水俣病の問題は、足尾鉱毒事件と違って、戦後に起きている。
でも、水銀は流され続け、被害者の救済には、気の遠くなる程の時間がかかった。
この国の何に問題があって、こうなったのでしょう。
予想されたことはあったのですが、水俣市に来なければ、分からないこともありました。
問題は、たいへん複雑だった。 整理できない状態。
それで、当時、チッソの社長や国が、どんな発言をしているかを、探してみた。
※ ※ ※ ※
水俣市は、鹿児島県との県境に近い。
丘の上に、建物はあった。
写真の右は、国立の水俣病情報センター。 左が、水俣市立水俣病資料館。
最初、国立の情報センターに入った。
水銀を海に流したのは、チッソ株式会社。 ※ 略して、チッソ。
説明のスタートは、こうだった。
「 会社の役割 日本を支え、発展させる原動力 」
チッソがその役割を果たしている、と受け取れるように、まず強調していた。
長崎の国立の施設もそうだったが、被害者の視点で物事を考えているのではなかった。
直ぐに出て、市立の水俣病資料館に入った。 写真は、どちらも全く撮れない。
市は、被害者・水俣市民・チッソ・県・国に配慮しなければならない。
考えを主張するのは難しくなる。
だから、資料を展示するのが基本に。
被害の状況や解決に向けての取り組み、被害者の声などが、展示されていた。
下の動画の後半に、被害者の状況が出てくる。
下は、被害者の声。 患者が、孤立して行ってるのが分かる。 ※ 冊子を撮影。
水俣病に関する情報は、一つになっていない。
立場によって言ってることが違う。
Wikipediaも、何か書いても、情報源が強く求められる。
何があったかは、「発言」を通して見えてくると思い、それをネットで探した。
発言の他も、少し。
※ 下の発言の一つ一つは、100%信用されている物ではないが、全体を通して見えてくる物がある。
※ 私は、ほぼ信用している。
○ 「死んだ魚を食べる乞食がカネせびりに来たな」
「腐った魚を食べるから汚い病気にかかる。伝染るから近づくな」(チッソ関係の人間が)
○ 「ネコ踊り病」「ネコてんかん」「ヨイヨイ病」などと恐れられていた。
○ 「お金目当てに水俣病のふりをする」「診断に際してウソの申し立てをする」
「水俣病というのに元気に働いている」
○ ・水俣病の原因が工場にあると知りつつ稼働続行。
・患者・家族に謝罪したが補償に応じず。
○ ~~連中は国家云々という言葉で、支援団体を挑発している。
※ ~~は、ある団体。 どこから金がでているのか・・。
○ 原因が『チッソの廃液』と認定されてからも、工場は湾に廃液を流し続けた。
○ 水俣病の場合は、企業(チッソ)も政府も熊本県も、長年にわたって、チッソのメチル水銀(有機水銀)が原因であることを否定しつづけました。
医学界の権威者のほとんども水俣病を認めませんでした。
○ 通産省は、より強い対策を求める声が上がるたびに、「工場が原因かどうかはわかっていない」という主張を繰り返し、要求や要請を突っぱねた。
○ 「工業化のためなら、海洋汚染もやむをえない」
「すみやかに漁業から撤退し、転業されたい」
「日本は貿易立国でいくんだよ。 だから沿岸は汚してもしょうがないじゃないか。外国の沖へ行って魚をとったらいいじゃないか」
