マナヅル 6000、ナベヅル 11000、タンチョウ 3000。
これが、ツルたちの世界中での数。
※ オオワシやオジロワシも、これとたいして変わらない数。
※ みな、環境省レッドリストの絶滅危惧種。
どの鳥も、ぎりぎりの数で、やっと地球上で生き延びでいる。
少なくても、この鳥たちが生きていける地球を保たなければ、人間だって危ないかもしれない。
※ ※ ※ ※
出水市のツルがいる場所、そして、行人岳(ぎょうにんだけ)の位置。
※ 他の印は、その後行く場所。

※ 行人岳の頂上は工事中なので、写真はありません。
写真の中央に、赤○の山が見える。 その向こうは海。
海の向こうに、黄色の○の低い山が見える。 ツルは、その向こうにいる。
※ 黒之瀬戸大橋は、写真の右端の、少し右。 山の陰になる。

拡大すると、こう。 黄色の山の左が、低くなっている。
その辺りを抜けて、こっちに飛んでくる。
行人岳の上を通るコースだけでなく、右の方のコース、左の方のコースもある。

※ ツルの北帰行についての詳しい資料は、ツル観察センターにはなかった。
(もしかしたら、ツル博物館にはあるかもしれないが、確認していない)
※ ネット上に、公的な機関でまとめた物は、載ってない。
※ 下のことは、多くのネットの情報をまとめたものです。
ですから、ほぼ正しい情報ですが、今後新しいことが分かって、変わるかもしれないのも、ある。
印の、左上に小さな島が、長島。
ツルは、そこで上昇して、長崎・佐世保上空に向かう。 対馬上空を通って、朝鮮半島に。
疲れた時は、対馬や壱岐で休むことも。
普通は、朝鮮半島まで、半日。 疲れ具合やスピードは、南からの風の状態による。
海を渡るのが、一番大変。 朝鮮半島に着いたら、一安心。
渡来地を飛び立つのは、午前8時半から11時までが、ほとんど。
※ 午後に飛んだら、明るいうちに、朝鮮半島に付けないかもしれない。
早朝だと、上昇気流は生まれない。
風が全くないと、飛び立つのは大変だそう。
上昇気流があって、風のある時、ぐるぐる回りながら上昇する。
この時に、今日は北帰行を決行するか、リーダーが決める。
まとまった数で飛ぶが、数は決まっていない。 何十羽、何百羽、多い時は、数千の時も。
ある高さまで昇って、行くと決めたら、行人岳に向かう。
この時は、滑空するように進むので、行人岳に近づいた時、頂上より低くなることがある。
※ 上昇しないで、羽ばたきながら行人岳に向かうことはない。 エネルギーを使いすぎる。
行人岳までは、10㌔ちょっと。 10分程で着く。
下の写真は、上の写真の少し左。
山に南方向からの風がぶつかると、その風は上昇する。
そのことがあるため、上昇気流の生まれる日は、行人岳の近くの上昇気流は、いっそう強くなる。
※ 渡来地の上昇気流では、満足する高さまでは、昇れない。
行人岳まで来たら、羽ばたきながらいい上昇気流を探す。
※ 地上の上昇気流には、場所によって違う。 むらがある。
旋回しながら、上昇気流にうまく載って、高度を上げて行く。
十分と云う高さになって、南からの風の状態もよければ、佐世保の方に向かう。
※ どこかで、うまくいかない時は、渡来地に戻る。
ツルの群が、上昇気流に載って高度を上げて行くと、だんだん小さな姿になる。
行くと決めたら、方向を決め、羽ばたきを止めて、グライダーのように、飛んで行く。
※ この時、行人岳の頂上の人達は、「さようなら」と手を振る。 無事を願って。 来年また、って。
※ 子供のツルが遅れたら、必ず2羽の親が戻る。 その時の会話は、鳴き声。
※ 北に向かう時、逆V字形や、真っ直ぐの形、で飛んで行く。
羽ばたいた時の空気の流れが、お互い邪魔にならない位置で、飛ぶ。 それで、上の形に。
下の写真、中央の大きな島が、獅子島。 手前は、伊唐島。 伊唐島には、橋がある。
※ 獅子島には、七郎山がある。 一昨年登った。
2月中に飛ぶツルは、マナヅル。
マナヅルの繁殖地は、アムール川の少し南。 ナベヅルは少し北の、アムール川周辺。
