何のために作ったのか分からない、不思議なトンネルがあった。
名前は、トンカラリン。 行ってみたくなる名前。
「 日本の金栗、ただいまゴールイン。 タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3。
これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」
金栗は、今いる、和水町(なごみまち)の人だった。
※ ※ ※ ※
トンカラリンの場所は、道の駅から500㍍程。 車道からの入り口に、説明があった。
松本清張も来ている。
排水路でないかと言われた時代が続いたが、今は否定されて、何だか分からない。
それを勝手に考えるのも、面白いか。
穴が見えた。 一目、排水溝。
何とか通れるかな、という広さ。 トンネルが全てこれなら、何も面白くない。
トンカラリンは、観光地。 整備されている。
新しい穴。
通り抜けれるとある。 古墳との関係も。
石の階段が、7段。 面白くなってきた。
※ 階段の部分は、天井が高い。 屈んで歩ける。 それを過ぎたら、高さ70センチ。
70㌢の高さは、人間が4つ足でなら、進める高さ。
4つ足で下ったり登ったりするのは大変。
だから、傾斜のある所は、天井を高くして、階段にした。
もし、秘密の通路なら、上の考えで石段を作ったことになる。
石段の奥。 高さ、70㌢。 天井の石は、1枚岩でない。 行くのは不安。
右の写真は、中から外を。
トンネルのどこかでに、石を投げ入れた。 トンカラリンと、音がした。
それで、トンカラリンと命名。 名前を付けた人の顔が見たくなる。 素晴らしい。
もし、トンカラリンでなかったら、ここに来る人は半分に減る。
残ってない所もあって、次に行く。
小さな谷で、大量の水が流れるような場所でもない。
見えてきた。
自然の地形を利用して、天井をふさいだ。 歩きやすい。 出口が、少しだけ見える。
出口が見えると、不安はない。 お相撲さんでなければ、通れる。
※ もし排水溝なら、わざわざ天井をふさぐ必要はない。
ここに、出てきた。
もし秘密の通路だったら、この辺りは、どうだったんだろう。
正面に、入り口が見えた。
天井が高い。 はるか昔に、水が流れて、こんな地形が出来たのか。
私は、懐中電灯を持っていなかった。 途中から真っ暗。 10㍍ほど進んでみたが、出口は見えない。
戻った。
出口は小さかった。 ここまで、30㍍くらいはあるだろうか。
右の写真は、中。 突き当たりの右に、トンネルは続く。 これを通るのは、大変。
案内はないので、お終いのよう。 最初の地図でも、神社までだった。
写真中央の、黒っぽい所から、出てきた。
何かのトンネルの一部が残っていた。 そういうことなんだが、何なんだろう。
① もし古墳の中への道なら、壊れて、いつかは見つかる。 だから違う。
② 松本清張は、卑弥呼に関わる「鬼道」と考えた。 鬼道は、魏志倭人伝に書いてある。
※ 鬼道が何だかは、諸説ある。
でも、ここ数年で、邪馬台国は九州でなく奈良の方となっている。
※ ある遺跡の発掘によって。
※ 吉野ヶ里遺跡で聞いた説明も、九州ではないと思う、になっていた。(3年前)
③ 秘密の道が、いいように思う。
日常的には使わない、逃げ道のようなもの。 だから、やっと通れるだけでいい。
※ 本能寺にあった、秘密の通路に似たもの。
信長は、その道を逃げた。 ところが、途中でふさがれていた。 ふさいだのは、秀吉。
上のような話がある。 これに詳しいのが、秋に京都で会った、寅さん。
寅さんは今、紀伊半島の南にいる。 温泉三昧。
※ 家康は上のことを、知っていた。 家康は、光秀だけでなく秀吉も恐ろしかった。
だから、岡崎まで戻るのが、家康の人生で一番のピンチと言われるまでになった。(この部分は、推測)
こんな道を戻る。
道路の下に、湧水があった。
こんこんと、湧き出ていた。
近くに、こんな横穴が、いくつかあった。
道の駅に、戻った。 ここには、温泉もある。 300円。 普通の温泉よりずっと温まる。
江田船山古墳を見に行く。 昨日見たのは、別のだった。 ※ 昨日のブログは、直した。
江田船山古墳。 前方後円墳。 前は、右。
宗教のというか、神というか、昔からあった。
人心を掌握するのに、これがあると便利。
王と言われた権力者は、配下の者に、神のお告げだと言えば、みんな従う。
自分の考えにしたら、信じてもらえるか不安。
宗教は、権力者にとって都合のいい部分があるので、大事にされたのか。
神社も寺も。 刃向うと焼かれた。
前の方から、「後円」の方を見る。 中の石棺を見ることが出来る。
