鹿島市には、2つの重伝建地区があった。 前回来た時は、気づかなかった。
※ 浜中町八本木宿と浜庄津町浜金屋町。
まとめて、肥前浜宿と呼んでいた。
ある人に話が聞けて、伝建地区選定までのことが、分かった。
この町も、一人の人間が、まず動いていた。
※ ※ ※ ※
上の広い所が、浜中町八本木宿。 はまなかまち はちほんぎ しゅく。
右のせまい方は、浜庄津町浜金屋町。 はましょうづまち はまかなやまち。
※ どちらも、名前が長いと云う問題がある。
命名の時に、いろんな声を聞いたから、そうなったのか。
記憶してもらうのは、大変。
車を駐車場に止めようとしたら、年配の男の人がいた。
バックする時、車の後ろを見てくれた。
一昨年も来たことを話しているうちに、作業場に案内してくれた。
椅子に座って、1時間ほどお話しを聞いた。
私は、ストーブの右の椅子に。
※ 呼び名は、全体は、肥前浜宿(ひぜんはましゅく)。
ブログでは、こう呼ぶことにします。
右の狭い方は、肥前浜宿の「茅葺(かやぶき)の方」。 広い方は、「酒蔵の方」。
男の方は、峰松 昭次郎さん。 銅板の加工の技術を持っている。
仕事は、神社の屋根を葺いたりするんだが、下のようなのも作る。
右は、神社で使う見本。 祐徳神社の、ある建物の屋根葺きを担当している。
※ 晩に調べて分かったことだが、峰松さんは、
佐賀マイスター認定(建築板金)
卓越した技能者(現代の名工)認定
を、受けていた。 他に、~~1級とかも。
現代の名工は、全国で年に150名程しか認定されない。
急須とかは特に、むずかしいと思う。
右の写真の「わ」は、わざと「わ」にしたのだろうか。
※ 理屈を言ってるのではなく、こう話している感じになる。
※ 単純に間違ったかもしれない。
峰松さんは、最初気になったのは、茅葺の方だった。
3人集まった。 浜川愛護協会の名前で、始まった。 昭和52年の頃。
次に取り組んだのは、旧乗田家(のりたけ)住宅。 この後、行く家。
崩壊寸前の家だったが、保存に乗り出した。
それがきっかけで、伝建地区の認定となっていく。
市、県、国との関わりで、動くことになる。
※ 最初に動いたのは、峰松さん。 でも、市役所の中にも熱心な人が、きっといた。
そうでなければ、むずかしい。
一昨年お会いした、鹿島市役所の人達かもしれない。
人の集まりは増えて、肥前浜宿まちなみ保存研究会と、名前を変える。
現在は、肥前浜宿水とまちなみの会。
旧乗田家住宅。 案内していただいた。
美しい建物に戻った。 新築は、約200年前。 その時との違いは、何なんでしょう。
裏側です。 コの字になっているのが、特徴。
この建物は、鹿島鍋島藩に仕えた、武士の家だった。 武士の家にしては、大きい。
※ 鹿島鍋島藩は、鍋島藩(佐賀藩)の支藩。
こうなっていた。 上の方に、シートが。 崩壊寸前。
峰松さんは、これを残したいと言い出した。 誰からも、変人に思われた。
家は、柱が大丈夫であれば、復元できる。 峰松さんは、それを見抜いていた。
最近とは言わないが、人はずっと住んでいた。
花です。 ボランティアでしてる人がいるんですね。 フキノトウも。
※ 佐賀市から、ある放送局の人がやって来て、一緒に見学。
この後、戻る。
右の建物が、峰松さんの工場兼住宅。 峰松さんが、家に入る所。 左は、観光案内所。 最後に行く。
時々、このように観光客がやってくる。
後で、ここにも行く。 左に、酒粕入荷とあるので、買った。 美味しい甘酒に。
問題が書いてあった。(左上に) ミカンは、棒に刺してあった。
この鯉は、下駄を、「はく」?「はかない」。 という問題。
裏に答えがあると、あった。 私は見なかった。 考えた方が面白いので。
ところが、分からない。 分かるまで、8時間。 まいった。
※ 鯉(こい)には足が無いから・・・というのは、小学校1年生だって言わない。
※ 答えはおしえない。 いじわるかな。 では、明日のブログに。
誰だろう。 井上陽水かな。 陽水は糸田町の人。 福岡県の真ん中辺り。 関連ブログは、最後に。
※ まさか、森田童子ということはないですね。
通りには17軒の造り酒屋。 こんな通りは、他に知らない。
全部のお店で試飲したら、満足する量、そして酔う。
寒いからか、お酒の匂いはしなかった。 でも、飲みたくなる。
フナは苦手。 子供の頃釣って遊んだ。 臭いを思い出す。
こっちは、浜に近い、茅葺の方。 3軒並んでいる。 一昨年来た時は、改築中。
恵比寿さんを祀っているが、像は無く、字だけ。
峰松さんに、お礼を言いに行った。 少し話そうと、向かいの案内所に。
この写真には、何かが隠れている。 これも、問題にしましょうか。
※ ヒント 北海道ではありえない。 九州だから、ありうる。 大きい。 答えは、これも明日。
たくさんの鶴が、つながっている。 この織り方は、あるんですね。 4つ位なら易しい。
近くにある、祐徳稲荷(ゆうとくいなり)に来ました。
九州では、大宰府について大きいと言われる。
楼門の中。
峰松さんは、この建物の屋根全体をやったと思う。 先代と共に。
左に、200㍍程、お土産屋さんが続く。
美しくする目的はあるんでしょうか。
右に、なんでもうまくいく守、とある。 それなら、欲しい。
願い事がある人が来たら、この神社は退屈しない。 山の上まで、ず~っと小さな祠が続く。
こんなのも。
冬だし、5時を過ぎていたので、店は閉まっていた。 後ろにも、たくさんの店。
峰松さんは、行動力のある人。
誰かが先に動かなければ、進まない時がある。
変人と言われようが、鹿島地区に重伝建地区が生まれたから、よかったですね。
峰松さんについは、下の資料で分かります。
※ どこのHPか分からない。 子供の写真があるので、公共のものと思います。
【資料】
【今日の歌】
あの写真は、井上陽水ということにします。 いつまでも、上手ですね。
陽水が歌う、月の沙漠もいい。 コーヒールンバも。
ピアノがいい。 特に、前奏と間奏。 陽水の奥さまです。
歌だけなら、これがいい。
※ この曲については、書きたいことがいっぱいある。 いつか、書ける時が来るといい。
※ 関連ブログ 糸田は、山頭火が緑平さんを頼り、また陽水が育った町だった。~福岡県のほぼ中央、糸田町~ (2010/4/25)
【道の駅】 鹿島
【明日の予定】 道の駅 おおむた に向かう。 途中でどこか。
雪の予報なので、どうなるか。
9日の日に、柳川の宙太さんが、大牟田市を案内してくれる。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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※ 浜中町八本木宿と浜庄津町浜金屋町。
まとめて、肥前浜宿と呼んでいた。
ある人に話が聞けて、伝建地区選定までのことが、分かった。
この町も、一人の人間が、まず動いていた。
※ ※ ※ ※
上の広い所が、浜中町八本木宿。 はまなかまち はちほんぎ しゅく。
右のせまい方は、浜庄津町浜金屋町。 はましょうづまち はまかなやまち。
※ どちらも、名前が長いと云う問題がある。
命名の時に、いろんな声を聞いたから、そうなったのか。
記憶してもらうのは、大変。