──こんなことを平気で言い放つのが日本の官僚です。
○ チッソ水俣工場は1959年にサイクレーターを工場内に設置した。
汚水から水銀を除去する浄化装置との触れ込みだった。
完成時にはチッソの社長自らがこの装置を通した水を飲むというパフォーマンスを演じる。
実はそんな機能は全くなかった。
○ 65年N新聞水俣支局にN氏が着任した。
挨拶回りで市の担当者から言われた「水俣病は終わった。もうさわらんで欲しい」。
○ まだ魚を食べたら危ないって誰かが言ってくれれば、もっと早くに排水が止まっていれば、
危険性がもっと叫ばれ続けていれば、有機水銀に侵されなかったかもしれない。
○ 「行政にやられた。でもその行政にだまされたマスコミもつまらん」
○ 特集「ニセ」水俣病患者260万円賠償までの40年。
1997年ある週刊誌に扇動的な見出しが踊った。
政治決着に応じた被害者たちを「詐病のニセ患者」扱いする記事だった。
○ 熊本県議が認定申請者の中には補償金目当てのニセ患者が多いと発言した
○ 2009年の環境省の原徳寿氏の暴言。
不知火海沿岸では、体調不良をすぐ水俣病に結びつける傾向がある。
あそこでは、医学的に何が正しいのかは分からない。
○ チッソは当時の高度成長策という国是の尖兵であるばかりでなく,水俣市の絶対的城主,熊本県の代表的企業だったからである
何故、国や県は、被害者(庶民)の方を向かないのか。
これは、明治に入って、ずっと続いてきたこと。 最近、少しは変わって来たが。
政治家は、選挙で会社関係の票を、丸ごともらって当選した。 当然、会社を大事にする。
庶民の面倒を見ても、直接には票にはならない。
企業と親しくなった政治家は、みな御殿が建った。 土木族とか、~~族と言われる政治家が横行した。
資料館に、杉本家の水俣病50年、の展示があった。 その中に、下のがあった。
「 知らないのは罪 知ったかぶりはもっと罪 嘘を言うのは、もっともっと罪 」
石牟礼 道子(いしむれ みちこ)という作家が、こんな文を。
「 わたくしのゆきたいところはどこか。
この世ではなく、あの世でもなく、まして前世でもなく、もうひとつの、この世である 」
いくつかの文をメモして、出た。
資料館の前から、水俣の市街が見えた。
獅子島が見えた。 いつだか、行った。 鹿児島県長島町の島。 一番高い所に登った。
島の人たちは、水俣が近いから、買い物は水俣だよって、言った。
中央は、長島。 長島町の中心の島。 明日か明後日には行く。 お世話になってる、Uさんがいる。
ここで獲った貝をたくさん食べて、水俣病になった。 今は、大丈夫。
知らなかったが、この辺り一帯が、埋め立て地だった。 水銀を封じ込めたと説明にある。
※ どんなに工夫しても、いつかは漏れだすのではと、少し不安。
水俣の海。 埋めた地は、整備されていた。
※ 水銀を流して、チッソは莫大に設けた。 その後始末に、485億円。
東電の後始末にも、莫大な税金を使っている。
利益は会社に。 後始末は国(みんな)で。 同じ構図。
地下に水銀が無いと分かれば、美しさは、数倍になる。
道の駅は、埋め立て地の中にあった。 埋め立て地は、エコパーク水俣、と呼んでいた。
現在地に、道の駅。
地元出身の漫画家が描いた。