マナヅルの繁殖地は、ナベヅルより南なため、暖かくなるのが早い。
それで、ナベヅルより、北帰行が早い時期に。
ナベヅルの多くは、3月の彼岸過ぎに、まとまって行く。
下の写真、向こうは天草。 この上の空を行くことが多い。
頂上にあった写真。 位置が低い。 上昇気流を探しているのか。 マナヅル。
ツルの寿命は、外敵に襲われなかったら、50年ほど生きるという。
リーダーは、何回も、日本との行き来をすることになる。
渡りの方法を、長年の間に身につけて行く。
※ ツルは、水のある所で眠る、と先日書いた。 浅い池などで。 出水市では、田んぼ。
1本足で眠るんだが、足にセンサーがあって、動物が近づいて、水がゆれたら、飛び立つ。
行人岳は、修験の山。 不動明王。
ここを行くと、お堂がある。 行人岳の本当の頂上。
右は、お堂の中。 古い石像があった。
この後、山を下りる。 河童の森があった。 雪が降って寒いので、車から出ない。
そばに焼酎の工場。 島美人がある。
古墳があるので、見ることに。
ここだった。 すぐには、どこだか分からなかった。 明神古墳群。
小さい。
小さな森の中に、30程。 6世紀か7世紀頃のもの。
土は、長年の間に、飛んで行ったのか。
古墳があるということは、支配する人間がいた、と言うことでしょうか。
段々畑を、大きくする工事でしょうか。
昔ながらの段々畑もいい。
でも、風景の裏に、豊かな生産があると、風景は違って見える。 もちろん、よく。
岩の海岸。
中央の森が、古墳の森。 雪が強くなってきた。
梅が咲いている。 珍しくない。
さらに高くから。 中央少し左に、さっきの森。
蔵之元港。 ここから、天草に行く。 牛深に。
そばに、ミニ100円ショップ。 ジャガイモ2袋と、大根の漬物をかった。
晩に、蒸して食べた。 漬物をポリポリかじりながら。 バター、塩からもいいが、漬物も合う。
梅に南天に鳥居。 3種類の赤。
道の横に、こんなの。 島内で、大きな人形を、時々見る。
ガラッパ大王とある。
道の駅から下る道。
小浜の港と、集落。 港の向こうの木の陰に、家がいっぱいある。
今いる道の駅、長島。
ツルたちのことが、詳しく分かって来ると、愛(いと)おしさも増してきた。
仲間全体が、将来ずっと生き続けることができるか。
そこが、大きな問題になっている。
急ぐことは、渡来地の分散。 今のままなら、伝染病で全滅する。
県・国が動き、ロシアのハバロフスクとも、連携を取っていいように思う。
※ 新しいことが分かった時や、訂正や修正が出て来たら、追記の文を書きます。
明後日の天気は、晴れの予報。 ただ、風向きは、北。
北帰行は難しいかもしれないが、予報が変わるかもしれない。
8時前に、行人岳に、行ってくる。
【今日の曲】
セレナーデは、美しくも悲しく聞こえる。
その悲しさは、シューベルトがいつも抱いていたものだった。
シューベルトには、初恋の人がいた。 名前は、テレーゼ。
でも、テレーゼに出会った時、彼には職が無かった。 向こうの親の反対で、結婚は出来なかった。
彼女は、別の人と結婚。
シューベルトの生涯に、テレーゼを越える女性は現われなかった。
生涯独身で過し、31歳9ヶ月で亡くなる。 ※ チフス。
彼女のことを、忘れることはなかった。
トランペットは、ニニ・ロッソ。
朝日新聞で「愛の旅人」と云う特集を組んだことがある。 その中の文を紹介します。
○ 約200年前、この合唱団(ウィーン少年合唱団)の前身にあたる宮廷少年合唱団の中に、
美しいボーイソプラノを響かせるフランツ・ペーター・シューベルトの小さな丸い顔があった。
○ テレーゼの晩年の写真を見せてくれた。
「非常に悲しそうな顔です。結婚生活はおそらく幸せではなかった。
彼女もシューベルトを思い続けていただろうと、私は思います」 (ウィーンのある資料館の館長)
○ 「僕はある少女を心から愛し、彼女も僕を愛していた。彼女は親の希望で他の人と結婚してしまった。僕はとても悲しかった。
今でも彼女を愛している。それ以来、彼女以上に気に入る女の子はいない」(シューベルトが友人に)