車を駐車場に止めようとしたら、年配の男の人がいた。
バックする時、車の後ろを見てくれた。
一昨年も来たことを話しているうちに、作業場に案内してくれた。
椅子に座って、1時間ほどお話しを聞いた。
私は、ストーブの右の椅子に。

※ 呼び名は、全体は、肥前浜宿(ひぜんはましゅく)。
ブログでは、こう呼ぶことにします。
右の狭い方は、肥前浜宿の「茅葺(かやぶき)の方」。 広い方は、「酒蔵の方」。
男の方は、峰松 昭次郎さん。 銅板の加工の技術を持っている。
仕事は、神社の屋根を葺いたりするんだが、下のようなのも作る。
右は、神社で使う見本。 祐徳神社の、ある建物の屋根葺きを担当している。


※ 晩に調べて分かったことだが、峰松さんは、
佐賀マイスター認定(建築板金)
卓越した技能者(現代の名工)認定
を、受けていた。 他に、~~1級とかも。
現代の名工は、全国で年に150名程しか認定されない。
急須とかは特に、むずかしいと思う。
右の写真の「わ」は、わざと「わ」にしたのだろうか。
※ 理屈を言ってるのではなく、こう話している感じになる。
※ 単純に間違ったかもしれない。


峰松さんは、最初気になったのは、茅葺の方だった。
3人集まった。 浜川愛護協会の名前で、始まった。 昭和52年の頃。
次に取り組んだのは、旧乗田家(のりたけ)住宅。 この後、行く家。
崩壊寸前の家だったが、保存に乗り出した。
それがきっかけで、伝建地区の認定となっていく。
市、県、国との関わりで、動くことになる。
※ 最初に動いたのは、峰松さん。 でも、市役所の中にも熱心な人が、きっといた。
そうでなければ、むずかしい。
一昨年お会いした、鹿島市役所の人達かもしれない。
人の集まりは増えて、肥前浜宿まちなみ保存研究会と、名前を変える。
現在は、肥前浜宿水とまちなみの会。