この地方一帯では、一番古く、一番大きい古墳。 5~6世紀のもの。
盗掘されていなかったよう。
Wikipediaには、下のように。
日本最古の本格的記録文書である、75文字の銀象嵌(ぎんぞうがん)銘をもつ大刀が出土したことで著名である。
※ 75文字はこう。
台(治)天下獲□□□鹵大王世、奉事典曹人名无□(利ヵ)弖、八月中、用大鉄釜 并四尺廷刀、
八十練、□(九ヵ)十振、三寸上好□(利ヵ)刀、服此刀者、長寿、子孫洋々、得□恩也、
不失其所統、作刀者名伊太□(和)、書者張安也
赤い部分は、獲加多支鹵大王 で、ワカタケル大王 と読むそう。 雄略天皇のことと考えられている。
※ 上の剣の名前は、銀象嵌銘大刀(ぎんぞうがんめいたち)。 写真① 写真② (写真にある上の刀)
石棺。 自由に見学が出来る。
昨日間違った古墳が見える。
下に降りたら、吊り橋があった。 歩く部分にワイヤーが入っている。
大きな川は、菊池川。 海まで遠くないので、大河。
縄文の森。
貝塚が展示してあった。
戻る途中にも橋。
最初の吊り橋。
木造の橋に見えるが、太い柱の中は、鉄かな。
トンカラリンの細い部分のどこかに、秘密の横穴があるかもしれない。
横穴の奥には、宝の山。
そうだったら、面白い。
今の私達の常識では、想像できない物を作ってるかもしれない。
【その他】
1912年、スウェーデンのストックホルムで、オリンピックがあった。
金栗四三(かなくり しそう)が、マラソンに出場。 ※ 日本初のオリンピック選手。
レース途中で日射病で意識を失って倒れた。 近くの農家で介抱される。
その農家で目を覚ましたのは、既に競技も終わった翌日の朝でだった。
レース中断と本部には伝わらなかった。 そのまま日本に帰った。
そして、こうなった。 (Wikipedia)
1967年(昭和42年)3月、スウェーデンのオリンピック委員会から、ストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典に招待される。
ストックホルムオリンピックでは棄権の意思がオリンピック委員会に伝わっておらず、「競技中に失踪し行方不明」として扱われていた。
記念式典の開催に当たって当時の記録を調べていたオリンピック委員会がこれに気付き、金栗を記念式典でゴールさせることにしたのである。
招待を受けた金栗はストックホルムへ赴き、競技場をゆっくりと走って、場内に用意されたゴールテープを切った。
この時、「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」とアナウンスされた[3]。
54年8か月6日5時間32分20秒3という記録は世界一遅いマラソン記録であり、今後もこの記録が破られる事は無いだろうと言われている[4]。
金栗はゴール後のスピーチで「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とコメントした[3]。
スウェーデンのオリンピック委員会の、粋な計らいだった。
金栗四三は、和水町の人なので、紹介しました。
【今日の歌】
晩のネットのニュースに、うれしいのがあった。 我那覇和樹のこと。 サッカー選手。 元日本代表。
ドーピングの疑いで苦労した。 一人で戦って、疑いを晴らした。 それに関わっての話し。
彼の妹は、我那覇美奈。 「砂の祈り」を歌っている。
最後の方で、「いつの日か この世の全てが 等しく平和であるように」と歌っている。
2人には、同じ血が流れていると、感じる。 沖縄の人。
こんなニュースです。 時間のある時にぜひ。
【道の駅】 きくすい
【明日の予定】 田原坂
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(2008年4月~2010年9月までの記事)
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名前は、トンカラリン。 行ってみたくなる名前。
「 日本の金栗、ただいまゴールイン。 タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3。
これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」
金栗は、今いる、和水町(なごみまち)の人だった。
※ ※ ※ ※
トンカラリンの場所は、道の駅から500㍍程。 車道からの入り口に、説明があった。
松本清張も来ている。
排水路でないかと言われた時代が続いたが、今は否定されて、何だか分からない。
それを勝手に考えるのも、面白いか。


