雨は降りそうにないので、歩くことに。
山道を歩く予定で、出発。 10時前。
途中で、Uさんの会社に寄った。
Uさんは、海岸線が面白いよと、地図まで用意していてくれた。
正確な距離は分からないが、20㌔くらいか。
※ ※ ※ ※
8時頃出たかったが、10時に。 おにぎりと水と、お菓子を少し。
どこまでも歩くぞ~、って出発。
※ 右の写真は、右に道の駅。 遠くに天草の牛深。
5分ほど歩いたら、指江(さすえ)港が見えた。
指江の市街地。 左に広がっている。
この後、Uさんの会社に寄る。
Uさんは、お勧めのコースの地図を、準備してくれていた。
説明もしていただいて、歩く楽しみが、ふくらんだ。
長島は、花の島。 冬でも、花がいっぱい。
当初は、向こうに行く予定だった。 山の中は、何も無いよって、Uさん。
すべて、赤土バレイショ。 甘くて美味しいジャガイモ。
おもちゃのような車。 農業用ですね。 後ろに、ナンバーのようなのがあった。
長島の西海岸の、メインの風景は、これ。 指江。
いつだか、島の道を見たら、島の経済の状態が見当つく、と書いたことがあります。
生産物を運ぶのも、道の役割。
小さな岩の山が、海に突き出ている。 堂崎。 神社があったので、寄って、そっちに行く。
堂崎の北側の海岸。 上の写真では、右側。 私は、北から南下している。
※ 東北の津波は、こんなのみんな壊した。 テトラポットを、何百メートルもの内陸まで運んだ。
上の写真の堂崎の下に来た。 堂崎の小さな山の上には、堂崎城があった。
長島氏が城主だったが、天草を支配する相良氏の一族に追われる。
16世紀になって、それを島津氏が奪い取った。 以来、ここは薩摩に。 そして、鹿児島県に。
そんなことで、ここは、天草諸島には含まれない。
※ 殺された城主の「たたり」を恐れて、若宮神社を建てたとある。 ここと、汐見地区に。
石段や、土塁(土を盛った所)が残っていた。
上に出てきた、若宮神社。 奥が、本丸跡。
海に下りる道があった。 こういう道があったら、必ず行く。
※ 行きたくない時は、見て見ないふり。
指江と温泉は、必ず見える。
※ Uさんは、こうなることを知ってたから、こっちがいいよって、勧めたかもしれない。
確かに、どこから見ても、いい風景。
この道を下って、戻る。 ビワの小さな実。
長島の花は、みんなで花の世話をしている。 植えるのも、草取りも、全部。 みんなの力で、花の島、長島に。
昔は棚田。 今は、段々畑。 ※ 段畑(だんばた)と呼んでもいいのかな。 四国の宇和島では、段畑だった。
美しい灯台。 長崎鼻(ながさきばな)灯台。
※ お寺の塔もそうだが、美しさと大きさは、関係ない。
小さいと、美しいに、かわいい が、プラスされることも。
一帯は、公園になっていた。
休憩して、おにぎりを食べた。 海苔なし。 中身は味噌。 12時15分。
足は快調。 靴ずれが出来たら困るので、ひもをちゃんと縛り直した。
※ テレビで、靴のひもは、ちゃんと縛った方が、足のためにいいと、言っていた。
足は、締め付けられて、苦しくないのか。
指江は、遠くなった。
唐隈(からくま)港が見えた。 ここに、昔、遣唐使の船が漂着した。
遣唐使漂着の地記念碑。
遣唐使は、船で、海を越えた。 博多や平戸から出た。
ツルの北帰行と同じで、危険をともなう、たいへんな航海だった。
正面。 小さな山の上まで、段々畑。
※ これの大きいのが、和歌山県にある。 あらぎ島。
長島は、石垣の島でもある。
山は、どこを耕しても、石や岩だらけ。 捨てるところは無いし、遠くに運べない。
石垣を作るのが、一石二鳥だった。
長島に住む先祖の人達の勤勉さが、石垣の島を作り上げた。
ジャガイモの収穫をしていた。
今度は、あの岩の「でっぱり」に行く。 板場鼻。
※ 岩の部分は、島の内陸から続いていると思う。
浸食されにくいため、このように、小さな半島に。 長島に、何ヶ所かある。
汐見漁港。
下りる道があったので、行ってしまった。
観光で来る人はいなく、釣りの人が来る。
港を歩いていたら、若宮神社。 堂崎城の説明にあった神社。
今行ってきた、汐見漁港と、板場鼻。
これから、向こうに行く。 海の出た山の中を、さまようことになる。 歌碑があった。
新しい橋があった。 新しいのに、どうして歩道を作らないのだろう、と思った。 ※ 国道に歩道が無いからか。
旧道を少し遠回りして、ここに来た。
展望台。
汐見港が見える。 砂浜に、だんだん畑に、岬。 美しい風景。
地図の左を、南下している。 細い道が無い所は、国道を歩く。