旧乗田家住宅。 案内していただいた。

美しい建物に戻った。 新築は、約200年前。 その時との違いは、何なんでしょう。

裏側です。 コの字になっているのが、特徴。

この建物は、鹿島鍋島藩に仕えた、武士の家だった。 武士の家にしては、大きい。
※ 鹿島鍋島藩は、鍋島藩(佐賀藩)の支藩。

こうなっていた。 上の方に、シートが。 崩壊寸前。
峰松さんは、これを残したいと言い出した。 誰からも、変人に思われた。
家は、柱が大丈夫であれば、復元できる。 峰松さんは、それを見抜いていた。

最近とは言わないが、人はずっと住んでいた。

花です。 ボランティアでしてる人がいるんですね。 フキノトウも。

※ 佐賀市から、ある放送局の人がやって来て、一緒に見学。
この後、戻る。
右の建物が、峰松さんの工場兼住宅。 峰松さんが、家に入る所。 左は、観光案内所。 最後に行く。

時々、このように観光客がやってくる。

後で、ここにも行く。 左に、酒粕入荷とあるので、買った。 美味しい甘酒に。

問題が書いてあった。(左上に) ミカンは、棒に刺してあった。
この鯉は、下駄を、「はく」?「はかない」。 という問題。
裏に答えがあると、あった。 私は見なかった。 考えた方が面白いので。
ところが、分からない。 分かるまで、8時間。 まいった。
※ 鯉(こい)には足が無いから・・・というのは、小学校1年生だって言わない。
※ 答えはおしえない。 いじわるかな。 では、明日のブログに。

誰だろう。 井上陽水かな。 陽水は糸田町の人。 福岡県の真ん中辺り。 関連ブログは、最後に。
※ まさか、森田童子ということはないですね。

通りには17軒の造り酒屋。 こんな通りは、他に知らない。
全部のお店で試飲したら、満足する量、そして酔う。

寒いからか、お酒の匂いはしなかった。 でも、飲みたくなる。

フナは苦手。 子供の頃釣って遊んだ。 臭いを思い出す。

こっちは、浜に近い、茅葺の方。 3軒並んでいる。 一昨年来た時は、改築中。

恵比寿さんを祀っているが、像は無く、字だけ。

峰松さんに、お礼を言いに行った。 少し話そうと、向かいの案内所に。
この写真には、何かが隠れている。 これも、問題にしましょうか。
※ ヒント 北海道ではありえない。 九州だから、ありうる。 大きい。 答えは、これも明日。

たくさんの鶴が、つながっている。 この織り方は、あるんですね。 4つ位なら易しい。

近くにある、祐徳稲荷(ゆうとくいなり)に来ました。

九州では、大宰府について大きいと言われる。

楼門の中。

峰松さんは、この建物の屋根全体をやったと思う。 先代と共に。

左に、200㍍程、お土産屋さんが続く。

美しくする目的はあるんでしょうか。

右に、なんでもうまくいく守、とある。 それなら、欲しい。
願い事がある人が来たら、この神社は退屈しない。 山の上まで、ず~っと小さな祠が続く。

こんなのも。

冬だし、5時を過ぎていたので、店は閉まっていた。 後ろにも、たくさんの店。

峰松さんは、行動力のある人。
誰かが先に動かなければ、進まない時がある。
変人と言われようが、鹿島地区に重伝建地区が生まれたから、よかったですね。
峰松さんについは、下の資料で分かります。
※ どこのHPか分からない。 子供の写真があるので、公共のものと思います。
【資料】





【今日の歌】
あの写真は、井上陽水ということにします。 いつまでも、上手ですね。
陽水が歌う、月の沙漠もいい。 コーヒールンバも。
ピアノがいい。 特に、前奏と間奏。 陽水の奥さまです。
歌だけなら、これがいい。
※ この曲については、書きたいことがいっぱいある。 いつか、書ける時が来るといい。
※ 関連ブログ 糸田は、山頭火が緑平さんを頼り、また陽水が育った町だった。~福岡県のほぼ中央、糸田町~ (2010/4/25)
【道の駅】 鹿島
【明日の予定】 道の駅 おおむた に向かう。 途中でどこか。
雪の予報なので、どうなるか。
9日の日に、柳川の宙太さんが、大牟田市を案内してくれる。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
Re: タイトルなし
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コメント読みました。
タイヤの件、お世話になります。
無事に、大牟田の道の駅に着いています。
またお世話になります。
よろしくお願いします。
※ コメントは、読みましたし、両方の名前があるので、消しますね。
知られて困ることはないんですが。