穴が見えた。 一目、排水溝。

何とか通れるかな、という広さ。 トンネルが全てこれなら、何も面白くない。

トンカラリンは、観光地。 整備されている。
新しい穴。

通り抜けれるとある。 古墳との関係も。


石の階段が、7段。 面白くなってきた。

※ 階段の部分は、天井が高い。 屈んで歩ける。 それを過ぎたら、高さ70センチ。
70㌢の高さは、人間が4つ足でなら、進める高さ。
4つ足で下ったり登ったりするのは大変。
だから、傾斜のある所は、天井を高くして、階段にした。
もし、秘密の通路なら、上の考えで石段を作ったことになる。
石段の奥。 高さ、70㌢。 天井の石は、1枚岩でない。 行くのは不安。
右の写真は、中から外を。


トンネルのどこかでに、石を投げ入れた。 トンカラリンと、音がした。
それで、トンカラリンと命名。 名前を付けた人の顔が見たくなる。 素晴らしい。
もし、トンカラリンでなかったら、ここに来る人は半分に減る。
残ってない所もあって、次に行く。
小さな谷で、大量の水が流れるような場所でもない。

見えてきた。

自然の地形を利用して、天井をふさいだ。 歩きやすい。 出口が、少しだけ見える。

出口が見えると、不安はない。 お相撲さんでなければ、通れる。
※ もし排水溝なら、わざわざ天井をふさぐ必要はない。

ここに、出てきた。

もし秘密の通路だったら、この辺りは、どうだったんだろう。
正面に、入り口が見えた。

天井が高い。 はるか昔に、水が流れて、こんな地形が出来たのか。

私は、懐中電灯を持っていなかった。 途中から真っ暗。 10㍍ほど進んでみたが、出口は見えない。
戻った。
出口は小さかった。 ここまで、30㍍くらいはあるだろうか。
右の写真は、中。 突き当たりの右に、トンネルは続く。 これを通るのは、大変。


案内はないので、お終いのよう。 最初の地図でも、神社までだった。

写真中央の、黒っぽい所から、出てきた。

何かのトンネルの一部が残っていた。 そういうことなんだが、何なんだろう。
① もし古墳の中への道なら、壊れて、いつかは見つかる。 だから違う。
② 松本清張は、卑弥呼に関わる「鬼道」と考えた。 鬼道は、魏志倭人伝に書いてある。
※ 鬼道が何だかは、諸説ある。
でも、ここ数年で、邪馬台国は九州でなく奈良の方となっている。
※ ある遺跡の発掘によって。
※ 吉野ヶ里遺跡で聞いた説明も、九州ではないと思う、になっていた。(3年前)
③ 秘密の道が、いいように思う。
日常的には使わない、逃げ道のようなもの。 だから、やっと通れるだけでいい。
※ 本能寺にあった、秘密の通路に似たもの。
信長は、その道を逃げた。 ところが、途中でふさがれていた。 ふさいだのは、秀吉。
上のような話がある。 これに詳しいのが、秋に京都で会った、寅さん。
寅さんは今、紀伊半島の南にいる。 温泉三昧。
※ 家康は上のことを、知っていた。 家康は、光秀だけでなく秀吉も恐ろしかった。
だから、岡崎まで戻るのが、家康の人生で一番のピンチと言われるまでになった。(この部分は、推測)
こんな道を戻る。


道路の下に、湧水があった。

こんこんと、湧き出ていた。

近くに、こんな横穴が、いくつかあった。

道の駅に、戻った。 ここには、温泉もある。 300円。 普通の温泉よりずっと温まる。

江田船山古墳を見に行く。 昨日見たのは、別のだった。 ※ 昨日のブログは、直した。

江田船山古墳。 前方後円墳。 前は、右。

宗教のというか、神というか、昔からあった。
人心を掌握するのに、これがあると便利。
王と言われた権力者は、配下の者に、神のお告げだと言えば、みんな従う。
自分の考えにしたら、信じてもらえるか不安。
宗教は、権力者にとって都合のいい部分があるので、大事にされたのか。
神社も寺も。 刃向うと焼かれた。