道沿いの花壇に、花を植えてる人がいた。
あいさつの後、私は「島は花でいっぱいになりますね」って言った。
下の道を行った。 地図では、道があるはずなんだか、山道になった。
行け、行け~って、行ってしまった。 山越えの道があるのを期待して。
一度山に登って、下り始めた。 最後は、海に出てしまった。
海岸沿いの道があったようだが、気づかなかった。 危ないと思って、下まで下りなかった。
遠回りしても、損したとは、まったく思わない。 いい運動だったということに、する。
こうなったら、間もなく収穫。
長島は、山はあっても、なだらか。 畑を作りやすい。
天草諸島の島と比べて、山が急峻でない。
薩摩藩の島津氏が、それを知っていたために、欲しくなった。 そして、手に入れた。
今は、ジャガイモの一大産地。 ※ ブリの養殖、日本一。
黒之瀬戸大橋は、もうすぐ見えるかなって、歩いている。
今日は途中で薄日が差して、あたたかくなった。
地図のどこを歩いているかは、分からない。 適当。 時々、行き止まりになって、戻る。
橋が見えた。
海に、下りて行く。
潮の流れが見える。 流れが、豊かな海をつくってくれる。
どんな花でも、育つのかな。 まだ、寒いのに。
黒之瀬戸を、船が行く。
万葉歌碑があった。
長田王(ながたのおおきみ)という人は、歴史的に何かをした人ではない。 天武天皇の孫。
※ 天武天皇は、大海人皇子(おおあまのおうじ)だった時、壬申の乱で勝って、天皇に。
皇后が後に、持統天皇になる。 白鳳時代で、その後、奈良時代。
瀬戸港でいいでしょうか。 橋が出来る前、ここからフェリーが出た。
小さなフェリーだったので、車で行く時は、何時間も並んだそう。(Uさんの話し)
港の側。 賑わった時代があった。
歩いて楽しい道。 曲がっているのが、いい。 向こうから来た。
道の駅だんだん市場が見えた。 着いた。
直ぐにバスが出ると云うので、あわてて乗った。 出発したのは、5時15分。
※ 後で知ったが、バスに乗ったすぐ後、Uさんの会社の人が、私を迎えに来ていた。
ちゃんと打ち合わせをしていなかった。
指江でバスを下りた。 20分ほどかかった。 400円。
Uさんの会社で、しばらくお話し。
※ 長島のジャガイモの発展について、Uさんが関わっているのではと、私は疑っていた。
それを聞いた。 こうだった。
Uさんがまだ20代のころ、仲間と始めた。 最初は、2人で。
相手の人は、販売ルートを担当。 Uさんは、育てる方。
育てるための資金等は、すべて農家に貸し与えた。 収穫の後で、払ってもらう形で。
これで、誰もが作付出来た。 仲間は増え、5年で軌道にのったという。
夜に、Uさんの車のテレビのアンテナを見せてもらうことにした。
7時半から。 温泉の駐車場で。
道の駅まで送るよと言って頂いたが、最後は歩くことに。
見えてきた。 着きました。 お疲れ様。
久しぶりに歩きました。 30㌔位なら、平気で歩けるようになりたい。 短い時間で。
昨年、十勝岳から旭川まで46㌔を歩いた。 その時、足が痛くなった。
未熟な足と知った。 今年もまた、どこかで、40数㌔に挑戦。
歩くと、風景が、小刻みに変わる。 いいなと思った時、シャッターを切れる。 それがいい。
晩に、私も、同じアンテナを付けることにした。
いいアンテナにしないと、山の中に行ったら、テレビは入らない。
今の場所でも、半分の局しか入らない。
心地よい、疲れでした。 温泉で、足を休めた。 足は、元気。
【今日の歌】
朱里エイコが歌う、デライラ、です。 このように彼女は歌う。
アメリカにいたから、英語も上手。 ウインドウの発音なんか、完璧。
彼女は晩年、心の面で不安定になる。 寄り添う人がいなかったのかな。
本家本元か。 若いころ聴いた。 柔らかい歌い方をしますね。 今と、おどりが違う。
【道の駅】 長島
【明日の予定】 小さな温泉かな。 雨模様なので。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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山道を歩く予定で、出発。 10時前。
途中で、Uさんの会社に寄った。
Uさんは、海岸線が面白いよと、地図まで用意していてくれた。
正確な距離は分からないが、20㌔くらいか。
※ ※ ※ ※
8時頃出たかったが、10時に。 おにぎりと水と、お菓子を少し。
どこまでも歩くぞ~、って出発。
※ 右の写真は、右に道の駅。 遠くに天草の牛深。