○ 「僕が愛を歌おうとすると、それは悲しみになった。そこで悲しみを歌おうとすると、それは愛になった」
※ シューベルトは、寝る間を惜しんで作曲をした。 作曲をしながら寝て、寝ている間も曲を作った。
そんな表現を、どこかで見ました。
※ こんなことも、あった。
シューベルトが亡くなる前年に、ベートーベンが亡くなった。
彼は、ベートーベンの棺を担いだ。
葬儀の後、仲間で酒を飲んだ。 乾杯の音頭は、シューベルト。 こう言った。
「この中で、最初に亡くなる者に、乾杯」と。
それを聞いた仲間は、不吉な予感がしたという。
シューベルトは、自分の寿命を知っていたのかもしれない。
この曲が生まれたのは、亡くなった年。
きっと、若かりし日のテレーゼを思い出しながら、曲を作った。
セレナーデは、シューベルトの心の中の悲しさを、悲しくも美しく表現した曲でした。
歌は、昨日の人と同じです。
【道の駅】 長島
【明日の予定】 伊唐島
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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これが、ツルたちの世界中での数。
※ オオワシやオジロワシも、これとたいして変わらない数。
※ みな、環境省レッドリストの絶滅危惧種。
どの鳥も、ぎりぎりの数で、やっと地球上で生き延びでいる。
少なくても、この鳥たちが生きていける地球を保たなければ、人間だって危ないかもしれない。
※ ※ ※ ※
出水市のツルがいる場所、そして、行人岳(ぎょうにんだけ)の位置。
※ 他の印は、その後行く場所。

※ 行人岳の頂上は工事中なので、写真はありません。
写真の中央に、赤○の山が見える。 その向こうは海。
海の向こうに、黄色の○の低い山が見える。 ツルは、その向こうにいる。
※ 黒之瀬戸大橋は、写真の右端の、少し右。 山の陰になる。

拡大すると、こう。 黄色の山の左が、低くなっている。
その辺りを抜けて、こっちに飛んでくる。
行人岳の上を通るコースだけでなく、右の方のコース、左の方のコースもある。

※ ツルの北帰行についての詳しい資料は、ツル観察センターにはなかった。
(もしかしたら、ツル博物館にはあるかもしれないが、確認していない)
※ ネット上に、公的な機関でまとめた物は、載ってない。
※ 下のことは、多くのネットの情報をまとめたものです。
ですから、ほぼ正しい情報ですが、今後新しいことが分かって、変わるかもしれないのも、ある。
印の、左上に小さな島が、長島。
ツルは、そこで上昇して、長崎・佐世保上空に向かう。 対馬上空を通って、朝鮮半島に。
疲れた時は、対馬や壱岐で休むことも。
普通は、朝鮮半島まで、半日。 疲れ具合やスピードは、南からの風の状態による。
海を渡るのが、一番大変。 朝鮮半島に着いたら、一安心。
渡来地を飛び立つのは、午前8時半から11時までが、ほとんど。
※ 午後に飛んだら、明るいうちに、朝鮮半島に付けないかもしれない。
早朝だと、上昇気流は生まれない。
風が全くないと、飛び立つのは大変だそう。
上昇気流があって、風のある時、ぐるぐる回りながら上昇する。
この時に、今日は北帰行を決行するか、リーダーが決める。
まとまった数で飛ぶが、数は決まっていない。 何十羽、何百羽、多い時は、数千の時も。
ある高さまで昇って、行くと決めたら、行人岳に向かう。
この時は、滑空するように進むので、行人岳に近づいた時、頂上より低くなることがある。
※ 上昇しないで、羽ばたきながら行人岳に向かうことはない。 エネルギーを使いすぎる。
行人岳までは、10㌔ちょっと。 10分程で着く。
下の写真は、上の写真の少し左。

