美々津には、毎年来ている。
静かな佇まいの重伝建地区。 京風の町並みが続く。
よそ者が初めて歩いても、何か落ち着く。 そんな辺りが、魅力でしょうか。
美々津軒というところでお茶を御馳走になって、お話しを聞くことが出来た。
のんびり歩いたので、見たのは、全体の半分だけ。
※ ※ ※ ※
耳川。 橋は、美々津大橋。 国道10号線が通っている。 宮崎市より北に来ると、急に交通量が増えた。
※ 天正6年(1578年)の秋に、耳川の戦いがあった。 豊後の大友宗麟と薩摩の島津義久が戦った。
その1年ほど前、島津に追われ、大伴宗麟を頼って山越えして来た、伊東義祐・伊東祐兵らも参加している。
最後は、大伴軍は敗走する。 耳川を渡る時、3000人と云われるの兵が戦死する。
耳川は、血で染まった。
※ 後に、伊東家は秀吉に仕え、認められる。
伊東祐兵は、島津氏と戦わないで、飫肥(おび)城の初代城主として復活する。
関ヶ原では、九州で唯一家康の味方をする。 飫肥藩は安泰になる。 祐兵は賢かった。
こちらは、河口方面。
正面は、立磐(たていわ)神社。 右の大きな碑は、海軍発祥の地とか、書いてあった。
子供たちが遊んでいる。
美々津は、高鍋藩の商業港だったとある。
神話では、神武天皇は東に向かう時、美々津から船出した。
その時、立磐神社で戦勝と海上安全を祈願したと言われている。
木の穴の中にも、鳥居。
美々津大橋の向こうに鉄橋。 列車が通った。 日豊本線。 ※ にっぽう本線。 小倉から鹿児島まで。
その向こうに、道の橋が見える。 美々津橋。 美々津大橋が出来る前は、国道が通っていた。
さあ、町並みを歩きます。 川の方から上がってきた。 昔の街道。 豊後街道。
振り返って撮影。 趣のあるお店。
左の青い暖簾(のれん)が、美々津軒。 昔のままの家が見学できる。 無料。 この後、行く。
屋根が道路側に流れている家が多い。 物々しい感じがしない。
曲がった道。 今日は行かなかった。
美々津軒にお邪魔した。 こんな飾り。 「いっぺこっぺ」は、あっちこっち とか、どこもかしこも、の意味。
中庭。 左の縁側で、お茶を御馳走になった。
美々津が伝建地区になった経緯などを聞いた。
先頭になって動いた人がいた。 その人を信頼することが出来たことが、大きかった。
建物は明治時代の前半。 この木は、家より古いんですよと、お家の人が教えてくれた。
※ 説明していただいたのは、このお家の奥さま。 子供の頃から住んでいる。
赤い花が見える。
ツツジだろうか。 大きい。
2階が、このように見える。 今いる部屋の天井は高い。
この家は商家で、廻船問屋をしていた。
子ども新聞。 神武天皇の話しが分かりやすい。
道の幅は、向かい側の家の人と、話せる距離。
落っこちないかが、どうしても心配。
奥さまの話しでは、小さい時は、2階に上がらせてもらえなかった。
※ こんな話も聞いた。
ここ美々津は、立縫(たちぬい)の里、とも云う。
神武天皇が出発する朝、少女が、天皇の衣服のほころびを見つけた。
天皇は立ったままで縫わせた。
それで、立縫の里。
また、針を使ったのは朝だった。 神武天皇は行ったきり、戻って来なかった。
それで、美々津では今でも、朝、針をつかうことはないという。
大事な人が戻って来なくなるから。
向こうから歩いてきた。
共同井戸があるということは、ここからみんな水を運んだのか。
近くの観光地の紹介があった。
十根川集落には、昨年の3月16日に行った。 その時の写真。
この日は、震災の5日後だった。 一日いっぱい、自分はどうすればいいか考えていた。
次の日、東北に向かった。
5月の連休が終わって、また九州に戻ってきた。 山に登った。 九重山、阿蘇山、祖母山に。
だいぶ前のことに、感じる。
高台から。 ※ 旧高鍋藩仮屋跡を探しに行ったが、分からなかった。
戻って、また町並みに。
にぎやかです。
落ち着いた感じ。 どの家も、人が住んでいる。
神社があるので、行ってみた。
名前は?
ここにも、小さな神社。
お地蔵さん。
ここのお家の人と、お話し。 木を燃やして、風呂を沸かしている。
その燠(おき)で、カレイを焼いていた。
薪(まき)で沸かしや湯は、あったまる。 こうやって焼いた魚は、油が自然にまわって美味しい。
そう話してくれた。
郵便受けは、神武天皇の船出の船。
毎日いい天気。 お腹がすいてきたので、今日の見学はここまで。 戻った。
今日は、今まで見てない所も見た。 のんびりと、全体の半分。
明日も歩く。 時間があれば、海辺も歩いてみたい。
美々津は、文字も話しての響きも、しっとりしている。 美しい。
【今日の歌】
天地真理。 若葉のささやき です。 彼女の歌には、何曲かいいのがありますね。
可愛かった。 あれから40年。 今は、どうしているのか。
想い出のセレナーデ。
※ 東日本大震災復興応援チャリティソングに、彼女の曲、「ひとりじゃないの」が選ばれている。
【その他】
フィギュアスケートの世界選手権が、フランスのニースで行われています。
ショート・プログラムが終わった段階で、トップはレオノワ。
この子は、注目していいかもしれない。 レオノワについては、このブログの最後に書いています。
アリョーナ・レオノワの滑りです。 3回転・3回転を跳んでいます。 荒削りの感じがします。
音楽は、東欧の匂い。
真央に逆転の可能性がありますよ。
【道の駅】 日向
【明日の予定】 美々津の2日目。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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静かな佇まいの重伝建地区。 京風の町並みが続く。
よそ者が初めて歩いても、何か落ち着く。 そんな辺りが、魅力でしょうか。
美々津軒というところでお茶を御馳走になって、お話しを聞くことが出来た。
のんびり歩いたので、見たのは、全体の半分だけ。
※ ※ ※ ※
耳川。 橋は、美々津大橋。 国道10号線が通っている。 宮崎市より北に来ると、急に交通量が増えた。