5分ほど歩いたら、指江(さすえ)港が見えた。

指江の市街地。 左に広がっている。

この後、Uさんの会社に寄る。
Uさんは、お勧めのコースの地図を、準備してくれていた。
説明もしていただいて、歩く楽しみが、ふくらんだ。
長島は、花の島。 冬でも、花がいっぱい。


当初は、向こうに行く予定だった。 山の中は、何も無いよって、Uさん。

すべて、赤土バレイショ。 甘くて美味しいジャガイモ。

おもちゃのような車。 農業用ですね。 後ろに、ナンバーのようなのがあった。

長島の西海岸の、メインの風景は、これ。 指江。

いつだか、島の道を見たら、島の経済の状態が見当つく、と書いたことがあります。
生産物を運ぶのも、道の役割。

小さな岩の山が、海に突き出ている。 堂崎。 神社があったので、寄って、そっちに行く。


堂崎の北側の海岸。 上の写真では、右側。 私は、北から南下している。

※ 東北の津波は、こんなのみんな壊した。 テトラポットを、何百メートルもの内陸まで運んだ。

上の写真の堂崎の下に来た。 堂崎の小さな山の上には、堂崎城があった。
長島氏が城主だったが、天草を支配する相良氏の一族に追われる。
16世紀になって、それを島津氏が奪い取った。 以来、ここは薩摩に。 そして、鹿児島県に。
そんなことで、ここは、天草諸島には含まれない。
※ 殺された城主の「たたり」を恐れて、若宮神社を建てたとある。 ここと、汐見地区に。


石段や、土塁(土を盛った所)が残っていた。

上に出てきた、若宮神社。 奥が、本丸跡。

海に下りる道があった。 こういう道があったら、必ず行く。
※ 行きたくない時は、見て見ないふり。
指江と温泉は、必ず見える。
※ Uさんは、こうなることを知ってたから、こっちがいいよって、勧めたかもしれない。
確かに、どこから見ても、いい風景。


この道を下って、戻る。 ビワの小さな実。


長島の花は、みんなで花の世話をしている。 植えるのも、草取りも、全部。 みんなの力で、花の島、長島に。
昔は棚田。 今は、段々畑。 ※ 段畑(だんばた)と呼んでもいいのかな。 四国の宇和島では、段畑だった。


美しい灯台。 長崎鼻(ながさきばな)灯台。
※ お寺の塔もそうだが、美しさと大きさは、関係ない。
小さいと、美しいに、かわいい が、プラスされることも。
一帯は、公園になっていた。
休憩して、おにぎりを食べた。 海苔なし。 中身は味噌。 12時15分。
足は快調。 靴ずれが出来たら困るので、ひもをちゃんと縛り直した。
※ テレビで、靴のひもは、ちゃんと縛った方が、足のためにいいと、言っていた。
足は、締め付けられて、苦しくないのか。

指江は、遠くなった。

唐隈(からくま)港が見えた。 ここに、昔、遣唐使の船が漂着した。

遣唐使漂着の地記念碑。
遣唐使は、船で、海を越えた。 博多や平戸から出た。
ツルの北帰行と同じで、危険をともなう、たいへんな航海だった。

正面。 小さな山の上まで、段々畑。
※ これの大きいのが、和歌山県にある。 あらぎ島。

長島は、石垣の島でもある。
山は、どこを耕しても、石や岩だらけ。 捨てるところは無いし、遠くに運べない。
石垣を作るのが、一石二鳥だった。
長島に住む先祖の人達の勤勉さが、石垣の島を作り上げた。
ジャガイモの収穫をしていた。

今度は、あの岩の「でっぱり」に行く。 板場鼻。
※ 岩の部分は、島の内陸から続いていると思う。
浸食されにくいため、このように、小さな半島に。 長島に、何ヶ所かある。