山に南方向からの風がぶつかると、その風は上昇する。
そのことがあるため、上昇気流の生まれる日は、行人岳の近くの上昇気流は、いっそう強くなる。
※ 渡来地の上昇気流では、満足する高さまでは、昇れない。
行人岳まで来たら、羽ばたきながらいい上昇気流を探す。
※ 地上の上昇気流には、場所によって違う。 むらがある。
旋回しながら、上昇気流にうまく載って、高度を上げて行く。
十分と云う高さになって、南からの風の状態もよければ、佐世保の方に向かう。
※ どこかで、うまくいかない時は、渡来地に戻る。
ツルの群が、上昇気流に載って高度を上げて行くと、だんだん小さな姿になる。
行くと決めたら、方向を決め、羽ばたきを止めて、グライダーのように、飛んで行く。
※ この時、行人岳の頂上の人達は、「さようなら」と手を振る。 無事を願って。 来年また、って。
※ 子供のツルが遅れたら、必ず2羽の親が戻る。 その時の会話は、鳴き声。
※ 北に向かう時、逆V字形や、真っ直ぐの形、で飛んで行く。
羽ばたいた時の空気の流れが、お互い邪魔にならない位置で、飛ぶ。 それで、上の形に。
下の写真、中央の大きな島が、獅子島。 手前は、伊唐島。 伊唐島には、橋がある。
※ 獅子島には、七郎山がある。 一昨年登った。

2月中に飛ぶツルは、マナヅル。
マナヅルの繁殖地は、アムール川の少し南。 ナベヅルは少し北の、アムール川周辺。
マナヅルの繁殖地は、ナベヅルより南なため、暖かくなるのが早い。
それで、ナベヅルより、北帰行が早い時期に。
ナベヅルの多くは、3月の彼岸過ぎに、まとまって行く。
下の写真、向こうは天草。 この上の空を行くことが多い。

頂上にあった写真。 位置が低い。 上昇気流を探しているのか。 マナヅル。

ツルの寿命は、外敵に襲われなかったら、50年ほど生きるという。
リーダーは、何回も、日本との行き来をすることになる。
渡りの方法を、長年の間に身につけて行く。
※ ツルは、水のある所で眠る、と先日書いた。 浅い池などで。 出水市では、田んぼ。
1本足で眠るんだが、足にセンサーがあって、動物が近づいて、水がゆれたら、飛び立つ。
行人岳は、修験の山。 不動明王。

ここを行くと、お堂がある。 行人岳の本当の頂上。

右は、お堂の中。 古い石像があった。


この後、山を下りる。 河童の森があった。 雪が降って寒いので、車から出ない。

そばに焼酎の工場。 島美人がある。

古墳があるので、見ることに。

ここだった。 すぐには、どこだか分からなかった。 明神古墳群。

小さい。

小さな森の中に、30程。 6世紀か7世紀頃のもの。

土は、長年の間に、飛んで行ったのか。

古墳があるということは、支配する人間がいた、と言うことでしょうか。
段々畑を、大きくする工事でしょうか。
昔ながらの段々畑もいい。
でも、風景の裏に、豊かな生産があると、風景は違って見える。 もちろん、よく。