※ 天正6年(1578年)の秋に、耳川の戦いがあった。 豊後の大友宗麟と薩摩の島津義久が戦った。
その1年ほど前、島津に追われ、大伴宗麟を頼って山越えして来た、伊東義祐・伊東祐兵らも参加している。
最後は、大伴軍は敗走する。 耳川を渡る時、3000人と云われるの兵が戦死する。
耳川は、血で染まった。
※ 後に、伊東家は秀吉に仕え、認められる。
伊東祐兵は、島津氏と戦わないで、飫肥(おび)城の初代城主として復活する。
関ヶ原では、九州で唯一家康の味方をする。 飫肥藩は安泰になる。 祐兵は賢かった。
こちらは、河口方面。

正面は、立磐(たていわ)神社。 右の大きな碑は、海軍発祥の地とか、書いてあった。
子供たちが遊んでいる。

美々津は、高鍋藩の商業港だったとある。

神話では、神武天皇は東に向かう時、美々津から船出した。
その時、立磐神社で戦勝と海上安全を祈願したと言われている。

木の穴の中にも、鳥居。

美々津大橋の向こうに鉄橋。 列車が通った。 日豊本線。 ※ にっぽう本線。 小倉から鹿児島まで。
その向こうに、道の橋が見える。 美々津橋。 美々津大橋が出来る前は、国道が通っていた。