汐見漁港。

下りる道があったので、行ってしまった。


観光で来る人はいなく、釣りの人が来る。


港を歩いていたら、若宮神社。 堂崎城の説明にあった神社。

今行ってきた、汐見漁港と、板場鼻。

これから、向こうに行く。 海の出た山の中を、さまようことになる。 歌碑があった。


新しい橋があった。 新しいのに、どうして歩道を作らないのだろう、と思った。 ※ 国道に歩道が無いからか。
旧道を少し遠回りして、ここに来た。

展望台。

汐見港が見える。 砂浜に、だんだん畑に、岬。 美しい風景。

地図の左を、南下している。 細い道が無い所は、国道を歩く。

道沿いの花壇に、花を植えてる人がいた。
あいさつの後、私は「島は花でいっぱいになりますね」って言った。

下の道を行った。 地図では、道があるはずなんだか、山道になった。
行け、行け~って、行ってしまった。 山越えの道があるのを期待して。


一度山に登って、下り始めた。 最後は、海に出てしまった。

海岸沿いの道があったようだが、気づかなかった。 危ないと思って、下まで下りなかった。


遠回りしても、損したとは、まったく思わない。 いい運動だったということに、する。

こうなったら、間もなく収穫。

長島は、山はあっても、なだらか。 畑を作りやすい。
天草諸島の島と比べて、山が急峻でない。
薩摩藩の島津氏が、それを知っていたために、欲しくなった。 そして、手に入れた。
今は、ジャガイモの一大産地。 ※ ブリの養殖、日本一。

黒之瀬戸大橋は、もうすぐ見えるかなって、歩いている。

今日は途中で薄日が差して、あたたかくなった。
地図のどこを歩いているかは、分からない。 適当。 時々、行き止まりになって、戻る。


橋が見えた。

海に、下りて行く。

潮の流れが見える。 流れが、豊かな海をつくってくれる。

どんな花でも、育つのかな。 まだ、寒いのに。

黒之瀬戸を、船が行く。

万葉歌碑があった。
長田王(ながたのおおきみ)という人は、歴史的に何かをした人ではない。 天武天皇の孫。
※ 天武天皇は、大海人皇子(おおあまのおうじ)だった時、壬申の乱で勝って、天皇に。
皇后が後に、持統天皇になる。 白鳳時代で、その後、奈良時代。


瀬戸港でいいでしょうか。 橋が出来る前、ここからフェリーが出た。
小さなフェリーだったので、車で行く時は、何時間も並んだそう。(Uさんの話し)

港の側。 賑わった時代があった。

歩いて楽しい道。 曲がっているのが、いい。 向こうから来た。


道の駅だんだん市場が見えた。 着いた。

直ぐにバスが出ると云うので、あわてて乗った。 出発したのは、5時15分。
※ 後で知ったが、バスに乗ったすぐ後、Uさんの会社の人が、私を迎えに来ていた。
ちゃんと打ち合わせをしていなかった。

指江でバスを下りた。 20分ほどかかった。 400円。
Uさんの会社で、しばらくお話し。
※ 長島のジャガイモの発展について、Uさんが関わっているのではと、私は疑っていた。
それを聞いた。 こうだった。
Uさんがまだ20代のころ、仲間と始めた。 最初は、2人で。
相手の人は、販売ルートを担当。 Uさんは、育てる方。
育てるための資金等は、すべて農家に貸し与えた。 収穫の後で、払ってもらう形で。
これで、誰もが作付出来た。 仲間は増え、5年で軌道にのったという。
夜に、Uさんの車のテレビのアンテナを見せてもらうことにした。
7時半から。 温泉の駐車場で。
道の駅まで送るよと言って頂いたが、最後は歩くことに。
見えてきた。 着きました。 お疲れ様。

久しぶりに歩きました。 30㌔位なら、平気で歩けるようになりたい。 短い時間で。
昨年、十勝岳から旭川まで46㌔を歩いた。 その時、足が痛くなった。
未熟な足と知った。 今年もまた、どこかで、40数㌔に挑戦。
歩くと、風景が、小刻みに変わる。 いいなと思った時、シャッターを切れる。 それがいい。
晩に、私も、同じアンテナを付けることにした。
いいアンテナにしないと、山の中に行ったら、テレビは入らない。
今の場所でも、半分の局しか入らない。
心地よい、疲れでした。 温泉で、足を休めた。 足は、元気。
【今日の歌】
朱里エイコが歌う、デライラ、です。 このように彼女は歌う。
アメリカにいたから、英語も上手。 ウインドウの発音なんか、完璧。
彼女は晩年、心の面で不安定になる。 寄り添う人がいなかったのかな。
本家本元か。 若いころ聴いた。 柔らかい歌い方をしますね。 今と、おどりが違う。
【道の駅】 長島
【明日の予定】 小さな温泉かな。 雨模様なので。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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