地元の人の声が聞けないかなと、少し歩いた。 ある食堂に入った。
食べ終わった時、他の客はいなかった。 年配の店の人に聞いた。
この町は、水俣病で苦労したね、って話した後、
「とうさんは、苦労しなかったの」って聞いた。
「山ほど食べないとならない」「病気だと言ってるのはみんな嘘」「お金が欲しくて言ってるだけ」
私は、実際に病気になった人がいるよ、と言ったら、
「病気なのは、一部の人だけ。 ほとんどは、お金が欲しいから言ってるだけ」
海が汚れて、チッソに恨みはないの、って聞いたら。
「ない、まったくない。 感謝してるくらい」
とうさんの親族は、旅館か何かを経営していた。
チッソが、宴会とかで使ってくれた。 世話になった。
水俣市には、チッソの会社があることによって、潤ってる人達もいた。
生活があるから、儲けることが一番。 病気や海の汚れは、次のことになった。
市民が分断していったとは、このことだった。
会社だけでなく、利益優先の考えは、市民の中にもあった。
水俣市全体が、一枚岩で戦った訳ではなかった。
解決が長引いたのは、このことにも原因があった。
無念の思いを声にも出せず、多くの人が亡くなった。
被災者の救済は、大丈夫なのだろうか。
※ 体調が悪いのは水俣病のせい、と言う人は出てくる。 これは、仕方ない。
金欲しくて言ってるだけだと、国民の視線をそっちに向けようと、意識的にやってる者がいる。
それを感じたでしょうか。
教訓を声高に叫んで、救済が霞むのは、よくないですね。
教訓にお金はかからない。
チッソのしたことは犯罪。 その辺が、どうもはっきりしない。
【今日の歌】
八代市(やつしろし)を通って、水俣市に来た。
八代市は、八代亜紀の出身地。
中学卒業後、バスガイドをした。 でも直ぐに、父親の反対を押し切り上京。
銀座のクラブ歌手となり、スタンダードやポップスなどを歌った。
1971年、テイチクより「愛は死んでも」でデビュー。 21歳。
舟唄もいいが、愛の終着駅もいい。
テレサ・テンは、澄んだ声で歌う。 歌姫。
私が一番好きなのは、彼女が歌う、愛の終着駅。 あんまりいいので、愛の執着駅。
細い肩で歌う。 キュンとくる。 ※ YouTubeからは、消えていた。
【その他】 今日の、ネットのニュース。 大川小です。 あと5人。 見つかるといい。
※ 関連ブログ 大川小学校に行ってきました。~保護者が疑問を持つ理由は・・。~ 他 (2011/4/15)
【明日の予定】 出水市
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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でも、水銀は流され続け、被害者の救済には、気の遠くなる程の時間がかかった。
この国の何に問題があって、こうなったのでしょう。
予想されたことはあったのですが、水俣市に来なければ、分からないこともありました。
問題は、たいへん複雑だった。 整理できない状態。
それで、当時、チッソの社長や国が、どんな発言をしているかを、探してみた。
※ ※ ※ ※
水俣市は、鹿児島県との県境に近い。
丘の上に、建物はあった。
写真の右は、国立の水俣病情報センター。 左が、水俣市立水俣病資料館。