前の方から、「後円」の方を見る。 中の石棺を見ることが出来る。

この地方一帯では、一番古く、一番大きい古墳。 5~6世紀のもの。
盗掘されていなかったよう。
Wikipediaには、下のように。
日本最古の本格的記録文書である、75文字の銀象嵌(ぎんぞうがん)銘をもつ大刀が出土したことで著名である。
※ 75文字はこう。
台(治)天下獲□□□鹵大王世、奉事典曹人名无□(利ヵ)弖、八月中、用大鉄釜 并四尺廷刀、
八十練、□(九ヵ)十振、三寸上好□(利ヵ)刀、服此刀者、長寿、子孫洋々、得□恩也、
不失其所統、作刀者名伊太□(和)、書者張安也
赤い部分は、獲加多支鹵大王 で、ワカタケル大王 と読むそう。 雄略天皇のことと考えられている。
※ 上の剣の名前は、銀象嵌銘大刀(ぎんぞうがんめいたち)。 写真① 写真② (写真にある上の刀)
石棺。 自由に見学が出来る。

昨日間違った古墳が見える。

下に降りたら、吊り橋があった。 歩く部分にワイヤーが入っている。

大きな川は、菊池川。 海まで遠くないので、大河。

縄文の森。

貝塚が展示してあった。

戻る途中にも橋。

最初の吊り橋。

木造の橋に見えるが、太い柱の中は、鉄かな。

トンカラリンの細い部分のどこかに、秘密の横穴があるかもしれない。
横穴の奥には、宝の山。
そうだったら、面白い。
今の私達の常識では、想像できない物を作ってるかもしれない。
【その他】
1912年、スウェーデンのストックホルムで、オリンピックがあった。
金栗四三(かなくり しそう)が、マラソンに出場。 ※ 日本初のオリンピック選手。
レース途中で日射病で意識を失って倒れた。 近くの農家で介抱される。
その農家で目を覚ましたのは、既に競技も終わった翌日の朝でだった。
レース中断と本部には伝わらなかった。 そのまま日本に帰った。
そして、こうなった。 (Wikipedia)
1967年(昭和42年)3月、スウェーデンのオリンピック委員会から、ストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典に招待される。
ストックホルムオリンピックでは棄権の意思がオリンピック委員会に伝わっておらず、「競技中に失踪し行方不明」として扱われていた。
記念式典の開催に当たって当時の記録を調べていたオリンピック委員会がこれに気付き、金栗を記念式典でゴールさせることにしたのである。
招待を受けた金栗はストックホルムへ赴き、競技場をゆっくりと走って、場内に用意されたゴールテープを切った。
この時、「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」とアナウンスされた[3]。
54年8か月6日5時間32分20秒3という記録は世界一遅いマラソン記録であり、今後もこの記録が破られる事は無いだろうと言われている[4]。
金栗はゴール後のスピーチで「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とコメントした[3]。
スウェーデンのオリンピック委員会の、粋な計らいだった。
金栗四三は、和水町の人なので、紹介しました。
【今日の歌】
晩のネットのニュースに、うれしいのがあった。 我那覇和樹のこと。 サッカー選手。 元日本代表。
ドーピングの疑いで苦労した。 一人で戦って、疑いを晴らした。 それに関わっての話し。
彼の妹は、我那覇美奈。 「砂の祈り」を歌っている。
最後の方で、「いつの日か この世の全てが 等しく平和であるように」と歌っている。
2人には、同じ血が流れていると、感じる。 沖縄の人。
こんなニュースです。 時間のある時にぜひ。





【道の駅】 きくすい
【明日の予定】 田原坂
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
トンカラリン。面白い名前ですよね。松本清張が生存中、取材にきたことがあります。ずっと以前新聞で読んだことがありました。古代史の一環としての訪問でした。各地には、不思議なものがあります。
Re: タイトルなし
何なのか、知りたいですね。
どんな名前を付けるかは大事。 そう思いました。
平山温泉の「華の番台」もよかった。
どんな名前を付けるかは大事。 そう思いました。
平山温泉の「華の番台」もよかった。
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