると、シーボルトの足湯。

嬉野は蓮池(はすいけ)藩。 鍋島藩の支藩。 でも、山間部は佐賀藩。
境界線がどこなのかで、もめた。 それで、境界線に石を置いた。

ホテルと歓楽街のある温泉。 見所が多い訳ではない。

このような通りが続く。

燈籠なのか。 右は、きっと和泉式部。 嬉野市に、和泉式部公園があるから。


豊玉姫神社に向かっている。 左の人も。 そぞろ歩きが楽しい通りではない。

温泉ホテルは、このように建っている。
ホテルの客は、夕食後、街のネオン街に出てくる。 昔ながらの温泉。

白ナマズが祀ってあるというので、来てみた。

ピンクのナマズが、お出迎え。 ヒゲがある。

右の人が、白ナマズを触っている。 さわると、御利益。

水をかけてから、さわる。 かわいい。 ※ 生きてるのがいたら、面白い。

戻る途中の道端に、六地蔵さん。

嬉野温泉から、嬉野市の市街地に向かった。 街外れに、和泉式部公園があった。

歌碑があった。 こんな歌。
「君が 望む その木の綿は 川瀬住む 鮎の腹にぞ 宿りぬるかな」
※ 和泉式部が子供の頃、木綿を摘む手伝いをしていた。
これを見た天皇の使いが「この綿は売るのか」と聞いた。
和泉式部は即座に
「君が望む その木の綿は 川瀬住む 鮎の腹にぞ 宿りぬるかな」
と答えて、天皇の使いをびっくりさせた。
上のような話しで
このわたは、はらわたのこと。 うるかは、鮎のしおから。
この歌は、以前見たことがある。 作られた場所は、分からない。
和泉式部の表情、いいですね。


像があった。 いい像だなっていうのを作るのは、むずかしい。

※ それなりの作家にお願いしないと、絶対に作れない。
人物を全て理解しないと、表情をつくることはできない。
そんなことを思うんだが・・・。
最近、いい表情の像に、出会っていない。
今日も、像を見ただけで、がっかり。 たくさんお金をかけて、もったいない。
※ 檮原の龍馬たち。 月の沙漠。 林芙美子。 これらは、とてもいいのだが。
佐藤忠良が手掛けた像は、どれも完璧。 天草四郎もよかった。
下の説明があった。
「ふるさとに 帰る衣の色くちて 錦の浦や杵島なるらん」
この歌に、この地方の地名が入っている。
だから、和泉式部は、嬉野の出身といっている。 伝説もあるし。

※ 上の歌が、和泉式部の歌かどうかが分からない。
証明はできないと、思う。
※ 和泉式部の伝説は、全国にたくさんある。 小野小町と同じように。
柳田国男は、こう言っている。(Wikipedia)
式部の、このような伝承が各地に存在するのは、
「式部の伝説を語り物にして歩く京都誓願寺に所属する女性たちが、中世に諸国をくまなくめぐったからである」
※ 誓願寺は、祇園に近い新京極の奥にある。 龍馬が襲われた場所は、遠くない。
信者を広めるために、周ったのか。
和泉式部公園を活かすには、こうかなと思う。
すべて、この地域に伝わっていること、として押し通す。
行事の中身、ポスター、など、美しく魅力的な物にする。
恋の歌限定で、歌を募集するとかも。
それなりの存在感が出てきた時、小野小町の秋田の「雄勝」のように、全国的な物になる。
秋田では、米は秋田小町、銀行だって何だって、小町の名前がいっぱいついている。
こんな、魅力的なポスターも。
嬉野市の市街地。 ○の辺りに、町並みがある。 この時は、分からなかった。

タンポポ。 今年初めて。 夏には、踏みつけられている。

川は、旧塩田川。 川の左に町並み。 川の水運を利用して、町並みが発達した。
川の側なので、塩田津の町並み。

西岡家住宅。 国の重要文化財。

新しい家と、昔の家とが混ざっている。

復元が終わった状態に見えますね。

数軒の家が、復元の途中だった。 修復の工事が多いのが、塩田津の町並みの特徴。
今後、大きく変貌していく。 楽しみな町並み。

脇道が、時々ある。 石蔵から塩田川までの道とかも。 ちゃんと、石畳。

この子がいて、この表情。

中学生を含めて、通る人達は、みな挨拶を交わしている。 私も途中から、声をかけるようにした。

商家なので、重々しさを感じない。 そこがいい。

説明。 地図を見ながらでないと、分かりにくい。

旧長崎街道とある。 長崎や平戸の殿様も、嬉野を通って、小倉に向かった。


別な、修復中の家を見せてもらった。 のぞいていたら、どうぞって声をかけてくれた。

元の柱が、ほとんど使えている。
※ 少しでも使えば、復元したことになる。 使える材料は使う、それが条件。
昔の家は、いつまでたっても、デザインは古く感じない。
昭和の家のデザインのほとんどは、今に通用しない。

弁慶でしょうか。 なぎなた持ってるので。

景気が悪いから、温泉街は大変。
賑わっているのは、競争で勝ち残った所だけ。 湯布院や黒川温泉など。
若者にとって魅力的な所は、誰にとっても楽しい。
そんなふうに、最近思います。
【関連ブログ】 義経修行の地、鞍馬山 和泉式部恋の道、貴船 ~京都市鞍馬~ 他 (2010/11/25)
【今日の歌】
改築工事をしている中から、聞えてきた。
小柳ルミ子の両親は、秋田の人。 福岡で生まれた。 彼女は、秋田美人の顔ではない。
※ 上で紹介したポスターの子が、秋田美人。
小町は、どんな顔だったのか。 親は役人のようなので、秋田の人ではないが。
私の城下町、他。 彼女は、福岡をイメージして歌っている。 詩を書いた人は、京都を。
【道の駅】 鹿島
【明日の予定】 鹿島市内 見所はあります。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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