最初、国立の情報センターに入った。
水銀を海に流したのは、チッソ株式会社。 ※ 略して、チッソ。
説明のスタートは、こうだった。
「 会社の役割 日本を支え、発展させる原動力 」
チッソがその役割を果たしている、と受け取れるように、まず強調していた。
長崎の国立の施設もそうだったが、被害者の視点で物事を考えているのではなかった。
直ぐに出て、市立の水俣病資料館に入った。 写真は、どちらも全く撮れない。
市は、被害者・水俣市民・チッソ・県・国に配慮しなければならない。
考えを主張するのは難しくなる。
だから、資料を展示するのが基本に。
被害の状況や解決に向けての取り組み、被害者の声などが、展示されていた。
下の動画の後半に、被害者の状況が出てくる。
下は、被害者の声。 患者が、孤立して行ってるのが分かる。 ※ 冊子を撮影。



水俣病に関する情報は、一つになっていない。
立場によって言ってることが違う。
Wikipediaも、何か書いても、情報源が強く求められる。
何があったかは、「発言」を通して見えてくると思い、それをネットで探した。
発言の他も、少し。
※ 下の発言の一つ一つは、100%信用されている物ではないが、全体を通して見えてくる物がある。
※ 私は、ほぼ信用している。
○ 「死んだ魚を食べる乞食がカネせびりに来たな」
「腐った魚を食べるから汚い病気にかかる。伝染るから近づくな」(チッソ関係の人間が)
○ 「ネコ踊り病」「ネコてんかん」「ヨイヨイ病」などと恐れられていた。
○ 「お金目当てに水俣病のふりをする」「診断に際してウソの申し立てをする」
「水俣病というのに元気に働いている」
○ ・水俣病の原因が工場にあると知りつつ稼働続行。
・患者・家族に謝罪したが補償に応じず。
○ ~~連中は国家云々という言葉で、支援団体を挑発している。
※ ~~は、ある団体。 どこから金がでているのか・・。
○ 原因が『チッソの廃液』と認定されてからも、工場は湾に廃液を流し続けた。
○ 水俣病の場合は、企業(チッソ)も政府も熊本県も、長年にわたって、チッソのメチル水銀(有機水銀)が原因であることを否定しつづけました。
医学界の権威者のほとんども水俣病を認めませんでした。
○ 通産省は、より強い対策を求める声が上がるたびに、「工場が原因かどうかはわかっていない」という主張を繰り返し、要求や要請を突っぱねた。
○ 「工業化のためなら、海洋汚染もやむをえない」
「すみやかに漁業から撤退し、転業されたい」
「日本は貿易立国でいくんだよ。 だから沿岸は汚してもしょうがないじゃないか。外国の沖へ行って魚をとったらいいじゃないか」
──こんなことを平気で言い放つのが日本の官僚です。
○ チッソ水俣工場は1959年にサイクレーターを工場内に設置した。
汚水から水銀を除去する浄化装置との触れ込みだった。
完成時にはチッソの社長自らがこの装置を通した水を飲むというパフォーマンスを演じる。
実はそんな機能は全くなかった。
○ 65年N新聞水俣支局にN氏が着任した。
挨拶回りで市の担当者から言われた「水俣病は終わった。もうさわらんで欲しい」。
○ まだ魚を食べたら危ないって誰かが言ってくれれば、もっと早くに排水が止まっていれば、
危険性がもっと叫ばれ続けていれば、有機水銀に侵されなかったかもしれない。
○ 「行政にやられた。でもその行政にだまされたマスコミもつまらん」
○ 特集「ニセ」水俣病患者260万円賠償までの40年。
1997年ある週刊誌に扇動的な見出しが踊った。
政治決着に応じた被害者たちを「詐病のニセ患者」扱いする記事だった。
○ 熊本県議が認定申請者の中には補償金目当てのニセ患者が多いと発言した
○ 2009年の環境省の原徳寿氏の暴言。
不知火海沿岸では、体調不良をすぐ水俣病に結びつける傾向がある。
あそこでは、医学的に何が正しいのかは分からない。
○ チッソは当時の高度成長策という国是の尖兵であるばかりでなく,水俣市の絶対的城主,熊本県の代表的企業だったからである
何故、国や県は、被害者(庶民)の方を向かないのか。
これは、明治に入って、ずっと続いてきたこと。 最近、少しは変わって来たが。
政治家は、選挙で会社関係の票を、丸ごともらって当選した。 当然、会社を大事にする。
庶民の面倒を見ても、直接には票にはならない。
企業と親しくなった政治家は、みな御殿が建った。 土木族とか、~~族と言われる政治家が横行した。
資料館に、杉本家の水俣病50年、の展示があった。 その中に、下のがあった。
「 知らないのは罪 知ったかぶりはもっと罪 嘘を言うのは、もっともっと罪 」
石牟礼 道子(いしむれ みちこ)という作家が、こんな文を。
「 わたくしのゆきたいところはどこか。
この世ではなく、あの世でもなく、まして前世でもなく、もうひとつの、この世である 」
いくつかの文をメモして、出た。
資料館の前から、水俣の市街が見えた。