岩の海岸。

中央の森が、古墳の森。 雪が強くなってきた。

梅が咲いている。 珍しくない。

さらに高くから。 中央少し左に、さっきの森。

蔵之元港。 ここから、天草に行く。 牛深に。

そばに、ミニ100円ショップ。 ジャガイモ2袋と、大根の漬物をかった。
晩に、蒸して食べた。 漬物をポリポリかじりながら。 バター、塩からもいいが、漬物も合う。

梅に南天に鳥居。 3種類の赤。

道の横に、こんなの。 島内で、大きな人形を、時々見る。


ガラッパ大王とある。

道の駅から下る道。

小浜の港と、集落。 港の向こうの木の陰に、家がいっぱいある。

今いる道の駅、長島。

ツルたちのことが、詳しく分かって来ると、愛(いと)おしさも増してきた。
仲間全体が、将来ずっと生き続けることができるか。
そこが、大きな問題になっている。
急ぐことは、渡来地の分散。 今のままなら、伝染病で全滅する。
県・国が動き、ロシアのハバロフスクとも、連携を取っていいように思う。
※ 新しいことが分かった時や、訂正や修正が出て来たら、追記の文を書きます。
明後日の天気は、晴れの予報。 ただ、風向きは、北。
北帰行は難しいかもしれないが、予報が変わるかもしれない。
8時前に、行人岳に、行ってくる。
【今日の曲】
セレナーデは、美しくも悲しく聞こえる。
その悲しさは、シューベルトがいつも抱いていたものだった。
シューベルトには、初恋の人がいた。 名前は、テレーゼ。
でも、テレーゼに出会った時、彼には職が無かった。 向こうの親の反対で、結婚は出来なかった。
彼女は、別の人と結婚。
シューベルトの生涯に、テレーゼを越える女性は現われなかった。
生涯独身で過し、31歳9ヶ月で亡くなる。 ※ チフス。
彼女のことを、忘れることはなかった。
トランペットは、ニニ・ロッソ。
朝日新聞で「愛の旅人」と云う特集を組んだことがある。 その中の文を紹介します。
○ 約200年前、この合唱団(ウィーン少年合唱団)の前身にあたる宮廷少年合唱団の中に、
美しいボーイソプラノを響かせるフランツ・ペーター・シューベルトの小さな丸い顔があった。
○ テレーゼの晩年の写真を見せてくれた。
「非常に悲しそうな顔です。結婚生活はおそらく幸せではなかった。
彼女もシューベルトを思い続けていただろうと、私は思います」 (ウィーンのある資料館の館長)
○ 「僕はある少女を心から愛し、彼女も僕を愛していた。彼女は親の希望で他の人と結婚してしまった。僕はとても悲しかった。
今でも彼女を愛している。それ以来、彼女以上に気に入る女の子はいない」(シューベルトが友人に)

○ 「僕が愛を歌おうとすると、それは悲しみになった。そこで悲しみを歌おうとすると、それは愛になった」
※ シューベルトは、寝る間を惜しんで作曲をした。 作曲をしながら寝て、寝ている間も曲を作った。
そんな表現を、どこかで見ました。
※ こんなことも、あった。
シューベルトが亡くなる前年に、ベートーベンが亡くなった。
彼は、ベートーベンの棺を担いだ。
葬儀の後、仲間で酒を飲んだ。 乾杯の音頭は、シューベルト。 こう言った。
「この中で、最初に亡くなる者に、乾杯」と。
それを聞いた仲間は、不吉な予感がしたという。
シューベルトは、自分の寿命を知っていたのかもしれない。
この曲が生まれたのは、亡くなった年。
きっと、若かりし日のテレーゼを思い出しながら、曲を作った。
セレナーデは、シューベルトの心の中の悲しさを、悲しくも美しく表現した曲でした。
歌は、昨日の人と同じです。
【道の駅】 長島
【明日の予定】 伊唐島
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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