さあ、町並みを歩きます。 川の方から上がってきた。 昔の街道。 豊後街道。

振り返って撮影。 趣のあるお店。

左の青い暖簾(のれん)が、美々津軒。 昔のままの家が見学できる。 無料。 この後、行く。
屋根が道路側に流れている家が多い。 物々しい感じがしない。

曲がった道。 今日は行かなかった。

美々津軒にお邪魔した。 こんな飾り。 「いっぺこっぺ」は、あっちこっち とか、どこもかしこも、の意味。

中庭。 左の縁側で、お茶を御馳走になった。
美々津が伝建地区になった経緯などを聞いた。
先頭になって動いた人がいた。 その人を信頼することが出来たことが、大きかった。

建物は明治時代の前半。 この木は、家より古いんですよと、お家の人が教えてくれた。
※ 説明していただいたのは、このお家の奥さま。 子供の頃から住んでいる。
赤い花が見える。

ツツジだろうか。 大きい。

2階が、このように見える。 今いる部屋の天井は高い。

この家は商家で、廻船問屋をしていた。

子ども新聞。 神武天皇の話しが分かりやすい。

道の幅は、向かい側の家の人と、話せる距離。

落っこちないかが、どうしても心配。
奥さまの話しでは、小さい時は、2階に上がらせてもらえなかった。

※ こんな話も聞いた。
ここ美々津は、立縫(たちぬい)の里、とも云う。
神武天皇が出発する朝、少女が、天皇の衣服のほころびを見つけた。
天皇は立ったままで縫わせた。
それで、立縫の里。
また、針を使ったのは朝だった。 神武天皇は行ったきり、戻って来なかった。
それで、美々津では今でも、朝、針をつかうことはないという。
大事な人が戻って来なくなるから。
向こうから歩いてきた。

共同井戸があるということは、ここからみんな水を運んだのか。

近くの観光地の紹介があった。
十根川集落には、昨年の3月16日に行った。 その時の写真。
この日は、震災の5日後だった。 一日いっぱい、自分はどうすればいいか考えていた。
次の日、東北に向かった。
5月の連休が終わって、また九州に戻ってきた。 山に登った。 九重山、阿蘇山、祖母山に。
だいぶ前のことに、感じる。

高台から。 ※ 旧高鍋藩仮屋跡を探しに行ったが、分からなかった。

戻って、また町並みに。

にぎやかです。

落ち着いた感じ。 どの家も、人が住んでいる。

神社があるので、行ってみた。

名前は?

ここにも、小さな神社。

お地蔵さん。

ここのお家の人と、お話し。 木を燃やして、風呂を沸かしている。
その燠(おき)で、カレイを焼いていた。
薪(まき)で沸かしや湯は、あったまる。 こうやって焼いた魚は、油が自然にまわって美味しい。
そう話してくれた。

郵便受けは、神武天皇の船出の船。

毎日いい天気。 お腹がすいてきたので、今日の見学はここまで。 戻った。

今日は、今まで見てない所も見た。 のんびりと、全体の半分。
明日も歩く。 時間があれば、海辺も歩いてみたい。
美々津は、文字も話しての響きも、しっとりしている。 美しい。
【今日の歌】
天地真理。 若葉のささやき です。 彼女の歌には、何曲かいいのがありますね。
可愛かった。 あれから40年。 今は、どうしているのか。
想い出のセレナーデ。
※ 東日本大震災復興応援チャリティソングに、彼女の曲、「ひとりじゃないの」が選ばれている。
【その他】
フィギュアスケートの世界選手権が、フランスのニースで行われています。
ショート・プログラムが終わった段階で、トップはレオノワ。
この子は、注目していいかもしれない。 レオノワについては、このブログの最後に書いています。
アリョーナ・レオノワの滑りです。 3回転・3回転を跳んでいます。 荒削りの感じがします。
音楽は、東欧の匂い。
真央に逆転の可能性がありますよ。
【道の駅】 日向
【明日の予定】 美々津の2日目。
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