獅子島が見えた。 いつだか、行った。 鹿児島県長島町の島。 一番高い所に登った。
島の人たちは、水俣が近いから、買い物は水俣だよって、言った。

中央は、長島。 長島町の中心の島。 明日か明後日には行く。 お世話になってる、Uさんがいる。

ここで獲った貝をたくさん食べて、水俣病になった。 今は、大丈夫。

知らなかったが、この辺り一帯が、埋め立て地だった。 水銀を封じ込めたと説明にある。
※ どんなに工夫しても、いつかは漏れだすのではと、少し不安。

水俣の海。 埋めた地は、整備されていた。
※ 水銀を流して、チッソは莫大に設けた。 その後始末に、485億円。
東電の後始末にも、莫大な税金を使っている。
利益は会社に。 後始末は国(みんな)で。 同じ構図。

地下に水銀が無いと分かれば、美しさは、数倍になる。


道の駅は、埋め立て地の中にあった。 埋め立て地は、エコパーク水俣、と呼んでいた。
現在地に、道の駅。

地元出身の漫画家が描いた。


地元の人の声が聞けないかなと、少し歩いた。 ある食堂に入った。

食べ終わった時、他の客はいなかった。 年配の店の人に聞いた。
この町は、水俣病で苦労したね、って話した後、
「とうさんは、苦労しなかったの」って聞いた。
「山ほど食べないとならない」「病気だと言ってるのはみんな嘘」「お金が欲しくて言ってるだけ」
私は、実際に病気になった人がいるよ、と言ったら、
「病気なのは、一部の人だけ。 ほとんどは、お金が欲しいから言ってるだけ」
海が汚れて、チッソに恨みはないの、って聞いたら。
「ない、まったくない。 感謝してるくらい」
とうさんの親族は、旅館か何かを経営していた。
チッソが、宴会とかで使ってくれた。 世話になった。
水俣市には、チッソの会社があることによって、潤ってる人達もいた。
生活があるから、儲けることが一番。 病気や海の汚れは、次のことになった。
市民が分断していったとは、このことだった。
会社だけでなく、利益優先の考えは、市民の中にもあった。
水俣市全体が、一枚岩で戦った訳ではなかった。
解決が長引いたのは、このことにも原因があった。
無念の思いを声にも出せず、多くの人が亡くなった。
被災者の救済は、大丈夫なのだろうか。
※ 体調が悪いのは水俣病のせい、と言う人は出てくる。 これは、仕方ない。
金欲しくて言ってるだけだと、国民の視線をそっちに向けようと、意識的にやってる者がいる。
それを感じたでしょうか。
教訓を声高に叫んで、救済が霞むのは、よくないですね。
教訓にお金はかからない。
チッソのしたことは犯罪。 その辺が、どうもはっきりしない。
【今日の歌】
八代市(やつしろし)を通って、水俣市に来た。
八代市は、八代亜紀の出身地。
中学卒業後、バスガイドをした。 でも直ぐに、父親の反対を押し切り上京。
銀座のクラブ歌手となり、スタンダードやポップスなどを歌った。
1971年、テイチクより「愛は死んでも」でデビュー。 21歳。
舟唄もいいが、愛の終着駅もいい。
テレサ・テンは、澄んだ声で歌う。 歌姫。
私が一番好きなのは、彼女が歌う、愛の終着駅。 あんまりいいので、愛の執着駅。
細い肩で歌う。 キュンとくる。 ※ YouTubeからは、消えていた。
【その他】 今日の、ネットのニュース。 大川小です。 あと5人。 見つかるといい。

※ 関連ブログ 大川小学校に行ってきました。~保護者が疑問を持つ理由は・・。~ 他 (2011/4/15)
【明日の予定】 出水市
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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Re: タイトルなし
こっちの方は、また来るので、いつか寄ってみますね。
徳富蘇峰を少し勉強してから。
少し暖かくなりましたが、雪の予報がでてますね。
春が逃げて行きます。
徳富蘇峰を少し勉強してから。
少し暖かくなりましたが、雪の予報がでてますね。
春が逃げて行きます。
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蘇峰・蘆花兄弟が生存中は、水俣病は発生していなかったようです。彼らが生きていたら、どう思ったことでしょうか。